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Walk With God Ministries

20 02月

神の優先順位 (その1)     マイク・ビクル           2017年2月20日


神の優先順位 (その1)

 

マイク・ビクル

 

今アメリカの人々の中にある大きな怒りの感情について話したいと思います。警戒すべき速度で怒りが増し加わっています。そのことに入る前に、神の大きなご計画をまず見てみたいと思います。今起こっていることに注意を奪われて、神のご計画を見失う危険があるからです。

 

神はキリストの花嫁を麗しく飾るご計画を持っておられます。神はその目的を真剣に情熱的に考えておられます。キリストは完全に成熟した麗しい花嫁のところに戻ってこられるのです。黙示録19:7には「小羊の婚姻の時が来て、花嫁はその用意ができたのだから。」とあります。これは天でのことではなく、主が帰ってこられるときに地上にいる人々が成熟して麗しさの中を歩んでいることを示しています。今の教会の現状を見ると、その姿とはあまりにもかけ離れているので、「主よ、今から婚姻の時までに何が起こるのでしょうか?」と私たちは尋ねたくなります。教会が劇的に変えられる必要があるわけです。

 

主は花嫁を必ずそのように整えると約束されていて、その作業が遅れていると焦っておられるわけでもありません。主はすべてを把握しておられ、計画がちゃんと進んでいると言われます。

ダビデは詩編149で、最高に栄光に満ちた宣言をしています。4節に「主は、ご自分の民を愛し、救いをもって貧しい者を飾られる。」とあります。ダビデは当時「神は民を愛している the Lord takes pleasure in His people」と宣言した最初の人でした。彼は更に「救いをもって貧しい者を飾られる。He will beautify the humble with salvation.」と言っています。ですから神に麗しく飾っていただくには貧しいこと、即ち「へりくだり」が必要条件なのです。

 

現在のアメリカには明らかに問題があり、特に人々が両極に分かれお互いに憎しみに満ちた怒りの言葉を投げかけ合ってています。アメリカ中がこの怒りの応酬に巻き込まれています。そしてあなたがどちらの候補者に投票したとしても、この問題はどの政党にもどの政治的リーダーにも解決できるものではありません。これは明らかに主イエスにしか解決できないことです。主が教会の目を覚ましリバイブさせたいと考えておられるのは間違いのないことです。主は今の時代の教会に「へりくだり」が起って教会が麗しくなることを望んでおられます。

 

ある人達は「神が教会をリバイブすること」と、「神がアメリカを回復すること」とを同じことのように混同しています。確かに少しは重なる部分はありますが、この二つは違うことなのです。人々は私に「あなたは希望があると思いますか?」と訊くので、私は「何に対する希望ですか?」と訊き返します。「神がアメリカを回復させてくださるか、神が教会にリバイバルを起こしてくださるか、ということです。」と彼らは言います。しかし、この二つは必ずしも同じではありません。

 

神の一番の優先順位は、キリストの花嫁の目を覚ますことです。「アメリカが強くなる」と聞くと、人々は経済が豊かになり、軍隊が強くなり、暴力がおさまり、というようなことを考えます。そのようなことは起こるかもしれませんし、起こらないかもしれません。しかし教会がリバイブされることは、私は確信をもって保証します。教会がリバイブされたとき、それがアメリカ社会にどのような影響を与えられるかを、私は予測できません。しかしアメリカ社会を変えることは、神の一番の優先順位ではないのです。

 

今アメリカには「新しい標準的なこと(ニューノーム)」が現れていることに私たちは気づかねばなりません。怒り、憎しみ、党派心をむき出しにして語るのが当たり前になっているのです。これほどのことはアメリカ史上ありませんでした。数年前にこのような話し方をしたらそのままではすまず、必ず処罰を受けました。しかし今は、酷い憎しみに満ちた言葉を聞くと、それを喜び称賛する人達が必ずいるのです。それは政党にかかわらず、クリスチャン、ノンクリスチャンにかかわらずにそうなのです。

 

この「新しい標準」は共和党と民主党の大統領候補選びから始まり、両党の候補者の討論へと進んでいきました。その中でどんどんとその傾向は深まり、それが当たり前になって行ったのです。そしてハリウッドの俳優や歌手にも広がっていきました。このようなことはアメリカでは初めてですし、他の国でもこのようなことはないのではないかと思います。しかし、この「新しい標準」は神の御国の「標準」では決してないのです。神は「わたしの民はそのような言葉は使わない。」と言われます。「新しい標準」の持つ問題点は、それから完全に逃れることは誰にもできないことです。左翼でも右翼でも、クリスチャンでもノンクリスチャンでも大勢がそのような言葉の応酬に巻き込まれていき、それを受け入れて喜ぶ人たちがいるのです。

 

他の大勢の人はそのような事に巻き込まれたくないと考えています。しかしながら、社会全体に不安や心配、恐れの空気があり、いろいろな声が聞こえてきますし、怒りを持っている人たちを全部避けることはできません。このことは国としてとても危険です。人が恐れを持ったり、非常に不安になる時は間違った判断をしてしまうからです。しかしイエスもマタイ24章などではっきり言われていますが、これから敵の攻撃はますます増大するのです。今私たちはエスカレートしていく攻撃、不法の時代の入口にいます。10年前と較べても今はひどくなっていますが、それでもこの傾向はまだ始まったばかりなのです。

 

今でも十分にひどいと思うでしょうが、これからの時代に較べればまだまだなのです。ですから主は今私たちを訓練しているのです。『新しい標準』に合わせてはいけません。怒りの霊の口調に合わせてはいけません。へりくだりを訓練するよい機会としてください。不当な扱いを受けた時は、柔和を訓練する機会としてください。家庭の中、会社等で自分の意見が通らないとき、自分を抑えることを訓練してください。箴言16:32に「怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。」とあります。エレミヤ12:5に「あなたは徒歩の人たちと走っても疲れるのに、どうして騎馬の人と競争できよう。」とあります。これは「まだそれほど時代が悪くない時に疲れていては、もっと厳しい時代になったときにあなたは立ち行かないでしょう。」という意味です。

 

このことをしっかり把握する必要があるのは、これが御国の発展のためにすばらしい機会となるからです。それは、エスカレートしている激しい怒りの風潮の中で、御国の民が柔和でへりくだった態度を示すならば、非常に特出(とくしゅつ)し人々を感銘させるのです。うわべや口先だけではなく、真のへりくだりをもってあなたを不当に扱ったり反対する人に対して優しく対応するならば、大きな影響を与えることができます。増大する怒りや攻撃の闇が広がるとき、真理の光は更に輝きを増すと主は言われるのです。

