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Walk With God Ministries

08 01月

時を知る(続)    リック・ジョイナー  2009年1月8日


時を知る(続) 

リック・ジョイナー

ヘブル書12章には、すべての揺り動くものは揺り動かされることが書かれていますが、そのような時に私たちは今突入しています。堅固な基盤の上に立っていないクリスチャンは、この世が揺り動かされる時にはそれと一緒に揺り動かされてしまうでしょう。主はエジプトを根底から揺るがされましたが、それは主の民を解放することを目的としていました。聖書ではエジプトはしばしばこの世の隠喩として使われていますが、この世が今土台から揺り動かされているのも又、同じく神の民を解放するためなのです。 エジプトで奴隷だった神の民を解放するには、神の力が大きく顕される必要がありました。今はそれと同じ筋書きの最初のステージに私たちは入っているのです。
多くの者が「キリストにいのちを捧げた」はずなのですが、その後は今まで通りに自分のために生きていて、人生を神の御国の上ではなくこの世の王国の上に建てています。主は私たちを愛してくださっている故に この世を揺り動かされていますが、それは私たちを自由にするための神の恵と憐れみのみ業です。

しかし、正しい道を歩んでいる知恵者たちは、次第に輝きを増す光の中ですべての物事をはっきり見て判断することができるでしょう。私はかつて自分のビジネスを失い、財産を失い、持っていたものすべてを失ったのですが、それによって本当にすばらしい気分になりました! 何年ぶりかで私は解放されたのです。それを経験しているときは確かに大変でした。実際のところ、それは私が経験した最悪のことの一つでしたが、すべて済んでしまった時には、この揺さぶりによって私が変えられた事や、すばらしい解放感を得たことを心から感謝しました。その一年前まで、私は多くの飛行機を所有し、自分のジェット機で飛び回っていました。しかし、ビジネスを失った時、家族と家財道具全部が小型車に収まってしまうほどでした。しかし、ジェット機で飛び回っていた時よりも、私はもっと楽しい気分でした。それまで住んでいた夢のような家を出て、前の家の一つの寝室の広さくらいの小さな家に移ったのですが、家族は前より幸せでした。これによって今まで歩んでいた暗く混沌とした道から、輝きを増す光の道に戻ることができただけでも、それは本当に価値ある幸いなことでした。

私は皆さんも同じような経験をしなければならないと言っているわけではありません。私は皆さんよりもずっと頑固で反抗的だったので、主が私の注意を引くのに苦労されたのかもしれません。しかし、もしも自分の所有しているものが主よりも大事だと思うならば、それを失うことは最もすばらしいことです。主が私たちの過ごす人生をどう思われているかよりも、この世での自分の地位とか名誉の評価の方をもっと気に懸けているとすれば、人の尊敬を失うことによって神の御前で尊敬を得るほうが、あなたにとって最高にすばらしいことです。

今年は非常にエクサイティ ングな年になります。それは即ち、今年は様々な事が起こり揺れ動くということです。神への信仰が成長していない人たちは脱落しはじめるでしょう。神への信仰が成長している人たちは、他の多くの人の信仰が自分と同じように成長するように助けるでしょう。私たちはそのために自分を整え、次に何が起こるかを把握せねばなりません。

信仰に歩む者、即ち義の道を歩むものは、先を見越した行動をとり、多くのことを達成し、勝利するでしょう。なぜならば、彼らは自分が進んでいくところを鮮明に見ることができ、先見の明で決断することができるからです。

箴言4:18−19にはっきり書かれています。
「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。悪者の道は暗やみのようだ。彼らは何につまずくかを知らない。」

そして次の 3節は揺り動くことのない御国の上に建てられた勝利の人生を歩むための鍵を教えてくれます。
「わが子よ。私のことばをよく聞け。私の言うことに耳を傾けよ。それをあなたの目から離さず、あなたの心のうちに保て。見いだす者には、それはいのちとなり、その全身を健やかにする。」箴言4:20−22

