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Walk With God Ministries

08 09月

まどろむ者よ、目を覚ませ! テレサ•フィリップス 2009年9月8日


まどろむ者よ、目を覚ませ!

テレサ•フィリップス
 


私はあるショッキングな夢を見ました。それは私をひざまずかせるのに十分でした、喜びで! その夢はこうです。私と主人が車をドライブして丘を下っていくと、私たちの横を数人の人たちが乗った車が走っていました。すると、その車がコントロールを失って橋のそばにあったコンクリートの柱にぶつかってしまったのです。彼らの車は大破しました。私たちの車もその衝撃を受け損傷を受けました。

私は直ぐに救急に電話してから、車の中の人を助けに向かいました。一人の子どもが血を流していたので、毛布でくるみ近くの病院に連れていきました。私はもう一度救急に電話をしてから、二人目の被害者を病院に運びました。病院にいるときにも又救急に電話しました。というのは、病院でも誰も私たちを助けにくる人がいなかったからです!

私は主人が意識を失っているのに気がつき、助けを呼びました!誰も助けに来てくれませんでした。私は接着テープがあるのを見つけて、腹部が大きく裂けている女性の手当をし始めました。彼女の傷口をテープでふさぎはじめたのですが、もう一度助けを呼びました、、、「イエス様」と私はささやいたのです。すると傷口からの出血が止まり彼女は身を起こしました。私はホッとしました。でもまだ誰も助けに来ません。主人が意識を取り戻したのがわかりました。子どもも目を開け息をしていることがわかりました。全員の出血はすべて止まっていました。私はもう一度救急に電話をしましたが誰も来ませんでした。

すると、私の前にカーキ色のズボンをはき、ぱりっとした白いシャツを着た男の人が立っていました。私が「ドクター、今までどこにいたんですか?」と聞くと、彼は「わたしはあなたのすることを見ていたのですよ。あなたは私がすることを許されていることよりもうまくやっていました。I was watching you … you did better than I was allowed to do.」と言いました。実のところ彼は患者を治療することを許されていない医者だったのです。病院の医療関係者たちが来てくれないので、夢の中の私は本当に腹を立てていました。

夢から覚めたとき、私の身体は震えていました。夢の意味が私にはわかっていました。何か劇的なことを神が考えておられることがわかったのです。私はもう一つの眠りから揺り起こされたのです。それは主が実にどのようなお方であるかを忘れている眠りです。今は多くの者がその眠りから目覚める時であり、私もその中の一人として入れられたいと思いました!

その時、私は主を、主の臨在を、私のまわりに感じ始めました。夢の中で私は主の名前を大声で叫びました。そうです、私は主の御名を用い、主はそれに答えてくださいました。夢の中でその結果を私は見ることができました! 私は目を覚ますときに、はっきりとそのことを意識していました。主の教会はものごとを変えることが出来る、又、変えていこうとしているのです。私は「私たちが変えるんだ!」と大声で叫びました。私たちが変えていくのであり、又、変えていかねばならないのです! シフトです!

夢の中の男性は実に私たちのよき医者である主イエスでした。主は手を出すことを許されていなかったのです。主が「わたしはある I AM」という方という明白な真理にも拘わらず、「I was」と言われたのです。聖霊が新しい啓示へと私たちを目覚めされておられることを私は知りました。私たちは「わたしはある」という方をその言葉通りに受け取っていいのであり、又、受け取らねばならないのです。


御言葉通りに主を受け取る

“モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」” 出エジプト3:13—14

神は、モーセに導くようにと託した 民のために「わたしはある」を遣わされました。それは「わたしはある」という現在形の言葉でした。即ち、今あるもの、活動しているもの、生きているもの、動いているものです。神はご自身の一部を与えられたのです。歴史を変え、時の流れを変えることになった啓示的な一瞬を神はモーセに与えたのです。神はアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれましたが、モーセにはご自分の名前を与えられたのです! 神は変わることのない神であられるのです!