私たちは家庭の中では自分の肉的な部分を出しやすいものですが、そうではなくそこを訓練の場としてください。夫婦や親子関係の中で主に喜ばれるへりくだりの土壌をつちかってください。それは子どもたちを将来のために整えることにもなります。(続く)


15 02月

暗礁に乗り上げるかに見えるトランプ大統領(一) 坂  達 也 2017年2月15日


暗礁に乗り上げるかに見えるトランプ大統領(一)

 

                  坂  達 也

 

 

 今アメリカはトランプ大統領の行政が始まって未だ三週間が経ったばかりですが、早くもその行手を遮るかのような、少なくとも二つの大きな難艱が立ちふさがるという緊急事態に発展しております。

 

その一つはトランプ大統領がモスレム7カ国からの移民を一時的に中止するというエグゼクティブ・オーダー(大統領命令)を発令したのに対し、シアトルの一地方裁判官がそれを中止させ、その上、管轄のサンフランシスコにある連邦巡回裁判所がその中止に同意するという事態が起こったことです。

 

ご存知の通り、アメリカ国憲法 Constitution では厳格な「三権分立制度」が規定されております。三権とは、国民を代表する立法府としての連邦議会 Congress と、行政府とその長としての大統領、それに司法国家として独立した司法府(連邦最高裁判所とその下部組織)です。国民は連邦議会議員と大統領を選挙で選出し、司法裁判官は立法府連邦議会が任命権をもっています。

 大統領は外国との交渉において、あるいは国の安全が問われるような事態においては、大統領権限で緊急な軍の発動(最終的には連邦議会の承認が必要)とか外国からの移民を一時的にストップすることが出来ることが明確に規定されており、今迄でもオバマ大統領を含む多くの大統領が移民を一時的に差し止めた例が幾例もあります。従って今回の一地方巡回裁判所が大統領発令を阻止する権限は全くない、すなわち裁判官としては越権行為を行ったと考えられます。

 

 それがなぜこのような事態になったかといえば、一つの理由は裁判官が、入国する移民のビサには各種の種類があり、その広い範囲のすべての移民をストップしなくてもよいのではないかという判断により「物言いを」つけたからであると憶測されています。しかしその裏には、今はトランプ大統領のすることなすことすべてに反感を持つ多数の国民がおり、多くのリベラルなメディアがそれに火を付け、加えてestabulishment といわれる国会議員(特に民主党)自体もその風潮に不和雷同していること明白な事実としてあります。

言ってみれば、この10年間程世界中で流行した言葉に politically correct 「政治的に正しい」という言葉がありますが、まさにその風潮に裁判官までが乗った現象であると受け取れます。

三権分立制度は国の政治が健全に運営されるために必要な制度ですが、歴史上最も古くから「民主主義共和国」として栄え世界に模範を示して来た立法国アメリカにおいてすら、法が正しく施行されているかどうかをチェックする「厳然たる裁判官」自体が「政治的に正しい」ことになびき、合法的な大統領命令にすら反対するという、まさに「お前もか」という由々しき事態になってしまっています。

大統領命令が却下されたことで現実にテロの画策者たちがアメリカに流入するのを防ぐことができないという、国家として最も危険な状態にあります。それを大統領は憂えて、ただちに次の手段としての緊急対策を講ずると言ってから既に5日程経っていますが、未だに代案が出されていません。

 

 そんな中で、上記に加え、もう一つの大きな事件が起こったのです。それは最近議会で承認されたばかりのフリン国家安全保障担当の米大統領補佐官(閣僚級)が13日、突然辞任した事件です。この事件の内容については日本の新聞で既に報道されていますので、ここでは省かせていただきます。

 しかしお伝えしておかなければならないことは、この事件を機に「待ってました」とばかりに、劣勢になりかかっていたリベラルの「メディヤ」と「民主党」が一斉に大攻勢に出て来て、アメリカは今や蜂の巣を突っついたような、一見収拾ががつかないように見える混乱状態にあることです。

 

 

聖書が伝える終末の兆候そのものになって来た

 

 イエスの弟子たちが「世の終わりが来る前兆」を訊ねたとき(マタイ24:3)イエスは多くの具体的な兆しを4−12節で示しましたが、その最後の12節で「不法 Lawlessness がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。」と答えられ、その直後に「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。この御国の福音は全世界に述べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終りの日が来ます。」と述べられました。

 憲法を尊重する立法民主主義共和国であるアメリカが、特にオバマ政権になって大統領自身が憲法違反とか越権行為を平気で犯したことがきっかけとなり、今回の司法官の越権行為という法を無視する「不法」に繫がってはびこり、それが急速に国民全体に「愛が冷える」ことに発展しつつあると私には思えます。

 

それに関して、パウロが、1コリント13章の冒頭で「愛がないなら・・・どうなるか」についての警告が思い起こされます。

 

 異言でいくら話しても「愛がないなら」やかましいどらに過ぎない、

 あらゆる奥義、知識、たとえ山をも動かす信仰があっても「愛がないなら」何の値打ちもない、

 どんなに慈善行為をしても「愛がないなら」何の役にも立たない、

 愛は寛容(忍耐)親切、ねたまず、自慢せず、礼儀に反せず、自分の利益を

 求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず真理を喜ぶ、

 すべてを我慢し、信じ、期待し、耐え忍ぶ。(以上、筆者が聖書を要約して書く)

 

この「愛がない」傾向は今のアメリカで顕著に見られます。しかし、それ以上に世界にも急速に広がりつつあるように見受けられますがいかがでしょうか。

 

クリスチャンは政治に関係してよいのか

 

ここで一つ申し上げたいことは、私たちクリスチャンが「一国の政治のことに首をつっこんでとやかく言うのはおかしい」という批判がよく聞かれることです。クリスチャンは聖書の話をしていればよい、という人がもし日本にもいるとすれば、それは「宗教の霊」に完全にやられている人としか言えないと私には思えてなりません。そのような方は、今アメリカのみならず世界で起こっていることが「聖書的でない」とでも言われるのでしょうか。私たちクリスチャンは主である王の「御国の民」であり「この地に御国を来たらす」目的で主に仕えているとすれば、それは広義の意味で、政治活動そのものではないのでしょうか。

 

アメリカにはリック・ジョイナー師に代表されるような「国のために立てられた神の使徒」が存在し、預言的に主からの意向を受けて、それを国民と世界に伝え、主のご計画を実行するのを助けることに命がけで仕える「御国の使徒職」がいることを既に私は機会がある毎にお伝えして来ました。そのリック師はよく人から「あなたはいつ福音にもどるのか、なぜ政治のことにこれ程までに関わるのか」と聞かれるそうですが、師は明確に神からそのような召しを受けているからやっているまでで、神からの命令が変われば、喜んで牧師の召しに返ると言っています。

