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Walk With God Ministries

09 05月

愛が何よりも大切なもの   リック・ジョイナー           2016年5月9日


 

愛は何よりも大切なもの

 

リック・ジョイナー

 

黙示録2:4、5「しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」

 

主はエペソの教会が「初めの愛」を失ったことを叱責しておられます。私たちはクリスチャンとして、同じ過ちを犯さないように一番に気を付けねばなりません。私たちはあまりにも「主のための仕事」に熱中するあまり、本来の召しである主との関係を深めることを忘れてしまうのです。これはすべてのクリスチャンや教会、ムーブメントが必ず遭遇する最大の問題です。当初「初めの愛」は大きな恍惚感を与えるので、私たちがいつも主に夢中になっていることは簡単です。しかし少しずつ主に慣れ親しんでくると、初めの情熱を次第に失っていきます。

 

まず主と「恋に落ちる」情熱を経験し、その後クリスチャンとして成長し主との関係を深めている人も、当初のあのように激しい情熱を持ち続けることは実際可能なのだろうか、と訝しく思うのです。人間同士が互いに惹かれ始めるときには、脳内にエンドルフィンが分泌され激しい情熱を引き起こし、ドラッグのような恍惚感を与えることが科学的にわかっています。

しかし、脳内のエンドルフィンには限りがあるので、数ヶ月のうちに消費されてしまいます。するとドラッグが切れたときのように、私たちはどっと落ち込んでしまい、「ハネムーンは終った」とか、「恋から覚めた」とか思うのです。実際はエンドルフィンが無くなっただけのことであり、二人の関係をもっと深い成熟したものへと移行させていく時なのです。この移行過程を経験した人たちは皆、成熟した愛が当初の愛にまさるものであると言います。

 

「初めの愛」の情熱が無くなることは、人間関係においては事実です。しかしながら、主はエペソの教会が初めの愛を失ったことを叱責されています。主にあって私たちは、初めに持った主への情熱を持ち続けることが実際にできるのです。私たちが主に出会ったとき、即ちボーンアゲインしたとき、エンドルフィンは分泌されなかったかもしれません。しかしそれよりずっとすばらしいもの、即ち聖霊を受けたのです。聖霊によるバプテスマを受ける時の恍惚感はドラッグで感じるものよりはるかにまさっています。

そしてすばらしい事にそれはドラッグで引き起こされるような幻覚ではないのです。私たちは主の無限の力の実体と慈しみに触れ、またそれに触れられるのです。イザヤ9:7で言われているように「その主権は増し加わり、その平和は限りない」のです。

私たちは生ける水の涌き上がる涸れることのない井戸を内に持つであろうと、主は言われました。それはいつか涸れてしまうとか減少するものではなく、私たちの人生の中でますます増えていくものです。

残念ながら殆どのクリスチャンは命の川から離れてしまう時期があると思いますが、そうある必要はなのです。もし離れてしまったときは、そのことを認めて、急いで当初の主への情熱に戻らねばなりません。キリストにあってこの川は決して涸れることはないのです。戻るためには私たちが当初していたことをせねばなりません。即ち聖書を読み、学び、主を知り、主の道を捜し求めるのです。そして人々に主のことを語り、他のクリスチャンとの絆を保つことです。他のクリスチャンとの交わりを保つことは、第一ヨハネ1:7が言っているように、光の中に住む者にとって不可欠なことであり、私たちはそのように召されています。

 

愛は行ないか、感情か?あるいはどちらも

 

初めの愛を持ち続けることは非常に重要であるので、主はエペソの教会に「もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」とまで言われました。それは即ち、もう主の教会ではなくなることを意味しています。ですから私たちは何よりもまずこのことを正さねばなりません。第二コリント13:5でパウロはこのように勧めています。

「あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。—あなたがたがそれに不適格であれば別です。」

 

人間としての私たちの第一の仕事は神を愛することです。私たちは幾つかのことに関して自分を吟味し評価するべきですが、先ず一番にするべき最も大切な吟味は、主に対する愛が成長しているかどうかです。私たちが本当に成功した人生を送っているかどうかを決める主要なものはこのポイントです。

人生の道は愛が増し加わっていく道であり、それはまず神への愛から始まります。 私たちの主への情熱が大きくならないと、人々に対する愛も減少していきます。外面的には変らず主のために一生懸命働き偉大な業を成し遂げるかもしれませんが、第一コリント13章が言うように、愛がなければそれは何の値うちもありません。愛が重要であるのです。

 

人間同士の情熱的な愛は、私たちと主との関係のタイプ、或いは型として用いられています。聖書ではこれをひな型とか影(ヘブル8:5参照)と呼び、実物の影のようなものだと言っています。ですから私たちの神への愛は、人に対して抱く愛よりももっと確かな実質のあるものであり得るのです。それではどうすればこのように情熱的で焼き尽くされるような主への愛を抱きつつ、かつ毎日きちんと生活し機能することが出来るのでしょうか?

 

主への熱い情熱を抱いて普通に生活することは、初めは困難でしょう。不可能ではありませんが、難しいです。情熱的な主への熱い愛に捕えられた人たちのことを「あまりにも天国のことだけ考えていて、地上では役に立たない者」と人々は言ったのだと思います。確かにそのような人たちもいたと思いますが、もしそうだとすれば、彼らは人生のよい方を選んだのです。主はマリヤとマルタの両方を愛されたことを忘れてはなりません。「よい方」を持つためにマルタはもっとマリヤのようにならねばなりませんでした。しかしマリヤもマルタから学ぶ必要がありました。(勿論それはマルタの取った態度のことではありません。)私たちはマリヤとマルタのどちらかではなく、両方から学ぶ必要があるのです。

 

ヤコブ2:26に「行ないのない信仰は、死んでいるのです。」とありますが、行ないのない愛が死んでいることも真理です。家に帰ってきた夫が、家の中がメチャクチャで子どもは食事も与えられず世話もされていないのを見たらどう思うでしょうか?

夫が妻に「一体どうしたのか?」と聞くと、妻が「あなた(夫)への愛で一杯でただ座ってあなたのことを考えているだけで何もできなかったのです。」と答えたとしたら、どうでしょうか?

同じように夫が妻を愛するあまりただ座って妻のことを考えていたので、仕事ができず家族を養うことができないとすれば、どうでしょうか?

