23 12月
神我らと共にいます
ティファニー・アン・ルイス
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(インマヌエルを訳すと、神は肉の形をもって私たちとともにおられる、住まれる、人間として来られる、という意味である。)マタイ1:23
例年のようにクリスマス・キャロルが街に流れ、 あのすばらしい夜にベツレヘムの厩で生まれ、私たちと共に住んでくださる栄光のインマヌエルの降臨を人々に告げています。しかし、イエスは御父のもとに帰られました。ですから、今はどうなっているのでしょうか?
インマヌエルの預言は、国が歴史上困難な時期を迎えているときに与えられました。イザヤ7章には、神の民が戦いに直面していた様子が書かれています。当時アハズが王でしたが、 彼らが直面していた厳しい状況下で 彼らの心は「林の木々が風で揺らぐように動揺した。」(イザヤ7:2)と聖書は語っています。私にはそのことがよく理解ですます。悪魔が私の家を吹き飛ばそうとして強く息を吹きかけるとき、私の信仰心も風に吹かれてあちらこちらに揺れ動かされてしまいがちになります。
それで、神はアハズ王のもとに預言者イザヤを遣わし、神は敵の攻撃から彼らを守ると告げました。 続いて聖書は、私たちが神の約束を手に入れるために必要な御国の原則を忘れないよう教えています。即ち、「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない。」(イザヤ7:9b)と書かれています。すべてのことは最終的には私たちの信仰に懸かっています。神は忠実な方であり約束されたことは必ず実行されると私たちが信じるかどうかにすべてが懸かっているのです。 真実に神に従う者たちを混乱させ惑わすために敵が用いる一番の戦略は、創り主の私たちへの愛とまことを疑わせることであるように思われます。
アハズ王は大きな決断をせねばなりませんでしたが、それと同じように私たちも毎日 難しい決断をせねばなりません。私たちは、神が御約束通り私たちと共におられ守ってくださると信頼するでしょうか、それともその状況から自分の力で抜け出そうともがくのでしょうか?
突然、神は考えられないようなことをされました。主はアハズにしるしを求めるようにと命令(そう、命令です。これがこの言葉の意味です。)されました。神が与えようとされたしるしは、そのしるしを見て王が力づけられ信仰が強まるものでした。神は王に確かなしるしを与えるから、それを求めなさいと言われたのです。 王は、よみの深みや天の高いところでしるしを求めることを命令されたのです。彼がそれをどこかで見つけ出すならば、そのしるしは神の全能の力、愛、真実を王に確信させるものとなったのです。(イザヤ7:11参照)
アハズは弱い王であり、自分の肉の弱さに葛藤する罪人でした、、丁度あなたや私と同じようにです。それにも拘わらず、神は驚くべき愛で、主の約束が成立するために必要なものを受け取るようにと、貴い招きをしてくださったのです。悲しむべきことに、神の最高に恵み深いこの申し出を、アハズは受けとらなかったのです。
私が驚くのは、アハズという名が「掴んだ、所有した、所有する者」という意味を持っていることです。それなのに彼は、神が彼に差し出しているもの、即ち神の真実さを彼に確信させるもの、に手を伸ばして掴もうとはしなかったのです。
しかしそれでもなお神は私たちに、しるしを与えてくださったのです。神は「与えるお方」であり、私たちにインマヌエルを与えてくださいました。一人の処女がみごもり、神の民を罪から救うためにイエスが生まれました。これこそ、私たちが一日も欠かさず毎日見ることができるしるしであり、 あらゆる状況の中で必要な希望と力を私たちは受け取ることができるというしるしなのです。 ハレルヤ!
イエスと同じように
神が私たちと共に住んでおられるのは全くすごいことです。しかし、 インマヌエルなる主は、更に驚くべきことを示されました。 「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。その方は真理の御霊です。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。そのかたはあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:16—17)
主は更にヨハネ17:22で、主が地上におられるとき、御父が主の中におられ、主が御父の中におられたように、今日私たちも 同じ関係を持つことが出来る、と言っておられます。「またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。」
この驚くべき言葉をイエスが言われたのは、主が十字架へと向かう備えをしておられる時でした。弟子たちはいまや「インマヌエル 受肉した神が共におられる」を、まさに失おうとしていました。しかし、主は御父のところに行こうとしておられたのであり、それによって弟子たちは(そして、私たちも)かつて人に与えられたことのないものを得ようとしていたのです。それは「神が私たちの内におられる」ということであり、それこそイエスが持っておられたものなのです。
愛する皆さん、イエスが私たちに与えようとしておられることは、神とのユニティー、一つとなることであり、「受肉の神が私たちと共におられること(インマヌエル)」では達成できなかったことです。今日私たちが所有できる約束とは、 イエスが持っていたのと全く同じように、神を私たちの内に持つことが出来るということなのです。私たちは、イエスと全く同じように、神の中に生き、動き、存在することができるのです。イエスが持っておられたのと全く同じ親密さ、 祈りの力、 霊的洞察力を持つことができるのです。
この事実は私には偉大すぎて、理解できないほどです。でも私は必死で「インマヌエルなるお方」が下さったものを掴み所有したと思います。私たちは(人間としての)イエスが生涯でされた御業を見るとき、 人間にすぎない私たちには到底無理なことだと考えがちです。「主が水をぶどう酒に変えるのは当然です、主は神の御子ですから。主が愛し難い人を愛し、病人を癒し、水の上を歩くのは当然です、主は受肉され私たちと共に住む神なのですから。」と考えるのです。このようなメンタリティーのために、多くのクリスチャンは、今日彼らに差し出されているものを十分に所有していないのです。