そしてこのところ連日フェイス・ブックで、国の一大事に関することやクリスチャンとして彼が憂うことを心から叫んでいます。その一大事とは、上記の二つに加えることになりますが、今アメリカで最も必要なことの一つが、昨年急死した最高裁判事アントニオ・スカリヤ氏の後を継ぐ判事に、聖書的に正しい立場を厳守する人(スカリオ氏はそうであった)を緊急に選ばねばならないことです。

なぜならリベラルと保守派の判事が現在4人対4人で拮抗しているからです。その人選のためにトランプ大統領はニール・ゴーサッチという人を既に指名し、これから上院での審査に入るところです。これに対し、共和党は大統領選にも出馬していた最も保守的なクルーズ氏を含むほとんどの議員がこのゴーサッチ氏を「これ以上よい候補者はいない」と称える中で、実はリック・ジョイナー師は、このゴーサッチ氏に一抹の懸念を持っていることを始めから語っておりました。その主な理由は彼が所属しているキリスト教会がリベラルな教会であるからと私は理解していますが、このゴーサッチ氏が、今回の移民を一時中止するリベラルな裁判官の判決をトランプ大統領が批判したことに対して不満の意を漏らしたのです。

大統領が持つ正統な権限により大統領が移民に関する行政発令をしたことを一裁判官が却下するという越権行為に対して、抗議の意味で、正当な異議・不満を大統領が表明したことに対し、最高裁判事の候補者たる人が、気軽に大統領を批判するようなコメントをしたこと自体が最高裁判事がすべきことではないと、ゴーサッチ氏の「軽率な政治的発言」を憂えたのです。

事実この大統領命令を却下した9th 巡回裁判所は、過去において、その判決の80%が上告された際にひっくり返されたというお粗末な記録を持つ全くリベラルな裁判所であることが今回分かりました。

すなわち、アメリカという国のお目付役である司法機関が、法が正しく施行されたかどうかよりも、自分たちの「政治的に正しい」私的な意見を優先するという、極端にリベラルになりさがってしまっていることが今回露見されたとリック師は言うのです。

このような事実を今回目の当たりに見て、私は主が「不法 Lawlessness がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなる。」といわれる終末の最後の時代に入っていることを今回ひしひしと感じている次第です。事実アメリカの社会は今どんどん「愛は冷たくなる」一方に進んでいるように見えます。(続く)


06 02月

トランプ大統領      ジョナサン・カーン牧師           2017年2月6日


トランプ大統領

 

ジョナサン・カーン牧師

   (大統領就任式当日の朝の祈祷会でのメッセージ抜粋)

 

 

神の選ばれる器

 

ドナルド・トランプ氏はクリスチャンとして生活してこなかったので、その事を危惧するクリスチャンが沢山おります。神を知らなかったり、或いは神と共に歩いて来なかった人を、神はご自分の目的達成のために用いることが出来るのでしょうか?

イザヤ45章にペルシャのクロス王への主の言葉が書かれています。

「主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。『わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前にとびらを開いて、その門を閉じさせないようにする。...それはわたしが主であり、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神であることをあなたが知るためだ。わたしのしもべヤコブ、わたしが選んだイスラエルのために、わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。あなたはわたしを知らないが、わたしはあなたに力を帯びさせる。』」

 

又、主は預言者エリシャにエフーをイスラエルの王として油注ぐように言いました。エフーは神を知らず、気性の激しい男でした。しかし神は彼を選び、彼をご自分の器として用いました。それはイスラエルを揺り動かし、アハブとイザベルの王朝とバール祭司たちの邪悪な統治を終らせるためでした。

 

神はこのような者たちをご自分の器として、御国と御民のために今までも用いてこられたのです。今私たちはドナルド・トランプ氏が神の目的のための器として、自分の人生を完全に主に明け渡せるようにと祈らねばなりません。

 

今回の大統領選挙は、世論調査会社はその結果を信じられませんでしたし、専門家もどうしてそうなったのかを説明できませんでした。けれどもこの逆転劇が起こった理由があるのです。トランプ候補にはとても勝ち目がないと見える中で、神の民たちは、アメリカ中、そして世界中で大小様々のプレーヤーグループを結成し、祈ったのです。

すべての専門家や世論調査会社が見落としていたのは何だったのでしょうか?その質問の答えは3千年前にすでに書かれていたことでした。

「わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。」2歴代誌7:14

 

トランプ大統領へ

 

あなたはもうすぐ大統領就任の宣誓をし、世界でもっとも権力のある地位につこうとしていますが、王たちを王座に即かせるのも、退かせるのも全能の神であることを、常にしっかり胸に刻んでおいてください。

あなたの権威は人からではなくすべての王の王であられる神から来るのです。ですから、あなたの人生を神の権威に従わせるならば、あなたは神の権威によって国を導いていくことができます。

義を行ない、憐れみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩いてください。

今まであなたの人生は自分の意志を行うための器でした。しかし今からは神の意志と目的のための器とならねばなりません。神の御後を慕い、神の義を求め、神の御声の導きに従ってください。

神の道を高く上げてください。そうすればあなたも高く上げられるでしょう。神の言葉を守るならば、あなたも守られます。すべての名にまさって神の名を尊ぶならば、あなたの名も尊ばれるでしょう。

あなたの主なる神を心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして愛してください。そうするならば、あなたは起きて、光を放ち、主の栄光があなたの上に輝くでしょう。

 

あわれみの窓と神の召し

 

神の民の皆様に申し上げます。古代イスラエルが神から離れて裁きを受けたことを私たちは知っています。しかし古代においてさえも神はご自分の国に対して憐れみの窓の猶予を与えてくださいました。そして神は私たちが神に戻るために恵みの窓、執行猶予の期間を与えてくださいました。私たちはそれをどのように取り扱ったらよいのでしょうか?