今年、どうか神の御ことばを知り、それに従うことに自分を捧げ努力してください。聖書を毎日最低一章は読むことを決意してください。嵐が来ても倒れない家を建てる者とは、主の言葉を聞きそれに従う者であることを忘れないでください。自分の聖書が棚の上でほこりをかぶっているのに、「主は私に語ってくださらない」と言って不平を言う人たちが大勢います。主を探し求める者が主を見いだすのです。

勿論、この文を読んでおられる方は神の言葉を求めておられるでしょう。しかし、もし私たちが輝きを増す光の中を歩んでいるのなら、ますます主を求め主のなさり方を理解しなければならないのです。私たちは一週間に一度ではなく、毎日新しいマナを集めなければなりません。今どれくらい神の言葉を知り従っているにせよ、今年はそれ以上にそのために時間を使うことを決意してください。さあ、今から始めてください。どの投資よりもこれが一番大きな利子を生み出すことでしょう。(終わり)


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07 01月

南イスラエルからの戦況速報 ヨエル・ローゼンバーグ  1月7日


南イスラエルからの戦況速報

ジヨエル・ローゼンバーグ

状況は非常に逼迫しています。ハマスは過去10日間に500発のロケットをイスラエルに向かって打ち込み、南イスラエルに住む50万人以上の人たちが死の恐怖にさらされています。

イスラエル軍の死者は今のところ6名ですが、国民はその犠牲者の為に国を挙げて嘆き悲しむ一方、過去二年半の間ハマスの執拗なロケット砲撃というテロ行為に対して(この間に6、300発以上のロケットが打ち込まれたにもかかわらず)ほとんど何もして来なかったイスラエル政府がついに強硬な反撃に踏み切った事を圧倒的に支持し胸をなでおろしています。

このガザ地区には約150万人のパレスチナ人がハマスの人質状態でハマスのテロ行為の犠牲となって住んでいますが、一番最近では、反撃して来るイスラエル軍に対して、ハマスは国連経営の学校に立てこもり、そこから白砲弾を発砲して来たためイスラエル軍はやむなくその学校を空爆し、42人の死者と50人余りの負傷者を出す結果となりました。

これに対して世界はハマスに向かって怒りを発する人がいないのはどうしてでしょうか。パレスチナ人はハマスから自由になる事を必死で願い、内々ではイスラエル軍がテロのリーダーたちを打ち負かすことを歓迎しています。

ロケットを発砲するのをやめるようにハマスに圧力をかける代わりに、国際的な圧力は、ガザにおけるハマスのリーダーたちとテロの下部組織が破壊される前に、何とか一時的な停戦をするようにイスラエル政府に大きな圧力をかけてきます。エジプトとフランスの大統領が昨日紅海のリゾートで会って即刻停戦の決議案をプッシュして来ました。アメリカのライス国務長官もそれを支持する声明を発表しています。

トップリーダーたちとその精鋭軍の多くが殺されて打撃の大きいハマス側は今必死で停戦を望んでいます。弾薬庫とか政府の建物が既に爆破され、又エジプトとの国境にある彼らにとって重要な密輸のトンネルも破壊されました。エルサレム・ポスト紙の報道によれば、ガザ地区におけるパレスチナのジャーナリストが月曜日に「一般的な見解としては、既にハマス政府は事実上存在(機能)していない。総ての政府機関は破壊された。」と伝えています。ハマスのリーダーたちは今ではちょうどアルカイダのオサマ・ビン・ラデンとアイマン・ザワヒリのようにふるまっていて、彼らは人前に現れず、アラブ・テレビ局を通じて録音されたメッセージだけが報道されていると言います。