 

ハイディ・ベイカー師が言うように「愛は何かの形をとる」のです。まことの愛は行動を起こさせます。このことを考えてみてください。愛を命令することができるでしょうか?誰かに私を愛するように命令できるでしょうか? 神は私たちが神を愛するように命じられました。どうすれば出来るのでしょうか?

愛はただ感情だけではありませんが、確かに感情でもあります。妻や夫に「あなたを信仰で愛しています。」と言われてうれしいでしょうか?

 

主にあって私たちが成長するとき、私たちは感情と共に愛の行ないの訓練においても成長するのです。なぜならば愛は感情であると共に行ないでもあるからです。もし神が私たちに「わたしを愛しなさい」と命令されたとすれば、私たちは素直に神に従うことから始めねばなりません。もしそうするならば、感情はそれに伴ってきます。また他の人達は感情から始めて、その後に愛の行ないの訓練を学ばねばならないかもしれません。両方とも私たちの人生で第一に追求すべきことです。

主の愛のうちに歩むことが最高の人生であり、それ以外のすべての情熱やドラッグは偽物です。それよりも他にもっとよいことなどあるでしょうか?主にとっては私たちが何をするかよりも、どのような者になるかの方がより大切なのです。人間として私たちが持つ最高の目的は神を愛することです。私たちがこの目的を成し遂げて召された目的を達成するのはただ愛によってだけです。愛がなくてはすべての事は何の値うちもありません。愛が何よりも大切なのです。(終り)


02 05月

アメリカの大統領選挙の中間報告 ー トランプ旋風は何を意味するのか              坂  達 也   2016年5月2日


アメリカの大統領選挙の中間報告 ー

        トランプ旋風は何を意味するのか

 

                     坂  達 也

 

 

 今回は現在進行中のアメリカの大統領選挙についてご報告させていただきます。多くのアメリカの政治評論家が、今年のような選挙戦は「見たことがない」「歴史に残る」と言い、その混沌とした成り行きがもたらす緊迫感は尋常のものではありません。その理由は、今回の選挙戦ほどアメリカ市民の不満と怒りが党派を超えて爆発したことは最近ではなかったことであるからです。

 その市民の不満の矛先は、いわゆる establishment 「既存組織」と称する国の政党・政府に対してであり、これを俗に「 ワシントン」と呼びます。同時に、その政治体制を裏で支える国の経済金融組織がこれに付属し、これを「ウオール街」と呼んで、この二つの言葉で象徴される国全体の「金権政治支配体制」に対して市民の怒りが燃え上がったのです。そしてその結果、今では二大政党そのものが根底から揺り動かされています。これに火を付けたのが共和党から立候補したドナルド・トランプ氏であり、又、社会主義思想を掲げてクリントン候補に肉薄し脅かした民主党のサンダース上院議員です。

 

 今年の選挙の最大の特徴は何でしょうか。それは何と言っても、政治には素人であり(それがよいところですが)不動産を中心に巨万の富を築き上げ、商売人として交渉毎には海千山千の経験を持つ実力者で毒舌家のドナルド・トランプ氏という全く異色の人物が登場したことです。そして、この人に煽られた形で、眠っていた子どもが起こされたかのように、一般市民が一斉に呼応して立ち上がりました。しかも立ち上がったのは賛成する人たちだけでなく、彼を憎む人たちも立ち上がって激しく反対しています。

 ご存知のように、4年に一度全州を挙げて鳴り物入りで行われるアメリカの大統領選挙は、世界で類がない程の多大な時間とエネルギーを掛け、膨大な資金が投入されますが、それだけにこの大統領選挙を見ているだけで、この国の状態がよく分かります。

 

 トランプ氏が立候補している共和党は、概して保守主義の立場をとり、より強くキリスト教の立場に立つ政党です。一方の民主党にも少なからずクリスチャンはいますが、全般的にはリベラルな立場に立つ政党であると色分けされています。そんな両党の争いの中で、トランプ候補はどちらの党にもかなり彼を嫌う人と、好む人がいて、特に民主党からは党を鞍替えしてまでトランプ候補に投票する人が相当数出て来ました。この現象は今回の選挙での大きな特徴の一つで、最近ではあまり例を見ない異例な事態へと発展しつつあります。

 特に彼が立候補した共和党内には、彼のクリスチャンらしくない下品な言動と、共和党らしからぬ中立的な考えを堂々と述べていること、それに本選挙でトランプ氏は民主党候補のクリントン氏には勝ち目がないという全国世論調査の数字が出ていることから、特に共和党幹部の人たちは絶対にトランプ候補を退けようとしています。そして予備選と党大会を通じて、クリスチャンとしての評判が高く、保守的憲法論者である正統的共和党の優等生テッド・クルーズ氏(世論調査では彼の方がクリントン氏に勝てる予想が出ています)が何としてもトランプ候補に勝つこと、あるいは最悪の場合、全く今はまだ立候補していない人を党が立てる準備を目下画策中です。実際に両党共、その選挙制度の複雑な党規約を持ち、もし予備選を通じて党代議員全体の投票数が過半数に達しなければ、党自体の考えで別な人を党の最終候補に仕立てることも可能にする党特有の制度があるようです。(その制度は州によって違い、あまりにも複雑でほとんどの人が理解出来ていません。)しかし、トランプ候補は自分は絶対にクリントン候補に勝てると断言し、もし党大会で自分が誰よりも多い代議員数を獲得しているにもかかわらず(過半数1237票に達しない場合)他の人を党が立てたら、民衆が暴動を起こすと言い、実際には、本日現在過半数に達する可能性がかなり高くなっています。

 