 

もし私たちが 人間や私たちの力、プライド、偉大さに信頼を寄せるならば、イザヤ9:10に記録されているような古代イスラエルの犯した間違いを繰り返すことになるでしょう。それは大惨事を引き起こしかねません。アメリカは再び偉大になれます。しかしそれは自分の偉大さに信頼したり、自分の力に拠り頼むことによって達成されるのではありません。アメリカが再び偉大になる唯一の道は、アメリカをもともと初めに偉大にされた神にアメリカが立ち返ることです。それ無しには、何の偉大さも希望もありません。

答えは政府でも軍隊でも経済でもありません。答えは神であり、唯一の道はリバイバルです。そしてリバイバルが起こるためには、悔い改めがなければなりません。悔い改めなくしてリバイバルはあり得ないからです。そしてその悔い改めは神の民から始まらねばなりません。「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、、、、」とある通りです。

 

私たちがワシントンDCに来たのは政府機関との関係を求め深めるためではなく、聖霊との関係を深めるために来たのです。私たちは人の能力に信頼を置くために来たのではなく、全能の神の力、即ちリバイバルのための神の力を呼び求めるためにきたのです。

私たちはこの恵みの窓を与えられているのですから、それを無駄にしてはなりません。しかも日が射す昼間のうちに働かねばなりません。今日は大統領就任式です。私たちは単に世界中の人が見守る新大統領就任式に参加するため以上に、このアメリカの新大統領を立て、そしてこの大統領に与えている重大な「神の目的の就任式」に参加するためにここに集まったのです。

 

神の御前での宣言

 

ですから、今日この地から、この国のすべての神の子に、神の名によって集まるすべての教会と集会に対して「私たちは本日から、熱烈なる情熱をもってリバイバルのために祈り、リバイバルのために働き、リバイバルのために悔い改め、リバイバルのために自らへりくだり、リバイバルのために主の御顔を慕い求め、リバイバルのために悪い道から立ち返り、リバイバルのために福音を宣言し、神の力によりリバイバルのうちに人生を生きる」と!

その私たちには二つの道しか残されてはいません。それはリバイバルが起こるか、神の裁きがくだるか、そのどちらかです。答えはリバイバルでなければなりませんが、それが祝福のうちに起こるか、或いは国が揺すぶられて起こるかのどちらであったとしても、絶対にリバイバルを来させねばならないのです!

 

今私たちはアブラハム、イサク、ヤコブの神、モーセの神、エリヤの神、預言者たちの神、メシアの神、紅海を分けた神、復活の神、全能の主権者なるイスラエルの神の御座の前に進み出ます。

この大統領就任式の日を、この国全体を神の霊が行き巡る「新しい日」の就任式としてください。

私たちは神に叫びます。「憐れんでください!この地を憐れんでください!どうかあなたの御目を再びこの『山の上にある町』アメリカに留めて憐れんでください。この国に再びあなたの力を現してください。あなたの民にその力が注がれますように。あなたの教会に注がれますように。アメリカ中心部に、コーストに、ここワシントンDCに、ホワイトハウスに、議会に、そして私たちに注いでください。どうかこの国にリバイバルを起こしてください。失われた魂が救われますように。そして救われている者がリバイブされますように。どんなことが必要であったとしても、この地にリバイバルを起こしてください!」

 

不可能を可能にされる神

 

それは可能でしょうか? 神にとって不可能なことは無いと私たちは宣言いたします。神に出来るでしょうか? 私たちは答えます、「はい、神は出来ます」と。なぜならば私たちの神はイスラエルの神だからです。イスラエルは存続するはずのなかった国です。3千年以上の間、地獄の全勢力がイスラエルの子らを地上から消し去ろうとしてきたのです。

パロは彼らを滅ぼそうとしました。アッシリアは埋没させようとしました。バビロンは踏みつけようとしました。ローマは歴史の記録から消し去ろうとしました。ナチは全滅させようとしました。ソ連は排除しようとしました。そしてテロリストたちは抹殺しようとしています。

しかし、パロはいなくなり、アッシリアはなくなり、バビロンは陥落し、ローマは滅び、ナチは滅ぼされ、ソ連は崩れました。そしてテロリスト達もいなくなるでしょう。

ある者は戦車を拠り頼み、ある者は王を信頼する。しかし私たちは私たちの神、主の御名、私たちが救われるべき唯一の御名に信頼します。私たちはイェシュア・ハ・マシア、メシアなるイエスの御名に拠り頼みます。

 

神の御名が高く上げられますように。アメリカという「山の上にある町」が再び生ける神の栄光の臨在で輝きますように。すべての名にまさる神、イェシュア・ハ・マシア、メシアなるイエス、王の王、主の主、世の光、イスラエルの栄光、そしてアメリカ合衆国の唯一の希望である方の名によって祈ります。神よ、どうか助けてください。アーメン(終り)

 訳者注:ジョナサン・カーン師はユダヤ人で、アメリカのニュージャージー州で牧会しておられる方です。

30 01月

キリストにある自由     グラハム・クック              2017年1月30日


今は終末の時

 

訳者の前置き           坂 達也・柚実子

 

 二週間程前にマイクビクル師のメッセージ(上と下)を掲載しましたが、本当に今は世の終わりが迫って来ていることをひしひしと感じます。

 ビクル師は言われます。「終末には偽りの正義が起り、偽りの統一宗教の動きが起り、偽りの愛、偽りの恵みが説かれると聖書は明確に述べています。・・・(終末の)時代がいかに栄光に満ちているか、そして同時にいかに惑わしに満ちているか、いかにパワフルであると同時にいかに危険に満ちているか、、、このような時代に生きた世代は未だかつでありません。この時代にどのように生きればよいかを示唆できる世代はないのです。」

 

 私たちは、クリスチャンが今一番「惑わされていること」が何かと言えば、それはクリスチャンの「救い」そのものの意味を多くのクリスチャンが忘れているか、あるいは、教義だけは頭の知識として知ってはいても、心はそこになく全く「この世的に生きている」ーすなわち、キリストが私たちのために死なれた「十字架」の意味を霊的に認識して生きていないということではないかと思います。

 

 今のアメリカでは、私たちの教会も含め、多くの教会で「十字架」ということばすらあまり聞けなくなっております。

 それを感じている人たちは私たちだけではありません。最近、このことを特に憂い、十字架の意義を強調し、真のクリスチャンの生き方をくどい程丁寧に説明してくれている方にグラハム・クック師がおりますので、今回はそれを少し長いですが訳してお届けさせていただきます。本当に師は何回も何回も噛み砕いて、くりかえして言われていますが、それほど大切で、それ程重要であるとご了解いただき、ぜひ、ゆっくり最後迄お読みいただけますよう心からお願い申し上げます。

 そして私たちは、日本の教会での現況をも憂慮しております。どうぞ日本の様子を私たちにお分ちいただければ幸いです。お祈りしております。

 

キリストにある自由

 

グラハム・クック

 

 ローマ6章「4節 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。11節 このようにあなたがたも、自分の罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。」