こういう状態にあるのですから今ハマスを生きかえらすことなく、イスラエルは断固としてエジプト・フランスの停戦案を拒否すべきです。……

イスラエル国民は、過去に国際的圧力に何度もだまされて来ましたが、幸い今回は又同じような停戦の圧力に屈しようとはしていません。チャンネル2ニュースの世論調査によれば、81%のイスラエル国民は彼らの政府がロケット発砲をストップしハマス組織を破壊するために、ガザを空爆だけでなく陸からも軍隊を出動させてたことは適切な処置であったと信じていると報じています。そして、60%の世論がハマスとの停戦交渉に反対していると言います。

私は今回現地に来てイスラエル人と話した結果、彼らは今回こそはハマス軍とその政治的リーダーたちを完全に撃破して、南イスラエルがロケット弾、ミサイル、白砲弾からの脅威から開放されるまで戦うことを望んでおり、そのゴールが達成しないで中途半端に妥協することは、今まで以上に悪い結果をもたらし、それは事実上ハマスに勝利をさせ、イスラエルの敗北を意味するという国民感情であることが分かりました。

しかしながら、そのような国民感情にもかかわらず、オルマート首相とそのイスラエル政府は一時的な早過ぎる停戦を受け入れる可能性も十分あります。事実、2006年にはこの政府はレバノンにおいて同じような一時停戦を妥協して受け入れています。又、ユード・バラク防衛長官は早期停戦を望むという考えを当初から発表しています。これからの数日間でオルマート政府が今回はどのような決意をしているかがはっきりするでしょう。(完)

著者紹介
ジョエル・C・ローゼンバーグ
「最後の聖戦」などでニューヨーク・タイムズのベストセラー作家となる。 イスラエルや中東の戦争やテロの犠牲者を人道的立場から救済するための非営利団体、ジョシュア基金の創設者。 祖父母は20世紀始めにユダヤ人迫害を逃れて米国に亡命。 シラキュース大学を卒業し、テル・アヴィヴ大学に留学した。
 コミュニケーションの専門家として、元イスラエル首相ベンジャミン・ナタニアフなどとの仕事を経験した。福音的教会であるワシントンDC近くのマクリーン聖書教会に所属。 


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04 01月

兄弟の番人    ラリー・オカシオ  2009年1月4日


兄弟の番人

ラリー・オカシオ

創世記4:8−9
しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

父なる神にとって最も大切なことの一つは、「人間 同士のつながり、関係」です。このことは神がカインを叱責し厳しい罰を与えたときに、何度もカインとアベルとの関係を強調したことから分かります。主はカインにアベルのことを問いただしたときに、アベルを単に一人の人としてではなく、「あなたの弟アベル」と言って訊ねています。主が怒ってカインに話をされた時、アベルの名前を言われた回数の2倍もカインのアベルとの関係(弟)に言及されておられます。

創造の当初に、この生々しい話が私たちに与えられているという事実によって、神が人間関係を非常に重要視しておられることが強調されています。そして人間関係のテーマは聖書全体を通じて何度も繰り返されています。兄弟、姉妹、夫、妻、指導者、部下等の関係に関して書かれていることはすべて、主が喜ばれることは何か、悲しまれることは何かを私たちに教えているのです。 カインの 「私は自分の弟の番人なのでしょうか。」という問いに対して、今日私たちも答えなければなりません。

ガラテヤ6:2
「互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」

現実的、実践的な形で私たちは、自分の兄弟姉妹が霊的に、又しばしば物理的にもですが、どのような状態にあるか把握していなければなりません。主によって用いられるために必要な基本的なことの一つは、他人の痛み、苦しみ、弱さを理解し同情する能力です。私たちはクリスチャンとしての旅を共にしていますが、その旅は 自分一人では出来ないように神はデザインされたのです。イエスでさえあがないの御業を完成させるために重荷を負ってくれる助けを必要とされたことは、この重要な真理を浮き彫りにしています。