 ここで、民主党の状況に触れたいと思います。民主党では過去8年間二期目の務めを終わろうとしている現職オバマ大統領への民衆の不満がかなり高まっていることが明らかです。その大きな理由の一つは、このところアメリカは貧富の差が益々激しくなり、特に中間層で数字的には失業者数は減っていても、自分の能力に合った仕事に就職出来ていないことを加味すれば実質失業率は30%近くになると言われ、国民の収入が減り生活は苦しくなっていることが挙げられます。次に大きな問題は、彼自身は表向きクリスチャンと言いながらも明らかにアラブに対する特別に親しい思いを持っていることが誰の目にも明らかであることです。特にイスラエルに冷たく、実際に彼は過激派イスラムを敵であると名指して呼ぶことを決してしません。その他、メキシコ国境はないに等しく、旅券のない人たちがどんどん入って来るのを許していること、又、彼には自国アメリカよりも他国の立場を思いやる気持ちが強く、海外で人気がある程に自国では人気がありません。そのオバマ政権で国務長官を務めたクリントン氏は、夫が大統領であったときからファースト・レデイーとして知られ、今回は二度目の大統領候補出馬であり、恐らく世界で最も知名度の高い大統領候補です。しかし政策的には悪名高いオバマ・ケアーを始め、外交政策においても、いい意味でも悪い意味でも彼女は第三次オバマ大統領と言われるように、オバマ氏の延長線にいる人で代り映えはしません。その彼女は今二つの大きな問題を抱えています。その一つ目は、彼女が国務長官時代に、公のEメール・サーバーを使うべきところを、個人のものを多く公用に使っていたことから、国の最重要機密情報が漏れている可能性が高いという嫌疑がかけられ、目下 FBI の取調も大詰めに来ていて、彼女が早ければ予備選中に告訴される可能性が十分にあることです。もう一つは彼女は夫が大統領退役後、二人で恊働して海外の国々を廻ったり、国内ではウオール街関係の大会社投資家グループに密着し、個人的に莫大な収入を得て来たことです。それは彼らがかけ離れて高額な講演料を取っていることが問題にされ、ウオール街関係から相当な選挙資金が集まっていることから、一頃の日本の政治家のように収賄まがいの政治献金がささやかれて来て、講演テープを公にする要求が最近取り沙汰されています。そんな関係でクリントン氏の人気はもう一つと言うところですが、彼女をここまで支えて来た人気は、知名度と主に女性からのもの、そして州によっては人種的な黒人、メキシコ人からの票が集まると言われます。中でも大きいのは、彼女はアメリカの女性票の七割は握っていると言われ、特にトランプ候補が女性に人気がないことから、トランプはクリントンには勝てないといわれるゆえんもそこから来ているようです。又、今は唯一の競争相手のサンダーズ候補が、社会主義者として、大学の授業料を国が払う等の政策を掲げて30歳前の若者の世代に大きな人気を博していますが、そのサンダース氏は、かなりの時期、人気投票でクリントン氏と並ぶ勢いであったのも、彼女の人気の無さの現れです。

 そこで今回トランプ候補に人気が集まる理由をもう一つ申し上げれば、彼がアメリカを愛する強い愛国心を持っていることです。リック・ジョイナー師は最近主から、これからは愛国心を持つことは大切なことであるといわれたそうです。トランプ氏は民衆に対して海外に流失し奪われた多大な職とドル資本を取り返すことを約束しています。それと共に、オバマ大統領時代に軍関係の予算が削られたことによって、現在のアメリカの軍備力は技術的にも軍人数においても、10年前に比べてかなり劣っていることです。それをロシヤと中国が知らない訳はなく、最近アメリカは世界から侮られ、軽視されていることが明らかな事件が相次いでバルチック海とか南シナ海の人口島で起こっています。ロシヤと中国が北朝鮮、イランとも連絡を取っていることは明らかです。又、過激派イスラム、 ISIS のアメリカ国内侵入も現実に大きな脅威となっていることを、トランプ氏は何としても防ぐ用意をすることを約束しています。

 それを言えば、アメリカは既に経済的にも今や世界の同盟国への防衛協力の義務を履行するに充分な力もなくなりつつあるという厳粛な事実を私個人も認め、日本の皆様にお伝えしたいと思います。本当に戦争への危険信号の警鐘が既に高らかに鳴っているのです。

 最後に私個人は、今のような危機を切り抜け、非常事態にあるアメリカを回復させるためには、多少ラフでくせがあっても、愛国心と情熱を持つトランプ氏のような豊かなアメリカン・ドリームの成功者としての経験に併せて、倒産からの立て直しにも苦労した多様な経験を持ち、ビジネスで鍛え抜いた交渉の知恵とガッツを持つ人間が必要であると信じます。政治家の多くは弁護士とかアカデミックな出身者が多く、タフな相手と難しい交渉をするような経験を持ち合わせない人がほとんどです。その点私はトランプ氏に期待したいと思います。以上のことをお伝えした上で、以下で先日トランプ候補が演説した、彼の「外交政策施政方針」の概要を参考迄にご報告します。

 

トランプ氏の外交政策施政方針の発表(4月27日)

 

 私の外交政策の基本は、アメリカ国民とその安全を守ることが、常に他のすべてのことに優先する「アメリカ第一主義」にあることを先ず強調します。

 過去を振り返れば、1940年代にアメリカはナチと日本帝国主義の侵略を食い止めることに成功し世界を救いました。そして次に全体主義とコミュニズムを抑えました。長期のコールド・ワーを通りましたが、この間私たち共和党と民主党が協調し、我が国の偉大なレーガン大統領によってゴルバチョフ氏をしてその隔ての「壁」を崩しました。しかし残念ながらその後のアメリカの外交政策は、全く賢明さを欠く愚かさと傲慢により、イラク戦争という大きな間違いを起こし、その間違いはエジプトからリビヤに、そして今ではシリヤへと移り、惨事に惨事を重ねる結果となりました。これらの間違いはその地域を混沌に陥し入れただけでなく、その結果がISISが生まれ育つ隙間を与えてしまったのです。この間多くの人が殺され何十万というアメリカ人が命を落とし、何兆ドルという莫大なお金の無駄使いを生む結果となりました。又この間、イランが抜け駆けの莫大な利を得るという、我が国の外交政策は完全な無策失策としか言えません。

 

 私は本日、現状のアメリカが持つ五つの最も大きな「脆弱さ」を指摘します。第一は、我々の財政は完全に過剰に使い込まれている事実です。オバマ大統領は予算の無駄な使い方と過大な借金を抱え込んだ末、アメリカ経済を弱めた報いとして軍備が弱体化しています。それにもかかわらず経済成長は低く、膨大な貿易赤字と、それに二つの国境線が無防備状態に放置されています。そしてアメリカの工業製品貿易負債は今や年間で1兆ドルに達しつつあります。

 アメリカは自国を犠牲にしながら多くの他国の再建をしています。結果としてアメリカ人の職が奪われ、軍備を強化再建する予算を失い、それが国の財政独立(借金からの解放)と国力回復を妨げているー私は大統領に立候補している人々の中で唯一、それがどれ程重大な問題であるかを理解している人間です。信じて下さい。私はその重要さを知っているだけでなく、それを是正出来る唯一の候補者であることを。(拍手)

 

