22 11月
日本は揺すぶられている
坂 達 也
先月の半ば過ぎでしたが、私たち夫婦は、私の姉の危篤の知らせを受けて、急遽日本に飛びました。残念なことに、到着した時には既に姉は天に召されており(二年前に私たちの前で信仰告白をしておりました)、結果的にはその葬儀に参列することになりました。
姉の夫は大部前に仏教徒として病死していると言う理由で、嫁ぎ先の遺族は仏式の葬儀を主張していたので、私たちの希望した教会での葬儀は叶えられませんでしたが、その代わり、久し振りに仏式の葬儀に参加して少々驚いたことがあります。
と言いますのは、昔と違って今は葬儀業界という大きなビジネスが存在し、複数の業者がそれぞれ立派な教会並みの建物を建て、僧侶の手配から、斎場を含むすべての儀式、加えて送迎から会食まで一貫して請け負うという「葬儀業」が、私の郷里のような地方の田舎町ですら競われる時代になっていることを今回つぶさに経験したことです。
特に彼らによる葬儀で著しいこと(感心したこと)は、弁が立つ立派な一人の司会者が立ち、儀式の進行を丁寧に紹介し、ご焼香の仕方から、手を合わせて何を念ずるか、又、お経を読み、鐘や太鼓、木魚をたたく僧侶をうやうやしくまつり上げ、僧侶とそのお経のありがたさを強調し、この読教によって故人が冥土でいかに祝福されるかを実にうまく解説することでした。
私の印象では、仏式においてもこれだけの説明付きの儀式がなされると、会衆は皆仏教の葬儀の良さ、ひいては自分たちも同じように葬られ、先祖家族の待っている冥土に安心して行ける、死ぬことは怖くない、という見事な錯覚に陥り、多くの人はありがたい気持ちで帰路に着くと言うことでした。ある意味では、クリスチャンの儀式に参列するのと同じぐらいの「宗教的説得力」があると思いました。商売となると、仏教であっても、実に「売り込み」上手になるものだと感心した次第です。そして恐ろしさすら感じたことは、このやり方では、本当の神を知らない多勢の人たちを「広い門」からコンベア・ベルトに乗せて、滅びへの「広い道」をまっしぐらに大量に運び込むという悪魔の巧妙な惑わしの手口でした。
そう思った時に、日本でのクリスチャン宣教の難しさを今更のように感じました。特に日本ではキリスト教の宣教そのものが実に「狭き門」であり、又、実際に多くの場合、一人ずつ未信者の手を取りながら険しい狭い道を共に歩いて導かねばならない、その貴重な「狭き門」のミニストリーにおける労苦と忍耐は並々ならぬものであることを改めて思い知らされました。
葬儀を終えた私たちは、次に念願の東北の被災地を訪問しました。先ずは娘がボランティヤとしてこの五月から奉仕している仙台近郷の利府という所にあるオアシスチャペル(松田牧人牧師)-森郷キャンプ場に到着し、そこで3日間お世話になりながら、南三陸を含む被災の現場のいくつかを見ることが出来ました。
それにつけても、3月11日の東日本大震災の現場に立つた時に、ヘブル書12:26-29に書かれている「あの時には、御声が地を震わせた。しかし今は、約束して言われた、『わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう』。この『もう一度』という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である。」(口語訳)という御言葉が私の心から離れませんでした。
「あの時」とは、イスラエルの民が最初に神に引き合わされ律法をいただいたシナイ山での出来事を指しています。そして「もう一度」とは、直接的には、シオンの山に降り立つキリストの再臨の時ですが、広い意味では、キリストが最初に地上に現れた時から再臨までの間の期間であり、特に再臨が迫った終末の時を指すと考えられます。その神が、「わたしはもう一度、地ばかりでなく天をも震わそう」と言われるのですから、神が震わされる以上、神はそうする目的があり、それがたとえ「さばき」の一つの形であっても、神は良い(正しい)目的のためにことをなされます。その目的が「震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれ」最終的に「震われない御国」を築くことにあると書かれています。
私は終末時に起こる神のこの「震わし」は、日本のこの東日本大震災が、大きく地を揺るがす世界で最初の地震であると言う気がしております。そしてその目的は、神が日本を愛するがゆえに、他国に先立って日本人の足元を根底から揺るがしておられると信じます。今回私たちは、日本で震度4前後の地震を福島、東京、沖縄で三度経験し、本当に日本が揺すぶられていることを実感しました。
人間は、自分が立っておられないほど強く足元を震わされると、誰しも恐れと不安をいだきます。特に自分のやってきたことに自信があり、自分が築き上げてきた富と名誉と体制(伝統)にのみ頼って生きてきた人の足元の根底がぐらつく時、その人は恐らく自分の価値観と存在理由に今までにない不安を覚えるのではないでしょうか。
今世界の政治と経済が根本から揺れ動き、モラルの退廃が来るところまで来たと思わない人はいないと思います。人間のやって来たことの総決算として、特に神なしで築き上げてきた「バベルの塔」が大きく震われ始め、崩れ去ろうとしています。しかし、これは神がなさっていることであり、これこそは、人間が創造者の神の存在に気付くために必要な最低条件であると思います。