ルカ23:26
「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。」

悲しいことに今日私たちの多くは一人で独立して生きていて、兄弟や姉妹が重荷を負って苦しんでいるのがわからないのです。最近私が住んでいる地方で、多くのティーンエイジャーの自殺があったことは、社会に大きな警笛を鳴らし、人々はそれを無視できなくなりました。私たちの影響下にある 多くの人たちも、助けや導き、あるいはただハグされることを必要としているのです。多くの者が見逃してしまうことですが、主は「キリストのからだ」を、みんなの成功をつなぎあわせるように造られたのです。あなたも私も ただ一人で主にある高みに登るようにとは召されていず、兄弟姉妹を一緒に連れて行くようにと召されているのです。

民数記32:17−18
「しかし、私たちは、イスラエル人をその場所に導き入れるまで、武装して彼らの先頭に立って急ぎます。私たちの子どもたちは、この地の住民の前で、城壁のある町々に住みます。私たちは、イスラエル人がおのおのその相続地を受け継ぐまで、私たちの家に帰りません。」

この原則は、イスラエルが約束の地に入ろうとするときに、二つ半の部族がヨルダン川の東側に残りたいと望んだ、この旧約聖書にある話によく表されています。主から彼らに課された条件は、彼らも他の兄弟たちと共にヨルダン川を渡り、共に戦い、すべてが相続地を受け継ぐのを助けるというもので、その後、川の反対側の自分たちの相続地に帰ることが許されたのでした。

私たちは、自分の個人的な神の目標を達成するだけでは十分ではないのです。他の人々がそれぞれの目標に達するのを助けることにも、私たちは召されているのです。もしあなたの結婚生活が祝福されているならば、他の人たちの結婚生活のために祈りで戦っていますか? あなたの助けを必要としているシングル・ペアレントや問題を抱えている家族を知っていますか? 現代のティーンエイジャーや クリスチャンになったばかりの人を訓練することに関わっていますか? それとも自分の問題、関心事、夢とかにだけで心がいっぱいになってしまっているでしょうか?

ピリピ2:3−8
「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけでなく、他の人のことも顧みなさい。あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト/イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現れ、自分を卑しくして、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」

一つだけ守りきる価値のあるものといえば、神のようであることでした。しかし、イエスは正にその逆をしたのです。主はご自分の神性を捨て、主の人間性によって私たちが益を受けられるようにとされたのです。その結果、主が模範を示してくださったすべての関係は、「神と人」の関係ではなくなり、神と正しく結ばれた一人の人間が、その兄弟姉妹をどのように扱うことが出来るか、又、扱うべきか、を教示するものとなったのです。

ヨハネ15:13
「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

この聖句をただ肉体的な死にだけ適用するならば、このみ言葉や、更にはキリストのあがないの御業に対しても不当なことをしているのです。確かに誰かのために死ぬことは高貴なことに違いありませんが、その人のために生きることはもっとよいことです。イエス・キリストの死は大きく扱われ、それは勿論正しいことですが、実はイエスはあなたや私のために死んでくださっただけではないのです。主は私たちのために生きてくださったのです。主はただ一度の勇敢な行為、救済の御業をしてくださったのではなく、全生涯を通じて無私の献身をすることを決意されたのです。それと同じように、神は私たちが兄弟姉妹のために死ぬことを強く望んでいるのではなく、むしろ私たちが彼らのために生きることによって彼らとの関係を大切にすることを望
25 12月

時を知る   リック/ジョイナー 2008年12月25日


時を知る

リック/ジョイナー


様々なことが起こった2008年も、終わりに近づきました。多くの人は、世界で起きていることを見て、新年を恐れと不安を持って迎えようとしています。しかし一方、大きな信仰と希望をもって迎えようとしている人たちもいます。そして信仰と希望は必ず勝利をおさめるのです。2009年は(そのような人たちには)最高の年になります。

クリスチャンならば全員、大きな信仰と希望をもって未来を展望するべきです。たとえそれが「大艱難」に入ることになってもです。これから世界に何が起こるかは問題ではありません。なぜならば私たちの王は勝利され、御国は必ず来るからです。御心は天になるようにこの地でも起こります。ボブ/マムフォードは「聖書の最後を読めば我々が勝利することがはっきりしてる!」と言いました。第二コリント2:14にあるすばらしい約束を見てください。

「しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。」

この箇所で言われているように、主は常に私たちを「キリストによる勝利」に導いてくださるのです。重要な点は、主の勝利は私たちが望んだ結末と同じとは限らないということです。主の最大の勝利は十字架でした。私たちもそのような勝利を喜んで受け取ることが出来るでしょうか? もし出来るならば、悪に対する最大の勝利を私たちも経験することが出来るでしょう。2008年は多くの人にとってブレイクスルーの年でした。2009年にも又、多くの人がそれを経験するでしょう。私たちの勝利は確実であり、もしあなたが信仰の人ならば、勝利が確立されるずっと前からそれを喜び始めることができます。恐れを持つ人は、たとえ物事がうまく行っている時でさえ、いつも悩んでいます。信仰のある人は、たとえ物事がうまく行っていなくても、常に平安と喜びをもって生きています。私たちはそのどちらかを選ぶことができる(選ばねばならない)のです。

私たちの教会の最近の礼拝で、ジャック/ディア師が話したことですが、私たちは往々にして、主にではなく物事の結果に自分の信仰を置くという間違いを犯してしまいます。それでは私たちの思いは、主にではなく、起こっている事柄、物事に捕われてしまうことになります。もし私たちが主に信頼するならば、物事のすべての結果は主の目的のためには一番良いものであること、そしてそれはただ私たちの勝利ではなく「主の勝利」であることをも信じなければなりません。多くの場合、一番の勝利は私たちの信仰が成長することであり、ヤコブ書にあるように、それは金よりも価値あるものなのです。私たちの信仰は、信仰が必要とされない限り成長しないのです。

このことは、特定の結果を望んで祈ってはいけないと言う事ではありません。例えば、ある癒しとか、ある問題を乗り越えるための祈りです。私たちはある一つの結果に信頼を置くのではなく、主に信頼を置かねばなりません。そうするとき、多分自分が期待した以上の結果を見る事になるでしょう。

多くの人は多難だった2008年が過ぎ去るのを見て「やれやれ」と思っています。新年を新たな出発と見て、希望と期待を持つことは良いことです。私たちは今の時代が過ぎ去るのを同じ思いで見ることでしょう。次の時代が今私たちが考えることが出来ないほどすばらしいものになることは、絶対に確かなことです。一日ごとに主の再臨と御国の到来が近づいています。しかしそうであっても、その時までにはこの世界は艱難を通らねばならないのです。使徒パウロは私たちが御国に入るためには艱難を通らねばならないと言っています。それはこの世界にとっても同じです。しかし、この世がどのような所を通るかは問題ではないのです。もし私たちが主にとどまり、揺るがされることのない御国の上に人生を築いたならば、私たちはそれによって影響を受けることはありません。

以前私はある預言的経験をしました。突然私は、 ある種の戦艦の 制御室の中に立っているのがわかりました。レーダーのスクリーンの前に私は立っていましたが、主ご自身が私のすぐ右に立っておられました。スクリーンに小さな光の点(ブリップ)が前方正面にあらわれ、自分たちの方にむかって動いてきました。衝突を避けるために私は船が90度向きを変えるように命令しました。しかし、スクリーン上の点は動かず、それどころかますます近づいてきます。それで今度は反対方向に向きを変えるように命令しました。しかし、その結果は前と同じで、点はますます近づいてきます。次に私はスクリーンを握って衝撃に耐える身構えをしましたが、衝撃は起こらず、点も消えてしまいました。私は主に一体これはどうしたことか、と尋ねました。主はあの点は「大艱難」であったと言われました。主は、大艱難は必ずやってきて避けることはできない、しかし、それは主のすべての行動を映し出すレーダースクリーンのほんの小さな点に過ぎず、私が主の近くにとどまる限りそれを感じることもない、と言われました。

