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Walk With God Ministries

12 08月

お金を通して語られる神           キャシー・ウオルターズ                  2013年8月12日


お金を通して語られる神

 

キャシー・ウオルターズ

 

数年前のことですが、私が自分の予定表を見ると一週間空いていることがわかりました。私はフロリダのオーランドにいるジョイ・ストラングさんに会いに行けたらすばらしいな、と思いました。彼女にメールすると、どうぞ来てください、という返事でした。でも私は一応主に「今週、あなたが私に行かせたいところがありますか?」と訊ねました。もう行くところは決めていたので、主から返答が来るとは思っていませんでした。でも驚いたことに、主は「そう、イスラエルに行って欲しいです。」と言われたのです。「フロリダに行くことになっているのですが...」と私は答えました。主に伺ったのはただ礼儀上だったのですから。でも主は「イスラエルに」と再度言われました。

勿論主に「行きません。」とは言えませんでしたので、イスラエルに行って友達のジュイニンに会うことにしました。彼女はその時イスラエルに住んでいました。彼女は当時すばらしいミニストリーを、特にアラブの村々でしていたのですが、一週間の間、私は彼女と一緒に行動しました。

私は彼女に付いて回っただけで、自分ではあまり何もしませんでした。ジョージアからイスラエルに発つとき、ある人がイスラエルまでの航空券を買ってくれましたので、みんなにはもうお金は必要ないと告げたにも拘わらず、いろんな人がお金を送ってきてくれました。そのお金はジュイニンがアパート代を払うのに必要であったことがわかりました。

それはよかったのですが、唯それだけのために、神は私をイスラエルに送ったのでしょうか?

 

 そこで、イスラエル滞在の最後の日に私たちはエルサレムの旧市街を歩きましたが、その時、私は主に「確かに友達に会えたのはよかったのですが、それだけではこの旅行はあまり意味がなかったように思えます。」と少々文句を言っていました。私がそこにいる必要性は全くなかったし、私が行きたかったフロリダなら6時間のドライブで行けましたから。

その時私たちはたまたま旧市街にいてある宝石店の前を通っていました。皆さんは私が宝石、特に古い骨董品的な宝石が好きで、その中でも特にローズゴールドが好きだということを御存知ですね。そのお店は私の好きなミカル・ネグリンの作品を扱っていました。彼はイスラエルのデザイナーです。

「このお店をどうしても見たい。」と私はジィイニンを引っぱりました。店に入るとバービードールのようにきれいでスラッとした夫婦がいました。

私は素敵なブレスレットやネックレスをジュイニンと一緒に見始めました。素敵な夫婦はこの店のオーナーでしたが、店の反対側に行ってしまいました。私の英国なまりを聞いて私に興味を失ったようでした。 英国からの旅行者は「見るだけ」で実際に買うことは少ないという評判だからでしょう。

 

私はこのお店の宝石がとても気にいりました。ダイヤモンドやエメラルという宝石ではなく、デザインされたものでしたが決して安物ではありませんでした。ミカル・ネグリンの宝石を買うチャンスを逃したくなかったので、私はジュイニンに「ブレスレットを1つ買うわ。」と言いました。ところが主が私に「ブレスレットを4つ買いなさい。そしてジュイニンにも何か買いなさい。」と言われたのです。

そこで私は主に「ここのものは安くはないですよ。ご存知でしょ。」と答えたのですが、主は同じことを又言われました。

そこで、私は4つブレスレットを選び、ジュイニンに一番好きなものを選ぶように言いました。オーナー夫婦は私が「これと、これと、、、」と選んでいる気配に気が付き、又、ジュエリンが「私はこのネックレスがいいわ!」と言うのを聞いて、急に私に興味を持って私たちのそばにやって来ました。