ピリピ2章で聖書は、「イエスは神のあり方を捨てることができないとは考えないで、受肉され、私たちと共に住まれた神『インマヌエル』となられたときに、ご自分を無にされた。」と教えています。主イエスは、神の御子としての特別の特権を、今日私たちに与えておられるものの他に何か持っておられたのではありません。主自らが言っておられるように、主はご自分の力では何もされませんでした。すべての業はご自分の内におられる御父がされるのだ、と言われました。「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分の業をしておられるのです。」(ヨハネ14:10)
愛する皆さん、神がイエスと共におられたように、神は私たちと共におられるのです、、全く同じようにです。
嵐のただ中で
マタイ8:23—26で嵐が起こったとき、弟子たちには同じ舟に乗っておられる「インマヌエル、神が彼らと共におられる」がいました。大波が襲い、舟に水が入ってきました。彼らは経験をつんだ漁師であったことを思い出してください。嵐の海をどのように乗り越えればよいのか、知っている人たちでした。それにも拘わらず、自分たちの力ではコントロールできない嵐のただ中で、彼らはイエスのところに来て「主よ、助けてください。私たちはおぼれそうです。」(マタイ8:25)と告げたのです。これは私たちすべてに起こることであり、 プレッシャーが大きくなった時に同じように感じたことがあなたにもあると思います。
一方、イエスは嵐に対して全く違うやり方で接しました。 主と御父は一つであったので、主は嵐の中でも眠っていたのです。弟子たちは主を起さねばなりませんでした。愛する皆さん、あなたはどう思われますか。 もし私が嵐に直面したならば、主が嵐のただ中で持っておられたような平安を私も持ちたいと切に願います! 実際、波をしかりつけて波がおさまるのを見たいと思いますし、イエスがしたように、嵐に襲われたときにも周りで起こっていることに影響されないで、波の上を歩きたいとさえ思います。
インマヌエルは私たちに「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。」(ヨハネ14:12)と言われました。
神は本当に私たちに しるしをくださいました。「処女がみごもっている。男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。」というしるしです。そして「インマヌエル」が私たちと共にいたとき、 聖霊をおくってくださると約束してくださいました。それは聖霊が主の中におられたのと同じように、私たちの中にも住まわれるようになるためです。このクリスマスに、またこれからもずっと、私はこの約束をしっかりと掴みたいと思います。アーメン(おわり)
18 12月
神殿の建設地
フランシス・フランジペン
主の家(教会)を建てるとは、私たちが必要な時に助けてもらうところを作る(見つける)というだけではなく、もっと重要な意味があります。神から最高のものを受けるためには、代価を払う必要があります。主から最高のものを受けたいと望むならば、 自分が一番愛するものを主にささげねばならないのです。
2つの神殿
聖書には2つのタイプの神殿のことが書かれています。一つはイスラエルに建てられた石の神殿であり、もう一つは生きたからだで造られるもの、即ち教会です。 第一神殿(ソロモンの神殿)は、神があらかじめ定められた場所に建てられました。 主が石の神殿建設の地を注意深く選ばれたように、 私たちを生きた主の神殿にするために、私たちのこころの地形を主は調べておられます。
神殿建設地が定められるために、2つの重要な出来事が用いられました。2つの出来事は長い年月を隔てて起こりましたが、その二つには私たち自身が見習うべき大切なポイントが含まれています。最初の出来事はアブラハムの人生の中に見ることができます。
主がアブラハムに息子イサクを与えたので、彼の霊的願いは成就されました。しかし、やがて神への愛と神によって与えられたものへの愛とのどちらかを選択せねばならない時がやってきました。主はアブラハムに息子をつれてモリヤの地に行くように命じました。そこでアブラハムは神が選ばれる山でイサクをささげるように言われたのでした。
「三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。それでアブラハムは若い者たちに、『あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻ってくる。』と言った。」(創世記22:4−5)アブラハムの「私と子どもはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻ってくる。」という最後の言葉に目を留めてください。ここに礼拝をささげる中での信仰の完成を私たちは見ます。アブラハムは信仰によって 二人とも戻ってくることを知りましたが、彼が山にむかって上って行くことができたのは彼の礼拝の態度でした。この物語はよく知られています。 主のみ使いがナイフを手にもったアブラハムを止めて、イサクの命は助けられました。しかしながら、ご自分のしもべからこのような従順を要求されるのは、神の計画であり、目的であったのです。アブラハムの神への愛は試みられ、真実であることが証しされました。
それと同じように、主の家の一部となるために私たちがまず持つべき心構えは、礼拝するこころです。私たちは 自分が最も愛するものを神に喜んでささげねばなりません。もし牧師であるならば、それは自分のミニストリーや教会に関する個人的な夢を、主に明け渡すことかもしれません。もしとりなし手であるならば、ローカルな祈りのグループでのリーダー役を手放し、人々が更に大きなキリストのからだの中に組み入れられるようにすることかもしれません。
すべての人は死ぬときは究極的にすべてのものを神に明け渡すのです。キリストの家を建てるために召されている者たちは、彼らが最も愛するものや成就させたいと願っていることを、全能の主に明け渡すことによってそれを成し遂げます。それは肉的な死と似ています 。人間的にそれを取り戻す希望は捨て去り、神にのみ依り頼むのです。 アブラハムは彼が一番愛するもの、イサク(彼はアブラハムの霊的成就の具現でした)を神にささげました。彼は自分の持つ夢のすべてを、自らの手で築いた祭壇の上に置いたのでした。
アブラハムは、全能の神にとって死はなんの妨げにもならないことを知り、神が約束を成就してくださると、こころから信頼(することに)したのです。同じように、主の家を建てるために主が用いられるのは、自分の一番愛するものを神に喜んで明け渡す人々です。主にすべてを明け渡して主を礼拝する人々のこころの中に、主はご自分の家を建てられるのです。
全額を支払う