 第二に、私たちの同盟国 allies は、私たちに掛かっている防衛費用と政治的協力、並びに人的費用を含む全体に対して、それぞれが分担すべき費用を支払っていないことです。彼らはアメリカは弱い、払わなくても赦してくれる、そして分担する義務はないと見ているようです。NATO の例をとれば、28のメンバー国のうちアメリカを除く僅か4カ国だけが GDP の2%を防衛費として負担する約束を守っているだけです。私たちは何兆ドルも使ってヨーロッパだけでなくアジアの国々を守っております。それらの国々はその費用の正当な額を分担してもらわねばなりません。さもなければ、アメリカはそれらの国が自分自身で自国を防衛する体制作りの準備をしなければなりません。私たちはそれ以外の選択肢はありません。(拍手)トランプ政権は世界の自由諸国を適正に防衛するための軍隊を持ち、それに資金協力し指導することにやぶさかではありません。

 

 第三に、私たちの友好国は我々には最早頼れないと考え始めています。なぜなら、私たちの国は友人をないがしろにし、むしろ敵に頭を下げるという、今迄我が国の歴史上見たことのないような一人の大統領が存在して来たからです。彼はアメリカが多大な損傷を負う契約をイランと結び、相手がサインしたそのインクが乾く間もないうちにその条約条件を無視するのを私たちは見せられました。条約を結ぶ相手に、こちらは条約をどうしても結びたいという弱腰であることを見透かされてよい契約を結べる訳がありません。同時に、交渉相手には私たちが契約した以上それを絶対に守り守らせる強い意志があることを知らせる必要があります。契約を相互が忠実に守る世の中であってこそ世界はよくなります。イランには絶対に核兵器を持たせられません。(拍手)トランプ内閣の下ではそうなることを絶対に許しません。

 イスラエルー私たちの偉大な友人であり、中東において唯一真のデモクラシー国家であるイスラエルの国は、確かなモラルを欠くアメリカ内閣によって幾度も肘鉄を食わされ、冷たくあしらわれて来ました。現に数日前にバイデン・アメリカ副大統領はイスラエルを厳しく批判しました。オバマ大統領はイスラエルに友好的ではありません。その一方彼はイランには優しい愛で接し、その国を短い間に偉大な国にしたのです。私たちアメリカは我々の最も古い友人国に喧嘩を売る行為をし、彼らはアメリカ以外の国に助けを求め始めているのです。このことを憶えておいてください。

オバマ大統領の屈辱的行為には枚挙にいとまがありません。彼は何のすべもないかのように北朝鮮の核兵器の脅しに手をこまねいて見ているだけです。中国は北朝鮮に対しててこを使っての圧力を掛けることができるはずです。私たちの大統領は中国の、特にアメリカ人の富と職を奪うという経済的攻撃の継続を許していますが、アメリカは中国に対して経済的な圧力をかけることは出来るはずですが、オバマ大統領はそれをしようとはしません。彼は中国がサイバーアタックによってアメリカとその会社からスパイ行為でテクニカル情報を盗むことを許しています。

 アメリカは人道主義国家ではありますが、オバマークリントンが求める遺産 legacy は弱いもの、混乱、無秩序、めちゃくちゃ状態をもたらすでしょう。私たちは中東情勢を今迄にない程不安定で混沌とした状態に導き、クリスチャンを激しい迫害にさらし、計画的絶滅に追いやりました。(拍手)私たちはクリスチャンを助ける何の手も打ってないのです。その実行力のなさを恥ずべきです。私たちがしたイラク、リビヤ、シリヤでの行動が ISIS を解き放ち、過激派イスラムに対して私たちは戦争状態にあるにもかかわらず、オバマ大統領はその敵の名前を口にしないのです。もしあなたがあなたの敵の名前をはっきり言わない(敵と思わない)なら、その問題を解決することは出来ないでしょう。(拍手)ヒラリークリントンも過激派イスラム radical Islam という言葉を使うことを拒否しています。クリントン長官がリビヤでの干渉に失敗した後に、ベンガジーにいた過激派イスラムのテロリストたちはそこにあったアメリカ大使館を襲撃し、大使と三人の勇敢なアメリカ人を殺したのでした。その様な一大危機に面したとき、クリントン長官は家に帰って寝てしまったのです。そしてアメリカの大使は殺され、彼女はアメリカの国としての指示を誤ったのです。その時午前三時に緊急電話が入ったのですが彼女は寝ていたのです。そして今 ISIS はリビヤを占領し、リビヤの油田からオイルを売って週に何百万ドルの収益を上げています。それをアメリカは阻止もせず、爆撃も何もしなかったのです。このような大きな間違いは私が大統領になればすべて変わります。私たちの友好国、同盟国の皆さんに言います。アメリカは再び強く、頼りになる国になります。

 私たちは自国を豊かにすることを止め、替わりに世界の安定回復に集中して来ました。しかし今回今こそ民主党、共和党の両政党に加え、私たちに近しい同盟国の知恵をすべて集めて、最も思慮ある新しい外交政策を必要としています。 (拍手)

 

 そのためには第一に、過激派イスラムの広がりを阻止する長期的なプランが必要です。これがアメリカ合衆国並びに世界における今最も大きな外交政策でなければなりません。そのためにはイスラム世界での私たちの同盟国とも密接に協力し合って戦って行かねばならず、それは一方通行の関係であってはなりません。そして過激派イスラムとの戦いはアメリカの本土内でも厳しく行われねばなりません。最近の発見された移民としてアメリカに紛れ込んだテロリストの一団だけでなく、これからも多くのテロリストを摘発するために意味をなす移民法が実施されねばなりません。

 第二に、私たちは軍備と国の経済の再建に迫られております。ロシヤと中国は軍事力の拡張を急速に行っておりますが、彼らの威圧に対抗するための究極の武器である私たちの核兵器の内容は旧式で、軍備全体の性能の近代化と増備に迫られています。我々の実戦準備状態にある兵役数は1991年には2百万であったものが、今は130万です。海軍が保有する戦艦数は同時期に500船から272船に減らされ、空軍は約1/3縮小されています。その上、オバマ大統領は2017年の軍備予算を2011年のものと比べて実質25%縮小したものを提案しています。

 

 私たちは今、何をさておいても弱体化したアメリカ自身を元の豊かで偉大な国に戻すことに最善の努力を傾けねばなりません。それが世界の友好国のためにもなるからです。(終り)


25 04月

神との同居生活        グラハム・クック           2016年4月25日


神との同居生活

 

グラハム・クック

 