私はブレスレットを4つとジュイニンのためのネックレスを買いますと彼女は「主を賛美します!」と言いました。オーナーのご主人が「おや、あなた方はボーンアゲインの人たちですか?」と聞くので、私たちは勿論「そうです。」と答えました。彼は次のように説明してくれました。「スエーデンからの宣教師が数ヶ月前に店に来て救い主イエスのことを話してくれました。彼女はそれ以来毎週メールしてきて、イエスのことをもっと教えてくれています。今朝も彼女からメールが来て、今日誰かがこの店に来て救い主のことを私たちに語るだろうと言って来ました。あなた方のことに違いありません。」

 

そこでジュイニンが彼らを主に導き、共にお祈りをしました。

店を出るとき、彼らは次のように話してくれました。「イエスをもっと前に受け入れなかった理由は、もし受け入れたら、イエスはビジネスを取り上げて私たちを貧乏にすると思っていたのです。私たちは成功したいと思っていますから。」

クリスチャンや宣教師から彼らは間違った考えを受け取っていたのです。それで私がブレスレットを4つとネックレスを1つ買ったことが、彼らの救い主イエスとお金の関係について持っていた間違った考えを彼らから消し去ったのです。

その後、彼らはとてもビジネスに成功し、他に2つの店舗を開いたそうです。神は御ことば、預言者、牧師を通して語られます。又、しるし、不思議、香り、その他様々な顕れによって語られます。神は又、お金を通しても人々に語られるのです。ですから心を開いていてください。神はご自分が語られるために用いる器をいつも探しておられるのです。(終り)


04 08月

マンハッタンを祈って歩く           坂  達 也               2013年8月4日


マンハッタンを祈って歩く

                           坂  達 也

 

皆さん、世界で最初にPrayer walkをした人は誰であると思いますか。

 

はっきりした形でそれをしたのは、アブラハムであると思います。創世記 13: 14-17で神はアブラムに次ぎのように仰せられました。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。・・立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」

 

神は、地球上で唯一の神の王国となるイスラエルのために「約束の地」を定め、その中心に位置するべテルの辺りの小高い丘の上にアブラハムを立たせました。そして「見渡せる全部の土地を永久にあなたとあなたの子孫(私たちクリスチャンも含んでいます)に与える」と宣言されました。そしてアブラハムに最初に命令したことが「その地を縦と横に歩き回りなさい。」であったのです。これは「約束の地」を神の御国にするための聖書にある最初の歩行であったと思います。

 

神はアブラハムをイスラエルの父祖として選ばれ、彼は信仰の父と言われました。神はそのアブラハムに地を歩かせて、アダム以来人間の犯した罪で汚れ呪われている土地を聖め、神の御国として悪魔から取り返す redeeming the land をさせたのでした。これで「祈りの歩行」が神の王国を打ち立てるために必要欠くべからざる最も重要な仕事の一つであることが明らかです。

どのように縦と横に歩いたのか、聖書に詳しいことは書いてありませんが、これこそ、まさに私たちのしている縦と横の通りを歩く「祈りの歩行」の元祖であることは確かなようです。

 

私は、今年に入ってから私たちの住むニューヨーク市のマンハッタン島を祈って歩いております。この地を歩くことが私に課された重要な主からの任務 assignmentの一つであると認識しておりますが、一日1時間半から2時間(それにそこまでに行く往復のバスと電車の時間を入れると3時間から4時間になります。)の歩行が非常に楽しく、身体が疲れるどころか、かえって主から力をいただいております。

今年の正月過ぎに島の南端にあるファイナンシャル地区から始めて、現在はセントラルパークの真ん中より少し上の辺りに達し、ほぼ60%程の道のりを終えたところです。今は少し足を痛めてこの一ヶ月ほど休んでおりますが、今年中には全島を歩き終える予定です。

 

私たちは息子夫婦が行っているRiverという名の教会に今属しております。この教会はウォール街に近く、例の2001年に旅客機が衝突した事件で爆破されたワールド・トレード・センターの跡地に新しいツイン・タワーがの建設中ですが、その直ぐ隣に建てられているオフィスビルの40階を日曜日だけリースをして礼拝を行なっています。