霊的な神殿の「DNA 遺伝子」を示す第二の出来事は、ダビデ王の人生に起こりました。彼はエルサレムを見下ろす山の上に立っていました。彼の罪により、主の裁きが国に下りました。主はダビデの悔い改めを受け入れ、オルナンの打ち場に主のための祭壇を築くように言われました。オルナンは全焼のいけにえのために自分の牛やたきぎをただでダビデに差し出しましたが、ダビデはそれを受け取りませんでした。そして「私に打ち場の地所を下さい。そこに主のための祭壇を建てたいのです。十分な金額で、それを私に売って下さい。神罰が民に及ばないようにするためです.....私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。あなたのものを主にささげるわけにはいきません。費用もかけずに全焼のいけにえをささげたくないのです。」(第一歴代誌21:22—24)と言いました。ダビデの態度はまさに神が私たちに求めておられる心構えの良い模範です。
私たちが「ありのままで」キリストのもとに来て救われるのはよいのですが、救われた後に主の神殿として建て上げられるためには代価を払わねばならないのです。私たちが神に仕えるのであれば、全心と代価全額(full heart and full price)をもって仕えようではありませんか。
ここで更に、オルナンがユダヤ人ではなくエブス人であったことを考えてみましょう。先の戦いでオルナンの民はその地からダビデによって追い出されました。しかしオルナンはその地に留まっていたのです。ダビデ王はオルナンの土地を戦勝品として取り上げることもできたにも拘わらず、全額を払って買い取ったのです。
愛する皆さん、ダビデの態度は、 アメリカの典型的なキリスト教と全く正反対です。私たちの多くは、近道を探したり、ヴィジョンも献身もないままでうろうろしています。神への近道を探すことは止めましょう。 他人のものを主にささげるのも止めましょう。むしろ全額を支払おうではありませんか。
ダビデが祭壇を築き、神殿を建てると定めたのは、まさにこの打ち場でした。
深い洞察
時がすぎ、ダビデは他の人々と同じように死にました。ダビデの神殿のヴィジョンを完成したのは息子のソロモンでした。神殿の建設地について聖書が語っていることに耳を傾けてください。
「こうして、ソロモンは、主がその父ダビデにご自身を現された所、すなわちエルサレムのモリヤ山上で主の家の建設に取りかかった。彼はそのため、エブス人オルナンの打ち場にある、ダビデの指定した所に、場所を定めた。」(第二歴代誌3:1)
驚くべきことに、ダビデがそこに立ち、代価を払わずにいけにえをささげることを拒否した場所はモリヤ山であり、それは6世紀前にアブラハムがイサクを神にささげたのと同じ場所でした。
愛する皆さん、聖書は、キリストが地上に戻られる前に主の家の山は建てられ、すべての国々の人々がそこにやってくることを私たちに保証しています。(イザヤ2:2) 自分の最も愛するものを神の祭壇の上にささげる礼拝者として私たちが召されていることを、しっかりと受け止めようではありませんか。そうです、私たちの人生の中に、私たちの時代に、主の家が再建されるのを見るために、全額を支払おうではありませんか。
祈り:主イエスよ、あなたにすべてささげることを私は願います。代価を払わないいけにえや、借り物の贈り物をささげたことを、どうかお赦しください。主よ、私があなたのために何ができるかではなく、あなたが私をどのような者としてくださるかが、一番大切な問題であることを知っています。私のすべてをあなたに明け渡します。私の人生の材質があなたの家を建てる建材としてふさわしいものでありますように。私のイサクを祭壇に持っていくための信仰と礼拝のこころをどうかお与えください。イエスの御名によって祈ります。アーメン(終わり)
(“When the Many Are One”からの抜粋)
12 12月
2012年への聖霊の言葉「あかしの燭台」
ジョン&ジョリーン・ハミル
毎年9月11日頃、私と妻のジョリーンは新しい年に私たちのミニストリーが目標とすべき言葉を受けるために、主の御こころを求めます。2012年のために聖霊は 「 あかしの燭台」という言葉を私たちに語られました。
「 あかしの燭台 」とは、 地における神の契約の輝きです。神の愛は「火の炎、主のすさまじい炎(雅歌8:6参照)」です。聖書全体を通じて、燭台は度々ワーシップととりなしの象徴として用いられています。
つまり、神の燭台とは神の生きた炎を燃やすために召された器のことです。2012年が近づいている今、私たちは自分の燭台が主によってどのように評価されているかを知ることが大切です。私たちは主イエスを照らし出しているでしょうか、それとも自分自身をでしょうか? 神は私たちすべてを、イエスへの初めの愛に戻るようにと招いておられるのです。(黙示録2章参照)
ハヌカの祭り:あなたの宮を再び聖別し献納する
喜ぶべきことに、今多くの人々が心から神の御こころと契約とにアライン(一致し沿い従う)しはじめています。それこそ2011年から2012年に移るにあたって、私たちがまず第一にするべきことです。
今月後半に始まるユダヤの光の祭り(ハヌカ)は 、神がいかに私たちとの出会いを求めておられるかをいきいきと表しています。ハヌカは、敵によって意図的に汚された神殿を聖別して主に再び献納したことを祝う祭りです。神殿が敵によって汚されたとき、神殿の火も消されてしまいました。
神殿を再び献げるために、神の祭司たちは聖なる火を再び灯しましたが、油は一日分しかありませんでした。しかし奇跡がおこり、 新しい油が出来るまでの8日間、燭台は燃え続けたのです! ユダヤ人のメノーラと呼ばれる燭台が、光の祭りの一番大切なシンボルとなったのはその理由によります。
多くの学者が、マリヤは世の光である主イエスをハヌカの時に妊ったと考えています。あなたがこのシーズンにキリストとの契約を新たに結ぶとき、聖霊があなたを覆い、あなたを力づけ回復させる主の御ことばと御業が、あなたのうちにどのように妊るかを見守っていてください。
ハヌカの奇跡—神によって点火されたろうそく
8年前に私とジョリーンが結婚した時、私たち自身がハヌカの奇跡を経験することができました。 結婚式はたまたまハヌカの祭り(8日間)の最初の日にあたっていました。そこで私たちは式の中に燭台、メノーラを取り入れることにしました。式が始まり、私たちはメノーラのろうそくに火を灯しましたが、真ん中の一番大きなろうそくは「私たちが一つになるユニティーのろうそく」として後で点火するためにそのままにしておきました。
私たちが主にワーシップを捧げ、主の栄光を下してくださいとまさに祈っていたとき 、私のベストマンであったウィル・フォードが 涙を流して私の方に身を寄せ、メノーラの方を指差しました。不思議なことにユニティーのろうそくはひとりでに灯っていたのです!
