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Walk With God Ministries

09 03月

神の予知に従って選ばれる ウエイド・テイラー    2012年3月10日


神の予知に従って選ばれる

ウエイド・テイラー

 

 

父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ....第一ペテロ1:2

「従うように..選ばれた人々」:私たちが選ばれるのは、 私たちの内に霊的可能性があると主が見られる結果です。神は「予知」によって 、主に喜んで従い、従順に応答する者たちをすでに知っておられます。

もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。イザヤ1:19

自分の奥深くに隠されている能力を実現させるだけのキャパシティーと堅忍力があると、主が「 予知」によって見られる者たちを、主は選ばれるのです。

主は今も大いに働いておられます。主に対する純粋な思いを持ち、 あらゆるプレッシャーや人生のあらゆる状況下の問題に打ち勝つことを喜んで「選ぶ」者たちを、主は今調えておられます。私たちに必要なのは、揺るぎない霊と従順な心です。

 

パロの戦車の馬

 

天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を預け、旅に出て行く人のようです。彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。マタイ25:14−15

 

「予知」により、主は私たちが生まれる前から私たちが(おのおのその能力にしたがって)する選択を知っておられました。ですから主は、私たちに対する御心と目的に私たちが向かっていくように、静かに導かれるのです。

わが愛する者よ。私はあなたをパロの戦車の雌馬になぞらえよう。雅歌1:9

 

この箇所は 正しく理解するならば、非常にパワフルで意味深い賛辞となるのです。パロは当時世界で一番偉大な支配者でした。彼の使者たちは当時知られていた世界全域に遣わされて、まだ未成熟で「可能性を持つ」子馬を捜し求めたのです。それらの子馬の中からパロの戦車を引かせるための馬が、激しい訓練としつけを受けて調えられました。

そして、特別の機会には、それら注意深く選ばれた馬たちはパロの戦車に繋がれて、地上の美、力、調和をあらわす華麗なる姿で戦車を引いて行き、 堂々とした 栄光の パロの姿を民衆の前に示したのです。

 

それと同じように、主も又、王の王なる方の戦車に繋がれる可能性を持つと主が(予知によって)見る者たちを、今調えておられるのです。彼らは天の美しさ、力、調和を輝かしく映し出し、「その日」 堂々とした栄光の主の姿を世界の国々の前に表すのです。

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒行伝1:8

ここでいう「証人」とは、「私たちがしていること(what we are doing)」ではなく、「そのようになった者(what we have become)」であることに注目してください。

 

わたしの「選び」

 

招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。マタイ22:14

 

1944年に、私はジョージア州サヴァナの西にあった陸軍のキャンプにいたのですが、ある日、そこにあった小さなチャペルに入っていきました。他に誰もいないことを確かめてから、私はひざまずいて祈りました。「神様、この戦争で私が死なないようにしてくださったら、軍隊を出たときにはミニストリーをします。」と。

 

この出来事は深く私に影響を与えました。私はこのような事を言うつもりはなかったのですが、チャペルを出たとき、私は何かものすごいことが起こったように感じたのです。私はニュースを聞くためにPX(軍の物品販売店)に走って行きました。というのは、もしかしてヒットラーが降伏したかもしれないと思ったからです。でもその時は何も変ったニュースはないのを知って私はがっかりしました。

 

その時の私には、非常に重要な何かが確かに起こったことを理解する力はありませんでした。私は主に自分の人生を明け渡し、主がそれに答えられたのです。「予知」によって主は、私の人生が主に捧げられ、この文章が何年もあとになって書かれるのを知っておられたのです。

 

チャペルでひとりで祈っていたとき、ひとつの「選び」が行われ、その日から私の人生は私が気づかないうちに主によって変えられ導かれていったのです。主の私に対するご計画と目的を邪魔したり妨げたりする状況や物事も、主によって道が開かれたり、変えられたりして行きました。

「予知」によって主は、私が主を選び正しく応答することをみられたので、それによって私の人生に対する主の「選び」は確立されました。

 

主は私のこころの意図(すべて願うこと、そうなりたい姿)を知っておられます。そして、私たちがそれよりも高いレベルの主の御目的のためにそれを明け渡すかどうかを知っておられるのです。主の「選び」は主によって決められる一方的な選択ではなく、むしろそれは、主が私たちの人生の終りを始めから見ておられるという事の結果です。主はアルファでありオメガです。

 

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。この世と調子をあわせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12:1−2

私たちに要求されることは沢山あります。そして主は私たちが正しく応答するかどうかを知っておられるのです。

 

「あなたは忘れたがわたしは忘れなかった」

勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。黙示録3:21

私たちにとって「勝利する」とは、主に正しく応答し、私たちが主と共に歩くことを妨げるすべてのものを「越える」ことを意味しています。

今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界がわたしのものであるから。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、主が命じられたこれらのことばをみな、彼らの前に述べた。すると民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主が仰せられたことを、みな行ないます。」それで、モーセは民のことばを主に持って帰った。出エジプト19:5−8