 私たちは現在から過去にむかって見ることもできるし、あるいは現在から未来に向かって見る力もあることを神は知っておられます。「現在から過去へ」という生き方は、過去に起こった事が現在の自分にもまだ影響を与えているということです。しかし十字架はこの「現在から過去へ」という生き方から私たちを解き放ち、「現在から未来へ」というライフスタイルを可能にしてくれるのです。

 それは十字架、即ち福音は私たちの「現在」を「神にある現在」に変えてくれるからです。「今の自分はすべて完成したわけではありませんが、完成に向かっているところです、今現在、私はすばらしい、そしてだんだんイエスに似ることによってもっとすばらしくなるのです」というのが現在から未来にむかって生きるライフスタイルの考え方です。

 まず1番目の鍵は、神から見て古いあなたは死んだことです。2番目の鍵は、ローマ6:6ですが、「私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。」です。あなたの古い人は清めることができないほど堕落しているので十字架につけて殺すしかないのです。イエスは「あなたのために死んだdied for you」だけではなく、「あなたとして死んだ died as

you」なのです。ですからイエスが死んだ時、あなたも死んだのです。これは喩えとか象徴的な言葉ではなく、御父の心の中ではまさにそれが事実として起こったのです。御父がイエスが死ぬのを見たとき、神は私たちすべての者が十字架についているのを見られたのです。イエスが死んだとき、私たちもまた死にました。イエスが葬られたとき、私たちも葬られました。そしてイエスが死からよみがえられたとき、私たちも主と共に死からよみがえったのです。

 

黙示録13:8に「世の初めからほふられた子羊 the Lamb slain from the foundation of the world」という言葉があります。この意味は創世記!:1以前に天で次にような会話があったことを想像させます。最初のコミュにティーであった父、子、御霊が話しあって、自分たちに似せて人を造ろう、愛と平和と喜び、親切に満ち、自分たちのように楽しく笑うにしよう、と決めました。そして彼らとの交わりはすばらしものになるだろうと喜びました。次の日にまた話を続けて、「これらの人々はみな、自由意志を持っていなければならない、ロボットやクローン人間では本当に愛し合うことはできない、自由意志でわたしたちを選んでもらいたい。しかし自由意志でわたしたちを選ばない人たちはどうすればよいだろうか、わたしたちの存在さえも否定する人たちはどうすればいいだろうか、自分たちで宗教を造り上げてそれが本当の生き方だと言ったらどうしようか、そのような人がわたしたちと交わりを持つようにするにはどうすればいいだろうか。」

 そして最後にイエスが天のすべてのものを捨てて人として地に来て、罪の生け贄となることに決めました。イエスの贖いによってすべての人類は購われたのです。

次の会合で、実際にどのような過程で人々を変えていけばよいのかが話合われました。「古い生き方から新しい神にある生き方に人を変えるにはどうすればよいのか」を考え始めました。そしてそれが大変な仕事であることに気がついたのです。御父とイエスは聖霊にその仕事を引き受けてもらおうとしましたが、聖霊は「それはとてつもなく大変な仕事です。人々が良くなるように変えるなんて。3歩進んで2歩さがったり、2歩進んだかと思ったら5歩さがったり、、、。駄目ですね。とてもできません。考え直したほうがいいと思います。」そこでまた話合いました。

 そして御父が「人を良くしようとするのではなく、殺してしまって、新しく生まれ変わらせたらどうだろう。イエスが十字架で死ぬときに彼ら全員を十字架につけたらどうだろうか。イエスは彼らとして死に、彼らはイエスと共に死ぬようにして、イエスが葬られたるとき彼らも葬られ、イエスがよみがえるときに彼らもよみがえるようにして、それを『もう一度生まれる Born again』と呼ぼう。そのためにバプテスマという儀式をして人を水につけ、水から上がるときは新しい人となっていることにしよう。そして新しい人に本当の生き方を教えよう。イエスが彼らを死なせ、地獄に行ったときに彼らの罪を全部そこに置いてきて、新しい形でよみがえったとき、彼らはすべてイエスに似たよみがえりの姿となり、その時彼らは新しいものとなる。古い彼らはすでに死んでいる。彼らがもう罪に死んでいて新しい命に生きていると考えることを許可しよう。聖霊には『新しい人』を教える仕事をしてもらう。彼らが生まれ変わったときにイエスが彼らの中に入り、彼らはイエスの中に留まり、イエスに似た者となるように聖霊が彼らを教えることにしよう。」

 

御子と聖霊もそれはすばらしいと賛成しました。そして聖書を彼らに与えてよい聖句を教えました。

ガラテヤ2:20「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」

 

 ですからもはや古い自分は死んでいなくなり、「新しい私」だけが生きているのです。古い自分がしていた生き方をすべて捨てて、全く新しい者として生きる生き方を学ぶのです。物の見方を変え、話し方を変え、行動を変えてイエスと全く同じ生き方を学ぶのです。そして「現在から未来へ」の人となるのです。

 

 ローマ6章には神が私たちのためにすでにしてくださっていることが確信をもって書かれています。

「自分に死ぬ」というのは私たちがすることではなく、イエスがしてくださったことです。「自分に死ぬ」ということはイエスのうちにあることの当然の結果です。私は神に生きているとき、自動的に罪に死んでいるのです。私が「新しい人」に生きるとき、「古い人」は死んだままになっています。ですから私たちの目標は単に「死んだふりをする」のではなく、「死にっぱなしになる」ことです。「自分はもはや罪に死んでいる」と考えることを神はあなたに許可されています。神が私をキリストにあって十字架につけられ殺したのであれば、私はもう自分を殺すことはできません。私はすでに死んだのですから、そのまま死んでいればいいーそれが私の仕事です。

 

神は私たちの古い人に関しての神の観点、神の思いの中に踏み込むことを許可してくださり、私たちが「キリストにあってどのような者であるか」の焦点をあてて生きるようにしてくださいます。即ち、自分は自分が考えるような者ではなく、自分とは、「神が私をどのような者であると考えておられる」その者であるということです。私はキリストにあって新しい人であり、すべて古いものは過ぎ去り、私はキリストにあって新しい者となった。(それ以外の考え方はないのです)

ローマ6:11にある「自分は罪に対しては死んだ者であるように思いなさい。」とは、神がすでにされたことを注意深く考えて、それが真実であると信じるということです。あなたは神があなたに関して信じているように自分を信じていますか?神があなたに「あなたは罪に対しては死んだ者と思っていい。」という、とてつもない許可を与えてくださったのですから,私たちは神と同じように考えてよいのです。