すべての人が見ている前で、神は私たちの燭台の中央のろうそくを、ハヌカの祭りの最初の日に、私たちの結婚式の中で灯されたのです。私たちのミニストリーはLamplighter (火を灯す者)ministriesという名前なので、この出来事の深い意味を今でも繰り返し私たちは思い巡らしています。
燭台を整え、 再び火を灯す
しかし最初から私たちに分かっていたことは、ハヌカの奇跡は私たちのためだけではないということです。長年祈り続けてきましたが、今この言葉を公に( 即ち、このことばと体験はすべての人が受け取ることができるということです)解き放つ時が来たと私たちは感じています。個人にも、また地域にも、神は「わたしはあなたの燭台を整え、 再び火を灯す!」と言われています。
もしかしてあなたは、敵があなたの主への情熱を真っ向から攻撃してきたように感じておられるかもしれません。あなたがコントロールできない状況や失敗、裏切り、又は明白な悪意によって、あなたの神殿は汚され、あなたの火は消されたようにあなたは感じているのです。
神は 新しい栄光のシーズンへとあなたを招いておられます。私たち夫婦のためにしてくださったことを、主はあなたのためにも必ずしてくださいます! 2012年が始まる前に時間をとり、 主への献身を新たに誓い、このプロセスへと進んでください。 聖餐式のパンとぶどう酒を用意してください。敵によって汚された部分を主に清くしてもらってください。あなたの燭台を整えて炎を燃やしてくださいと、主イエス・キリストに願ってください。
2011:契約を更新する年
聖書では「12」という数は、統治(政府)を表します。「御国の契約」がどのように「御国の統治」を解き放つかを理解することはとても重要です。
アメリカの国家的レベルでは、2011年は前例がないほどにイエス・キリストとの契約を再び整えた年でした。Reformation Prayer Network(RPN)とHeartland Apostolic Prayer Network(HAPN)のリーダーたちが、シンディー・ジェコブ師とジョン・ベネフィール師のリーダーシップのもと、今まで教会が犯してきた偶像礼拝の罪に対する悔い改めを、国内にある殆どすべての偶像の宮で宣言したのです。ホセア2章にあるパターンに従い、バールからの決別を乞い求め、それを獲得しました。そして この国と神との間の契約を更新してくださるようにと主に願いました。
そして私たちのこの働きは、7月4日(アメリカ独立記念日)にワシントンD.C.のリンカーン記念館の前の階段で「契約の宣言」を主に捧げたときに頂点に達しました。人々はアメリカ南部地方にある南北戦争の数々の戦場で祈りを捧げ、又アメリカ北部にある霊的覚醒が起こった霊の泉で祈ってから、最後に3つのチームがこの場所に集合したのでした。
私たちのとりなしの祈りの旅は、リック・リディング師の「Nutcracker Prophecy くるみ割りの預言」に基づくものでした。1998年に北部と南部から人々がワシントンD.C.に集り、互いに契約を結び祈った時リックは「悪魔の抵抗という堅い殻」を主が割っておられるヴィジョンを見ました。そして彼は主がこの「くるみ割りの預言」を 2011年に再び強調されているように感じたのでした。そして その御ことばを解き放つために祈りの旅を企画遂行するようにと聖霊が私たちに語られたのです。
しるし:記念碑にひびが入った!
私たちはこのヴィジョンに従い、 神が私たちの国と再び婚姻関係を結んでくださるように、また、北部と南部を聖霊によって覚醒し一致させてくださるようにとお願いしました。それに対する神の応答はエクサイティングなものでした。それは一月半後にワシントンD.C.で地震があり、まさに 偶像礼拝の中心となる記念碑(私たちが悔い改めた偶像礼拝の最大のシンボルであったもの)にひびが入ったのです!
これは神が本当に私たちの叫びを聞いて下さったしるしであると、私たちは感じました。主は堅い殻を割ってくださったのみならず、それよりもっと重要であるイエス・キリストと この国との契約の更新への私たちの嘆願に対して「YES」と答えてくださったのです。
2012年:あかしの燭台
前述のように、「あかしの燭台」とは、この地での主の契約を証しするものです。神の民が主のもとに立ち帰った時はいつも、契約が回復されたことの主からの証しとして天から火が下りました。ハヌカのように、これこそ神が2012年に計画されている「あかしの燭台」だと思います。
ダビデやエリヤの時代において、主との契約を国が再び結ぶことにより祝福が与えられると、神は 祭壇に新たに火を下されました。又、主がアブラハムと契約を結ばれたときには、煙の立つかまどと燃えるたいまつが主の約束の証しとなりました。
主イエスは「世の光」であり、「あかしの燭台」の極みです。 2011年のハヌカには、主がご自分のからだと血潮によって獲得された聖なる契約を世界へ証しするものとして、神の炎が更に輝きを増してこの世に放たれるでしょう。世界の国々は主が昇られる輝きに引き寄せられるのです! 多くの者たちが今年、目を覚ますでしょう。彼らは立ち上がり、自分の灯火を整え、花嫁なる主をお迎えするために出て行くのです!
