14 9月
霊の武器のための銃弾の緊急招集 ビル ヨント 2009年9月13日
霊の武器のための銃弾の緊急招集
ビル ヨント
これまで私たちは 様々な霊的武器を敵の攻撃に用いてきましたが、近頃私はそれに関して疑問を持ち始め、「主よ、私たちは適切な弾薬を用いているのでしょうか?」とお聞きするようになりました。武器に合っていない弾薬とは、自分が召されていない(もしくは、かつては召されていたが今はもう召されていない)ミニストリーの場所にしがみついていて、どうして自分の部隊は戦果をあげられないのだろうといぶかしく思っている人のようなものです。
より高い目的へ
時として神は私たちのミニストリーが人々から拒絶される(reject)ことを許され、それによって私たちが もっと高い主の目的にむかって飛び出せる(eject)ようにされるのです! 神は私たち(個人)が更に高くのぼるようにと常に計らってくださるのですが、必ずしも私たちのミニストリーが高くのぼるようにされるとは限りません。「拒絶される reject」という言葉は「捨てられる throw away」という意味です。「飛び出させる eject」という言葉は「勢いよく追い出す、強制的に追放する」という意味です。もしあなたのミニストリーが人々や状況によって拒絶されたと思うならば、それは、神の目から見れば、もっと高い召しに向かうために追い出されたのかもしれないのです。
最近のことですが、私はある牧師のために祈る機会がありました。彼は自分の進むべき方向に関して主からの言葉を求めていました。彼がおかれていた状況は何も聞きませんでしたが、それは私が主のみ心を正確に聞くためにはその方が良かったからです。祈っていると私はパンプ散弾銃Pump shotgunのヴィジョンを見ました。この型の銃は、パンプすると自動的に空の薬莢を吐き出し、次の弾丸を銃に詰めることが出来るのです。
この牧師のミニストリーは、本人の目から見ても、また多くの教会員の目から見ても、全く拒絶され捨てられた「空の薬莢」であると見えました。しかし、神の目には、彼のミニストリーは勢いよく放り出されて、それによって主がもっと素晴らしい方法で彼を用いられることが出来るようにされたのです。神は私たちがもっと高くのぼれるように常に計らって下さいますが、私たちのミニストリーに関してはそうとは限らないことを忘れないでください。
次に、主が牧師自身を銃に詰め彼がまだ行ったことの無いところ、使徒的な召し、に向けて発射しようとしておられるのが見えました。散弾銃の中には沢山のBB弾が入っていて広い範囲の的にあたるようにしてあるように、「ばらばらになっても増大するミニストリーもあるのだ!この牧師のミニストリーはこれから広がって行き、近くや遠くの多くの的に当たるであろう。」と主が語られました。
時として神は、私たちをもっと高い目的に用いるために,私たちの人生から現在のミニストリーを取り出してしまわねばならないのです 。現在、一見すると後退しているようなミニストリーが多くありますが、実のところそれらは違う方向に向かって前進しているのだと私は感じます! 私自身のミニストリーを始めとしていろいろなミニストリーでそれが起こっています。私が喜びを持ってしていたことが人々に受け入れないように見えたのですが、それは私のミニストリーのその部分を神が追い出されて”ejecting”、私がより素晴らしく用いられるようにしてくださったのです。私はそのミニストリーを非常に愛していたので、自分から 手放すことは決して出来なかったことでしょう。ですから神は他の人々を使って私にあきらめさせたのです!
みんながあなたやあなたのミニストリーを拒絶しようとしている、という拒絶コンプレックスを持つのを私は勧めているわけではありません。あなたは正しいスピリットを持ち続け、神が人々の拒絶rejectionを用いてあなたを強く押し出すejectionまでは、反対する人々(あるいは反対されること)に忍耐せねばなりません。それが神の手によるものであり神のタイミングであるならば、あなたは今までの理解を遥かに超えた主の臨在と平安の「注入」”injection”を経験することでしょう。
あなたは銃弾
霊的な武器は何かと尋ね求めたときに、私はその銃弾を見つけたのでした。それは私たちです! 最近、栄光に満ちたワーシップをしている中で(にもかかわらず)、 敵を攻撃する武器の力が不足していることを感じ、それがなぜかを思い巡らしていました。すると主が「わたしの大砲にあなたを詰め込んでもいいか?」と言われているのを感じました。
これまで私たちは主の軍隊を立て上げるために、神にワーシップや祈りを捧げ、お金も出してきたように思えます。しかし、主は今、私たちが主の武器の銃弾になることを求めておられるのです。「この地上で敵を克服するためにわたしが持っているものはあなたたちだけなのだ!わたしを信頼しなさい、そしてわたしの武器にあなたを装填させなさい。」と主が言われているようです。主が必要とされるのは私たちが主に完全に服従し、主の霊的大砲や銃、戦艦に詰められ装備されることなのです。
主の銃弾になるという啓示は私を圧倒しました。弾丸は一度飛び出したら戻ってきません! 銃の中の弾は自分が撃たれた場所に戻ることはないことをよく知っているのです! 月日が経つうちに忘れてしまっていた大変重要な召しを私は思い出しました。それは神からの召しは引き返すことのない片道切符だということです。もしも引き返すことを少しでも考えるならば、私たちはきっと引き返してしまうでしょう。
神の召しを強く受けて世界の国々に宣教に出かけていった人々のことを以前読んだことがあるのですが、私はそれを思い出しました。神からの召しを真摯に受け取った人たちは、宣教地に向かう船に乗り込むときには自分の棺も一緒に積み込んだのです。彼らは自分がもう戻らないことを知っていました!もし戻ることを少しでも考えたならば、彼らは帰ってきていたことでしょう。彼らはイエスに従うことを選んだ日は、即自らに死ぬ日であることを知っていたのです。
「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしの言葉のゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」黙示録12:11
このように、主は私たちが 敵を攻撃するにあたって、片道切符しか持たないで主にどこまでも従って行くようにと召しておられます。霊の大砲、銃、戦艦が今、敵に狙いを定めて戦闘態勢に入りました。銃弾が今招集されつつあり、私たちが銃弾です!その召しに私たちは喜んで答えるでしょうか?(終わり)
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