 そうすると神にはどのようなことが要求されるのでしょうか。聖書に書かれたこの事実に対して神はどのように対応されるのでしょうか。神は言葉にも行ないにも真実な方です。私たちがどのような者であるかに関して神には二心がないことを私たちは知らねばなりません。神は「あなたは死んでいる」と言われ、あなたが死ぬのを目撃されたのです。あなたのネガティブなものはすべて一切、十字架上のイエスに負わせたのです。イエスが死んだとき、あなたも死にました。ローマ6:10に「キリストが死なれたのはただ一度罪に対して死なれたのです。」とあります。一度ですべての(once for all) 罪は処理されたのです。ですからイエスはもう一度死ぬ必要は全くありません。そして神はあなたの罪に対してもう新たに何もする必要はないのです。神はもはやあなたの罪を気にも留めておられません。その代わりに義をあなたにもたらそうとしておられます。あなたの罪に焦点を当てるのではなく、あなたの聖さに焦点をあてておられます。あなたは罪に死んでいるので、義を求める自由があるのです。そして神はあなたに聖霊を与えて、聖くなる方法を教えてくださっています。聖霊が焦点を合わせているのは、キリストにある新しい人です。(くどいようですが、)ローマ6:6にあるように罪のからだは滅びてもうないのです。

ポイントは御父がイエスの贖いを100%信頼しているか、ということです。もし神が未だにあなたの人生の罪をどうにかしようとしておられるならば、それはイエスの贖いの業に確信を持っておられないということになります。もし神が未だにあなたの罪を取り扱っておられるならば、神はあなたを墓の中から生き返らせて古いあなたに戻していることになり、神は墓泥棒ということになります。御父がイエスの贖いの効果を100%信じて認めてないなどと考える人がいるでしょうか。ですから、もし私たちがまだ自分の罪を(うじうじと)取り扱っているとすれば、私たちがイエスの生け贄を信頼していないということであり、御父は分裂症だとみなすことになります。私たちのしていることは、御父とイエスがそのような方であると言っているようなものです。なぜならば、イエスは一度で完全に罪に死なれたのであり、私たちの罪は無くなったのです。神がまだ私たちの罪を取り扱っておられるならば、私たちは新しく造られたものではないということになります。しかし、聖書はそのようには教えていません。私たちは死んで、そのまま死んだままになっていて、新しい命に生きているのです。

 

神が私たちに「古いあなたは死んだと思ってもよろしい。」という許可を与えてくださっているのは、神も同じ真理のもとで行動しておられるということです。神の結論は、「自分の息子はすべての人類の罪をただ一度完全に背負って死んだのであり、だからあなたの罪は死に、あなたは神のいのちに生きている」ということです。即ち神があなたを御覧になるときは、あなたの中に一つも罪、間違いを見つけられないのです。あなたの中のすべての罪、間違いは、十字架上のイエスの上に置かれ、イエスは地獄に行ったときにそれらをすべて地獄に投げ捨ててきました。ですからあなたに関するすべて否定的なもの(罪、否定的な考え、否定的な感情、悲観的な考え等々)は、イエスの内に死んだのです。そうだとすれば、神があなたを見たときは、何が見えるのでしょうか。神があなたをイエスの内に置かれたのならば、「イエスの内にあるあなた」であり、また「あなたがこれからなろうとしている姿」です。これは逆説的なことですが、あなたは生きるために死んだのです。あなたは死んでいるけれどもイエスにあって完全に生きているのです。

ですからあなたは自分の言動を変えて新しい人になることはできません。イエスの内にある「既になった人」を発見して、その人のように行動するのです。もし私たちはただ自分の言動を変えようと頑張るのであれば、イエスは死ぬ必要は無かったのです。神はあなたを変えるのではなく、全く違うものに一変させたいーのです。そのやり方は「あなたのすべての悪いものを、すべて処理しました。あなたはキリストにある全く新しい人になりました。あなたがその人になる方法をわたしが教えてあげます。」と神は言われているのです。神があなたを見たとき、何も悪いところは見えません。ただあなたが今神を経験するときに欠けているところを見て、それを必ず与えると決意されたのです。ですから聖霊があなたの人生で巧くいっていない場所を指差されるときは、即ち、次に起こる奇跡の場所を指し示されているのです。責めも恥もありません。聖霊はうれしそうに来られて、その場所を指差されて、「さあ、次はここにしましょう。あなたのためにその場所にすばらしいことを用意していますよ。」と言われるのです。そしてギフトをもってこられます。その場所であなたが苦労するのではないのです。もうそこのあなたは死んでいるからです。ただ(既に死んで亡くなった古い部品のあとに)新しい部品に取り替える(入れてくださる)のです。あなたに何かを頑張ってほしいとは言われません。(信仰でそのように生きるのです)

 

エペソ4:21−24「ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきでした。」

「古い人をよくしようと努力しなさい」とはどこにも書いてありません。「脱ぎ捨てなさい」と言われています。神があなたを見ておられるように自分を見て、神と共に働くのです。神は「わたしたち(神とあなた)は古い人を改良する仕事をしてはいませんよ。それは死んでいるのですから。もうあなたの名が書かれた墓石の下に埋まっているので、そのままにしておきなさい。こちらに「キリストにある新しいあなた」がいるーこれが本当のあなたです。わたしたちはこちらのあなた造ることに取りかかっています。新しい人を身につけて救いの達成にはげみなさい。」

 

女性の方が少し古いドレスを持っておられるとします。15年前に買ったものですが、まだぴったりでとても素敵なドレスです。あなたはずっとそのオーソドックなドレスが好きでした。するとある人が新しいデザインのすばらしいドレスをあなたにくれたとします。着てみるとご主人も見とれるようでした。さて、あなたは古い方のドレスと新しいドレスとどちらを選べばよいのか迷います。でも決まっていますね。あなたはあなたをびっくりするほどすばらしく見せる新しいドレスを選ぶのです。これが福音です。

男性の方に言います。あなたは20年前に買った車に乗っています。もう古くなり、車体にも傷やへっこみがあります。エンジンもスムーズには動きません。中も変な臭いが染み付いていて、恥ずかしいような車です。するとある人がフェラリを買ってくれます。真っ赤で格好がいいのです。あなたが家から出てくるとこの2台の車が停まっています。あなたはどうしますか。あなたはお金を払って、古い車を引き取ってもらうことでしょう。しばらくは新しい車のそばにたって道を通るひとに自慢することでしょう。運転するとスムーズで今までとは違って楽しい気分になります。あなたは違う乗り物に乗っているからです。「キリストの内にある」というのは、そういうことです。あなたは違う車に乗って、違う気分で今まで行ったことのない場所に行くのです。

 