目を覚まして輝く
今シーズン、聖霊がゼカリヤ4章に特別な光を当てておられるように私たちは感じています。この箇所はハヌカの奇跡(あかしの燭台に絶えることなく油が注がれる超自然的な出来事)の預言そのものです。この箇所を祈りをもって注意深く読まれるようにお勧めします。あなたの人生に奇跡が起こることを請求してください! この箇所は次のように始まっています。
「私と話していた御使いが戻って来て、私を呼びさましたので、私は眠りからさまされた人のようであった。彼は私に言った。『あなたは何を見ているのか。』そこで私は答えた。『私が見ますと、全体が金でできている一つの燭台があります....』」
すごいですね! まず超自然的な霊的覚醒の動きが解き放たれています。ゼカリヤは目を覚まし、御座の部屋の燭台のヴィジョンを見るのです。
前述のように、 燭台はしばしばワーシップととりなしの祈りを表します。霊的覚醒の動きが進んでいる今、私たちがこのヴィジョンを捉えることを神は望んでおられるのです。目を覚ましてあなたの燭台から輝きでている「世の光」なるお方をじっと見つめてください。主を仰いで礼拝してください!
休眠状態であった約束をとりもどす
この天使はすでに先のシーズンでゼカリヤに語ったことに目をとめてください。これはとても重要なことです。天使がゼカリヤを起したとき、眠る前に彼に託され休眠状態になっていた約束の種をも天使は目覚めさせ活性化させたのだと思います。なぜならばこのヴィジョンは、神がすべての約束を完成させたいと願っておられるという預言だからです。
ゼカリヤのヴィジョンはゼルバべルに対する預言でした。ゼルバべルは、ミニストリー及び社会における使徒的な統治を象徴しています。彼はバビロン捕囚後の神殿修復を担いました。 神が「新しい活躍、新しい資源、新しい正確さを今年は与えら」と主のゼルバベルたちに言われているのが私に聞こえます。
恵みあれ!修復の仕事を完成させよ!
使徒的見地からいうと、燭台の出現は、神が 修復の仕事を完成させるために新しい恵みを解き放っているというしるしです。新しい年、私たちが今までより大きな統治の権威を発揮するにあたり、祈りのムーブメントがその業を下から支え推し進めていく力となるでしょう。
最も理解すべき重要なこと:今シーズン、御座の部屋の恵みがあなたに与えられていて、神があなたに託したヴィジョンをその恵みによってあなたは完成させることができます。あなたの人生で神が揺り起こし活性化している約束が何であるかを示してくださるように、主に願ってください。主があなたをおおってくださるように、主がその約束の上をおおい完成させてくださるように願ってください。そしてその約束が目の前を通るなら、その後について人生の冒険の旅に出かける備えをしてください。「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」と万軍の主が言われます!(終わり)
Jon and Jolene Hamill
Lamplighter Ministries
Email: admin@lamplighterministries.net
06 12月
啓示による収穫のための七つの鍵
2011年11月9日付けのニュースレター
チャック・ピアース
今私たちは極めて重大なシフトの時に立たされていることを、「キリストのからだ」が理解することは、非常に大切だと私は思います。もし私たちが霊的にシフトし、神の御霊が今日私たちのために備えてくださっている啓示による鍵を掴むならば、私たちは勝利をもってこのシーズンの中を前進して行けるでしょう。
以下が前進するための7つの鍵です。
1.新しい管理体制のもとでの一致した動き! 夢を見よ!
キリストのからだとして私たちは、新しいヴィジョンのシーズンに入りました。新しいヴィジョンは新しい管理体制を必要とします。私たちは将来的にどのように聖霊の働きを「助け、共に働く」のでしょうしょうか。私たちのGlory of Zion International 及びGlobal Spheres Centerは、今多くの変革を経験しています。 私たちが新しいオフィスに移る前に、私たちが変わることを主が願っておられることがあるのを、私は感じました。
私は昨夜一つの夢を見ました。夢の中で、私たちの学校の管理者として働いているローズ・フリーガーさんと私は、シンクロナイズド・スイミングを習っていました。それは新しくて複雑な動きでした。私たちのチームには5人いて、インストラクターは次のシーズンの模範演技で私たちがどのように動けばいいのかを教えていました。ローズさんは新しい動きは習いたくないと決めました。彼女がそう決めたとたん、プールは下水汚物で一杯になってしまいました。主は何を言われているのでしょうか?それは「主が教えようとしていることを拒んではならない、さもないとあなたが今まで泳いでいた生ける水は下水になる」ということです。
2.奇跡が起こる環境を創る!
主は、奇跡が起こる環境を創るようにと私たちに願われていると信じます。それはどう言うことでしょうか? 大抵の人は、困難な状況に置かれると、困惑し神に奇跡を願いますが、願ったような結果を見ることはできません。私たちはGlory of Zionで今奇跡が起こり始めるのを見ています。今までも私は奇跡が起こるのを見てきましたが、今は新しい(一段)高いレベルに入りつつあることを信じます。私たちは奇跡のための環境を創っているのです。キリストのからだは、癒しを求めていくだけではなく、奇跡が解き放たれるように強く求めねばなりません!キリストのからだの中で 、新しい方法で奇跡の賜物が活性化されるシーズンに私たちは入ったのです。主に「奇跡とは何ですか?」と訊ねてください。信仰が活性化されるのを私たちは見なければなりません! イッサカルの油注ぎと奇跡は相共に働くのです! ワーシップとプレイズは私たちを奇跡へと導くのです!マシャカ(Mashach 奇跡の油注ぎ)は今ここにあるのです! 栄光がその場所にあればあるほど奇跡を孕むのです。ナザレで奇跡が活性化されず起こらなかったのは、これが問題だったのです! ナザレ症候群を打ち破って奇跡へと進もうではありませんか!
