08 9月
まどろむ者よ、目を覚ませ! テレサ•フィリップス 2009年9月8日
まどろむ者よ、目を覚ませ!
テレサ•フィリップス
私はあるショッキングな夢を見ました。それは私をひざまずかせるのに十分でした、喜びで! その夢はこうです。私と主人が車をドライブして丘を下っていくと、私たちの横を数人の人たちが乗った車が走っていました。すると、その車がコントロールを失って橋のそばにあったコンクリートの柱にぶつかってしまったのです。彼らの車は大破しました。私たちの車もその衝撃を受け損傷を受けました。
私は直ぐに救急に電話してから、車の中の人を助けに向かいました。一人の子どもが血を流していたので、毛布でくるみ近くの病院に連れていきました。私はもう一度救急に電話をしてから、二人目の被害者を病院に運びました。病院にいるときにも又救急に電話しました。というのは、病院でも誰も私たちを助けにくる人がいなかったからです!
私は主人が意識を失っているのに気がつき、助けを呼びました!誰も助けに来てくれませんでした。私は接着テープがあるのを見つけて、腹部が大きく裂けている女性の手当をし始めました。彼女の傷口をテープでふさぎはじめたのですが、もう一度助けを呼びました、、、「イエス様」と私はささやいたのです。すると傷口からの出血が止まり彼女は身を起こしました。私はホッとしました。でもまだ誰も助けに来ません。主人が意識を取り戻したのがわかりました。子どもも目を開け息をしていることがわかりました。全員の出血はすべて止まっていました。私はもう一度救急に電話をしましたが誰も来ませんでした。
すると、私の前にカーキ色のズボンをはき、ぱりっとした白いシャツを着た男の人が立っていました。私が「ドクター、今までどこにいたんですか?」と聞くと、彼は「わたしはあなたのすることを見ていたのですよ。あなたは私がすることを許されていることよりもうまくやっていました。I was watching you … you did better than I was allowed to do.」と言いました。実のところ彼は患者を治療することを許されていない医者だったのです。病院の医療関係者たちが来てくれないので、夢の中の私は本当に腹を立てていました。
夢から覚めたとき、私の身体は震えていました。夢の意味が私にはわかっていました。何か劇的なことを神が考えておられることがわかったのです。私はもう一つの眠りから揺り起こされたのです。それは主が実にどのようなお方であるかを忘れている眠りです。今は多くの者がその眠りから目覚める時であり、私もその中の一人として入れられたいと思いました!
その時、私は主を、主の臨在を、私のまわりに感じ始めました。夢の中で私は主の名前を大声で叫びました。そうです、私は主の御名を用い、主はそれに答えてくださいました。夢の中でその結果を私は見ることができました! 私は目を覚ますときに、はっきりとそのことを意識していました。主の教会はものごとを変えることが出来る、又、変えていこうとしているのです。私は「私たちが変えるんだ!」と大声で叫びました。私たちが変えていくのであり、又、変えていかねばならないのです! シフトです!
夢の中の男性は実に私たちのよき医者である主イエスでした。主は手を出すことを許されていなかったのです。主が「わたしはある I AM」という方という明白な真理にも拘わらず、「I was」と言われたのです。聖霊が新しい啓示へと私たちを目覚めされておられることを私は知りました。私たちは「わたしはある」という方をその言葉通りに受け取っていいのであり、又、受け取らねばならないのです。
御言葉通りに主を受け取る
“モーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」” 出エジプト3:13—14
神は、モーセに導くようにと託した 民のために「わたしはある」を遣わされました。それは「わたしはある」という現在形の言葉でした。即ち、今あるもの、活動しているもの、生きているもの、動いているものです。神はご自身の一部を与えられたのです。歴史を変え、時の流れを変えることになった啓示的な一瞬を神はモーセに与えたのです。神はアブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれましたが、モーセにはご自分の名前を与えられたのです! 神は変わることのない神であられるのです!
聖書によれば、神はモーセに「あなたをパロに対して神(即ち、わたし)とする。」と言われました。どうしてでしょうか? それは「わたしはある」という方があなたと共におられるからです。それは主との交わりであり、パワフルであり、啓示的です! モーセは神がご自分を顕されるのを見ました。今日、多くの者が自分のための燃える柴の前に立っています。何故でしょうか? それは今多くの者は、「わたしはある」という方に働いていただく必要を見るからです 。
まさに今この時 、私たちは神がここに確かにおられることを知っています。これは非常に重要です。神は「わたしはあなたを決して見放さず、あなたを見捨てない。」と言われるからです。
「主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたと共におられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」申命記31:8
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:20b
「わたしはある」という方が与えられている
「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。決して、その者にそむいてはならない。わたしの名がその者のうちにあるので、その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。」出エジプト23:20−21
「わたしはある」というお方は、天の聖なる都から遣わされた天使にご自身の名前を与えられたのです!ここに「イスラエルを守るために主から遣わされた天使のミニストリー」を私たちは見ることができます。「わたしはある」というお方がご自分の名前を分け与えられたのですが、それはどうして