正直なところ、日本に深く根を下ろして来た神道とか仏教の体制と惑わしの「あの世」観を破壊し、人々をその呪縛から解放するためにはこれしかない、すなわち、天も地も激しく揺れ動かすことによって人間を震い上がらせ、その無知と高慢を根底から砕くことが必要であると私は確信しました。この神の御声による天地のゆさぶりは、これからも益々激しくなって行くでしょう。もっと大きな地震が来るでしょう。そして、それでも分らない人たちには、最後の「火のさばき」がキリストの再臨と共にやって来ることが黙示録に克明に書かれています。
今回の旅行で私たちは、被災地と悲惨な状態に置かれている被災者の姿の一端を垣間見ることができましたが、特に家を失くされた被災者の方々が無責任に造られたひどい仮設住宅に押し込められている状態を見て、日本国民を代表する政府のすることがこれだけでしかなかったのかと言う憤りに近い悲しい思いを持ちました。しかし、神が敢えてそれを許した理由は、私たちクリスチャンが、この不安と悲しみに絶望する多くの被災民に愛の救いの手を差し伸べる時が来たこと、それも二度とない大きな機会であることを感じさせるためであると思いました。
多くの人たちが世界から集まって復興への援助の手を差し伸べ、又、多くの信仰の貴重な働き手が、今も日夜被災地での伝道にたずさわっておられますが、その数は未だ限られており、宣教の働きは本当にこれからなされなければならないことを実感しました。
勿論、私たちの宣教の使命は東北の被災地だけではありません。日本のすべての場所で、同じように迫り来る終末の最後のチャンスを逃すことなく、最大の努力がなされねばなりません。
リバイバルはどのような形で来るのか
10月18日にジェフ・ジェンセン師の記事を紹介しましたが、それによると今30歳になっているか、なろうとしている若者たちが、これから起こる世界的規模のリバイバルに大いに用いられることが預言されております。
今までに起こった最も大きなリバイバルの一つは、英国ウエールズ地方で1904年に起こったリバイバルと言われております。その時に神が用いたのはエバン・ロバーツという20台半ばの青年で、彼を助けたのが何とティーン・エイジャーと子どもたちであったと言われますから、神がこれからもロバーツのようなへりくだった若い青年を用いるのはよく理解できます。
しかし、このジェンセン師の預言を読まれた方々のとっさの感想は、恐らく私と同じで、その年代より年を取ったクリスチャンを神は用いられないのかという疑問であると思います。
言うまでもありませんが、そのリバイバルのきっかけを担当する若い年代のクリスチャンを霊的に育て上げ、助けるのは、他でもなく私たち中・高年のクリスチャンです。その意味では今30歳のクリスチャンと私たち高年者は一体で主にあっての同労者です。特に、物凄い数の新しいクリスチャンが生まれて来る時に、そのおびただしい数のベービー・クリスチャンの面倒を誰かが看なければなりません。しかし、今の全クリスチャンのうちの、本当に霊的な面倒がみられるマチュアーなクリスチャンの数は限られており、迫り来る大リバイバルへの充分な対応はとても出来ないとリック・ジョイナー師は指摘しています。
私は、神が今まで一方的に起こされた種々のリバイバルと同じように、これから最も大きなリバイバルが起こされるという預言を確かに信じるだけでなく、それを大いに期待します。確かに使徒行伝には、一日に三千人、五千人の未信者が救われたことが書かれています。それにたずさわった使徒たちもイエスに心から献身した若い青年たちでした。
しかしその聖霊が起こされた一大リバイバルを経験したペテロ、ヨハネ、パウロたちの書いたものを読んで分かることは、彼らにはリバイバルが来るという浮ついた考えはみじんもなく、彼らの終末に生きるクリスチャンへのメッセージは非常に厳しいものであると言うことです。彼らは、キリスト者が罪から遠ざかり、聖く生きて、どこまでも、いや、殉教の死にまでも主と聖霊に従って生きる必要性だけを強調し戒めています。それはパウロが自らを「今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。」(2テモテ4:6)と言っている通りです。キリストの使徒たちは全く自分に死んで、主に仕えました。それ以外の何物でもありませんでした。
エバン・ロバーツは若いながらもそのような主の器でした。主に自分の命を捧げて従い通す第二第三のロバーツを主は今求めているのです。そのことこそが新約聖書において最も強調されているだけでなく、旧約聖書でもイザヤが預言しています。(イザヤ書66:2)
「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」
この一点に関しては年齢に関係がないと思います。主は常にそのような「キリスト者」を求めており、そのような人が特にこれからの時代に用いられることは明白です。