このビルの40階から展望する景色は実にすばらしく、そこからマンハッタンがほぼ全景見渡すことが出来ます。

私はその教会の場所から、アブラハムのように、マンハッタンを北と南、東と西のほとんどを見渡した後に、自分がアブラハムの子孫の一人として、この地マンハッタンを私たちの王国に取り返すはっきりとした意図を宣言して歩き始めました。

御存知の方も多いと思いますが、マンハッタンはかなり整然とした碁盤の目のように縦横の道路がはっきりしており比較的歩き易い街です。

 

しかし、ここで再び創世記を見てみたいと思います。と言うのは、アブラハムより先に最初に「神と歩いた人」は、アダムを除けばエノクであることが書かれてるからです。創世記5:24によれば、エノクは三百年神と共に歩きました。勿論この「歩く」という行為は霊的な意味として解釈されていますが、彼は神と名実(肉と霊)共に地の上を「歩いた」最初の人であると言えるかもしれません。そうであれば、それがどこであるかははっきりしていませんが、エノクが歩いたところはアダムの罪によって汚された地ののろいが聖められていたことになります。

重要なことは、三百年神と共に歩いた後にエノクは「神が取られたので」いなくなったと書かれていることです。この「取られた」あるいは「移された」と言う原語は、70人訳聖書Septuagintによれば英語のtranslate 或いは transformと言う意味のギリシャ語が使われています。

このことに就いては、6月に御紹介した「信仰について」(1-2)でリック・ジョイナー師が触れています。「信仰が私たちを変えますtransform。エノクの信仰が彼を天に移したのですtranslate。終末の時代に生きる私たちは今、信仰の成熟によって、エノクのように天の領域にtranslateされる時代に入ったのです」と師は言います。師は(1)の終りで「それは私たち(の霊的成熟)が天の領域と同じレベルにまで追いつくと言うことです。私たちは常に主と共に歩き、主と共に生きているはずです。」と書いています。

 

私たちの「祈りの歩行」の主目的は、私たちの住む地域を肉の形で歩くことによって御国に変え、御国の領域を広げることにありますが、理想的な形としては、歩行者が神との関係においてエノクの域に達することではないでしょうか。毎日を霊的に主と共に歩み、主と共に生きながら、御国を取り戻す歩行をするのが最も望ましいと思います。

 

しかし、やはり究極の「祈りの歩行」をした人と言えばイエスご自身であると思います。イエスは「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」とマタイ9:35に書かれています。これこそ御国に於ける最高の祈りの歩行であると言えないでしょうか。

イエスは又、12人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊どもを制する権威を授けた後に、彼らを遣わし「行って、『天の御国が近づいた。』と述べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊をおいだしなさい。」(マタイ10:1、7-8)と命じていますから、この「宣教歩行」こそが、これからの時代の究極の歩行であると信じます。これに関してですが、ある時私が歩いていますと、この宣教の御業をする「祈りの歩行」が「・・・天の御国は激しく攻められています。激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12) に通じることが示されました。私たちは12弟子と同じように、これから主より権威と力をいただいて、本格的な激しい「宣教歩行」を実践する時が近づいて来ていると感じております。

 

 

マンハッタンの歩行で示され、学びつつあること

私は今マンハッタンを歩きながら、主から「祈りの歩行」の重要性を再認識させていただいています。

中でも特に最近示されたことの一つは、肉の歩行をしながら、それが「主を見つめて待つ」祈りを実行するよい機会であることです。

事の起りは、最近忙しくて早朝「主を見つめて待つ」祈りをする時間が少なくなって来ていることに私が危機感を持っていることを御存知の主が、ある時、路上で私に「2時間の歩行をする間中、わたしを見上げて祈りながら歩きなさい」と言われたのです。それ以降、本当に歩きながらでも、主が色々と語って下さるようになり歩行が一段と楽しくなりました。そこで歩いている最中に語られたことを、忘れる前にすかさず持ち歩いている携帯電話にメモとして吹き込んでおくことを始めました。

 