 

民の意図は良かったのですが、彼らは自分たちが言ったようには行動しませんでした。よい意図だけでは十分ではありません。私は主に「もし主が私の命を守ってくださるならば主に仕えます。」と申し上げました。私は1945年の秋に陸軍から解任されました。それからの5年間、わたしは殆ど教会に行きませんでした。主との約束を全く忘れていたのです。

けれども、今日私は主に仕えています。それは私が忘れていたことを主は覚えておられたからです。主の予知と選びがないならば、私は今のような主との関係は持つことはできなかったのです。

 

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。エペソ2:10

 

その時から私は「神の作品」となり、主は私の人生の状況を深く取り扱うのに非常に忙しくなられました。私は大変儲かるビジネスの経営者となっていたのですが、人生にはもっと何かがあるのではないか、となぜか感じていたのです。私はそのビジネスを売り、人生を主に捧げ、聖書学校に行きたい、という思いに心が引き寄せられるのを感じ始めました。

主が私の内にこの願望を置かれたのです。それは「その時」になったならば、 主が私の人生に割り込み主の思い通りにされるのを私が許可することを、主は知っておられたからです。

 

私は軍隊にいたときに私がした主への約束を完全に忘れていました。しかし、 主が私の霊を引き寄せられたときに私は応答し、 主を人生の第一としました。ビジネルを売却した当日、主は私の記憶を呼び起し、「あなたは忘れたけれど、わたしは忘れなかった。」と言われました。私が軍のチャペルにいたあの日に、主は私が繁盛しているビジネスよりも主を選びとることを見ておられたのです。

私たちは一人ひとり、主がどのように自分の人生を捕らえられたか、どのように自分は主の「選び」によって現在のところに導かれたかという証しを持っているのです。

 

あなたの現在の霊的経験を越えたところに主が導かれることを、あなたが許可することによって、あなたの人生における主の「選び」が100%完成されますように祈ります。そしてあなたが王の王なる方の戦車に繋がれ、すべての膝がかがめられるときに人々の前に主をお連れすることができるようにと祈ります。(終り)

 

Wade E. Taylor
Wade Taylor Ministries

Email: wade@wadetaylor.org

 


03 03月

止まって、見て、聞きなさい! ボブ&ボニー・ジョーンズ 2012年3月4日


 

止まって、見て、聞きなさい!

ボブ&ボニー・ジョーンズ

 

教会への警告:私たちはキリストに焦点を合わせ続け、真理の御霊に導かれねばならない。私たちは教え(teaching)を追いかけるのではなく、教師(the Teacher キリスト)に焦点を合わせねばならない。

 

私はヴィジョンで、 小さな男の子がお父さんの手を離し、まわりをよく見ないで走って道路を横切っていくのを見ました。 向こう側に置いてあるものに興味をひかれて、それにむかって走り出したのです。 向こう側の道路わきには大きな机と 椅子が置いてあり、それは 粗大ゴミとして捨てられて回収されるのを待っているかのように見えました。

 

その男の子は幼くて未熟なので、空しい望みに目を奪われて、一番大切な物への焦点を失ったのでした。 私は、このヴィジョンが教会への警告であると感じました。私たちはキリストに焦点を当て続け、真理の御霊によって導かれねばなりません。

 

私たちは教え(teaching)のあとを追いかけてばかりいてはならないのです。私たちは教師(the Teacher キリスト)に焦点を当てねばなりません。私たちは、立ち止まり、見て、聞かねばなりません!子供たちが小さいとき、道路を横切るときにまず教えられるルールの一つは、「立ち止まり、見て、聞くこと」です。

この簡単な子供の歌を覚えれば、あなたにとってこれが一生のガイドになります。

「道を横切るときは、止まって、見て、聞くのですよ

最初に目、次に耳、それから最後に足を使いなさい」

 

ストップ!:神は私たちが自分の業をやめ、 主に安息して真理の御霊に導かれるように召されていると思います。私たちは自分の悟りに頼らず主により頼んで生きるようにと召されています。今まで私たちは、自分の魂によって動かされてしまい、聖霊と一つになった私たちの霊に よって動かされてはいませんでした。

 

見なさい!: 私たちは常に聖霊を見つめ続けることにより、聖霊がしておられることを注意深く識別せねばなりません。そうすることによって、私たちは正しい道にとどまることができ、期待して待つことによって、聖霊が言われることへの備えができます。

 

聞きなさい!: 私たちが自分の業から安息して、主を見つめるときに、聖霊が言われることを受け取る準備ができます。神の御声を聞くとき、私たちは愛によって動機づけられ、信仰と従順をもって出て行くことができます。

 

教えは大切です。私たちは聖書から教えられる必要があるからです。しかしキリストのからだは、聖書の教えを越えて生きる神との直接の経験へと進んでいかねばなりません。

 