3.宗教の霊を克服する
今は宗教の霊に打ち勝つシーズンです。宗教の霊とは何であり、どのように働くのでしょうか? それは歴史を通して教会の発展を懸命に止めようとして来た惑わしの勢力です。宗教は、もし私たちがその文字通りの意味(神に関する”divine”なことだけを考慮する)に留まるならば悪いものではありません。「宗教 religion」という言葉は、聖書の中では3つの意味で使われています。即ち「目に見える宗教的奉仕」「全面的に神に依存する心」「道徳、律法を遵守する神の組織、機関」の3つです。
ヤコブ1:26—27では、宗教をクリスチャンの視点から定義しています:「自分は宗教に熱心(religious)と思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。」
宗教は礼拝と関連しています。宗教は、それがきよいときには強い力を持ちます。しかし宗教は又、「 認可された一定の行動形式pattern of behavior.をもって組織化された教義のシステム」とも定義されます。そしてその行動はその教義にふさわしい礼拝形式で行なうことを強いられます。この点において私たちは、きよく汚れのない宗教から、単なる儀式へと移行してしまうのです。「教義の悪霊」Demons of doctrinesは、きよくあるべきものを暗闇の霊的な力に変え、聖なる神を礼拝する人々の自由を奪い、人々にただ規則と規律を与えるだけになってしまいます。
私はこれまで常に創造的にものごとを考え、礼拝を心からからだで表わす礼拝者になろうとして来ました。キリストのからだの中で私は、 神の心と思いを表す現代の預言者として知られて来ました。私は、神の賜物に抵抗する宗教の様々な霊をつねに追い出すようにして来ました。悪霊たちは、私たちが神から啓示をうけることを憎みます。悪霊たちは、キリストのからだの中で人々に自由に啓示をもたらす賜物(を持つ人)に対して抵抗するのです。宗教は、使徒や預言者の啓示を石打ちで殺そうとします。なぜならば、啓示の言葉こそがこの時代の教会の中に神の土台を打ち立てるものだからです。第一コリント12:28は、教会がこの世で勝利するための統率の賜物の順序を明らかにしています。即ち「第一に使徒、次に預言者」です。宗教の霊はこの神の秩序を拒もうとしているのです。
又、宗教の霊は変化を嫌い否もうとします! その結果、人々は型にはめられて同じことを繰り返すだけになり、 今日彼らを勝利に導くことが出来る方法へと移行する気持ちを持たせないようにします。肉的な思いは神に逆らいます。ですから宗教の霊は将来への戦略を阻もうとします。 私たちは、神の御霊が地上に変革をもたらすのを、自分たちの思いと思考過程で助けることができるのです。
主イエスの弟子たちは、「主とはどんな方であるのか」「自分たちは何をすべきなのか」「自分の敵は誰であるのか」に関する啓示を受け取らねばなりませんでした。これは今日でも同じなのです。パリサイ人たちには、神の御子の聖なるご性質を否定するか、それとも神の御子の言うことに聞き従うか、二つの選択肢が与えられていました。彼らは自分たちの礼拝の仕方を変えることを阻む規則をそのまま遵守するか、それとも霊とまことをもって礼拝し始めるかのどちらかを選択せねばなりませんでした。彼らの多くは、自分の人生や、家族、 社会を変革できたであろう正しい選択をすることができませんでした。ですからマタイ16章でイエスは、当時の律法学者やパリサイ人から鍵をとりあげ、それを既成の宗教に挑戦して教会を正しい未来へと導こうとしていた将来のリーダーたちに与えたのでした。
4.歩兵の先を行く
アン・テイトさんが今朝私のところに来て次のことを話してくれました。:
「私が仕事に行くために服を着ていたとき、 駆けている馬のネックレスを着けるようにと主が言われたように感じました。エレミヤ12:5がすぐに頭に浮かびました。『あなたは徒歩の人たちと競争して走っても疲れるのに、どうして騎馬の人と競争できよう。あなたは平穏な地で安心して過ごしているのに、どうしてヨルダンの迷路のような危険な密林で過ごせよう。』」
敵が歩兵であった時と所から私たちはすでに過ぎていることを、主は私たちに告げておられるのです。 今の新しいシーズンの敵は今までの敵とは異なり、新しい戦法が私たちには要求されているのです。前のシーズンで私たちが戦った敵は、似通った組織と戦い方をしていました。 しかし今シーズンの敵は、飛んでいるような幻影を人に与えながら、実際には非常に堅固な力を持っているのです。疾走している馬はあたかも飛んでいるかのように見えます。彼らは人間よりも高い場所を占めているのです。
今シーズン私たちは、肉体的、物理的に克服できるような敵と戦ってはいないのです。 私たち人間は、物理的に馬と一緒に走ったり競争するのは不可能です。それと同じように、私たちが混乱の渦中に巻き込まれ、脅かされ打ち負かされそうな時に、 自分の道を正しく選び取ることは不可能です。今始まったシーズンにおいて私たちが勝利するためには、私たちの新しい領地を荒らす野獣どもを新しい上からの視点perspectiveから見ることによって、彼らに対する権威を獲得することを私たちは学ぶ必要があるのです。そうすれば彼らを捕らえて、神の目的のために降伏させることが出来るのです。
5.新しい大波が来る!あなたはその波にのれるか?
神の御霊の新しい波が来ます。この波は私たちが今まで見たものより大きなものです。キャロル・ボレンさんが次のことを話してくれました。:
「私とビル(夫)とがボートに乗っている夢を見ました。突然城壁のように大きな波が起こりました。ボートは波をまっすぐに上り始めました。ビルはボートから落ちないように何かにしがみ付きながら、この波の一番上まで上ったら、次に真っ逆さまに落下するに違いないと恐れていました。彼が私の方を見ると、私は座席に落ち着いて座り、回りで起こっているスリル満点の出来事を楽しんでいました。すると又突然に、私たちは静かな海の上に浮かんでいました。ビルが私を見たとき、私は 『あんなに怖がらなくてもよかったのに。 これは主がされていることだと私には分かっていたのよ。』と彼に言いました。」
神が言われていることはこうです。神の御霊の大波が来ると多くの人は恐れるでしょう。しかし主は「ボートの中にとどまり、次に来るわたしの御霊の波にのりなさい!」と言われているのです。
6.勝利への最後の一押し!