土地ののろいを断ち切る

御存知のように、私たちが行なう「祈りの歩行」の主要点は、イエスの流された血潮をその土地に実際に充当することを宣言して歩くことです。それによってその地が癒され、きよめられ、それをサタンの手から取り上げることが出来ます。(その地が正式に王国に返還されたことを天の法廷で承認されます。)

私の最近のやり方は、交差点の街角に立ち止まり、私の立っている地と周りの建物に向かってイエスの血潮を降り注ぐことを宣言します。

それは、イエスの血潮によって、この地で今までに犯されて来た過去の一切の罪の呪いを断ち切り、そこに生活する人々を今までサタンの闇の世界に縛って来た枷 yokeから開放します。それと共に、イエスが地上にお帰りになるまでに犯される将来のすべての罪とその呪いも、今ここに置くイエスの血潮によって赦されるように血潮が街を覆うことを宣言します。これによって街が御国に変えられます。

 

その後で、私はイエスが十字架上で叫ばれたことば「父よ。彼ら(ここに住み生活する人たち)をお赦しください。彼等は何をしているのか自分でわからないのです。」をイエスを代表する者の一人として心の中で叫びます。

又、私はその通りと、その周りの土地と建物、樹木等一切のものに「イエスの福音Good Newsを住民と歩いて通る人たちの心に語り伝えなさい。」と命令します。するとある時、「同時にそのGood Newsを聞いてそれに応えない人は、それ程遠くない将来にそのめぐみが閉ざされることも警告しなさい。」と言う御声が聞こえました。

 

先日ダッチ・シーツ師が「これからはすべての力が強くなる時、メガ・パワーの時代」とチャック・ピアス師の集会で語っているのを聞きました。「そうだ、イエスの血潮の力、その叫びの力も物凄く強くなる時だ」と私はメッセージを聞きながら思いました。

私たちは今激しく攻める者として町々を巡り歩き、イエスの血潮の力によって福音 Good Newsを伝え、あらゆる癒しを行ない御国を奪い取り返す時が来たと信じます。皆さんもそれぞれが与えられている地域を、癒しの御業をしながら主と共に歩かれることを大いに期待しております。(終り)


28 07月

あなたの夢こそが発明の母!         ダッチ・シーツ                2013年7月28日


あなたの夢こそが発明の母!

 

ダッチ・シーツ

 

気が付いておられるかどうかわかりませんが、あなたは夢を描く性質を持っています。その性質はあなたを造られた方から受け継いだのです。神が私たちを神の似姿に造ったのは、 私たちの心が神の心、神の夢を描く心と結ばれて、それが私たちを通して数えきれないほどの表現でこの世にあらわされるためです。あなたは夢を描くようにデザインされているのですから、夢を描かねばなりません。それはあなたのため、そして神のためです。実際、もしあなたが夢を描かないならば、決してデスティニーを達成することは出来ないでしょう。

 

夢のない人生はサテライトのないGPSのようなものです。GPSは作動するかもしれませんが、人を目的地に導くことはできません。同じように、神から与えられる夢で導かれなければあなたの人生は、決して見つけることのできない目的地を捜しながらハイウェイを走るようなものになるでしょう。しかし、神から霊を吹き込まれた夢を持つならば、それは神があなたのために計画されたデスティニーへとあなたを導くのです。

 

あなたをデザインされたお方は、あなたが生まれる前からあなたのための夢を描かれたばかりか、その夢を見つけ出し成就する力をもあなたを造られた時にDNAの中に巧みに組み込んでくださったのです。あなたのための神からのデスティニーは、それらの幾つかの夢を総合したものです。ですから、人生の旅はそれらの夢を捜しだすことが目的です。あなたを創造された方があなたのために描かれた夢を見つけ出すことは、人生に究極の満足感をもたらしますし、人生で追い求めるべき究極のものです。

 

もしあなたが神の夢を見つけ出さないならば、あなたは 間違ったレースを走って人生を浪費してしまうか、もしくは多くの人々のように何のゴールもないままに生きるのです。又ある人たちは、走ることさえ止めてしまって、 正しい出口にたまたま行き当たることを願いながら人生の迷路をさまよっています。何という悲劇でしょうか! あなたの創造者はそのような行き当たりばったりの人生をあなたに意図されたのではありません。あなたはあなたのための神の計画と夢を見つけ出し、確信をもってそれを追い求めることが出来るのです!