私たちが自分の業を終えて主に委ね安息するときに始めてこのことが出来るようになります。私たちは主をじっと見つめ続けて、期待をもって主の指示を待たねばなりません。私たちは「私たちの肉に良く見えるもの」によって気を逸らされ混乱させられる余裕などないのです。

 

もし私たちが焦点を見失うならば、 視野に死角が出来てしまい盲点をつかれます。

ですから、私たちは、キリストについての初歩の教義とか教えをあとにして、霊的に成熟した者に属する霊的完成completeness and perfectionを目ざして着実に前進しようではありませんか。(宗教的形式的な)死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。ヘブル6:1、2

 

「学位Degree」が終り、「宣言Decree」が始まる!

今シーズン、私たちは神の息子、娘へと成長して行き、「古い方法がもたらす死」から「新しい命」へと移っていくのです。それは新しい出発です。それは 魂(soul)により支配されてきた私たちの人生が終息し、私たちの 霊の人が知性、意志、感情を支配し始めるのです。キリストのからだは学位(degree)に終りを告げ、新しい事を 宣言(decree)し始めるのです。

 

今までは魂(soul)が支配権を持っていたので、教会は学位を重視するメンタリティーで機能してきました。学位は、大学や神学校の課程を終了したときに与えられるものです。単純に言えば、肉や魂の業を称賛する称号です。それには知性の力はありますが、霊の力はありません。しかし今、キリストのからだは「宣言」へと進んでいるのです。

 

あなたが事を決めると(decide and decree)、それは成り、あなたの道の上には光が輝く。ヨブ22:28

 

宣言(decree)とは、法律的権限を持つ命令です。権威を持ってなされる決定です。真理の御霊が私たちを導くとき、私たちは聖霊の力と勢いを受け、主と一致して私たちが宣言する事は成就し、確立されます。

ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子ども(sons)です。(ロマ書8:12-14)(終り)

 

Bob and Bonnie Jones
The Prophetic Ministry of Bob and Bonnie Jones



20 02月

批判をとりなしに代える  リック・ジョイナー         2012年2月21日


批判をとりなしに代える

 

リック・ジョイナー

 

どうして、今クリスチャンの間に光がもっと照り輝いてこないのでしょうか。

どうして癒しがもっと起こらないのでしょうか。祈りが聞かれないのでしょうか

今日私がお話しすることが最も大きな理由だと思います。

 

神の御座の前に絶えず行われているミニストリーが2つあります。一つはとりなしのミニストリーです。ヘブル7:25に「キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」とあります。主は今も私たちのためにとりなしをしてくださっています。主は仲介者です。

 

そして、絶えず行われている二つ目のミニストリーは、罪を告発する悪のミニストリーです。サタンは「兄弟たちの告発者」と呼ばれています。サタンの一番の策略は兄弟同士を告発させ合うことです。サタンはこれを「日夜」していると書かれています。(黙示録12:10)サタンは天国から落とされましたから、どうやって日夜兄弟を御座の前で告発できるのでしょうか。それは、サタンが御座に行ける者たち(クリスチャン)を用いることによってできるのです。

 

とりなしをされる主のミニストリーよりも、「兄弟たちの告発者」の側に私たちがより一致協力していることがあるのではないかと私は思うのです。私たちはそこから解放される必要があります。

 

私たちの人生を他の何よりも画期的に変革することが出来る一番のことは、批判をとりなしに代えることです。これは、神が人々の間違っているところ、罪を見るな、と言っておられるのではありませんが、罪を見たときに私たちがそれをどのように扱うべきかをはっきりと教えておられます。

批判をするのが私たちの取るべき方法ではありません。非難、告発するのが私たちの取るべき道ではありません。 誰かに対する批判を私たちが始めたのではないにしても、もしそれを広めるならば、 その批判を言い始めた人と同じ責任を私たちは問われるのです。

 

誰かを批判をする人は一見賢いように見えます。 自分はその人より良い人間だと言っているようなものです。しかし、実はその人は一番おろかなことをしているのです。ある人の子供を批判するとすれば、 本当は誰を批判しているのでしょうか。その子供の親です。それでは、私たちが神の子供を批判するならば、私たちは一体何と言っていることになるのでしょうか。「主よ、あなたはご自分の子供たちを上手に育ててはおられませんね。私が望む標準に達していません。 」と言っていることになるのです。私たちは神が私たちに下さったリーダーを批判します。神は高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを与えてくださいます。他人を批判することは、私たちに出来る最も高慢な行為だと思います。

 

主は何と言っておられますか。主はこの事に関して非常に明確に教えておられます。マタイ18章ですが、最初の部分は、人のつまずきの石に絶対にならないように気をつけなさいということが書かれています。小さい者をつまずかせるくらいなら、生まれて来なかった方が良い、とまで主は言われています。そして次にどうのようにすればつまずきの石にならないかを教えておられます。