聖書によれば、神はモーセに「あなたをパロに対して神(即ち、わたし)とする。」と言われました。どうしてでしょうか? それは「わたしはある」という方があなたと共におられるからです。それは主との交わりであり、パワフルであり、啓示的です! モーセは神がご自分を顕されるのを見ました。今日、多くの者が自分のための燃える柴の前に立っています。何故でしょうか? それは今多くの者は、「わたしはある」という方に働いていただく必要を見るからです 。

まさに今この時 、私たちは神がここに確かにおられることを知っています。これは非常に重要です。神は「わたしはあなたを決して見放さず、あなたを見捨てない。」と言われるからです。

「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたと共におられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記31:8

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20b


「わたしはある」という方が与えられている

「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。」出エジプト23:20−21

「わたしはある」というお方は、天の聖なる都から遣わされた天使にご自身の名前を与えられたのです!ここに「イスラエルを守るために主から遣わされた天使のミニストリー」を私たちは見ることができます。「わたしはある」というお方がご自分の名前を分け与えられたのですが、それはどうして
07 09月

ハワイの八月   坂 柚実子   9月7日


ハワイの八月


常夏といわれるハワイですが、やはり一番暑いのは8月です。しかし今年は9月に入っても暑い日が続きます。日中外を歩くのは暑く陽に焼けるので、極力避けるようにしています。

さて、このひと月ほど、主人は床をカーペットから板張りに替えるのに忙しくしていました。これは2年前にこのマンションに越してからの念願でしたので、やっとやり終えて大満足です。
部屋の半分の家具を動かしてカーペットをはがしたところと、完成したところの写真です。




さて、遅れております日本旅行の報告を続けたいと思います。

重点的にご報告させていただきますが、奈良地区では、郡山希望チャペル(村山直樹牧師)と奈良ニューホープチャペル(木谷直也牧師)を訪れました。
私たちは木谷先生のお宅に二泊させていただき、ご夫妻から楽しく霊的なお話を沢山聞かせていただきました。木谷先生は神様から賛美の歌を沢山与えられる方で、「タンバリンと踊りで」等は神学校時代に与えられた曲で、本人も知らないうちに日本中の教会で歌われていたそうです。

郡山希望チャペルでの集会には、奈良ニューホープチャペルと奈良ベタニヤ教会(山田静男牧師)の方々も参加しての合同集会でした。この3つの教会はいつも協力しあっているそうです。ワーシップチームも合同で、木谷夫人のピアノや村山先生のドラム(ハワイのニューホープのワーシップチームでドラムをたたいておられたそうです。)等々で、素晴らしい賛美を主に捧げることができました。直也先生のドラム
 

翌日は奈良ニューホープチャペルでの集会でした。この教会では近頃賛美の時に踊ることを始めたそうで、 自由に主の前で踊る人が増えているそうです。そのために前に広くスペースがあけてあります。写真

私たちも大いに踊ったので、踊っているところに写真は撮れませんでした。(笑)
主人はメッセージの後で40歳以下の人たちのためにお祈りをさせていただきました。

今年は例年秋に訪問する沖縄を6月に訪ねました。いつものように宮里サレム教会の島袋先生、伊覇先生、兼城兄弟が出迎えてくださいました。私たちはいつも沖縄ではサレム教会の一階に滞在させていただきますが、今回も日曜礼拝や6回の集会( 家庭集会、祈祷会、聖書研究会)の奉仕を通じて、教会の皆様と素晴らしい交わりをさせていただきました。

サレム教会の砂川兄弟は高校教諭をされていた方ですが、教会での様々な奉仕に励んでおられます。家庭集会のリーダ−をはじめとして、教会の書はすべて兄弟の作品ですし、毎週のお花も彼の創作です。庭の花をたくみに使って大胆な生け花をされます。私たちはそれを見せていただくのを毎年楽しみにしております。
生け花と習字の間の砂川兄弟の写真



又、沖縄滞在中、いつものようにジョイチャペルで集会を持たせていただきました。

大城節子先生と宮平満副牧師です。宮平先生はオレゴン州のポートランド•バイブル•カレッジを今年卒業された方で、私たちがポートランドで親しくしていた英語学校のブショア先生ご夫妻の消息などお聞きすることができました。先生のこれからの主にある沖縄でのご活躍を期待いたします。二人の写真



