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Walk With God Ministries

11 10月

幻 (その2) ジェシカ•ジョーンズ 2009年10月11日


幻 (その2)


ジェシカ•ジョーンズ

創世記にはアベルの血が地から叫び、神はそれを聞かれたと書かれています。それは血が声を持っていたことを示しています。血が叫ぶためには声が必要だからです。

神がこの声をどのように聞かれるのかを少し深く調べたいと思います。神は一体何を聞かれるのでしょうか? 箴言15:29に「主は悪者から遠ざかり、正しい者の祈りを聞かれる。」とあります。

しかし詩編66:18には「もし私の心にいだく不義(iniquity)があるなら、主は聞き入れてくださらない。」とあります。

「不義 iniquity」という言葉は、邪悪、堕落、犯罪、不道徳等を意味する「’avon」という言葉に由来し、その語幹である「’avah」は曲げる、よじる、歪めるという意味を持っています。

もしもあなたが祈るときの動機が不純であり正しくないならば、それは即ち主が真理や正義を曲げ、よじり、歪めることを主に願っているのですから、それが聞き入れられることはありません。私たちの言葉の色彩を変えるのは私たちの心(動機)にある邪悪さです。それが私たちの言葉を汚して白くない(不義、不正、聖くない)ものにしてしまうのです。

詩編145:18「主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求めるすべてに主は近くにあられる。」

誠実さと忠実さを持って主のみこころを求め従おうとするすべての者の近く(s空間的にも時間的にも) に主はおられるのです。主のみこころは私たちにとって常に良いものです。主はすべてのものを私たちの益となるように創られました。 私たちが自分や人々のために必ず益となる主のみこころと一致して祈るとき、私たちは花嫁としての自分の役割を果たすことができ、主と共に働いて良いものを造りだすことができます。この場合、 主のみこころと一つになっている故に私たちの祈りは白いのです。

ヨハネ9:31「神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。」

ヤコブ5:16「ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。」

罪は罪です。私たちすべてが犯してしまうものです。 しかし、もしも私があなたに対して罪を犯したならば、敵に侵略する法的権利を与えないために私はその罪を告白せねばなりません。言い換えれば、もし私があなたに対する罪を告白するならば、もはや敵が私たちの間にくさびを打ち込み私たちの仲を裂き、怒り(それは罪です)を起こさせようと侵入する扉を閉じることができるのです。

罪を告白し悔い改めることは、人と人との間や神との間に一致をもたらします。告白と悔い改めだけが私たちが義とされる唯一の道なのです。この世のすべての祈りや施し、またすべての善行もあなたを義人にすることはできません。私たちに赦し、いやし、義、不朽や不死をもたらすのは、告白と悔い改めだけなのです。

主はまことをもって主を呼び求めるすべての者の声を聞いてくださるのです。それが解放と自由のための鍵です。私たちは真実でなければなりません。真実は告白と悔い改めであり、自分自身と神と人に対して正直であることです。してしまったことが恥なのではなく、それをそのままにしておくことが恥なのです。


父なる神よ、あなたは私たちがあなたの御顔を拝しあなたの声を聞く力を与えてくださいました。イエスはこのようなキングダム•ライフをすべての者に回復するために死んでくださいました。あなたは私たちにそのための機会、力、憐れみ、恵みをくださいました。あなたはすべてのものを創られました。あなたは私たちすべてを御手の中に持っておられ、私たちを愛する故にいつもあなたの目が届くところに私たちをおいておられます。

あなたは私たちの近くにいつもおられます。それは私たちが正しく聖なる者となる方法をやっと学び始めたからです。どうかあなたをいつも私たちの目の近くに置く事を教えてください。おお主よ、私たちは何が必要であるのか、敵の手から完全に自由になるにはどうすればよいのかを教えてください。私を解放してください、主よ。私が知るべきことを教えてください。私が創られた目的であるあなたの花嫁になるために解放を与えてください。イエスの名によって祈ります。アーメン


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