 

それは夢から始る

 

地球上の物事は、あなたがそこに生まれ登場したことによって、何らかの変化が起こるはずです。あなたは全体計画、プランの一部です。あなたはある一つの解決策、発明、祈りであり、私たちに必要な何かがあなたの中にあるのです。そしてそれは一つの夢から始まります。

 

「Savior for All Seasons」という本の中で、ウイリアム・バーカー氏(William Barker)は夢を描くことについて語っています。巡回伝道者とキリスト教大学で物理と化学を教えていた学長との間の議論がそれです。巡回伝道者はキリストの再臨と千年王国が間近であると主張しました。その理由は「自然界に関する殆どすべてのものはすでに発見されたし、すべてのことは発明されたから。」というものでした。学長はそれに反論し、もっと更なる発明がなされるであろうと主張しました。

「では例を一つあげてください。」と伝道者は学長にチャレンジしました。

「そうですね、50年以内に人類は空を飛べるようになると私は確信します。」と学長は答えました。

「ナンセンス!」と懐疑的な伝道者は叫びました。「飛べるのは天使だけだ。」

この伝道者の名前はライト(Wright)でした。彼にはオーヴィルとウィルバーという夢を描く二人の息子がありました。ご存知のように彼らこそが発明家ライト兄弟であり、彼らは父親よりも大きなヴィジョンを持っていたことを証明したのでした。

 

夢を描き、プランを立て、創造せよ

夢を描くことは創造性に火をつけます。不可能という言葉は、夢を描く心から流れ出る烈しいエネルギーと創作力に対しては無力です。夢は希望、不屈の精神、創意、発明的工夫を孕んでいます。夢を描くならばあなたは創造するようになるのです。それと反対に、もしあなたが追い求める夢を持たないならば、あなたは実りのない、感激のない、平凡な、想像力に欠ける、工夫のない世界という気力のない淀んだ人生を送ることになります。残念ながら実際殆どの人がこのような生き方をしているのです!



夢のない人の世界は小さく閉ざされていて、日々の営みに束縛され抑制されています。彼らにとってのデスティニーは、夢を描きプランを立て創造することではなく、ただ偶然によって支配されます 。しかし私たちのための神の計画は、人生のルーレットがよい所で止まって成功に行き着くことを願いながらそれを回すことではありません。私たちを造った方は、私たちが夢を描きプランを立て創造することを願っておられるのです。

多くの人はただ「絶好のチャンス」を待っていたり、「見出される」のを待ち望んでいます。彼らはチャンスを信頼し、宝くじが当たるのを期待しながら人生をさまよっているのです。それらは「夢」ではなく「幻想」です。神はあなたが幻想の世界で魔法の蜘蛛に咬まれてスパイダーマンになるのを待っているような生き方をすることを望んではおられません。私たちは夢を見るものであっても空想の世界に住むのではありません。

聖書には夢のことが沢山出てきます。そして「夢を描く」と「創造する」という二つの概念が、同じ聖書中の単語に含まれることは何かを私たちに示しています。yatsarという単語は「創造する」を意味し、その単語の変形であるyetserは「想像、考え、着想」という意味です。Yetserは、思いの中で形造られる計画とか目的を指していて、それには勿論夢を描くことも含まれています。Yatsarはその結果としての創造の業です。ですから創造する力は夢を描く力から出発するのです。

これこそまさに神が働かれる方法です。イザヤ46:10には、神は終りのことを初めから告げられるとあります。言い換えれば、神は結果を見たり想像され(yester)、計画やデザインを造るバックアップをして、次に創造(yatsar)を始められるのです。即ち、神は夢を描かれ、次に創造されるのです。