そのために、今神はクリスチャンをこそ、信仰の根底から震おうとしておられます。「震われないものが残るために、震われるものが取り除かれ」る時が来るからです。いや、既に来ているのです。そして、そのように主のためにのみ生きるクリスチャンからは、最終的に肉のものがみな廃れ、「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず/月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となり/あなたの神があなたの輝きとなられる。」(イザヤ 60:19 新共同訳)とあるように、物としての光すら取り除かれ、神の霊的な光のみがあなたを照らし、その光があなたから光り輝く時が来ようとしているのです。
震われないものとされたあなたが未信者に接する時に、神を知らないその人たちが、あなたから神の光が輝いているのを見て、神を信じるようになる時が本当に来るのです。それはリバイバルが起こる起こらないに関係ありません。私たちがどこに行こうと、その行く先々で私たちが未信者に親しくリーチアウトする時に、相手があなたにキリストを見て信じる、そのような宣教の実が間も無くどんどん起こるようになることを期待したいと思います。(終わり)
03 11月
純粋なワーシップの価値
ウエイド・テイラー
真のワーシップは、聖霊によって生まれ聖霊によって導かれます。 今まで一度も一緒に集まったことのないクリスチャンたちが、美しいハーモニーでワーシップし、人々を天の礼拝者たちのもとへといざなう時、それを見た人は彼らはもう何年も一緒に集会をしているのだろうと思うかもしれません。
このようなワーシップの流れを生み出すのは、習得した能力の結果ではなく、彼らが主の臨在を尊び、主の臨在に応答しているからであり、 人々の霊を高揚させる聖霊の力が働く結果です。
純粋なワーシップは、人々を一つにし、その一致の故に 美しいハーモニーと豊かな表現で人々を高揚させる力を聖霊は人々に分け与えるのです。その時、天が開いて主の臨在が会衆の上に注がれます。またワーシップは、 それが必要とされる時と場合に応じて、 この世の主権や悪霊が働くのを阻んで人々が霊的に解放されるのを助けます。
私たちのワーシップは、クリスチャンの集会に啓示の御霊をもたらします。 ワーシップする者たちの上に油注ぎや聖霊の高揚させる力を解き放ちます。主の臨在に応答するとき、私たちは更に清くされ、更に御霊のそそぎを経験し、預言的啓示を受け取ります。
歌うワーシップにおいて、美しいハーモニーで全員が歌の流れを生み出す能力は、実は私たちが救いを体験した時に 主への礼拝(ワーシップ)を表現する預言的能力を受け取ったという事と関係があるのです。この「ワーシップの霊」は私たち一人ひとりの奥深くにあって、表現する機会を待っているのです。私たちが主をワーシップし始めるのに必要なものは、それにふさわしい霊的空気といくらかの励ましだけです。
「ワーシップ」とは、 純粋な主への敬慕の表現であり、主の臨在の中に留まりたいという私たちの願いをますます強くします。ワーシップは私たちが主の臨在に対して敏感になり、主の御声を察知できるようになる鍵です。 主へのワーシップを忠実に表していくならば、私たちはどんどんと 内住の主の臨在に敏感になり、主の御声をもっと容易く聞き分けられるようになります。声に出してするワーシップは私たちの中にある霊性を成長させるために大変役に立ちます。
「プレイズ 賛美」は主がしてくださったことに対する感謝の表現です。礼拝で用いられるドラムは私たちの魂をかき立てるので会衆は興奮して大声を出します。しかし、私たちがワーシップの状態になり静かになった時には、聖霊ご自身がワーシッパー(礼拝する者)を通してワーシップされるのです。そして美しいハーモニーのワーシップの表現が、 もっと高い主の臨在の霊的領域へと会衆を高めていきます。これはドラムのビートがあっては不可能なことです。
この「ビート」は私たちを「プレイズ」に引き降ろしてしまいますが、一方、純粋なワーシップは 天の聖歌隊の永遠のワーシップとの合体へと私たちを高めます。サタンはこのことを知っていますが、残念ながらワーシップリーダーで知っている人はほとんどいません。
キリストのからだの中には、 様々なレベルの沢山のワーシップの表現があります。 初めてフル・ゴスペルの集会に行ったとき、私は大きな音のプレイズが気になってそこを出たいという思いにかられました。私は「祝福ある静けさ」はよく分かっていたのですが、会衆全員が 解放されて大声で歌いワーシップしているのを聞くのは初めてだったのです。しかし今は、その時主が私をコントロールしてその場に留まるようにしてくださったことを永遠に感謝しています。そして時間はかかりましたが、私もそのように同じ霊的自由と表現をもってワーシップすることができるようになりました。
モーセも主の臨在を知り尊んでいました。
すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」それでモーセは申し上げた。「もしあなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」出エジプト33:14−15
モーセは主の臨在が自分と共にあることを激しく求め ましたが、それはただその時にたまたま起こった感情ではありませんでした。彼の回りに起こる様々な状況や出来事が、主の臨在を熱心に求めさせたのです。