この体験は私にとって非常にリアルであり、魂の奥深くに何かを植えつけてくれたので、私はとても助けられました。しかし、あなたが私の見たこの幻を信じても信じなくても重要なことは、主は信頼するに足るお方であり、主のみ傍近くにいれば何が起ころうと守られるということは、まさに正当な聖書の真理です。

あなたは、主のみ傍近くにいたにもかかわらず殉教した人たちはどうなのだろう、と思われるかもしれませんが、それも主の守りだったのです! 私たちが生きるか死ぬかは問題ではなく、問題なのは私たちが忠実であり続けるかどうかなのです。私たちの全人生は「主と共に治めるための訓練」であり、福音のために命を捨てることは信仰の最も偉大な行為の一つです。もし私たちがただ復活の教義だけでなく心から復活を信じるならば、私たちはこのことを喜ぶべきであり、使徒や多くの殉教者と同じように、主の御名のために苦しむことに私たちが値するもの見なされたことを光栄に思うべきです。

2009年は最良の年となるでしょう。それは困難ではないということではありませんが、それは私たちにとって一番よいことなのです。なぜならばローマ8:28−30に次にように書かれているからです。
「 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。 神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」

私たちが速やかに勝利を得るための一つの方法は、神が私たちに起こるのを許されるすべての事は、私たちが御子に似る者になるためであることを理解することです。何か試練が起こったらすぐに、 どの御霊の実の訓練を主が自分にしておられるのかを見定めるのです。一番の基礎は、愛と信仰です。愛はあなたに何をせよと言っていますか? 信仰はあなたに何をせよと言っていますか? それがほとんどの場合「答え」です。そして第一コリント13:8「愛は決して絶えることがありません。(滅びない)」という事を常に忘れないでください。

2009年に勝ち取るべき 最大の勝利は、私たちの愛が成長することです。まず神を愛し、そしてお互いを愛するのです。二番目に大きな勝利は、信仰が成長することです。この二つは必ずしも試練を通してだけ得られるものではありませし、特に試練がなくてもこの二つを忠実に追い求めているならば、そうです。しかしながら、やってくる試練はすべて価値あるものです。裁きの日には、私たちの人間としての成功度は、他の何よりもどれほど神を愛し人を愛したかにかかっているのです。成功してください。愛を成長させてください。また、信仰を成長させて、どんどん成功してください。(終わり)


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23 12月

報告:その後のジュデイス・グルーバー夫人 12月23日


報告:その後のジュデイス・グルーバー夫人
                              
 その後の夫人の容態は一進一退のようです。元気の良い日は家の中を動いて家事もできるようですが、悪い時は臥せっていることが多く、ヘンリー師がお皿を洗っていると本人が言っていました。ちょうどクリスマス前で家族が大勢集まってきており、私が電話をした折もお孫さんたちが廻りにいて賑やかな様子でした。しかしながら家族のクリスマスのお祝いの会食は用意が大変なので、娘さんのベッキー宅でするそうです。

 そんなことでヘンリー師が夫人を置いて長期に旅行することに不安があるようです。正月明けの1月の沖縄行きは少し遅らせ2月に入ってから出発したいとのことでした。それも1月半ばになってから様子を見て最終的に決めたいとのことです。

 グルーバー師ご夫妻は日本の皆様が祈っていて下さる事を大変感謝しております。特にクリスマスを直前に控え、皆様お一人一人がすばらしい主の祝福をいただきますよう、お祈りしていますとのメッセージと共に、くれぐれも皆様に宜しくお伝えくださいと言っておられました。

 どうぞグルーバー師夫妻の為に引き続きお祈りいただけますようお願い申し上げます。世相によれば、新年は大変厳しい年になりそうですが、皆様方は、主に守られて、特別に祝福されたすばらしい年となりますようにお祈り申し上げつつ、年末のご挨拶とさせていただきます。
 ハレルヤ、主の御名を心から称えます。

                                          坂 達也

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