夢を実現させる

同じように、神が人間を神のかたちに造られたとき、 思い描いて創造するという神の能力の一部を私たちに中に入れられました。私たちは思いや心の中で何かを孕む能力を神から与えられています。そしてそれは次に、私たちの中に神が入れられた創造し革新する力を呼び起こすのです。神と同じように私たちは夢を描き、そして次にその夢を創造し生み出すのです。

ところで、 大きな影響力を持つ結果を持つ夢は、大きい必要はないのです。次の「取るに足らない」夢の例を見てください。紙が散らばるのにうんざりしたある人がクリップ(ゼムピン)を夢に描きました。夢は実現するのです!でもそれは何もしないでは実現しません。夢を描くことが創造力、新しい考え、行動、独創性を解き放つ故に実現するのです。もしあなたが夢を描かないならば、あなたは創造しません。もし夢を描くならば、あなたは創造せねばならないのです。

必要は発明の母ではありません。夢こそが発明の母です!(おわり)

 


20 07月

7、8、9月は夢が現実となる ダグ・アディソン      2013年7月20日


7、8、9月は夢が現実となる

ダグ・アディソン

 

夢が現実になる

 

今年の7月から年末までは、神の約束が成就され、夢が現実になる時です。 これらのことは今のシーズンに 神があなたに約束してくださった事と一致しています。私たちは神の御心を知るだけではなく、神のタイミングを理解し悟ることが非常に大切です。そのために効果的なのは神に「何が今起こることですか? 何が後になってからですか?」と訊ねることです。

今は加速と新たな可能性のシーズンです。これから6ヶ月間のテーマは「信じる者にはすべてが可能である」という原則に基づいています。神の愛と力は無限であり、 私たちが聖霊によって出来ることも又、無限です。

 

記録が破られる

私のウェブキャストであるスピリット・コネクションの6月の視聴者数は新記録で、サーバーがダウンしてしまったほどでした。

私たち夫婦は私たちの家の価値が上がるのを今までかなりの間待っていました。家を売ってロス・アンジェルスに戻りたいと思っていたからです。そして神が6月30日までに売りに出すようにと私に言われました。すると7月1日に買いたいと言う人が二人現れて、それも私たちが提示した額を越えた値段で買いたいと言ってきました。実際その額はうちの付近の家の値段では最高記録でした。

私は普通一年に200くらい、はっきり憶えている夢を見るのですが、この6月だけで50くらいの夢を見ました! それらの夢の一貫したテーマは、神は私たちが不可能と思っていたことを打ち破られているというものです。

 

7−8−9

これからの3ヶ月で起こることは、それぞれの月のナンバーの預言的意味と関係していると神は私に語ってくださいました。(7は完全、完成を意味し、8は新しい出発、9は収穫をあらわします。)

7月=7は物事が完成されることを期待できる時です。物事が一つにまとまり益となっていきます。 あなたの内にねむっている賜物が活性化されてあらわれるのを見てください。

8月=8は新しい始まりのシンボルです。8月は新しいプロジェクトを始める時です。目に見える領域や霊的領域で多くのムーブメントを見ることでしょう。活動場所の移動や、その他いろいろな変化があるでしょう。

9月=9は今まであなたがして来たことに対する大きな見返りの収穫がある時です。

 

抑えられない波

数週間前、私は津波のように巨大な波が私たちの上に押し寄せるヴィジョンを見ました。 そして「これから来ようとしているものは誰も止めることはできない。今まであなたが人々のためにして来たすべての良き業に対して、わたしはあなたに報いる。」という神の声を私は聞きました。

神は私たちが人々のためにして来たことに対して今、報いてくださるのです。あなたは蒔いたものを刈り取るのです。(ガラテヤ6:7)今は良い物を刈り取るシーズンです。

マタイ25:40「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」

人々を祝福するライフスタイルを持つ人は、大いなる報償を受けるでしょう。

 

更なる恵みを与える時

私たちは今、更に大きな恵みと愛を人々のために持つ必要があることを、神が繰り返し言われるのが聞こえます。あなたの回りの霊的空気を変えることが出来るものが3つあります。