 

15節ですが、「もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。」と書かれています。そしてもしその人が聞き入れないならば、他の人も連れて行きなさい、と書かれています。これは、あなたがいろんな人の所に行って、兄弟の罪を全部ぶちまけ、一緒に言ってくれる人を探すということではありません。それはゴシップ、うわさ話をするということです。それはつまずきの石になるということです。そうではなく、神はあなたを一人の人のところに導き、罪を犯した兄弟をどうしたら回復することができるかを話に行くのです。どのようにしたら彼を取り戻すことができるかを話すのです。

 

イエスはこの世の罪を見たときに私たちを罪に定めませんでした。私たちを滅ぼされませんでした。主は私たちのためにご自分の命を投げ出して死んでくださいました。

私たちも主がされたように応答するとき、(主はいつもとりなしをしておられます)私たちも、どのようにすればこの人を助けられるのか、と考えるべきなのです。この人を助けるために、私はどのように命を投げ出せばいいのだろうか、と考えるのです。あなたはとりなし手となるのです。とりなしをするというのは祈リ以上のもの、祈りを越えたものです。

 

それでもその人が悔い改めないのならば、私たちはその人を教会の前に出すかもしれませんが、あくまでも、その目的はその人を回復させるためのものです。その人が本当に自分の罪を悔い改めるためです。

パウロもそのようにしました。コリント人への手紙で、罪を犯している人を取り除かねばならないといいましたが、しかしその人が悔い改めたならば、彼を受け入れなさい、彼は兄弟なのですから、と言っています。

 

ですから、私たちがある人の罪を取り扱う場合、どのようなスピリットで行うかが、とても重要です。もしあなたが その人を回復させたいという正しいスピリットを持たないならば、行ってはいけません。私たちの中に傷ついた心、怒りがあるならば駄目なのです。ベルゼブルとはハエという意味ですが、サタンは「ハエの王」と呼ばれます。ヴィジョンの中にハエが出てくるときは、それはほとんどいつも「偽り、嘘」を表しています。傷口があるときには、嘘(ハエ)がたかるのです。そして炎症を起させ、いやされないようにします。完治していない傷があるならば、祭司になることはできません。旧約聖書に書かれているように、かさぶたのある者は祭司になれません。ですから、もし私たちに傷があるならば、いやされる必要があります。自分の中に何かいやされていない部分があるならば、まずそれをいやさねばなりません。あなたの中の怒りをなくし、完全に赦さねばなりません。あなた自身が真にいやされて、それからその人を助けにいかねばなりません。その人を傷つけるためではなく、助けるために行くのです。

 

イザヤ59:9−12

そのとき、あなたが叫ぶと、主は答え「わたしはここにいる。」と仰せられる。もし、あなたの中から、くびきを除き、うしろ指をさすことや、つまらないおしゃべりをのぞき、飢えた者に心を配り、悩む者の願いを満足させるなら、あなたの光は、闇の中に輝き上り、あなたの暗やみは、真昼のようになる。主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、あなたの古代の礎を築き直し、「破れを繕う者、市街を住めるように回復する者。」と呼ばれよう。

 

聖書の最初の3章(創世記1−3)と最後の3章(黙示録20−22)を読んでみてください。完全につながる一つの話になります。その中間にあるものは、すべて神の回復の話なのです。贖い、和解、回復です。イザヤ11章には「狼は子羊とともに宿り....」と書かれています。神は創造されたパラダイスにこの地を再びしてくださるのです。ですから、私たちも同じようにすべての人が回復に向かうように扱わねばならないのです。私たち全員が今、回復へのプロセスを辿っているのです。それは何か大きな失敗をしたとか、大きな罪を犯したとかいう人だけではありません。私たちすべてがそのプロセスを通っているのです。古い自分を捨て去り、新しくされた者として生きようとしています。

 

ガラテヤ6:1

兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。

 

神の友となるためには、何事に対しても、誰に対しても、どうすればそれを助け回復させることができるかといる思いで向かうことです。これが私たちに与えられた神からの最高の召しだと思います。(終り)

 

(このメッセージは2012年2月5日モーニングスター日曜礼拝の説教の抜粋要約です。)


11 02月

ACPEによる2012年への主の言葉                2012年1月6日


ACPEによる2012年への主の言葉

2012年1月6日

 

ACPE( The Apostolic Council of Prophetic Elders) は昨年11月末に2012年に対する主のことばを求めて会議を開きました。これは1999年から毎年続けられていることですが、現在世界中が揺り動かされているので、これまでで最も厳粛な会議となりました。世界の多くの預言者は、アメリカは2012年に改革に向かうためには大きくシフトされる必要があり、それはこの国が「光を照らす山の上にある町」として再び確立されるかどうかの瀬戸際の年となると言っています。

 