イエスは罪のために十分に裁かれたと思いますか?もし十分でないのならば、ここにいる人で救われている人はいません。すべての裁きがイエスに負わされたのでなければ、私たちは決して自由になることはできませんし、救われることもないのです。御父はすべての罪への怒り、憤りの最後の一滴までイエスの上に注がれたと思いますか?そうならば、御父のうちにはもう何に対する憤りもないのであって当然です。ということは神はもう何に関しても怒ってはおられません。これは本当によく考えてみないといけないことですね。神がもし「もしもの時のために」怒りを少しでもとっておかれたとしたら、私たちと神との関係は100%確立しているとはいえません。御父はイエスをご自分から切りはなされ、すべての罪を負わされたのです。イエスは私たちのために滅ぼされたのです。イエスは始めて御父から切り離されました。それは私たちがもはや御父から切り離されることがないためです。私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを切り離すものは何もないのです。

 

 

古いものはすべて過ぎ去り、すべてが新しくなりました。私たちは古いものを改良するのではなくて、古いドレスや古い車のように捨てて、新しい栄光に満ちたものが来たのを見るのです。私たちは古いものから新しいものに移り変わるプロセスの中にいますが、取り扱うのは新しいものだけです。あなたが新しい人に焦点を合わせ、すべての状況はあなたが新しくなるために設けられたものだと知るのです。あなたがある状況の中に置かれたとき、今の自分はこれであり、将来の自分はこれであると見えるのです。それが「現在から未来へ」という生き方です。神は私がどのような者になるか、将来の私を知っておられます。ですから現在の自分から未来の自分との間に起こることはすべて私を将来の私にするために設けられるのであって、それは神によって予め決められている計画です。

 

 ですから何であれ、一つの状況とか環境(たとえ逆境のように思えても)に足を踏み入れた時には、それはまず第一に新しいあなたに関することなのです。私たちはその状況を神に不満として訴えるのではなくて、まず自分自身を神に捧げるのです。その状況はキリストにあるあなたがアップグレイドされるためのものです。ですからすべての状況はアイデンティティーに関することです。すべての状況、環境、困難、問題は、あなたがキリストに似た者となるためのもであるのです。

 私たちは神のもとに行き、この状況は神と私の関係において、どのような意味があるのですか、と問わねばなりません。これは私のアイデンティティーに関してどのような意味があるのですか、と。ですから問題が起こったときは、「ああ、私のアイデンティティーはアップグレイドされるんだ!」と思うのです。

 それがまず第一にすることです。「主よ、この問題の中であなたが私のためにどのような新しいお方になってくださるのか。今まで私が経験したことに中ではわからなかったあなたを教えてください。」と聞くのです。そのように考えるとあなたの前に状況、問題は全く違って見えてくるはずです。もしアイデンティティーのアップグレイドを目指さないならば、自動的にあなたは以前の古い人のアイデンティティーに戻るのです。そして不安になったりパニックに陥ったりします。それは過去の自分に戻り「現在から過去へという生き方」に戻ってしますのです。

 

学校の実験で一番好きだったのは、鉄くずをまいた紙の上に磁石を持ってくると、鉄くずが全部磁石に吸い付けられるというのがありました。

そのように「天のすべては私の中のイエスに吸い付けられている」のです。それはどういう意味でしょうか。これは新しいいのちの特権であり、それは神の祝福は私のうちにおられるイエスの故に私に吸い寄せられるということです。神の特別な恩顧、恵みはイエスの故に私に吸い寄せられます。私の中にイエスがおられるので私は祝福、特別の恵み、力を吸い寄せる磁石です。自分の故ではなく、イエスの故にです。御父は私たちをそのように驚くべきところに置いてくださいました。重要なのは、あなたが「自分は死んでいる」ことを本当に、本当に、分かることです。神は古いあなたのことを話したくもなく、取り扱いたくない、あなたとそれに関する会話もしたくないのです。あなたはそれに関して祈る必要もない、あなたはキリストにある新しい自分のことだけを考えればいいのです。

あなたにとって「全く新しくなる」とはどういうことかー今の瞬間からあなたの人生のすべてが新しくなるー神はあなたの中の新しいあなただけを取り扱われるーのです。私たちは「宗教」の中で古い自分で神との関係を築いて変っていこうとして来ました。罪悪感、自分は駄目だという思い、日によって神から離されていると感じたりします。私たちはいつも何かを謝ったり悔い改めたりしているのです。何かを悔い改めるならば、神は「もうそれは終ったよ」と言われるのです。悔い改めるならば、何かから悔い改めるのではなく、何かにむかって悔い改めてください。「神よ、私はキリストのようになる機会を与えられましたのに、それを用いませんでした。赦してください。」というようにです。古い自分を悔い改めるのではなく、新しい自分の姿に対して悔い改めるのです。

 

神があなたを見るときには、何も悪いところがないのです。神のところに行ったときの会話はすべて新しい人に関する話なのです。神は「あなたの古い人とはもう縁を切った。」と言われます。(終り)


24 01月

執務を開始したビジネスマン大統領トランプ    坂  達 也     2017年1月24日


執務を開始したビジネスマン大統領トランプ

 

                   坂  達 也

 

 

 1月20日金曜日に就任式を無事終えて正式に大統領職を開始したトランプ大統領は、早速彼のビジネスマン・スタイルの本領を発揮し始めました。それについてレーガン大統領の長男である政治評論家のマイケル・レーガン氏は次のように語っています。

「トランプ大統領は就任後の土日も忙しく働き、最初の出勤日である23日月曜は、先ず内閣主要メンバーと打ち合わせた後、大統領限であるエクゼクティブ命令(複数)に署名をし、その後コングレス(上下院議会)のリーダーたち、大手労働組合のリーダーたちと会う、という多忙な執務を開始しました。」

 更にレーガン氏は「新大統領のために上下両院それぞれに大統領のための特別事務所を設けた方がよい」という提案をしています。

 というのは、これからしばらくトランプ大統領は、彼の掲げる政策を実現するための法案を両院で迅速に通すために、自らが出掛けて行って多くの議員を直接説得することが今、最も重要な仕事であると判断しているからです。彼はビジネスマンですから、一刻の時間を惜しみ、やらねばならないことをプライオリティー順に、最も効果的な方法でどんどん対処します。彼のコミュニケーションの方法はツイッターを始め最小の時間で最高の効果を得る方法で行います。オーバル・オフィースがよければホワイトハウスに呼び、こちらから出掛けて懇談をした方がよいと思えば直ぐ議事堂に向かいます。私自身も約40年間、スケールは小さいですが彼と同じワンマンのビジネス経営を経験しましたので、この大統領がやろうとしているやり方とペースが痛い程よく理解出来ます。ここにビジネスマン経営者トランプ氏のよさがあると思います。