リバイバルを説明しようとする用語の多くは、それが起こった時の様子 とか、或いはそれが起こる特別な状況に関する説明がほとんどです。その多くは「神の訪れ “visitation”」を表す言葉です。確かに私たちは神が聖霊の働きと共に訪れてくださることを待ち望んでいます。しかし聖書に書かれているのは、私たち一人ひとりの内側に建て上げられる聖霊が宿る場所、住まう場所 abiding, a habitation of the Spirit に関する言葉です。

実際のところ、リバイバルとは大勢の人が王なる主とその御国を発見することではありません。霊的に死んでいるものはリバイブする(息を吹き返す)ことはできません。死んだ霊はまずボーンアゲインする必要があります。リバイバルは教会のためのものであり、この世のためのものではありません。私たちが眠りから覚める必要があるのです。

 

リバイバルには3つの段階があります。第一の段階は、私たちのイエスに対する情熱が新たにされることです。即ち初めの愛に戻り、主の恵みと力に自分を完全に委ね捧げることにもどらねばなりません。第二は、失われた者に対する憐れみの心が回復されること、すなわちそれは、人生を御国に仕えるために捧げることです。この二つの段階を経験した結果として、最後の段階である「社会的改革 reformation が起ります。それはこの世の人々がクリスチャンの中に住んでいる復活の主の力と栄光に応答し始めるのです。

私たちは自分のしたいことや、言いたい事を捨てて、毎日イエスを愛することだけに自分を捧げねばなりません。イエスはヨハネ7:38で「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」と教えておられます。残念ながら人々は渇きをおぼえて水を求めて集会に来ることが多いのです。私にはそれが理解できません。私たちはクリスチャン(水を求めてではなく、既に)水に満ちあふれていて、それを人に分け与えたいと願って集会に来るべきです。

 

神と共に住むことを学ぶのには時間がかかります。私たちがミニストリーをするときに受けるプレッシャーは非常に大きいので、主に安息する方法を知らないと、私たちはストレスを感じ、病気になり、時には死んでしまいます。神の御前にある「平安の場所」に自分を連れて行く方法を修得するには訓練がいりますが、それは絶対に必要な訓練です。私はそのための訓練に何年もかかりましたが、今は普通5秒か10秒でその「平安の場所」に自分を連れていくことができます。私の周りで何が起っているか、何が私を脅しているのか、は最早問題ではなくなり、私は神の御前で自分を静かに落ち着かせることができるのです。

 

私にはその必要性があります。主の御声を聞くためには私が静まらねばならないからです。主は私たちの祈りと同じ音量で答えられることは稀です。

「父よ! あなたの御声を聞かせてください!」と私たちは神に叫びます。

すると主は「わかっています。」小声でささやきかえされます。

それが聞こえない私たちは「私に語ってください!」ともっと大声で叫びます。

すると主は「語っているのですよ。」とささやかれます。

しかし私たちは「今日、あなたの御声をどうしても聞かねばなりません!」と必死になって声を張り上げます。

すると「黙りなさい。そして、聞きなさい。」と主は静かにささやかれます。

 

詩編46:10に「静まって、わたしこそ神であることを知れ。(口語訳)とありますが、黙想、メディテーションは神と共に住まうためのもう一つの方法です。西洋の教会は、神を深く思う時を持ち黙想することを学ばねばなりません。長い時間である必要はなく15分か30分でいいのですが、すればするほどあなたはもっと主に時間を捧げたいと思うようになります。私は黙想を愛します。

黙想し静まることは私たちに平安を増し加えます。私は自分が訓練している人達には、多くの時間を費やして平安について教えます。彼らが生活の中でどのくらい平安を持っているかをいつも尋ねます。彼らは来年には今年よりも心配やパニックの量が少なくなっていると信じています。彼らの平安が増し加わり、心配や不安は減少してゆかねばなりません。平安は極めて重要な御霊の実です。

 

主のうちに安息する能力を高めないならば、私たちはアドレナリンで走り回っている結果となります。それは少しの間はいいかもしれませんが、アドレナリンが高い時があるということは低くなる時もあるということです。往々にして人々は高いアドレナリンで走り過ぎた後にアドレナリンがなくなって疲れ果て落ち込んでしまいます。私たちは人生そのもののプレッシャーではなく、人生の走り方からくるプレッシャーで疲れ果てるのです。

しかし「平安」は外からのプレッシャーに対抗して内から押し返す力です。もしこの世が外から1000ポンドのプレッシャーをかけてきたら、「平安」は内側から1001ポンドで押し返すのです。私は行く所どこでもプレッシャーがあり、多くは非常に大きなプレッシャーです。多くの人々が私に会いたい、話をしたい、祈ってほしいと言って来ます。それは私の仕事ですから勿論かまいません。それを切り抜けるために私は「平安でいる」ことを学びました。神に安息することで私は平安を得るのです。

アドレナリンはやがて私たちの心と身体をすり減らし、疲れ果てさせます。仕事をして疲れるのはいいですが、仕事が嫌になってしまうのはよくありません。私たちは平安と安息と黙想を自分に与えることを学ばねばなりません。私たちが自分の内部を成長させて整えるならば、最高のレベルで長い年月働くことができるのです。(終り)


18 04月

アズサナウー国々の一致と癒し    ラナ・ヴァウサー        2016年4月18日


アズサナウー国々の一致と癒し

 

ラナ・ヴァウサー

 

  (訳者注:AzusaNow は、ルー・イングルをリーダーとするThe Call という断食と祈りのムーブメントの一環として行われたもので、1906年のアズサスト   リート・リバイバルの110周年記念として4月9日にロスアンゼルス・メモリアル・コロシアムに於いて10万人規模で行われました。)

 

私はアズサナウの実況をライブストリームで見ていましたが、神の臨在とアメリカを越えて様々な国や人々の中で神がしておられることを見て、圧倒されました。このイベントは歴史上、何と戦略的であり、何と記念すべきものだったことでしょうか。

コロシアムに集まった何万人もの人々が天にむかって声を上げ礼拝しているのに合わせて、私もアメリカや世界の国々に主がパワフルに動いてくださるようにと叫び求めました。会場にいる人もライブストリームで参加している人も、すべての人々が一致したとき、主は深い部分に触れて働いてくださいました。

 

15時間にわたるイベントの中のあるワーシップのとき、私は主の臨在を非常に近く感じました。主は親しい友のように私に身を寄せられて、御こころを私に打ち明けてくださいました。「ラナ、わかるね、今日の出来事はリバイバルというよりも『一致 unity』に関することなんだよ!」

 

アメリカンインディアン、アフリカン・アメリカン、ユダヤ人、黒人、白人、異邦人、カトリック、プロテスタント、男、女、若者、老人、、、集まった人たちは世界のすべての国々を代表していました。

主は今アメリカが大きな霊的覚醒に入っていて、今こそリバイバルの時であると、私に説明し始められました。そしてその鍵が何であるかを主はアズサナウで明らかに示し、誕生させておられたのです!それは「一致」でした!