「12」という数は聖書では政府、 統治(government)を表しています。 今年の大統領選挙で、アメリカという国の今後の地位が決められます。アメリカ合衆国はその偉大さのかなりの部分をすでに失ってしまいましたが、今シフトがなされないならば更に多くのものを失うことになるでしょう。2011年のためのことばの中で、私たち(ACPE)は、2011年は傾きが変わる「ティッピング・ポイント」の年になるか、あるいは「完全なる嵐 パーフェクト・ストーム」の年のどちらかになることを感じとっていました 。世界的にこの予想は非常に正確だったようです。大変悲しいことですが、日本にとっては文字通り「パーフェクト・ストーム」の年となってしまいました。

 

しかしながら、2011年の揺さぶりは、これから世界中で起こる揺さぶりに較べれば、まだ小さいものであるという感覚が集まった人たちの中にありました。これからのシーズン、キリストのからだ全体が、地上の国々の中で影響力のある声と権威を持たねばならず、主が来られる日までこの地を「占領すること occupy」を学ばねばなりません。しかし、ACPEはある人たちのように世界の終りが2012年に来るとは信じません。

 

揺り動かし

 

ヘブル12:27−29と黙示録12:10−12が今年のことばとして適切であると感じました。

 

「この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺る動かされるものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。私たちの神は焼き尽くす火です。」(ヘブル12:27−29)

 

私たちのリアリティーは、揺り動かされることのない御国に住んでいることだ、ということを忘れないでください。私たちは揺り動くことのないお方にしっかりと掴まっていなければなりません。私たちが自分の人生の中で持っている揺り動かされないものとは何でしょうか? 見つけてください。先のシーズンで清められ剪定されてシフトした事が、私たちの人生と信仰を新しいより高いレベルへと導いてくれます。

 

「そのとき私は、天で大きな声が、こう言うのを聞いた。『今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。』」黙示録12:10−12

 

キリストのからだが「エクレシア」又、法的権威として立ち上がるシフトがやってきます。多くの牧師が、「 political correctness この世一般が認める政治的同調」という束縛を打ち破り、自分の信じる事を明言するようになります。説教者たちは壇上から大声で妥協なしに聖書の言葉を語ります。これによって多くの政治家たちは、自分が「兄弟の告発者」になってあまりにも行き過ぎたことに気づき、主の恐れが多くの者の上に下ります。

 

このエクレシアのシフトにより、ある期間、エクレシアに敵対する者たちは信徒に対して激しい怒りを抱きますが、彼らも自分たちが行き過ぎていたことを知ります。アメリカとヨーロッパの牧師たちは、霊的覚醒と改革のための代弁人となります。新しい世代の「ウェスレイ」や「ウィルバーフォ—ス」たちが共に立ち、再び「教会」が道徳的権威として立ち上がるように呼びかけます。

 

今は使徒行伝4章のシーズンです。敵は教会を迫害しますが、教会は当時と同じように祈りによって戦います。しるしと不思議が数多く起こり、大勢の人たちが救われます。宗教組織は崩壊し、残るのは神の「レムナント 残りの者たち」です。私たちは妥協することなしに自分の場所にしっかり立っていなければなりません。

 

改革者に対する反撃はすさまじいでしょう。それはサタンが激しい怒りをもって反撃してくるからです。 メディアから攻撃が起こりますが、神ご自身がそれに対して応戦されるので、メディアは自分たちが神から攻撃されていることを知るでしょう。この戦いを通して、エクレシアは揺り動かされることのない輝く光として立ち上がってくるでしょう。

 

敵の攻撃に怯まなければあなたは勝利します。教会は自分の声を持ちます。リベラルなメディアは、堕胎に反対し聖書的な結婚観を支持する人たちに対して特に攻撃してくるでしょう。へイト・クライム(憎悪犯罪—人種、宗教、性的指向等の特定のグループに対する偏見、暴力)は正義的行為とされ、容認されるようになります。

 

まず初めに、「聖さのムーブメント」が教会に起こり、どんな罪も容認されなくなります。 悔い改めない者はあらわにされます。主が 性的罪やポルノにはまっている者たちを説教壇から取り除かれるからです。

 

経済は揺り動かされる

 

世界的な経済的揺り動かしを指し示す聖書箇所が幾つか与えられました。

「あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」ダニエル2:34−35

 

今は神の御国が全地に満ちる時です。エクレシアが全地に満ちる山となるでしょう。これが示す意味は私たちに与えられませんでしたが 、神にご計画があることは確信しました。山々が崩れていくとき、神は解決の答えを持っている神の御民を、銀行、経済、教育、政治の領域に準備されています。軍隊さえそのシステムを変えるでしょう。

 

ヨーロッパは揺れに揺れるでしょう。EUは、自分たちの政治から神を排除し福音を伝える牧師たちを逮捕しようとまで思っていたのですが、彼らは神ご自身によって取り扱われるでしょう。揺れ動きの最中に、神は歴史上今までなかったほどに教会を覚醒されます。ロシアとアジアの幾つかの場所も揺り動かされます。数カ国では、今までその国に君臨し動かされることはないと思われた独裁者が落とされるでしょう。