モーセは「エジプト人のあらゆる学問を教えこまれ、ことばにもわざにもちからがありました。」(使徒7:22)しかし、彼はエジプトであやまちを犯し、荒野に逃げました。 そこで義父イテロの羊を飼っているとき、神の山に向かっていくことによって自分の人生への神の召しを追い求めたのでした。彼は遠く道をはずれたところに燃えているのに燃え尽きない柴に気づきました。
すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は燃え尽きなかった。出エジプト3:2
モーセは燃える柴に気がつくと直ぐに「あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。(3節)」と言いました。彼は主からの招きに素早く応答したのです。これはモーセの内に主の臨在への願望があったこと、そして主の臨在に対する応答があったことを示しています。
モーセは主の山にむかって歩いてはいましたが、主が現れた柴はモーセが歩いていた道から遠く道をはずれていた(distance to the side)ことに目を留めてください。これは主が人々からご自分を求められたいと願っておられるからです。主は私たちが主の臨在を願い求めることを示す応答を求めておられるのです。主は、私たちの側から主の臨在を真に求めていることはっきり意思表示をする行動を取るときに、 ご自分を顕してくださることを選ばれるのです。
このような主の臨在に対する「霊の態度」は、簡単に持てるものではありません。それは懸命に養い求めていかねばなりません。ワーシップはこの霊的敏感さと主の臨在に対する態度を発達させる鍵なのです。
「モーセは言った。『何故柴が燃えていないのか。あちらへ行って(I will now turn aside)この大いなる光景を見ることにしよう。』主は彼が横切って(turned aside)見に来るのを御覧になった。神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ。』と仰せられた。彼は『はい。ここにおります.』と答えた。(出エジプト3:3、4))モーセは神に関するもの(神の山)にむかって進もうとしていましたが、 主の臨在を心から求めていたので、この超自然的な現象に進んで応答したのです。 その時は何が起こっているのかを理解してはいませんでしたが、彼は主の御声に従順に従ったのです。
私たちは皆、私たちを取り巻くこの世の環境に左右されます。その結果、地上の事柄に関しての敏感さを、程度の差はありますがそれぞれが持つようになります。そして、私たちが「ボーン・アゲイン」した時、永遠の事柄を知り、それに応答する力を受け取ります。 自分が 「新しく造られた者」となったこと、新しい人生のもっと高度な霊的領域に入ったことを、内なる聖霊よって理解するのです。
主 はこの世のものを立て上げるだけではなく、私たちを霊的なものへと手引きしたいと思っておられます。このことを深く理解するならば、私たちは価値の低いものの「道からそれて」、 主の御声と臨在にますます敏感になり、永遠のものに目を向けそれに集中するようになるのです。
現在のアメリカの霊的状態は低いので、私たちのワーシップの質を高めることは急を要しています。集会の中に主の臨在が増し加わるとき、霊的に飢え渇いている人たちが主の臨在の顕れに引き寄せられて、私たちと共に主をワーシップするために「道からそれて」来ることでしょう。主の臨在は真に霊的に餓え渇いている者を引き寄せるのです。
聖書学校時代に、私は先生の一人であったウオルター・ビュートラー師から非常に重要な霊的法則を学びました。それはとてもシンプルでありながら、とても奥深いものでした。先生は「主はご自分の存在を心から喜び感謝するもの(appreciate)を心から喜び感謝される」といわれました。これは別に特別のことには見えないかもしれませんが、主が大切にされている御思いを表しています。 私たちは皆、人から喜ばれ感謝されたいと思っていますが、主もご自分が喜ばれ感謝されることをユニークに喜ばれ感謝されるのです。主は主を喜び感謝する者にご自分の臨在を与えられるのです。そして ワーシップを通してそれを表す者に対しては特にそうされるのです。
これが意味するところは、主が私たちの集会で何か特別に働かれたり、主の臨在で私たちを祝福してくださる時には、私たちは主の臨在を喜び楽しんだ後で、 「主よ、あなたはここにおられます。私たちはあなたがここにおられることを知っていること、そしてそれが本当にうれしいことをあなたに知っていただきたいのです。」と十分にお伝えせねばならないということです。
私たちの音楽やワーシップ、私たちが集会でするすべてのことは、主の明らかな臨在という次元に入ることを目的としているべきです。私たちは主の臨在に対する敏感さを養うべきであり、それによって主の臨在を認識することができるようになり、いつ「道からそれて」純粋なワーシップの声を高く上げればよいかを感知することができるのです。
モーセが燃える柴の中の主の臨在に応答して「道からそれた」とき、主は彼に語られ、主の民を奴隷から解放するための導きを与えられました。そしてモーセが民を乳と蜜の流れる土地へと導ける力を与えられたのです。
私たちのワーシップの価値は、私たちが考えるよりずっと大きいのです。私たちがワーシップするとき主が介入してくださり、私たちのために働いてくださるのです。そして主は天のワーシップを導く天の聖歌隊を大勢持っておられるにも拘わらず、私たちのプレイズとワーシップに応答し、その中に住んでくださるのです。