ブレークスルーが起こり、それから究極的な勝利があります! ダビデはペリシテ人を打ち負かしましたが、彼らは態勢を整えて再び彼に向かって攻めてき来たことを思い出してください。主は「これが新しい次の戦略だ。後ろから攻めよ! しかしバルサム樹の林の上から行進の音が聞こえるまで待て!」と言われました。ダビデはペリシテ人との長年の戦いの後に、 第二サムエル8章にあるように、メテル・ハアマを遂に奪い取ったのです。全面的に勝利するまで止まってはいけません!
私たちの多くは今まで敵地に攻め込み、占領し、約束のものを完全に受け取るために戦ってきました。神と神の民である私たちの義に反抗する不義の勢力に対して戦ってきました。今、私たちの敵を完全に征服し、彼らがもはや私たちに対して手を挙げないようにする時が来ました。これは民を極度に苦しませたミデアン人を滅ぼすときにギデオンがしたことです。
7.勝利する新たな力! 自分をなくさないでしっかりと立ちなさい!
新しい力が解き放たれています。キリストのからだは簡単には騙されなくなり、 敵を察知する新しい方法を学んでいます。私たちを型にはめようとするこの世の組織よりも更に大きな力を私たちは持っているのです。ハイディ・デハートさんが次の夢を話してくれました。:「夢の中で私はある会社で働いていました。 そして特定な会社の一つのプロジェクトの仕事をしていました。すると、その会社に関するプライベイトな情報が欲しいという手紙を受け取りました。その手紙をよく見ると偽物だとわかったので、その情報を送りませんでした。
その夜私は両親の家で寝ていました。それは両親の家のようには見えませんでしたが、そうだったのです。私は部屋に押し入ってきた二人の男性によって起こされました。一人はスナイパーのようなライフル銃を持っていました。もう一人は何も持っていませんでした。私の部屋の中で二人を見たとたんに、私は大声で両親に 『部屋に男がいる!』と叫びました。両親はやって来ましたが、ただそこに立っているだけでした。私は一人ではなくなったので、少し安全だと感じました。
武器を持たない方の男が私に話し始めました。彼は脅かすわけではなく、ただ、 私が今の仕事をするには私は 『保守的過ぎる』ことを納得させようとしました。彼は『保守的(古風)』という言葉を『クリスチャン』という意味で使っていました。会社のプライベイトなことを私が明かさないので、彼は妥協しない私を別の部署に移したかったのです。
私は彼に『でもここはアメリカですよ!信仰の自由は守られています!』と言いました。彼はくすくす笑って『あなたはそう思っているかもしれませんが、本当は違うんですよ。』と言いました。時々ライフルを持った男が緑色のレーザー光線で私を撃ちました。痛くはありませんでしたが、全身が麻痺してきて、私はうとうと眠ったり目を覚ましたりしていました。それは私を彼らに従わせるためのものだったと思います。
男が話している間、家の外でいろいろなことが起こっているのが分かりました。家々の芝生がめくられて、巨大なコンテナーが芝生に掘られた穴に入れられ、その上に又芝生が戻されて、朝には何もなかったように見えるのです。それは政府のものすごく大きな陰謀で、人々が眠っている間にすべてが行われ、朝には普通通りに見えるのです。
武器を持たない男は尚も私を説得しようとしましたが、私は承知しませんでした。私は、神の御国を内に持っている人々を説得するのは困難であろうことを彼に説明し始めました。
私は彼に言いました。『人の気持ちを変えるのは難しいと思います。その理由はこれです:神は天におられます。人間とサタンは地上にいます。神はイエスを地上に送られました。イエスは「インマヌエル、神我らと共にいます」と呼ばれました。』
突然、私の左手が磁石のように動き、てのひらが彼の左手に吸い付けられました。トライアングルが何度も打ち鳴らされるような音が聞こえ、私の中から力が出て、私の腕と手を通り彼の中に入っていきました。私はただ『ジーザス、ジーザス、ジーザス!』と叫んでいました。その時私は目を覚ましたのです。」
あなたの未来を開くために、これらの7つの鍵を使ってください!(終わり)
Chuck D. Pierce
Glory of Zion International Ministries
28 11月
収穫は始まっている
チャック・ピアス
ワーシップと収穫:使徒的見地
私たちは地上での新しいワーシップのシーズンに入りました。私はこれを「収穫の歌のシーズン」と呼びます。このシーズンは使徒的なシーズンです。
使徒的シーズンとは、 人々が召命を受け取り、収穫されるために準備された畑に遣わされるシーズンのことです。 私たちはセレブレーション祝い、働き、戦い、勝利というような思い(メンタリテイー)を持っていますが、これらはすべてワーシップを通して表されます。収穫とは、「神の裁き」を表しています。イエスはこの収穫を比喩として用いました。それは、 信じる者を主が集められる時がやがて来ることを私たちに悟らせるためでした。
収穫はすでに始まっています。それは主が初めて来られた時に始まり、今、急速に進んでいます。でも天の領域においては、「 収穫の実権を握り倉に納めるのは誰か」という問題に決着をつけるための「綱引き」が行われています。ルカ10:2には「だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」とあります。
御国の収穫のための地上での戦いのためには、霊とまことによる礼拝が必要です。 働き人、即ち礼拝者(ワーシッバー)が刈り入れをするために入っていく多くの畑が調えられています。倉も備えられています。戦いの最終的見せ場は「収穫のための戦い」です。収穫は農作業(私たちの働き)の最終段階であり、穀物は熟していて、今それを刈り取って集めることがされねばならないのです。
黙示録14:15−16にこうあります。
「すると、もうひとりの御使いが聖所から出て来て、雲に乗っておられる方に向かって大声で叫んだ。『かまを入れて刈り取ってください。地の穀物は実ったので、取り入れる時が来ましたから。』そこで、雲に乗っておられる方が、地にかまを入れると地は刈り取られた。」
主の栄光の重さ(ウエイト)
「 God’s Unfolding Battle Plan (Regal Books, 2007)」という本で、私は次のように書きました。
「私たちは、すべての前線で、様々の大きさの、多くの戦いに直面しています。これからの20年間は、世界のすべての国家がイスラエルを取り巻いて調停しようとします。そのうちの幾つの国家は世界的に有力な勢力となります。アメリカ合衆国は、その中で改めて説得力を取り戻そうと試みますが、その声は以前のような大きな説得力を持つことができません。神を無視し金権の力だけを信じる国々(マモン)が世界を治める最大の影響力を持つようになるでしょう。国々は贖われていない血を持つ人民によって構成されているので、そのような国々は国々に対して争い続けるでしょう。肉的な思考は絶えることなく、それは神に敵対し、神の知識(計画)に反抗し続けます。反キリストは世界を自分の手で治める計画を推進します。しかし、地とそれに満ちているものは主のものであり、このことも永遠に変ることはありません!