 

経済的揺り動かしの中で、多くの国家に暴動が起こるでしょう。神はこのシーズンを反キリストの霊の根を取り除くために用いられます。以前は、例えばイスラムのようないろいろな「主義」に信奉していた多くの人は、その真の姿があらわになるのを見てキリストに来ます。トルコとエジプトはイスラエルを脅そうとするでしょう。主は私たちにイスラエルと共に立たねばならないことを再び語られました。

 

エジプトはイザヤ19が成就されるシーズンを迎えるでしょう。 迫害の中で苦しむ教会を神が覚醒させ、一時的にはサタンが優勢かに見えるかもしれませんが、最後には神の大いなるムーブが勝利するからです。

 

今の時、国連さえも今までなかったほどに揺り動かされ、国連が持つ反イスラエルのアジェンダが暴露されるでしょう。

 

経済の見えなかった中身が「割れてあらわにされる」でしょう。地上全体に経済組織の揺り動かしがあるでしょう。しかし今、神はこの時のために用意されてきた神の「ヨセフ」を立て上げられるでしょう。主は私たちに恐れてはならないと、はっきりと言われました。

 

私たちは主にどのように備えたらいいのかを尋ねました。主は私たちに「危機のための備え」をしていなければならないと言われました。それは「地震とかの災害が起こったときのために必要な物資を蓄えて置くのは良いことである」という意味だと私たちは感じました。ある程度の物資を蓄えるのは賢明なことであると感じた一方、恐れのゆえに大量の貯蔵をする事に対する警報もありました。

 

「そこで、ヨシュアは民のつかさたちに命じて言った。『宿営の中を巡って、民に命じて、「糧食の準備をしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダン川を渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて所有させようとしておられる地を占領するために、進んで行こうとしているのだから。」といいなさい。』」 ヨシュア1:10−11

今のシーズンに忘れてはならない大切なことが3つあります。

1.恐れに対して正面から立ち向かう

2.物資を蓄える

3.天の御国は決して揺るがされないことを知る

 

イスラエルはこの揺り動かしの最中にも繁栄を続け、世界の多くの者たちが銀行のシステムを確立する方法に関するアドバイスを受けにイスラエルに行くでしょう。イスラエルはイザヤ60の成就のシーズンです。

 

扉をしめよ

 

イザヤ22:15−22により、国家の最高の地位に着こうとする者たちが国民に対して父の心を持っていない時、神の教会は彼らに扉を閉ざすことを神が望んでおられることが感じとられました。選挙のサイクルに劇的なシフトが起こるでしょう。ある政治家たちはまだ心が定まっておらず(天秤の上に載っている状態)、 義しい票を投じるか、暗い闇に落ちて行くかのどちらかに傾くことになるでしょう。

 

アメリカの選挙では、神は人々からそれぞれの覆いを吹き飛ばして、本当に義であり保守である者を明らかにするでしょう。私たちはアメリカのために祈りと断食の年とすることを呼びかけています。アメリカはこの一年でよい方にシフトするか、ひどく震われます。

影響力のある3つの山

 

「任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。」使徒行伝12:25

 

「さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国王へロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、『バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。』と言われた。そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。」使徒行伝13:1−3

 

今は、預言者と教師が一緒に働くべき新しいシーズンです。教えの賜物と神のことばの強い土台とは、教会に惑わしを入りこませない ために一緒に働かねばなりません。教師職にある者を私たちは認識し、他のミニストリーの賜物と同じように働きのために召し出さねばなりません。

 

この事は今年、特に大切です。それは今年最も重要な三つの山は、教会/宗教、家族、政府だからです。神は家族を再び一つにすると言われ、私たちは家族に焦点を当てねばならないと言われました。神は家族関係を癒し回復されます。

 

又、地域教会は神のエクレシアとして機能し、改革時代にアメリカを変えたよりも更に大きく国を変えていくでしょう。改革時代には牧師たちが自由のために戦いに参加しました。「その時の世論に同調する意味での政治的正しさ、political correctness」により機能していた様々な場所で「宗教の霊」が暴露されるでしょう。

 

上述のバルナバとサウロとマルコに関する聖書箇所から分かるように、今はミニストリーのために神が世代を結びつける時です。今は次の世代をメンタリングする(教え導く)シーズンです。エリヤとエリシャの関係にある人たちが共に立つてバトンを渡して行くでしょう。マントルがモーセからヨシュアに移ったように、「バプテスマのヨハネ」の働きをしていた人々が「ジーザス・ピープル(弟子たち)」の世代のために道備えをしていたように、移って行きます。

 