 

主は、アズサナウは世界に示された預言的な姿であることを話してくださいました。それは主が主のからだである教会にもたらされる一致の姿であり、そこから世界の国々に燃える火が解き放たれようとしているのです!主は「一致の場所」から和解、贖い、リバイバルを生み出しておられるのです。

 

瞬時に私はヴィジョンの中に連れていかれ、地上のすべての国々の神の民が、様々な形式の集会で共に主を叫び求め、悔い改めをもって進み、神の愛によって一つにされているのを見ました。主は世界中で今までより更に大きな祈りと一致の

ムーブメントを生み出されていて、それは今のシーズンに著しく大きくなっているのです。家々での小さな集会からコロシアムでの大会、その中間の色々な規模の集会において、主は一致をもたらされているのです。

今のシーズン聖霊は、神の民が過去の傷やあらゆる分裂を真剣に対処して、神の愛との出会いから生まれる悔い改めと赦しをもって前進するようにと導いておられるます。

詩編133:1−3「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

 

国々の癒し

 

幻の中で、世界中でキリストのからだの深い一致のムーブメントが起き、主が国々に多くの御使いたちを遣わされているのを私は見ました。御使いたちは国々に飛んで行きましたが、その手に「葉」を持っていました。彼らはそれぞれの国に到着すると、その国の地とこころに葉を置きました。それを見て、それは日焼けした肌にアロエを塗るようだと私は思いました。主は痛みを和らげ、癒し、楽にし、慰めを与えるすばらしいものを国々に与えてくださったのです。

黙示録22:2「川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」

 

主が生み出されている偉大な一致のムーブメントで、私たちが共に祈り叫び求め、(私たち神の民が日々の生活において、又集合体としても)悔い改めて進んでいくならば、リバイバルと覚醒が起り、国々の癒しが起るのです!

御使いたちが諸国の地とこころに葉を置いたとき、痛みが和らぎ癒しが始まりました。私は又、国々から悪いものが出て行くのも見ました。それはアメリカや世界の国々で偉大な解放が起っているのでした。

アズサナウはアメリカにとって記念すべき歴史的な出来事でした! イエスを賛美します!アズサナウはアメリカという麗しい国にとって霊の開墾の日であったばかりか、世界中の国々のキリストのからだのための預言的な姿でもありました。その日主の御こころ、主が心から叫び求めておられるものは何であるのかが明らかに示されました。それは「一致」であり、それは御霊の最大のムーブを起こし、リバイバルを全地に解き放すのです。

 

主はまた、アズサナウが会場にいたすべての人、ライブストリームで見ていたすべての人、そしてそれを求める世界中の人々に、非常に大きな規模の世界的分与を与えたことを私に示されました。それは世界中で一致を覚醒する火と聖なる「一致のDNA」の分与です。

私は主がアズサナウの中に、そしてアズサナウを通して息を吹き込んでおられるのを見ました。その息は新しい深い祈りのムーブメントを世界中に覚醒させ誕生させていました。すでに確立されていた祈りのムーブメントの中にも、増加、火、啓示と知恵を更に加えて新しい動きを生まれさせていました。

コロシアムにいた人も、ライブストリームで見た人も、又見なかった人も、主があなたに与えるために解き放たれた分与を求めてください。そしてそれを受けたと信じてそれを生みだす準備をしてください!

今が時です! 今は教会が一致する時です!その時が「来ようとしている」のではありません。今ここに来ています。私たちはただ「そうです!」と言い続け、そして主があなたの中に、そしてあなたを通してされることを見てください。

今はあなたの時です!今は私たちの時です! 国々よ、今は神の民が一致して起きて光を放ち、善き神の癒しと回復を見る時です!(終り)

 

    ラナ・ヴァウーサー師は Australian Prophetic Council(オーストラリア預言評議会)に所属し、世界のキリストのからだへの預言者として広く知られてい    ます。特にアメリカの Elijah List とCharisma Magazine へのレギュラー寄稿者です。


08 04月

愛を求める神    マイク・ビクル             2016年4月8日


愛を求める神

 

マイク・ビクル

 

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」という命令が申命記6章の最初に出てきます。この書はおよそ3500年前、モーセの時代に書かれています。ここで神は聖書の中で初めて「わたしは人々が心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてわたしを愛することを欲する。」と言われたのです。これはまさに驚くべき言葉です。神は人々に服従を求める王ではないのです。神は仕える天使を大勢持っておられました。神は命令に従うだけのしもべをもっと大勢欲しいとは思われなかったのです。神はご自分の愛を受け取りそれに愛をもって応答する家族を求めておられたのです。

 

神が人にこのような命令を出すことに、私たちは少し戸惑います。歴史上の神々の中で、人々に自分を愛するようにと命じた神が他にいたでしょうか?

自分に従うことは命令したでしょう。しかし愛することを命令するとは、非常に興味深いことだと思いませんか。この命令はイスラエルが最初に受け取った、モーセのミニストリーの始めの出来事でしたが、40年後の彼のミニストリーの最後においても、神は申命記30章でもう一度同じ事を言われました。しかし言い方を少し変えておられます。それは命令ではなく、預言になっているのです。ここでは「神を愛しなさい」というだけではなく「人々は実際に神を愛するようになる」という神の預言になっています。預言は神の宣言ですから、必ず成就します。ですから神がこれを成就させると決意されていることがこれでわかります。30章は主が終りの日に帰ってこられる時のことが書かれていることは明瞭です。国々に追い散らされていたイスラエルが神の約束を思い出し再び集められる時、神は6節に書かれていることをされるのです。

「あなたの神、主は、あなたの心と、あなたの子孫の心を包む皮を切り捨て、あなたが心を尽くし、精神を尽くして、あなたの神、主を愛し、それであなたが生きるようにされる。」

 

