19 10月
下って行くな、そこに留まれ キャシー•ウオルター 10月19日
下って行くな、そこに留まれ
キャシー•ウオルター
飢饉
私の友人が数週間前にポルトガルから一つのメッセージを送ってくれ、それをきっかけとして主は創世記26章のイサクとその地の飢饉の話を通じて私に語り始められました。
私は皆さんを力づける意味で「下って行かないで、、」と申し上げたいのです。御説明しましょう。イサクは自分の町ではなく他国に住んでいました。彼はカナンに住んでいましたが、そこに飢饉が起こりました。人々は皆カナンから出ていきました。生きるためには食料のあるところに行かねばなりませんから、それを責めるわけにはいきません。
イサクも自分の故郷、メソポタミアに帰りたかったのです。しかし神が彼に「下っていくな。そこに留まれ。」と語られたのです。それは聞く者にフラストレーションを起こさせる言葉でした。それは丁度モーセが目の前に紅海があり、後ろには迫り来るパロとその軍隊がいて、その間に挟まれた時に似ています。神はモーセに「じっとしていなさい。」と言われたのです。えっ、何ですって? 私なら「助かりたいなら逃げろ!」と神が言われると思ったことでしょう。そしてモーセもイスラエルの民にそう叫びたかったに違いないと思うのです。
神はイサクに「下っていくな、そこに留まれ。」と言われたばかりか、「種をまけ。わたしはあなたを祝福するであろう。」と言われたのです。それでイサクはそこに留まりましたが、何も起こらないようでした。飢饉だったのですからどんな実りもあたりには見当たりませんでした。飢饉とは「極度の食料不足」ということです。イサクは自分の目に映るすべてのものよりも主の言葉を信じることを選びとらねばなりませんでした。
何も起こらないように見えました。何の匂いもしませんでした。何の音もしませんでした。飢饉だったのですから、何もなかったのです。しかしイサクは種を蒔き、あたかも畑は麗しく育っているかのように振る舞ったのです。彼に投げかけられた色々な言葉が聞こえるようではありませんか。
「一体何をやってるんだい?」「どうしてここから出て行かないんだ?」「食料をどうにかして得ようとなんでしないんだ?」「どうして自分の国に帰らないのだ? 気でも違ったのか? ここにはおれないぞ。」
でも、イサクは何事もないように平常通り暮らしたのです。どうしてかお分かりになりますか? それは彼が回りの状況から情報を得たのではないからです。彼は究極の情報家である聖霊から情報を得たのです。
あなたはなにか困難な状況の中を通ったことがありますか? 人々から否定的な言葉を投げつけられたことがありますか? もしあなたが盗人や強盗がいる町の近くにいるならば、私は「そこには行かないように」と言うでしょう。
最近私はオーストリアのパースという町の近くにいったのですが、一緒にいた婦人が「この地域は昼間はよい所だけれど、夜は危険だから来ては駄目ですよ。いろんな事件が起こるのよ。」と注意してくれました。それを知らされてあなたはそこに散歩に行きますか? 訪ねていったりしますか? 勿論行きませんね。
でも、時々あなたは古傷を訪ね、自分の古い否定的な感情に相談したり、決して自分のためにならないと知っている考え方と連絡をとったりするのです。あなたがもはや解放されたのなら、あなたの思いの中の昔よく行って親しんだ場所を訪れてはいけません。絶対にあなたの益にはなりません。聖霊という情報家の言う事を聞いてください。
イサクはこの地で栄えました。それはこの土地が飢饉と神の人の両方を一度に受け入れることは出来なかったからです。ですから飢饉は去らねばなりませんでした!イサクはますます栄え、羊の群れや牛の群れを持つようになりました。12節にはイサクは「その年に百倍の収穫を得た」と書かれています。ペリシテ人たちはイサクがあまりにも富んだので立腹し、彼にこの地から出て行くように要求しました。イサクは従いました。彼はゲラルの谷に古い井戸を見つけ、それを再び掘りました。最初の二つはゲラルの羊飼いたちと争わねばなりませんでしたが、三つ目は大丈夫でした。その井戸はレホボテ(争いがない)と呼ばれました。
イサクが去ったあと、ペリシテ人たちは自分たちの祝福の源を失ったことを知り、イサクに戻ってほしいと思いました。28節「私たちとあなたとの間で誓いを立ててください。」と彼らは言いました。あなたの敵でさえ、神の御手があなたの人生の上に置かれていることがわかるのです。敵があなたを嫌っていたとしても、あなたの持っているものを欲しいと彼らは願うのです。
主の御声があなたの鍵
あなたの鍵となるのは主の御声です。主はいつ移動するべきか、いつ留まるべきかをご存知です。祝福する方に耳を傾けるとき、あなたは祝福されます。自分で見たり聞いたり感じたものによって行動するようにはあなたは召されていません。天の父があなたにするように告げられることをするようにと召されているのです。私たちは状況や事情によってではなく、神の御霊、御声によって導かれるのです。信仰によって私たちは生きるのです。
何年も前のことですが、私たちはフロリダ州のオーランドに住んでいましたが、その町を出るようにとのはっきりした主からの言葉を受け取りました。問題はその天からの御声は次にどこへ行けとは言われなかったことです。でもあなたが耳を傾ければ主ははっきりと指示を与えてくださることをご存知ですか? 私たちは「わかりました。ではこの町を出る事にします。でもいくつかのことを助けてもらわねばなりません。」と主に申し上げたのです。
例えば「どうやって家を売れはいいでしょうか?」ということです。それは厄介なことだったのです。というのは当時その地域は新築の家が余っていて、建築業者達はそれを格安に売り出していたので、私たちの家のようなものは売りにくい状況でした。聖霊が 「パッと明るい色の花を200ドル分買って家の前に植えなさい。’For Sale by Owner’(不動産屋を通さないで持ち主が直接売る)という看板を立てなさい。」と言われました。
数週間後にある男の人から 家を見に来たいという電話がありました。彼らが着たとき奥さんが「この地域で家を探していたんではないんですけど、この辺りを車で走るたびにこの花が目に入ったのよ。」と言うのです。彼らは花に惹かれてこの家に興味を持ちました。この件に関しては他にも沢山超自然的なことが起こりました。今それらをお話はしませんが、大事なことは次のこ