「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるのです。」ヨハネ4:23
(終わり)
17 10月
30年前の預言の実現
ジェフ・ジェンセン
ボブ・ジョーンズの1979年のヴィジョン
私たちが皆、すでに気づいているように、今は地上の国々が大きく揺れ動いている時です。未来への明確な判断ができないので、 不安感と緊張感が漂っています。それと同時に私たちは今、 霊的に最も重要で画期的pivotalなシーズンに入っています。皆が霊的断層のプレートが複数のレベルで、リバイバルなどの新しいシーズンへと今にも激しく動き出すのを感じています。緊張が大きければ大きいほど、そこには大きな力が蓄積されており、それが爆発します。
さて、私たちが今どのような時にいるのかを計る預言的メーターが、信頼できる預言者を通してすでに与えられています。そして常に変らず最も信頼できる預言者の一人は ボブ・ジョーンズであり、それには議論の余地のないところです。もう何十年間にも渡り、ボブ・ジョーンズは主からの言葉を、教会や都市、地域、 リーダー、そして世界に向け細部に至まで正確に主のみことばを伝えてきました。ここにボブの30年前の預言があり、それが今実現しようとしています。これは多くの人々を奮起させるものであり、私たちがこの預言に耳を傾け、理解することは今最も重要かつ緊急なことであると感じます。
1979年1月、主はボブをヴィジョンで「時の砂」と呼ばれる海辺に連れていかれました。ボブはその時代を代表するような偉大なリーダー、使徒、預言者たちがそこにいるのを見ました。彼らは砂の中に手を突っ込んで、古い靴の箱のように見えるものを掘り出していました。 彼らは次々にそうしながら「今がその時ですか?約束は今のためですか?」と言っているのがボブに聞こえました。しかし、彼らの箱には何も入っていませんでした。約束は彼らの世代のためではなかったからです。
すると主がボブに「時の砂」の中に手をいれて箱を掘り出すように言われました。ボブは「主よ、(他の預言者たちの)どの箱も空っぽです。」と言いましたが、主は兎に角開けてみなさいと言われました。ボブが彼の箱を開けると、驚いたことには、中には招集状(複数)が入っていました。そこには「ご挨拶 あなたは神の軍隊に招聘されました。」と書かれていました。主がボブに言われました。
「わたしは、郵便の切手代が20セントになったときに、これらの手紙をわたしのリーダーたちに送りはじめます。」ボブがこのヴィジョンを見た時、郵便切手は11セントに値上がりしたばかりで、又値上がりあるなどとは誰も思いもしなかったのです。しかし、1981年10月13日に切手は20セントになったのです。主が言われました。
「妊られて今胎にいるもの、又9ヶ月前に妊られたもの(今生まれようとしている者)はまさに神の軍隊です。
最初に産まれて来る者たちはリーダーであり、二番目の者たちは、何ものによっても止められることのない偉大な軍隊となるでしょう。彼らが成人したとき、わたしは彼らに力を授け始めます。わたしは天にあるわたしの兵器倉のもので彼らを武装します。彼らが望むどのような賜物をもわたしは決して否みません。彼らは文字通り神の倉庫を地上に引き下ろします。彼らは敵を全く恐れません。彼らは今まで起こった何にもまして、わたしに栄光を与えます。彼らはわたしの聖さとあわれみにおいてわたしを表すものとなるでしょう。」
成人になる年齢
2011年10月13日は、その日から丁度30年目に当たります。30という年齢は十分成熟した大人の年齢を表します。イエスが公的生活を始めようとされていた時、主はヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川に行かれました。私たちは聖書にはっきりと書かれているように、イエスが「神のことば」であることを知っています。
「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。———この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」ヨハネ1;1、10、11
イエスは成長されるとき、神と人から愛されました。主は成人されるまでは母親とヨセフに従いました。主は神の御子でしたが、人から指導を受けておられ、ご自分の保護者に従われました。「Son 息子」という言葉はギリシャ語で「Teknon」と言い、丁度親と子のように、愛と友情と信頼の帯で結ばれた人間の 関係を表す言葉です。これは保護者や助け手、 先生が愛をこめて「私の子よ」と呼ぶときに使います。生徒や弟子たちは先生の「子供」と言われます。それは先生の指導によって彼らの心が養われ、人格が形造られるからです。
ガリラヤの結婚式でのイエスと母マリアとの関係はこれでした。ワインがなくなった時、母マリアはイエスに助けを求めました。主ははっきりと今はまだその時ではないと言われました。マリアは、イエスがこの世に顕される時がせまっていることを悟り、しもべらに「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」と告げました。しもべが聞き従うべき言葉は、最早マリアの言葉ではなかったのです。そしてこれがイエスの公的ミニストリーの始まりでした。しかし主が公的ミニストリーに入る前に、先ず「Son 息子」として成人する必要がありました。