神は「わたしはあなたの心に超自然的に働きかけ、あなた自身が持っていなかった大きな愛を与え、その愛であなたがわたしを愛するようにする。」と言われたのです。神のことばは地に落ちることはありません。何という驚くべき言葉でしょうか。注意深く読めば、このマタイ22章は主が十字架にかかる前に公の場所でイスラエル全体にむかって語った最後の言葉であることがわかります。

そのマタイ22章は結婚の披露宴の喩え話から始まります。イエスは「神は息子のために結婚を計画しています。わたしがその息子です。」と話され、最後に申命記6:5と30:6から「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くし、あなたの神である主を愛せよ」が大切な第一のいましめであると言われました。これがイスラエルに対する最後の勧めであリ預言であったのです。

イエスは御父に「あなたが申命記でモーセを通して言われたことを、最後にもう一度わたしに言わせてください。父よ、あなたがコミットしておられる最終的な結果、神の民が最終的に辿りつくところ、即ち心を尽くして神を愛するという域に達すること、それをイスラエルに対して宣言させてください。」と懇願したのではないかと私は思うのです。

 

イエスは「心を尽くして神を愛せよ」が最も大切な第一の戒めであると言われました。これはモーセも知らなかったことです。

マタイ5:19に「だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、もっとも小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」とあります。偉大な者とは、戒めを守り、それを守るように教える者であるのです。現代は、自分自身は戒めを守っていても若者たちにそれを教えるのを躊躇する時代です。それは聖書の戒めが現在の社会で行われていることとあまりにもかけ離れているように思えるからです。しかし神は「それを守り、また守るように教える者」が天の御国で偉大な者であるとはっきり言われています。偉大というのは、この世で偉大と言われることではありません。神はあなたが人生で何を選ぶかを見て「あなたは偉大だ」と言われるのです。あなたは弟子を一人も持たず、影響力もなく、認められず、お金もないかもしれません。しかし、申し上げますが、もしあなたが戒めを守るならば偉大なのです。あなたが影響を与えられるのはたった二人だけかもしれません。でも主は「わたしがあなたに頼んだのはそれですよ。あなたは自分でも守り、人にもそう教えたのです。それで十分、それでいいのです。」と言われるのです。あなたの人生で何を選びとっていくかは、神にとって一大関心事なのです。

 

神が私たちに望まれる第一のことは愛が増し加わることです。ボブ・ジョーンズ師が一度死んで主の前に立ったとき訊かれたのは「あなたは愛することを学びましたか?」という質問だけでした。ボブはその後40年間、そのメッセージをいたる所で、何度も人々に語りました。神が私たちに求める「偉大さ」というのは、すべての人に可能です。あなたの賜物とか、影響力とか、教育とか、機会とかとは全く関係ありません。たとえ一生牢獄にいたとしても、あなたが心を尽くして神を愛することを選びとるならば、主の御前であなたは偉大な人であるのです。

 

私の兄弟は高校生のとき、フットボールの試合中に首の骨を折り、数年前亡くなるまでの33年間、全身麻痺の身体ですごしました。彼は熱心なクリスチャンで、私たちは非常に仲良しで、よく話をしました。彼は肩も指も動かすことができませんでしたが、私は彼にこう言ったのです。「私たちが神からそれぞれに与えられた課題を果たせば主は喜ばれます。神はあなたに本を書けとは言われませんでした。あなたが置かれたこの状態で心を尽くして神を愛するならば、あなたの人生は誰の人生よりも偉大です。今置かれている状態で神の御こころを100%行うならばあなたは偉大なのです。」彼は私の言葉を受け入れ信じました。「そうだ。人に較べれば私には何かをする機会はないかもしれないが、偉大な人生になる可能性はあるのだね。」と彼は言いました。

 

「最も大切で一番の戒め」という意味はいろいろあると思いますが、まず、それは一番神の心を喜ばせる事であると言えます。神の心に影響を与えることができるとは、すばらしい事ですね。神は王とか創造主とかだけではなく、私たちの父であるのです。御父は私たち息子や娘との愛の相互関係を非常に喜ばれるます。私たちも自分の子どもとの愛の関係は、ビジネスやミニストリーが大きくなるときの喜びとは全く違う喜びを感じます。神もそれと同じように、ご自分の息子、娘が神を愛するときに非常に喜ばれるのです。

 

二番目に、この戒めは私たちに大きな影響を与えます。どのような業が出来たとしても、神を愛することほどその人にとって大切でその人を変えるものはありません。これこそ私たちの最大の夢であり目標であるべきです。聖霊による恵みによって私たちはこの道を歩むことが可能です。私には家族やミニストリーに関する夢や目標があり、勿論それは重要なことですが、私はある日、これらを第一とせずに神を愛することを第一として生きるとはっきり決意しました。

 

あなたの一番の夢や目標はなんでしょうか。その答えを出す鍵がこれです。あなたは主といろいろな事を話すと思いますが、何を一番よく話しますか?私は以前はミニストリーのことを一番沢山主に話ました。主は「わたしはあなたのミニストーのことをこれからも話して欲しいけれど、それは私たちの会話の中で二番目のことにしてほしい。」と言われました。それから私はすばらしい女性と出会い結婚し、息子が二人、義理の娘が二人、孫が5人できました。主は「わたしはあなたの家族のことを聞きたい。でもそれはニ番目にしてほしい。」と言われ「他のどのような事に関するよりも、わたしのことを一番沢山話してほしい。」と主は言われたのです。

 

イエスが「第一で、最も大切な戒め」と言われた言葉が私を捕え、私は20代のある時からずっと神を愛すること、主のことを祈りの時に主に話すことを第一としたのです。そして何かすばらしい変化が起ると期待しました。でも別に何も感じませんでした。退屈さを感じました。主から何かすばらしい事を言われることもありませんでした。「聖書の中に一杯書いてあることだから、黙ってわたしを愛せばいいのだよ。」と言われているようでした。私は一年に2、3回ほど焦点からずれて、他のことを主に話す方が多くなってしまいました。すると主は私に注意してくださるのです。いろいろな事に気が奪われて、第一のことを第一としなくなっていることに私は気付かされるのでした。その時に起っている状況に振り回されて、そのことばかり主に話していたのでした。主にそのことを示される度に私はまた第一のことを第一とするようにしました。

 

イエスは「〜を尽くして」という言葉を4回用いておられます。「心を尽くして」「思いを尽くして」「知性を尽くして 」「力を尽くして」です。(マルコ12:30)これを一つずつ考えてみましょう。