地は主のものであり、主はそれを満たすご計画を持っ故に、すべてを「収穫する」ご計画を持っておられるのです。穀物(いね)はかまで刈り取らねばなりません。刈り取られたものは束にして打ち場に運び、道具や動物を用いて脱穀せねばなりません。穀物は 空中に放り上げられ、 籾殻は軽いので風によって 吹き飛ばされ、重い実だけが残ります。
収穫の最後の段階は倉に納めることです。穀物は倉に入れる前にふるいにかけられます。収穫の戦いは、この時最後の局面を迎えます。私たちは今、揺すぶられ、ふるわれています。揺り動くものは、すべて揺り動かされるのです。主は私たち個人や団体、あるいは都市、国家の中から「 商品価値が小ないもの」、即ち罪、咎をふるい落としておられるのです。
この時、収穫の鍵となるのは主の栄光の重さです。籾殻を風で飛ばすプロセスの中で、重い実は吹き飛ばされません。これからのシーズンには、私たちがあちこちに吹き飛ばされてしまう可能性のある多くの課題が取り扱われるでしょう。主の栄光の重さが私たちの上に置かれていないと、私たちは吹き飛ばされてしまい、主が地上に与えておられる収穫のプロセスを全うすることができません。この収穫の鍵を私たちが受け取るには、霊とまことによって礼拝することを学ぶこと以外の方法はありません。
私たちは収穫の働き手
私たちは先ず収穫されますが、次に将来の働き手になるのです。ロバート・ハイドラー師は、私と一緒に働いているすばらし教師ですが、最近次のように 書いてきました。「二晩前に私は夢を見ました。夢の中で妻のリンダが買い物から段ボールの箱を持って帰ってきました。箱の中にはガラガラ蛇が入っていました。彼女は『このガラガラ蛇を3週間家に中に置いておけば、 終ることのない収穫のシーズンが始まるだろう、と主が私に言われたのよ。』と言うのです。そこで私たちはその通りにしました。毒蛇をガレージの中にいれて家の中に入ってこないようにドアをいつも閉めておきました。ガレージに行くときは、そこにガラガラ蛇がいることを知っていましたから、十分注意を払いました。
目を覚ましたとき私は、『召命を受けて遣わされるならば、蛇やサソリに対する権威も私たちに与えられる』ことを思い出しました。
私たちの問題は、教会がこの世を恐れるばかりで、汚れている場所にはどこへも出て行かないことです。もし私たちが恐れを捨て、「この世」を自分の家に持ってきて(私たちがこの世に同化するのではなく)それらすべてのカルチャーを神の目的のために変革し聖化するならば、私たちが敵の力に屈しない権威を持ってすでに実際に行使していることが分かるでしょう。」
主が私に言われました。「あなた方の中のある者たちは、敵を足の下に置くことに抵抗を示しています。その事が、あなた方が次のレベルの分け前を取る道を塞いでいるのです。あなたが敵にしたいことをわたしに願いなさい。そうすれば、わたしはその敵を連れて来て、今まで敵が押さえていたもの、かすめ取っていたもの、奪い取ったものすべてを、3週間以内にあなたに与えます。敵が今まで守って来た彼らの倉の鍵を、今やあなたが所有するのです!
収穫は必ず起こります! あなたの収穫のシーズンはある時に終ってしまったかもしれませんが、わたしの計画、わたしの定めた時に収穫のシーズンが再びもどってくるようにします。目を開きなさい。あなたの信仰の目を開きなさい。期待の目を開きなさい!わたしは収穫をあなたにとりもどすことが出来る神です。
もしあなたがわたしを慕い求めるならば、もしあなたの目をわたしからじっと逸らさないならば、わたしは天の窓をあなたの上に再び開くでしょう。それによって、あなたが失ったもの、あるシーズンにあなたが使えないように閉ざされていたものが、いま解き放たれるのです!あなたは収穫が起こることを今日確かに見るでしょう。
霊とまことをもってわたしを礼拝しなさい。そうすればわたしを知らなかった町やカルチャーを、わたしは一日のうちに変革させます。わたしの天の歌を聞きなさい。新しい歌は古いサイクルを打ち破ります。収穫の歌が今解き放たれています。天と共に歌いなさい。そうすれば、あなたの収穫を助ける万軍をわたしは遣わします。」(終わり)
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