金武バプテスト教会(横田盛永牧師、聖子副牧師)での礼拝は、父の日スペシャルとして横田先生が三線(さんしん)で琉球賛美を弾いてくださり、みんなで歌いました。主人のメッセージも無事にすんで礼拝が終ったときに沖縄の踊りで勝利の喜びを表すカチャーシーをみんなで踊ることになり、三人のおばあさんに続いて沢山の人が前に出てそれぞれの振りで踊りました。教会 がずっと祈ってきたことに対する答えが与えられて、皆さんが 喜びに満たされ、踊りたいという気持ちで一杯になったそうです。主人も一緒に踊っています。
先生の三線とみんなが踊っているところの写真

(続く)


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01 09月

勝利者となる霊 ポール•キース•デイビス  2009年9月1日


勝利者となる霊

ポール•キース•デイビス

この数週間、正しく2010年を迎えるためには、今年の後半が重要であることを主は強調されました。2009年の後半の六ヶ月に始めることが2010年に起こる多くのことを導き迎え入れることになるからです。

過去数年にわたって預言的に示されてきた真理を、私たちが本当に理解し実行することの大切さを御霊は繰り返し強調されました。御霊は新しい啓示を与えるかわりに、すでに私たちに与えられている預言的政策やアウトラインが実行され適用されるようにと、それらを改めて強調しておられるようです。自分が信じていることと実際にそれを実行して経験していることの間のギャップを縮める必要が私たちにはあるのです。

私は、現在の経済や霊的状況、アメリカの政治的チャレンジに関して主に訊ねましたが、どの質問に対しても「わたしの花嫁を整えなさい」という同じ答えを頂きました。もし花嫁が本当に主が召されているような花嫁になるならば、これらすべての状況に対して語っていく権威を委ねられるでしょう。そして霊的、経済的、政治的状態に影響力を及ぼし始めるでしょう。黙示録2:26—29には次のように宣言されています。

「勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。 彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。 また、彼に明けの明星を与えよう。耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』

今私たちは霊的に成長し勝利者として人生を歩むようにと召されています。私は今まで「勝利者overcomer」に関する記事を多く書いてきましたが、今もう一度私たちがこの召しに応答することに関して書きたいと思います。勝利者には恩恵と祝福が主から与えられ、それこそが私たちに繁栄をもたらし、 時代の必要に応じる能力を得させる奥義なのです。 

歴史上重要な人物というものは、ユニークにそして必要に合うようにその時代に生まれ、よってその時代の必要と問題に答えることができるようにされました。今の時代の目的のために生まれた者たちが勝利者として今こそ台頭し、この時代にその権威を用いる時です。

勝利者となる霊

今日、私たちが実際にこの世で王としての神の権威を示すことによって、神の御国を具体的にデモンストレーションできるという聖書の約束を成就する恵みが私たちに与えられ、現に実行されていることは 大きな励ましです。神のブループリントや計画の中には、 意味深い預言的約束がはっきり示されています。そしてそれらは預言者や聖書によってすでに語られています。何世代にもわたって多くの預言者や予見者が啓示の賜物を用い、聖別された人々によって神が約束されたことが完全に実現する日が来ることを預言してきました。

2000年の教会時代を通して、「時代の霊」と個人的な困難に打ち勝ち、御国に入れられ大いなる霊的祝福を受けた人々に命令と約束が与えれてきました。「勝利を得る者」という人たちは、私たちの敵(彼はしばしば神の計画と目的に似せた偽物を使う)に完全に打ち勝つという特別のデスティニーを持つ人々に与えられる注目すべき(名誉な)称号です。

ですから、「勝利する」という非常に重要な課題は、人が思うほど簡単ではないのです。人には正しいと見える道が最後には破壊に至ることがあります。主がマタイ24章ではっきりと警告されているように、真実なものに非常に似ている一つの宗教が起こり、出来れば選民をも惑わそうとするのです。

サタンの5つ目の「I will」である「いと高き者のようになろう」(イザヤ14章参照)という間違った願望と関連している微妙な偽りから端を発している偽の油注ぎがあります。熱心に宗教的活動をすることとか表面的な形とか美しさを追うこと(それはサタン自身の間違った願望であり、又方法なのですが)が大事であると思わせることによって、神が御民に約束された神のいのちを盗み取ろうという試みなのです。