心を尽くして:これは中途半端な気持ではなく100%ということです。熱心に主に従い、熱心に主を求めるということです。多くのクリスチャンが抜け道を探しているのです。聖書を学ぶ時でも100%探求しないのです。確かに肉的なクリスチャンが歴史を通して存在していましたし、彼らも救われてはいたでしょう。でもイエスは私たちが主との関係を築くとき、「どれだけ少しの努力でできるか」と考えて欲しくないのです。私は多くの情熱に燃えていたクリスチャンが、数年後にはすっかり冷めてしまうのを見てきました。彼らは思っていたようなブレークスルーが起らないとか、こんなに大変だとは思わなかったとか、もっと油注ぎを貰えるかと思った、とか言います。しかし主は「最後まで心を尽くしてわたしがあなたのために計画していることを見てほしい」と言われるのです。自分の築き上げた現時点のミニストリーに満足して主を追い求める心をなくすことを主は悲しまれます。主との関係を最低限度のメインテナンスで続けて行くことを、主はとても悲しまれます。

 

私たちは皆、自分の人生が「楽で、幸せで、友達が沢山いて、お金があって、人気がある」ことを望みます。そうでしょう?私は今でもそう思います。でもある時、私はこれらのことを第二とはしても、第一としなくなったのです。神は言われます。「わたしを愛することを第一とするとき、あなたは苦労しチャレンジを受けるでしょう。しかしあなたのためのわたしの目標を知るならば、わたしがあなたの人生を導いていることがわかり絶望することはないでしょう。わたしはあなたが愛において成長するような場所へ導いているのです。天国の通貨は愛です。あなたが目的地に到達した時には、あなたはわたしが導いてきたことを喜ぶでしょう。わたしはあなたが愛に成長するようにしたのです。」

私は今でも「楽で、幸せ」という道を望みはしますが、神を愛する道の素晴らしさを知っているので、それが誘惑とはなりません。神は私の人生が神の目に「偉大」となることを願っておられるのです。目的地に到達したとき、私は「主よ、ありがとうございます。感謝します。あなたは私が駄々をこねたとき私を甘やかさなかったことを感謝します。」と言うでしょう。主は「困難な時もあったが、あなたは愛に成長しましたね。あなたはわたしをもっと愛するようになりましたね。」と言われるのです。

 

知性を尽くして:あなたがあなたの知性の中に何を入れるかは、神にとって重要なことです。私たちは礼拝や祈祷会、聖書研究の時に神を愛せばよいと思うのですが、神はそれは違うといわれます。いつも自分の頭の中に何を入れるかが大切なのです。あなたの頭の中にあるのは、いつでも神への愛であるべきです。神への愛を妨害するものを見聞きせず、神への愛を成長させるものを見るのです。

 

力を尽くして:力とは時間、お金、エネルギー、言葉、影響力などです。これらを神のために使うことは、神を愛することです。ヘブル6:10「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」あなたが人々を助けるとき、神への愛を表しています。家庭でも近所でも仕事場でもあなたが周りの人々にすることは、神はご自分のこととして感じ喜ばれます。

 

思いを尽くして:これが4つの内で一番チャレンジだと思います。思いを尽くして神を愛するとは、意図的に自分のアイデンティティーを正しい位置に直すことです。即ち、この世が認めてくれることにではなく、神との関係のうちに自分のアイデンティティーを定めることです。自分が「成功している」とはどういう状態のことかを定義するのが自分のアイデンティティーです。「あなたは自分が人間としてどういうときに価値があると思いますか?どういう時に成功していると思いますか」と訊かれたとします。その答えがあなたのアイデンティティーを定義しているのです。大抵の場合、自分が達成したことに対して人々が「すごい!」と言うことがアイデンティティーになっています。運動選手が何か記録を破ったとか、バレーダンサーが踊るとき、歌手が歌う時、ビジネスマンの事業が成功したとき、親が神を愛する子どもを育てあげたとき、人々は「すごい!」と称賛します。そう言われた時、私たちはとてもうれしいのです。しかし、人々に「すごい!」と言ってもらうことに自分の価値を見出しているなら、それを意図的にシフトさせねばならないと神は言われます。

 

ビジネスであれミニストリーであれ、あなたの仕事をリーダーが認め誉めてくれるならば、それは良いことであり成功です。しかし神はそれを第一の成功ではなく、第二としなさい、と言われます。もし神が私を愛し、私が神を愛するならば、私はすでに成功しているのです。これはリアルであり奥深いものです。そして神が私たちに望むことはこれです。例えば私が一生懸命努力したにもかかわらず、人々の協力が得られず成果があがらないばかりでなく、経済的にも困窮し人々から悪く言われたとします。その時、神は「息子よ、あなたが辛く苦しんでいるのはわかるけれど、あなたの思いを意識的にわたしがあなたについて言っていることに一致させなさい。わたしがあなたのために投資していることに一致させなさい。

家族、教会、仕事で巧くいかないで痛むときこそ、あなたがわたしへの語りかけ方をシフトするべき時です。わたしがあなたを愛していることを知っていると言いなさい。」と言われます。

 

創世記一章の世界を創造された偉大な神が私を追い求めておられるのです。なぜそのような事をされるのでしょうか?歴史上最も偉大な方があなたを求めておられるのです。もしあなたの人生で起る様々な失望、問題という嵐の中に生きるならば、あなたの神への愛は小さくなってしまいます。神は「もし本当にわたしを愛するならば、わたしと一致することによって嵐を静めなさい。わたしが対処するから。」と言われます。この神との一致へのシフトは意図的にしか起りません。圧倒されるような問題がのしかかった時、主は「マイク、さあ今わたしを愛しなさい。」と言われます。「『賛美』以上のもの、『感謝』以上のもの、今あなたの思いでわたしを愛して欲しいのです。」と主は言われます。

痛みがあるとき、それを認識し、それを第二とし、「あなたの人生はわたしの目には偉大です」と言われる神を思いを尽くして愛するのです。

 

この世での成功を目指して生きるとき、私たちはバーンアウトー燃え尽きてしまいます。でも成功を出発点とする時、私たちは力を得ます。多くの場合バーンアウトは、間違った霊で頑張るときに起ります。何か問題が起ったとき、私たちは神が自分を愛していてくださり、私が神を愛しているから私たちはすでに成功しているという現実に立ち帰るとき、私たちは問題に対して全く異なる視点で立ち向うことができるのです。(終り)


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