 

 これに比べてオバマ大統領はビジネスの経験はあまりなく、理想と心の思いはすばらしいにしても、それを実現させるための金融政策とか、ビジネスセンス、マネージメント経験、それに最も必要で重要な「交渉のあやとかやり方」を知りませんでしたから、すべて彼の考えそのものはよいにしても、結果的にもの凄く高く付き(例えばオバマケア保険制度)そのツケが彼の後の大統領の時代に来るようになったとか、又、平和主義を唱えて外ずらがよく、世界的に人気を博してはいても、他国との交渉では軽くあしらわれるケースが多々あり、これも多くの場合アメリカの財政を圧迫する結果となっています。又、人々に仕事を与えるためにでしょうか、全く必要以上に多大な政府公務員を高級で雇い入れました。

 従ってトランプ大統領が「アメリカ第一」を唱える理由は、前大統領が残した大きなツケを払い、それでなくても既に破産状態のアメリカの財政を立て直すことが「第一」であるという、ビジネスマンとして当然の発想であることをご理解いただきたいと思います。つまりトランプ大統領の意図は、アメリカを立て直したら皆さんを助けるに全くやぶさかではないが、それが出来るようにアメリカを先ず立て直すことに協力して欲しい、というのが本音であり、真相でもあります。

 今朝のリック・ジョイナー師のフェイスブックで彼が言っていましたが、トランプ大統領が真っ先に指令を出したことの一つは、国家公務員の新規採用を凍結し、とりあえず全体の国家職員を一割減らすことを目標とせよと発令したことでした。これで次の10年間で10トリリヨン(兆)ドル節約できるというものですが、ビジネス経験があるジョイナー師は、今の国家公務員数は半分に減らせる、いや、一/三か一/四でも充分やって行けるはずだと言います。

 それに加えオバマ大統領は、彼の平和思想理念からかもしれませんが、ふくれあがった国家予算を縮小するためにでしょうか、この8年間で国の防衛が脅かされる程の極端な軍備縮小をしたのです。その結果、笑い話ではありませんが、戦闘機のパーツがなくなり、博物館に行って飾ってある飛行機の部品を外して使ったという嘘のような話さえ聞こえて来ます。

 

オバマ大統領のために祈る

 

 さて、私はトランプ大統領の就任式の実況をテレビで見ていて、ふと、主からオバマ大統領のために又祈り始めなさいという声を聞きました。これを家内に話すと、家内がショーン・ボルツ師もそういっていたと言いますので、私は大変励まされたのですが、翌日になって次のような考えを思いめぐらしたのです。

 

 今、アメリカは真っ二つに割れている――21日土曜日の女性のデモはワシントンだけで50万人、その他のアメリカ各地では100万以上の人が行進しました。問題はそれらの人の顔付きと叫ぶ内容の下品さが全く異常であったことです。これは明らかに「イザベルの霊」のなせる業であるとジョイナー師も言う通り、今アメリカのトランプ大統領への反対者は非常に感情的になっており、多くの人達に宗教の霊、政治の霊、それにイサベルの霊が働いて、まぎれもなくサタンの仕業であることが鮮明になって来ました。それはトランプ大統領が今は堂々と公衆の前で自分はクリスチャンであることを宣言していますし、就任式を見てもそれがよく反映されていましたが、サタンは今、必死にアメリカを攻撃しています。

 悪霊にやられている人たちは、教会に行っているクリスチャンの中にもかなり大勢いて、その人たちは、左派メデイヤと同じで、理屈ではなく感情的にトランプ大統領を頭から受け入れられないのです。これは悪霊の仕業です。

 私は今のアメリカの状態はまさに真のキリスト者と反キリスト勢力との戦いであると思います。そして、オバマ大統領を押す人たち(反トランプの人たち)とトランプ大統領を押す人たちが半々で国を二つに割っているという由々しき状態であると言って差し支えないと思います。

 そこで今、もし表向きはクリスチャンと言っていながら実質はアラブ系の生い立ちで、イスラエルを毛嫌いしている「反クリスチャン」のオバマ前大統領夫妻が主に導かれて救われ、真のクリスチャンになるとすれば、その影響力は大変なものであると信じます。それがアメリカに大きなリバイバルを引き起こすことも充分考えられます。

 そうであれば、先ずトランプ大統領が肉的にアメリカの国を立て直す者として主に用いられるのであれば、オバマ大統領夫妻は、自らがキリストによる救いの証人となることによって、アメリカを霊的に立て直す劇的な御国の立役者として主が用いられるのではないかという期待が心に浮かんで来たのです。

 

 オバマ氏は一旦は静かに身を引きましたが、これからは陰の政府を作って、反トランプ勢力の後ろ盾となることを画策しているといわれ、それによって自分の理念の正しいことを世界に知らせたいという野望を持っているようです。彼のためにもそれを私たちの祈りで阻止しなければならないと思います。

 

 私はアメリカという国は移民の国であり、最初の移民はヨーロッパからの神を信じる白人勢力でした。しかしそこに白人が自らの「奴隷」としてアフリカから連れて来た「黒人」が、今ではアフリカン・アメリカンと呼ばれる移民の第二勢力となりました。近年になって、その他の人種――中南米人、アジア人種、アラブ人等、世界中から続々入って来ておりますが、人種問題で一番問題となっているのは黒人です。私たち夫婦は黒人が牧師である教会にいますので、黒人問題が非常に根の深い深刻な問題であることを肌で感じて経験して参りました。黒人がどれほど傷ついて来たかは計り知れません。彼らが癒されることを心から祈っております。

 私は主に尋ねました。主が黒人であるオバマ氏夫婦を初めての黒人の大統領として立てておきながら、なぜこのような惨めな状態でオバマ大統領の時代を終わらせるのかを問うたのです。すると、はっきりした返事としていただいたのではありませんが、主がオバマ氏を救うことによって、彼を用いるのがもしかして神がオバマ大統領に与えた真のデスティニーではないかということに思い至ったのです。私は前から彼の心には国境をオープン・ボーダーにして隣国人を受け入れることがよいことと信じるような平和主義を持ち、国をしきるビジネスセンスはないにせよ、彼なりに誠心誠意頑張って来たことが分かっておりましたから、それに又、彼が黒人社会にどれ程の誇りと希望を与えて来たかを身に沁みて分かっていましたから、彼の救いを心から願うのです。どうぞ皆さん、彼らとアメリカのために、オバマ大統領夫妻が救われることを是非お祈りいただきたいと心からお祈りお願い申し上げます。(終り)


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