歴史的に見て教会時代に起こった多くのリバイバルとか御霊の傾注はいつもこのようでした。しかし、今や「勝利者」への報いは、神の御民の「子としての特権」を盗もうとする敵の試みをはっきり見破って、サタンとその偽りに完全に勝利した者たちに与えられる時がきました。

隠されているマナ

私が個人的に特に重要だと思ってきたことは、ペルガモの教会の「勝利者」に与えられ下記の約束です。

「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』(黙示2:17)

新しい名前を受け隠された秘密を知ることは、何か興味をそそられ惹かれるもの があります。それらは賢者や知恵のある者には隠されていますが、主がヨハネ15:15で約束されているように、主の友には自由に与えられるものです。

聖書の中で 新しい名前が与えられた時は、その人の性質が変わり、その人に与えられた特別の任務のために天からの徳が分与されたことを表しています。それと同じように、「隠されているマナ」はこの特権にあずかりたいと熱心に願う人々を霊的に養うために、特別にとっておかれているのです。

勝利者としての資格

今の世代に明らかにされる大いなる啓示の一つに、「勝利を得る者」とされる資格があります。ペンテコステの日以来、教会時代の各時代に託された真理のメッセージがあります。それは真理の御霊がその時代のために与えられるいのちのパンであり、人々は喜んで受けとり経験を通して理解されるべきものでした。

マルチン•ルターの時代におけるその世代へのマナは、信仰義認のメッセージでした。当時民衆は救い主と親しい関係というのではなく宗教の組織に属さねばならないという義務を課せられていたので、彼らにとってこのメッセージは 今まで聞いたことのなかった新鮮な真理でした。

その時代に続いて、ジョン•ウエスレイやジョージ•ホワイトフィールドをはじめてとして多くの者たちから聖化のメッセージがあらわれてきました。それは教会が相続人として持つ霊的特権を発展的に回復して行くのを助けるもう一つのマナが天から与えられたのでした。20世紀初頭には、異言や霊の満たしという聖霊の賜物が伴うカリズマの回復が起こりました。

各世代にいのちのパンが与えられ、そのメッ
22 08月

8月24日から10月17日の間に大変化が起こる チャック・ピアス 8月22日


8月24日から10月17日の間に大変化が起こる

チャック・ピアス



私はフロリダのオーランドで行われた「Let the Eagles Gather−預言者、使徒、とりなし手の国際的集い」というカンファレンスから戻ったばかりですが、集会の朝のワーシップの時に、主が天を開いて次のことを示してくださいました。

新しいアイデンティティーと経済的シフト

新しいシーズンにまさに入ろうとしている今、私たちは自分の新しいアイデンティティーを持つ必要があります。天から光が矢のように差しているのを私は見ます。それはあたかもあなたが歩むための光の道を主が用意されたようです。パワフルな啓示があなたの上にあり、それが動き始めています。信仰によって踏み出してください。そうすればあなたの歩む道が生き生きとしてきて、あなたは今までと違う歩き方をするようになるでしょう。ある人たちはどのように次の一歩を踏み出せばよいかわからないかもしれません。でも私ははっきり言いますが、あなたは新しい道を歩くことができ、人々はあなたが今までと違う歩き方で歩くのを見るようになるのです。

今、敵は、この世のブループリントに従って生きるようにとあなたを誘惑しています。今この世で起こっている様々な(経済的)試煉と不況のニュースに接すると、あなたの心は不信で一杯になるかもしれません。しかし、このような時でもあなたは神の恵みの中に入ることができ、それを見て世の人々があなたに助けを求めてくるほどになるのです。

経済的シフトが8月の終わりまでに起こるのに気をつけていてください。8月24日から10月17日の間に、金融システムに大いなる変化があるでしょう。銀行のシステムの変化はまだ全部完了していないことに注意してください。これから構造的なシフトが加速度を増して起こります。政府機関は人々の見ている前で再編成されて行きます。

あなたのともしびに常に油を用意せよ

主が言われます。「あなたはこの国に敵を入らせ、敵が自分の軍隊の多くを集結するのを許してしまった。あなたは敵が入ってきて、敵の哲学(やり方考え方)とか思考パターンで生きる大勢の人たちが出てくるのを許してきた。だから今、あなたは今までとは違った新しいやり方で活動し集まらねばならない。」