「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、霊が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」マルコ1:9−11
ここで「あなたはわたしの愛する子 You are My Beloved Son」と言われている 「Son」という言葉は、ギリシャ語で「Huios」といい、これは「成熟した、成長した」という意味です。イエスがヨルダン川に降りたときは「神のことば」としてでしたが、まだ「Teknon」の息子、子供としてでした。バプテスマを受けて水から上がられると、ヨハネは天が裂け聖霊が鳩のようにイエスに降り留まられるのを見ました。そして天から声がして「あなたはわたしの愛する子(Huios 成熟した子)わたしの心に適う者」と言ったのです。
終末の神の軍隊は今のシーズンに成熟し、史上最大のリバイバルのために準備されています。イエスがされたように、彼らは御ことばと聖霊によってバプテスマを受けて「成人する年齢」になろうとしているのです。主は神のことばとしてヨルダン川でバプテスマを受けるために入り、そこから上がったときには神の御霊が主を満たし、主はその日、成熟した神の子、Huiosとなったのです。御ことばと御霊が一つとなったのです。私たちは今までにもすばらしい神のムーブを経験し、それによって町、州、地域、或いは国さえも影響を受けるのを見てきました。しかし地上に成熟した子どもたちの家族が現れ、それは栄光ある世代となり神の御ことばと御霊に満たされていて、この世に終末の偉大なリバイバル―それは世界が未だかって見たことがない程の―をもたらすのです。
スミス・ウイグルワースの1947年の預言
1947年にスミス・ウイグルワースは、 御言葉と御霊が共に一つとなるとき、その世代のクリスチャンを通して偉大なリバイバルが起こると預言しました。以下がその全文です。
「これからの数十年間に、二つのはっきりした聖霊のムーブがイギリスの教会で起こるでしょう。最初のムーブは、それを受け取る用意のあるすべての教会に影響を与え、その特徴は「聖霊のバプテスマと賜物の回復」でしょう。第二の聖霊のムーブは、人々を既存の歴史のある教会から離れさせ、新しい教会を興すようにさせるでしょう。この二つのムーブの期間、それに関与した人々は『これは偉大なリバイバルだ』というでしょう。しかし主は『いや、これは二つとも偉大なリバイバルではなく、単に偉大なリバイバルへのステップにすぎない』といわれます。
「新しい教会をつくる」という動きが弱まっていくとき、以前にはなかった何かが教会の中に現れます。それは御ことばを強調する者たちと御霊を強調する者たちが一つになることです。
「御ことばと御霊が一つとなるとき、今までこの国、そして世界が見たこともないような最大の聖霊のムーブメントが起こるでしょう。それが、この国で以前起こったウエスレーやウエールズのリバイバルさえも遙に凌駕するリバイバルの始まりとなるでしょう。神の御霊の傾注は、イギリスから ヨーロッパ大陸へと溢れ流れ、そこから地の果てまでの宣教活動が始まるでしょう。」
スミス・ウイグルワースは1947年にこの預言をしました。その時以来、私たちは多くのすばらしいリバイバルや神のムーブを見てきました。しかし、この次に来る神のムーブは、 御ことばと御霊において成熟した終末の神の軍隊の中に、またそれを通して、神の御臨在そのものが顕れ注ぎ出されるものとなると私は信じています。それは世界規模の収穫となり、世界的リバイバルとなり、かつてなかった大々的な魂の救い、奇跡、いやし、しるしと奇跡が起こるでしょう。私たちは今まで見た事もなかったような規模で天が地上に解き放たれるのを見るようにと備えられているのです。何百万人という人たちが、神の栄光が超自然的爆発的に顕れることを通してキリストの下に来て、その中から収穫する者の収穫が起こるでしょう。私たちは新しい事が起こるシーズンに入っていて、今こそ敵に恐れられる将軍たちの軍隊が立ち上がり顕れる時です。教会は今、目を覚ましはじめました。今は終末の神の軍隊が立ち上がる時です!(終わり)
Jeff Jansen
Global Fire Ministries International
10 10月
Sid Roth interviews Chuck Pierce
最近、シッド・ロス師(S)が自分の番組にチャック・ピアース師(C)を招いてインタビューした時の会話です。
S:私がチャック師と初めて会ったのは、15年前にイスラエルで行われたリーダーのための集会に於いてでしたが、私は彼の預言の正確さに深く感銘しました。彼は預言者です。彼は私のことは何も知りませんでしたので、私が悩み苦しんでいることなど知りませんでした。私は神から新しい啓示を与えられて、その 啓示をいたるところで話していたのですが、それは最悪の抵抗、反対をもって迎えられました。私はイスラエルでチャック氏がゲスト・スピーカーである集会に行きました。私が席に座ると、チャックさん、あなたが私に話されたのですが、一番最初の言葉が何であったか覚えておられますか?