私たちは多くの人々が「地の果てまで出て行くように」という神の召しを聞く新しい宣教のムーブメントを見るでしょう。それはJ.R.MottのStudent Volunteer Movement以来見た事もないようなムーブメントとなるでしょう。神が大勢の女性たちを立て上げるので、多くの新しい女性たちがリーダーとなって立ち上がるでしょう。今は詩編68:11「主はみことばを賜る。良いおとずれを告げる女たちは大きな群れをなしている。」が成就するシーズンです。

 

人身売買、売春の犠牲者のために戦う「あわれみのミニストリー」のムーブメントが起り、今までになかったほど社会の中で教会が発言力をもつようになります。売春に対する神の裁きの「重りなわ」が天から下ろされます。様々なことが暴露され、政治のトップリーダーたちの性的犯罪も明らかになり、世界にショックを与えます。(この会議の直後に、世界的な売春組織が明るみに出された事がニュースとなりました。)

 

「家」の年

 

「それからイエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。『「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。』また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。」マタイ21:12−14

 

今年は「家」の年です。教会と同様に家族も「家」を表します。エクレシアは、すべての国の祈りの家となるでしょう。これによりすべての「politically correctnessその時の世論に同調する意味での政治的正しさ」からシフトしなかったものは、教会から追い出されるでしょう。まことの麦と一緒に育ってきた毒麦がどこにあるのかが分かるようになるでしょう。人々がどちら側に 立っているかを見分けられるようにするのが神の目的です。私たちは真理を語るために「教会のノンプロフィット 非営利団体」の特権をすすんで返上することさえ必要となるでしょう。

 

プライドがあらわにされ、クリスチャンのリーダーたちに新たな謙遜さが生まれるでしょう。その結果「祈りの家」に進んでなる者たちは偉大なしるしと不思議を見るでしょう。大勢の人々の解放が起り始め、多くの者が超自然的に強い束縛から自由にされるでしょう。新しい「ジーザス・ピープル・ムーブメント」が起こるでしょう。

 

私たちは、「祈りに浸された教会」を主が求めておられる、又、主は少数の選ばれた人たちだけではなく教会全体が祈ることを求めておられる、ということばを受け取りました。このことばにより、アメリカに祈りのムーブメントが回復されるように私たちが祈ることを神が求めておられることがわかりました。主はアメリカの祈りの歴史を私たちに思い起させてくださいました。

 

1980年代—地域教会で早朝の祈りと主の祈りが強調された偉大な神のムーブ

1990年代 — 祈りのムーブメントは主にパラ・チャーチの働きとなり、「AD2000」や「10/40のウィンドウの祈り」を通して多くの働きがなされました。この働きにより今までは福音に対して閉ざされていた多くの国が開かれました。又、ビル・ブライト師は断食祈祷のムーブメントを導きました。

2000年代 — 大学のキャンパスに神は祈りの家のムーブメントを起こされました。これはこれからも続けられ広がっていきますが、同時に祈りは地域教会にもどされ、今までになかったほどに教会全体が祈るまでになります。 祈りの家への情熱が取り戻されます。(ヨハネ2:17)

子どもと若者ユース

 

「そしてようやく三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中にすわって、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いていた人々はみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。両親は彼を見て驚き、母は言った。『まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。』するとイエスは両親に言われた。『どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。』」 ルカ2:46−49

 

子供や若者さえも、来るべき祈りのムーブメントの影響を受けます。子供と若者の覚醒が全地に起こります。イエスが賢者たちを驚かせたのは12歳のときでした。子供と若者の世代、特に10−12歳(tweens)が今までなかったように 立ち上がってくる時となるでしょう。

 

詩編110:3にあるメシア預言が実現するでしょう。

「あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」

 

ルー・イングル師は次のように言います。「夜明け前の暗い時間に、若者が集まり始める。乾いていた(誰もいない)地面は今や目の届く限りキラキラと輝いている。敵は夜眠りにつき、起きてみるとどこから現れたかわからない軍隊に取り巻かれているのを発見する。それは彼にとって最大の悪夢である。何も無かった平野が今や兵士で埋め尽くされ、彼らの武器は朝日に輝いている。文字通り一夜にして、献身した若者の軍隊が今ある暗やみから立ち上がってくる。この若者の大軍はすでに機動し始めている。今は目に見えないが、後に無敵となる。( Invisible now – Invincible later.)」

 

シンディー・ジェコブ師がつけ加えました。「彼らは神のあかつきの軍隊です! 戦いのためのフレッシュな軍隊、 聖さに燃え、主への情熱で真っ赤に燃えている軍隊! 彼らは聖く美しく、堕胎、貧困、ポルノ、同性愛やすべての性的罪の縛りを取り除く油注ぎを持っています。

 