なぜならば、この国に対してのわたしの契約に基づく保護政策はもはや無くなったからだ。わたしの契約であった保護政策はもはや無いのだから、あなたは別の新しい方法で集まり始めねばならない。」(ピアス師注:これはもはやアメリカだけを指しているのではなく、神の御国の民への言葉だと私は思います。)

「わたし、主は、あなたを新しい方法で招集し、集めはじめる。あなたはわたしと共に前進せねばならない。この再編成に抵抗してはならない。今わたしはあなたをもっと高い所に引き上げねばならない。それはあなたがこの世的な目でしか物事を見ていないからだ。わたしはあなたをあたかも鷲が集まってくるように集め、あなたが新しい力とヴィジョンをもって進めるようにせねばならなくなったからだ。

わたしはあなたを河川よりもずっと高いところに引き上げねばならない。なぜならば河川は今どんどんと満ちてきていて、あなたが高いところに上って地球を新しい形で見始めなければ、あなたは自分がいるべきでない場所にいる自分を見いだす結果になってしまうであろう。

あなたが今いる場所に雨が降ってくる。それによって今あなたは高く上げられ、それによって自分の将来への境界線が変って行くのを見る事が出来る。わたしはあなたを流れ落ちる滝よりも高く引き上げる。御言葉の水による洗い清めは、あなたが知っている以上に高いところから流れてくる。

あなたはもっと(わたしに)近づき高く上ってこなければならない。それはあなたをわたしの軍勢とアライン(一致)させねばならないからだ。わたしはあなたを天の軍隊とアラインさせねばならない。天にはわたしの軍隊がいる。わたしがあなたを将来をつくる境界線に送り込む前に、まずあなたがその軍隊とアラインするのをわたしは待っているのだ。わたしはあなたを調え形づくってきた。わたしは将来に向けてあなたを備えるためにあなたを調えてきた。あなたのともしびの油を常に用意しておきなさい。」

これは神があなたを正しい側に(しんがりではなく先頭に)立てるように調える準備のための集会です。将来これが神の御国をあらわすものとなるでしょう。主はあなたの内の深いところに働いておられ、やがてそれをあなたがこの世に現すようにされます。主はご自分が働かれる方法(mode of operation)を今シフトされようとしています。それは、主の様々な知恵を今まで以上に多様に現わすことによって、ご自分の民がより効果的に働けるようにするためです。(終わり)


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17 08月

水がワインに変えられる時  坂 達也  8月17日


水がワインに変えられる時

                                                       坂  達 也

イエスが最初になされた奇跡はカナでの婚礼の宴においてでした。その婚礼には当初からイエスの母が係わり合っていて、イエスとその弟子たちも招かれていました。宴会はたけなわとなりました。しかし用意されていたワインが無くなったのに気が付いたイエスの母はイエスの元に駆け寄り、ただ一言イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と告げました。(ヨハネ2:3)

このお話は色々に解釈出来ると思いますが、一つ私が確信することは、このお話は多分に預言的であることです。冒頭のヨハネ2:1で「三日目に」と言う言葉が書かれておりますが、これが二千年(二日)が過ぎて三千年目に入った今の時代を表していないでしょうか。

私はイエスがされたこの最初の奇跡のお話に昔から大変興味をいだいて参りました。私の著書「キリストの弟子」では、主の再臨の際に天で行われる「小羊の婚姻」のことを踏まえてイエスはこの奇跡をされたのではないかと云う解釈をご紹介しました。
イエスと共に婚礼に招かれたのはヨハネ、アンデレ、ペテロ、ヤコブ、ピリポ、ナタナエルと言う最初の六人の弟子たちであったと考えられますが、この六人の弟子が六つの石のかめとして登場し、彼らは私たち「キリストの花嫁」を代表していると解釈出来ます。つまり、このカナでの婚姻に弟子と共に招かれたイエスは、三千年目に入った時に実現するご自分と「キリストの花嫁」である弟子たちとの婚礼の宴会のことを考えておられたのです。