1.恵みを与える:自分とは異なる人々を愛し、人々をこき下ろすのではなくいつもより寛容、寛大になる。

マタイ7:12「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことはほかの人にもそのようにしなさい。」

2.感謝する:文句をいわず感謝することは、あなたに祝福をもたらす道を大きく開く。

ピリピ4:12「私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」

3.気前よく与えること:お金だけではなく、あなたの時間、エネルギー、愛、そしてあなたが持っているものすべてを。

ルカ6:38「与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人人は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

以上3つのこと、そして 「あなたが蒔くものをあなたが刈り取る」という霊的法則により、もしあなたが常に恵み、感謝、気前よく与えるということを蒔くならば、必ずあなたの上に天の窓が開かれることでしょう。

 

5つの眼鏡

私は、読書用の眼鏡を紛失してしまった時、突然5つの眼鏡がポケットの中に超自然的に現れる、という夢を見ました。今は 古いものの見方を捨て去る時です。そのためには恵みを頂く必要があります。

今神がされていることは今までとは違うことです。神は、過去の経験によって傷ついたクリスチャンたちに働いておられます。非常にかわった人たちが急にあなたの話を聞きたいと言って来ても(あなたにオープンになる)驚かないでください。それは彼らにとびぬけた恵みを示すために神が与えておられるチャンスなのです。(終り)

 


15 07月

天の御国の弟子となる   リック・ジョイナー           2013年7月15日


天の御国の弟子となる

 

リック・ジョイナー

 

 

霊の目で見る

 

マタイ13:52「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」

 

ある者たちは他の人間の弟子になり、またある者たちはあるムーブメントやある教派、或いはある教義を強調することの弟子となります。弟子となった学者たちに言及している聖書箇所でイエスは、彼らは「天の御国の弟子」になるのであると明言しておられます。主は明らかに彼らは地上の者や地上の事柄の弟子になるのではなく、主の天の御国の弟子になるのだということを強調しておられるのです。

 

この世のものを霊的な目で見る

 

使徒パウロは天の御国の弟子のよい見本です。彼は当時最も学識のある者の一人でした。イスラエルで最も敬われていた教師の一人であるガマリエルに師事していました。パウロは知識人でありそのエリートでした。当初その事が災いして、パウロは自分が仕えていたと思っていた神と真っ向から対立し、主の真理を激しく迫害する者となったのでした。ある人間とかある一派の弟子となったときに私たちが行き着く先はまさにそうなるのです。そして、多分歴史上最もよく知られている劇的な回心により、パウロは今まで滅ぼそうとしていた福音のために最もパワフルに戦う者と変えられたのです。どのようにしてそのような事が起こったのでしょうか?

 

主がダマスコへの途上でパウロに顕れましたが、これは誰にでも起こることではありません。けれども、パウロの回心において、天の御国の弟子になるすべての人に共通して起こらねばならないことが一つ起りました。それは、パウロは霊の目で見るようなるために一時的に肉の目を盲目にされたことです。

これは肉の学びをするなとか、自然界に関する学問をするなと言っているのではありません。パウロが学んだ哲学や様々な学問は、後に彼が福音を理解し伝道するための助けになりました。しかしパウロは、肉的な目で霊的なものを見るのではなく、 霊の目で肉のものを見ることを先ず学ぶ必要があったのです。天の御国の弟子となる鍵はまさにここにあります。

 

変革transformationされる

 

肉の目で霊的なものを見ようとするのではなく、霊の目で肉のものを見ることが非常に重要です。第一コリント2:14−15にそのことが書かれています。

「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。」

クリスチャンがキリストの身丈まで成長するのを妨げる最たるものの一つはこれです。パウロが経験したような変革を経験した人は殆どなく、又その必要性を理解する人も非常に少ないのです。それではどのようにすればその変革を遂げることができるのでしょうか?