C:覚えています。私はあなたを見たとき、あなたが何で悩み苦しんでいるのかがわかりました。そして、神がキリストのからだを全く新しい思考の領域へと導くために、すばらしい計画をあなたのために持っておられることを知りました。
S:あなたは「新しい一人のひと、One New Man」という言葉を私に言われましたね。
C:全くその通りです。
S:私は本当に励まされ勇気を与えられました。あなたは私に「あなたは一人の新しい人をもたらすのです。」と言われました。初めてお会いしたとき、あなたが 本物の真の預言の賜物を持っていることがわかりました。預言の賜物がどのようにあなたに与えられたのかもお聞きしたいのですが、その前に、2005年にアメリカ大統領に関する預言の言葉を聞かれたそうですが、どういう言葉だったのですか? これはちゃんと記録されているということで、そのことが起こった後で言ったことではないのですね。
C:私はダッチ・シーツ師と二人でアメリカの全州を回っていましたが、アラバマ州バーミンバム、モントゴメリーと移動していました。モントゴメリーの教会で、神の御霊が「次の大統領はアフロ・アメリカン、黒人であると預言しなさい。」と言われたので、私はそう預言しました。
S:それはとても勇気のいることでしたね。
C:本当にそうでした。それだけはっきりと言うのは勇気がいりました。2008年(大統領選挙の年)になればそれが真実かどうかは明らかになることでしたから。
S:そればかりでなく、あなたは黒人が大統領になってアメリカの奴隷制度ののろいは無効になるということも知りました。しかし、そののろいの根本的な根は処理されないまま残るということでしたね。それはどういう意味があるのでしょうか。
C:のろいの基本的な根が解決されないまま残されると、それが伸びてきて普通私たちが考えるような実ではなく、異質な実がなるということです。根はどんどん活発になるのです。あらゆる奴隷制度の根は反ユダヤ主義から来ています。即ち、マモンの概念と結びついているのです。私が見たのは、神はアメリカをこれまで分裂させてきた奴隷制度は取り扱われますが、しかし反ユダヤ主義という根が、3年以内(主が私にそのように見せてくださったと思いますが)に立ち上がり始めるのです。
S:ちょっとここで、預言者がどのように立てられるのかをお聞きしたいと思います。あなたは 衰弱して入院していたときに、となりのベッドにペンテコステの牧師がいたそうですね。それは全く神が計ったことですね。(笑い)
C:それは私が18歳の時でしたが、本当に神の時でした。その牧師は私の知らなかった方を紹介してくださいました。聖霊です。聖霊は私を退院させ、3日間私を訪れてくださいました。
S:その3日間で2つの大きなことがなされましたね。最初に起こったことは何でしたか?
C:まず初めに、聖霊は私に聖書を読むようにと言われました。聖霊がそこにおられましたから聖霊によって私は聖書に惹き付けられました。私は創世記を読み始めましたが、創世記を読めば、契約という問題を知りそれを理解せざるをえません。聖霊が共おられ、 私を根底から変え、御ことばを用いてイスラエルの神と契約について理解をさせてくださったのです。イスラエルの神が私を訪れてくださったと思います。イエス・キリストの父なる神の御霊が私を訪れ、イスラエルの神を啓示してくださったのだと思います。私がイスラエルについて理解し始めたとき、ミュンヘンでオリンピックが開催されていましたが、そこで反ユダヤの事件が勃発しました。私のイスラエルに関する理解は深まって行きました。
S:聖霊とのものすごい出会いによって、第一にイスラエルに関する啓示が与えられたのですね。そしてあなたは聖霊に満たされて預言するようになりました。2008年にオバマ大統領に関する言葉をあなたは神から受けましたね。3年以内にアメリカを大きく変えていくことを大統領がするということですね。
C:それは彼が民主党の大統領候補者として選ばれるまだ前だったのです。(私は神からの言葉で分かっていましたが)「アメリカを分裂させていた人種問題はよくなるけれど、それによってかえって悪くなる事柄がある、というのは私たちはもっと深い根の問題を取り扱わねばならなくなり、反ユダヤ主義が表面にあらわれてくる。」と神は言われました。神は私の霊を捉え上げられて、すごいヴィジョンを見せてくださいました。それはリバティー公園で1500人ほどの大きな集会をしている時だったのですが、私はゲスト・スピーカーでした。神は私にそれからの3年間に起こることを見せ、アメリカがどのようにイスラエルと一致するかどうかによって、神はアメリカをどのように見られるかを決められることを教えてくださいました。
S:それが2011年5月にオバマ大統領が、イスラエルは1967年時点の国境まで退去せねばならないといったことですね。そのときに目に見えない領域でアメリカに何が起こったのでしょうか。
C:神は霊的にアメリカを1967年の時点に戻すということです。人種差別の問題もその時点まで戻されるのです。勿論それは現在の世の中で起こりますから、1967年に顕れたようには見えないのですが、アメリカが今までに戦い取って来た悪魔的な人種差別の問題と又戦い、自由のために戦わねばならない羽目になるのです。すべての国の契約はイスラエルとの関係を中心にして動いています。もし1967年の時点までイスラエルにもどれというならば、そう言う国もその時点まで戻るのです。
S:オバマ大統領が5月にそのような発言をした後に起こったことは、発言と関係があるのでしょうか? ミズリー州ジョプリンは、この70年間で最も死者を出した竜巻に襲われました。
C:ミズリー州とアラバマ州がすごい竜巻に襲われました。アラバマ州に先週行っていましたが、400人の死者を出しました。ジョプリンは街全体がなくなってしまいました。関係があります。神は風を支配されている方です。大自然の災害を起されました。聖書的に言えば預言的に言って、風は敵に支配された逆風の時もあり、又神によって送られることもあります。敵のストラクチャーがこの地に来たと私は思います。今、神が私たちの願っておられることは、私たちが神の契約と一致して、この地の契約をイスラエルの神と一致させることだと思います。
