21 8月
「22:22」という鍵 ボブ&ボニー・ジョーンズ 8月21日
「22:22」という鍵
ボブ&ボニー・ジョーンズ
「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」イザヤ22:22
最近、私と妻のボニーに「22−22」という数が示されましたが、イザヤ22:22はここ数年,何度も何度も私たちに示されてきました。しかし、イザヤ22:22とダビデの鍵に関して、今までは見えなかった何かを今示されていると私たちは信じます。
イザヤ22章では、一つの大きな変化が起こっています。それまで実権を握っていた者たちが、「父たち fathers」によって取って代わられているのです。現在キリストのからだに、多くの「教師」はいますが「父」はほとんど見当たりません。
第一コリント4:15「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。」
父たちと母たちが息子たちや娘たちの霊の鍵を開ける
イザヤ22:21「その日、わたしは、わたしのしもべ、ヒルキヤの子エルヤキムを召し、あなたの長服を彼に着せ、あなたの飾り帯を彼に締め、あなたの権威を彼の手にゆだねる。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。」
古い権威であるシェブナ(イザヤ22:15)は、上記にあるように、新しい権威であるエリアキムによって取って代わられています。エリアキムは、「残りの者(レムナント)の父」という意味です。
この箇所は私たちに、残りの者の父たちが神の御国の鍵を与えられることを示しています。そして父や母たちが彼らの息子、娘の霊の鍵を開け、それによって息子、娘たちが神の御国を来らせることができるようにするのです。
息子、娘たちは霊のすべての賜物を持って現れ、主の栄光が訪れる道を備えるのです。宗教の霊が彼らを縛って来たところも、今や解放の霊が彼らを自由に解き放つのです。
私たちはかつてなかったような神の賜物の顕れを見ることでしょう。今まで「宗教」が統治して来た場所で宗教が終焉し、神の統治が始まろうとしています。この神の統治は、息子、娘たちの最も奥深い中から、キリストのからだに御国が訪れる道を備えるでしょう。
神の統治とは人民の、人民のための、人民によるものです。
「わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、神の国はあなたがたに来ているのです。」ルカ11:20(終わり)
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