パウロを霊的に盲目にしていたものを打破するために、神は彼を馬から落とさねばなりませんでした。私たちのためにも神はこれと同じことをせねばなりません。しかしその結果を出すのはパウロの経験ほどにドラマティックな出来事である必要はありません。同じ結果を得るために殆どの人が通る道があるとすれば、その方がいいかもしれません。それは、主 からへりくだらされるのではなく、自らへりくだるという道です。自分を吟味しへりくだるならば、主が手をくだす必要はないと私たちは聖書から教えられているからです。

 

パウロは肉体的な視力を取り戻しましたが、その直後に霊の目が開かれたわけではありませんでした。彼自身が言っていることですが、彼は11〜13年間荒野に退いていました。その後使徒職に任じられてからも彼の変革は続いていきました。彼の長い伝道期間を通じて、大きな絶え間ない変革が彼に起こっていたことを私たちは見ることが出来ます。それは恐らくすべての人にとって一生涯続くプロセスでしょう。私たちが常に天の御国の弟子であり続けねばならない理由はここにあります。

 

膨大なこの世の知識を持ち、この世的な訓練も受けていたパウロがこの変革を通るために、他の者よりも大きな衝撃とより厳しい懲らしめ、訓練を受けたかもしれません。ある人たちは生まれつき霊的な傾向があり、霊的に物事を見ることが容易であるかのようにも思えます。しかし、ここでのポイントは、私たちはみなこの変革というプロセスを通らねばならないにも拘わらず、それを経験する人が非常に少ないということです。私たちがこの世のものの弟子ではなく天の御国の弟子にならねばならない理由はここにあります。

 

大いなる任務

間違った視点からの学びが導く先は所詮間違いであることをよく悟った歴史上の人物の一人がパウロです。彼は真理と衝突し、その結果、クリスチャンを迫害し、それによって主ご自身を迫害することとなりました。その苦い経験により、彼は「何が真理に導くのか」に関して歴史上恐らく最も偉大な教えをコロサイ1:9−20で書き記しています。

「こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされ、忍耐と寛容を尽くし、また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配のなかに移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。」

すべてイエスなのです。御国への鍵は「イエスがどういうお方であるかをよく知ること」です。イエスは、私たちが天に上り、天のリアリティーを証明するものと地を支配する権威を携えて地に戻ってくるためのヤコブのはしごです。

聖書が神の家に関して最初に語っているのは、ヤコブが天にとどくはしごと神のメッセンジャーがそれを上り下りする夢を見たときのことです。この神の家に関する最初の箇所は又「神の家」と呼ばれる教会の第一の目的を啓示する箇所でもあります。即ち、私たちは神のメッセンジャー が天の領域に上り、天国の証拠と地への権威を携えて地に下ってくるための道とならねばなりません。

ナタナエルに会ったときイエスは、「神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは今に見ます」と言われました。イエスは私たちが天に上るための「ヤコブのはしご」なのです。私たちが天に上っていく道である「イエスがどういうお方であるか」という啓示がどんどんと与えられていくのです。万物はイエスによって造られ、イエスのために造られ、イエスによって成り立っています。「その道 The Way」とは「このようにすれば出来る」というような方法ではありません。それは「一人のお方」なのです。私たちはただ霊的に成熟することを追求しているのではありません。キリストにまで成長することが私たちの目標です。

 エペソ1:10に「いっさいのものが、キリストにあって一つに集められる」とあります。イエスが神の究極の目的です。御父は、造られたすべてのもののうちに、ご自分の一人子を探しておられるのです。神はご自分の息子を私たちの中に見つけようとしておられるのです。ですから、神が私たちの人生の中でされること、又私たちの人生の中に起こることを許されることのすべての究極の目的は、私たちをキリストの似姿に変えることです。

イエスがすべての創造の究極の目的であることを理解することなしには、私たちはこの世界を正しく把握することはできません。使徒たちが語った福音は「イエスと死者からの復活(使徒4:2)」であった理由はここにあります。私たちがイエスをすべてのものの目的であると理解するときに、すべてのものが明らか理解されます。「イエスがどのようなお方か」を顕す以上の崇高な啓示、深い真理はありません。(終り)


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