聖書には、もし私たちが神の声に聞き従わないならば、神は私たちの注意を引くように語られることが出来ることが書かれています。
S:イスラエルがエジプトで奴隷であったときに、災害がエジプト人を襲ったときにも、イスラエル人は災害に合わずにすんだように、私たちも神の守りの中にいることができます。これから起ころうとしている混乱期に守られる方法があります。チャック師はこれからの5年間にアメリカで起こることを見ました。私はずっとマタイ25章に書いてあることに興味を持って来ました。そこには羊とやぎが分けられることが書いてあります。やぎの国と羊の国があるということです。やぎの国は勝手気ままに行動し、羊の国は羊飼いに従います。マタイ25:40に、私たちがやぎの国になってしまう一つの罪が書かれています。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」一つ質問があります。アメリカの各州の間でいろいろな意見の相違があります。州によって神の取り扱いが異なることがあるのでしょうか。
C:神は回復の神だと信じます。もともとのご自分の契約の計画に回復させようと思っておられます。「地とそれに満ちているものは、主のもの」なのです。神は天の祝福が地の祝福と一致するように願っておられます。神はもともと計画された園を地上に作りたいと思っておられます。けれどもその最中に人間は神に反抗するのです。アメリカにおいて本当に問題になるのは、それぞれの州がイスラエルとどのような関係になるかということだと思います。
国としてイスラエルとどのような関係を持つかだけではなく、それぞれの州がイスラエルとの関係に基づいて祝福を受けるようになり、それが明らかになってきます。例えばテキサス州の経済は今発展しています。テキサスはイスラエルと一致する宣言をしています。テキサスの経済が他の州と違う道を取るのを見ることになるでしょう。
S:国もイスラエルとの関係によって変えられているのを見ます。カナダはイスラエルに関して最近大変すばらしいことをしました。
C:神は私をイスラエルからのダブル・タリート(幅広の祈りのショール)をもってカナダに行くようにと遣わされました。新しい祈りのマントルをカナダは必要としていると神が言われました。それは5年前のことです。私たちはカナダのバンクーバーから始め、祈りのショールをデイビッド・デミアンさんに差し上げました。彼はそれを持ってカナダ中を回りました。この5月にイスラエルに関して起こった問題に対し、カナダはイスラエルにしっかりと一致していくという宣言をしたのです。「カナダ はイスラエルの神と一致する」と宣言したのです。
S:のろいも祝福に変えられることができますよね。ドイツがその例です。歴史上最悪ののろい、600万人のユダヤ人を殺しました。しかし、今ドイツは祝福されています。何故ですか?
C:まず、彼らがイスラエルの人々から奪った財産をすべて返しました。記録に残っているものは全部返したのです。他の国々が反イスラエルのときに、ドイツはイスラエルと一致すると宣言したのです。
S:中国に関して神はあなたに何を示されましたか?
C:神は、中国がもっとも影響力のある国になることを見せて下さいました。確かに中国は共産主義国です。しかし中国はイスラエルに対して最大の動きを見せます。経済においてイスラエルと一致します。これはある期間だけです。そして軍事の技術テクノロジーをイスラエルから得ます。これはすごい一致となり、1986年に神は私に、「2016年までに中国は世界一の経済国になるであろう」と言われました。
S:アメリカでは退廃がすすみ、霊が苦しんでいるといわれましたが、それについてお話ください。
C:義人ロトの霊が苦しんだように、あなたの回りの環境、霊的空気はあなたの霊を苦しませます。そして、やがて回りにコントロールされて同調していきます。ロマ12:1、2にあります。でもあなたは選択できるのです。クリスチャンは出発点にもどって神の完全なご計画である新しい一人の人、ユダヤ人と異邦人が一つとなり、勝利する残りの者たちが霊の人となり、弱さを克服していくのです。私たちを弱めようとするものの中から私たちは立ち上がり、力強い声を持つ残りの者となるのです。ダニエル12章に書かれているようにです。
S:とてもすばらしいです。これからは地上では最も困難な時代にはいりますが、それと同時に神を信じる者には最もすばらしいエキサイティングな時となります。最後になりますが、私たちや家族を祝福から遠ざけているものがあります。それは反ユダヤ主義です。私たち一人ひとりが持っている反ユダヤ主義を悔い改めるように導いてください。
C:神が私たちの霊の父です。あなたがどのような血筋を引き継いでいるとしても、あなたは父なる神の御子イエスの血潮によって清められることができます。「イエス、ヨシュアの血潮によりあなたは反ユダヤの霊の支配から解放される」と宣言いたします。今までは預言を拒絶していた人も、これからは神を聞くようになります。人々を支配し利用しようとしていた人も、今までなかったように人々を愛するようになります。反ユダヤ主義があなたを支配することなく、長子の国イスラエルを造られたイスラエルの神、イスラエルと契約を結ばれた神が、神の契約を理解させてくださいますように。アメリカのマインドセットを悔い改めます。今私たちの思いは変わりはじめ、神の契約のご計画を理解し、そのために堅く立つことを宣言します。(終わり)
08 10月
ワイマナロの山と浜辺
ワイマナロはオワフ島の東海岸の南端に近い辺りで海とてもきれいな場所です。この辺りはワイキキとか町中から離れてのんびりしており、私たちも時々浜辺に散歩に行きます。山はハワイ独特のそそり立った岩山で眺めていても飽きません。
砂浜の砂がとてもきれいです。子供たちがよく遊んでいますが、いつもは人がまばらで静かなところです。浜辺で結婚式を終えたカップルが
写真を撮っている風景に出くわしました。カメラマンも含めて日本からのグループでした。
け
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