ですから、母から「ぶどう酒がなくなりました」と告げられた時、イエスは「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」(2:4)と答えられと思うのです。確かにその当時は「イエスご自身の婚姻の時」ではありませんでした。しかし、三日目に入った今こそ「わたしの(婚姻の)時」が近づいて来て、そのためにイエスが弟子と言う水がめに入った水をいよいよワインに変える本番の時が満ちたように思えます。

興味があることに、その時用意された六つの石の水がめに就いては「ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった」(2:6)と説明されており、これは平均的な人間の身体の水分とほぼ同量なのだそうです。六と言う数字は人間を表すと言われますが、その人間の中でも特別に選ばれたキリストの弟子(六つのかめ)に先ず御言葉の水をフルに与えなさいとイエスは命令されました。そのように御言葉で詰まった「イエスの弟子たち」をイエスはワインに変えられるのです。この「新しいワイン」に変えられた人間たちこそが真の「キリストの花嫁」であり、彼らは「新しい皮袋」となって奇跡を起こす力に充満するのです。それは御国のためにイエスが用いられるからです。まさに「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」(1コリント4:20)が実現します。

ここで、カナの婚礼で「用意されていたワインがなくなったこと」の意味について考えてみたいと思います。イエスがこの世に来られ、教会が始まって以来二千年が経ちました。この二千年間は、云ってみれば「人間文明の最盛期」でした。しかし今人間たちが用意し大いに楽しんで来た「この世の」ワインがついに底をついたのです。この世が今、政治・経済だけでなくモラルを含むあらゆる面で末期的症状を呈していることは明らかです。

一方、教会と言う見地から見た場合はどうでしょうか。今までの教会は時折聖霊の油注ぎを受ける(ワインを飲む)ことによって主の御業を行っては来ましたが、いつも油注ぎで満たされている訳ではありませんでした。こうして二千年間「教会」が用意して来たワインは必ずしもイエスによって醸造された純粋なものではなく「人間的要素が混じった」霊的に力の弱いワインであったと云うことが出来ないでしょうか。しかし、ここに至ってそのような未完成で薄められたワインもついに出尽くしたのです。言い換えれば、今までの教会のやって来たことをこれから幾ら努力し続けても、出るべき力が増さないことが明らかになって来たのです。
クリスチャンは自分たち教会のワインが美味しいと思って来たとすれば、本当のイエスのワインがどれだけ美味しいか、その味を知らないのです。

世の終わりに際しこの世を御国に変えるために必要な教会とは、人間的に薄められたワインを飲む弟子たちの集団では用が足りません。これからの教会は内側が完全に「イエスのワイン」のみで満たされる人たちでなければならないのです。


そのワインとは聖霊をあらわしています。イエスによって「水」が「新しいワイン」に変えられた人たちはものすごい爆発的な力を内蔵し、それは聖霊によるものです。「・・・・武力によらず、権力によらず/ただわが霊によって、と万軍の主は言われる。大いなる山よ、お前は何者か/ゼルバベルの前では平らにされる。彼が親石を取り出せば/見事、見事と叫びがあがる。」(ゼカリヤ4:6、7新共同訳)

そしてそれは純粋に主の霊でなければならないのです。そのことがイザヤ11:2、3 で、「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、・・・」と書かれている通りです。私たちは、イエスの霊で完全に満たされる器、つまりイエスそのものに変えられなければなりません。

最近の一週間、このようなことに思いめぐらしている中で、数日前ですが8月14日の午前二時近くに私は主に起こされました。そしてひざまずくと主は既に上記に述べたことへの多くの確認を下さり、又、次のような啓示を受けました。今その時書いたノートのメモを見ますと、

「ワインは葡萄の実を潰して成熟させたもの。御言葉と言う水は私たちの体内でその葡萄の実の成熟したもののように変えられなければならない。・・・良いワインとは人のため、人が飲んで喜ぶもの、私たち花嫁は、キリストが賞味して喜ばれるものにならなければならない。」

「人間のやり方では最後は破綻する。唯一成功するのは神のキリストのやり方だけ。目標- 成熟 ―イエスによってイエスのようになること ―完成」

「真の婚姻の時は近づい
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