今、極限の聖さが求められています。朝寝をするよりも神を愛する反世俗の戦士たちは、聖さの麗しさに心を奪われているので、世俗的な娯楽の楽しみを捨て去ります。聖さより美しいものは何一つありません。この世の誘惑もそれに勝るものではありません。言葉には表せないほどに麗しいのです。どんな詩人でも聖さの本質をことばで表現することはできません。彼らは主イエス・キリストと恋に落ち、主は言葉に表せないほどに麗しいのです。」(終り)


09 02月

今年示されていること     坂 達也       2012年2月10日


今年示されていること

坂 達也

 

数年前でしょうか、ボブ・ジョーンズ師が2012年までに終末の使徒が出て来ると預言したことを覚えておられる方は多いと思います。私も昨年来、今年はクリスチャンが使徒になる年であると言うことを強く示されています。

と言っても私は、「地域のリーダーとなる使徒職」と言うような大げさなことを指して言っている訳ではありません。使徒である資格は、すべてのことを信仰で行動する人であればよいと思っております。すなわち、その人の毎日行なっていることが、すべて神から出たもので、自分に与えられた「神の仕事」を忠実に実行する人であることです。

 

そうなるためには、今年こそ「心を尽くし精神を尽くして主の御声に聞き従う」(申命記30;2)ことによって信仰を得て、その信仰ですべてのことを実行することに徹する必要があります。なぜなら「信仰は神の(話す、レーマの)ことばを聞くことから始まる(得られる)」(ロマ書10:17)からです。勿論聖書の御ことばを読むことも大切です。それからその時に必要な御ことばを主は与えて下さいます。

 

イザヤ 55:11 で主は「わたしの口から出るわたしの言葉も/むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」

と言っておられるように、私たちは主から出るレーマのことばをいただき、それを信仰で実行すれば、神が私たちに与える使命と主の御心が必ず成し遂げられ、果たされるでしょう。

 

同時に主は、今既に、私たちの信仰を悪魔を用いてふるい、ゆすぶり始めておられることに気が付く必要があります。それは信仰においても「揺り動かされるものが取り除かれる」ことが必要だからです。(ヘブル12:27)それによって多くのクリスチャンが、自分の信仰に疑いを持ち始めたり、あるいは信仰を失う可能性があります。

 

さてそこで、最近、私に強く示されていることがあります。それは、父なる神のリーダーたちは、今年からは今までの祈りに費やす時間を少なくとも倍にする、そして一日最低二時間、時間が許される場合は四時間、五時間祈ることです。

 

実はこの思いは、ホノルル在住の家内の友人から最近いただいたテープを聞くことによって、私にその確認が与えられました。このテープは、Kat Kerrと言う女性の講師が、ハワイで初めての集会(ヒーリング・ルームでの)を持たれた時のものですが、この方はしょっちゅう主に呼ばれて天に行き、神の御座近くで親しく主のお話を聞いておられるそうです。その方が、天国で語られた主のお話をされた最後に、自分は毎晩四時間、主の前に出て時間を過ごすと言われたのです。私は、その方が何でもないかのようにポロッと口にされたその言葉にはっとしました。ブラザー・ローレンスがそうしていたことを思い出し、そうだこれだと思わされたのです。

 

毎晩4時間主と時間を過ごす――ローレンスはそれで睡眠時間が少なくなっても主が補ってくれると言っていたと思います。すばらしいではありませんか。今天国に行き来している人が増えているようですが、その人たちは主と非常に親しい人たちであることに間違いありません。

そこで早速私は、たまたま遅ればせの新年の三日間の断食をするところでしたので、二日間、一日合計で4-6時間祈ってみました。そして、やろうと思えば出来ることを確信しました。

それで思い出すのがモーセとかヨシュアが言っている律法を心に刻み込む方法です。

 

「 聞きなさい。イスラエル。・・・ 心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。・・・あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。」(申命記6:4-9)

彼らは律法をいつも口で唱え、色んなところに書き記して覚えた(まるで学生の頃の試験の日のようです)のでしょうが、今の私たちは、律法の替わりに主の前にできるだけ多く立って、一日中レーマの御ことばを聞くことによって(私たちの意識で聞くと共に、私たちの霊が聖霊から聞き)御ことばで満ちている状態「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。」(申命記30:14)でなければならないと思います。

 

私たちは常に主の思いとご計画を知らねばなりません。それには、主に密着して歩く以上のよい方法はないと思います。

パウロは誰よりも異言で祈ったと言いますが、私たちも本当に主と親密な関係になって常に御ことばをいただかなければ、主が言われる「わたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす」器になることは出来ません。これが出来る人が使徒であると信じます。

 

今年神は、私たちがそうすることを喜ばれるだけでなく、それが出来るように導き、助けて下さり、それが楽しく出来るようにして下さると信じます。

今は、終末の非常時期に既に入っています。忙しくて祈る時間がないと思う時ではなく、主と時間を過ごすことが世の中で最も大切なことであり、祈ることを自分のプライオリティーの一番にすれば、出来ないことはない、主がそれを助けてくれると思うべきではないでしょうか。(終り)


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