31 8月
神の臨在 坂 達也 2010年8月31日
神の臨在
坂 達也
今、私たちの親しい人が「お金がいるので家の一室を貸して収入の足しにしたい、でも全く知らない人が同居するのは気がすすまない」と言っています。住宅事情の厳しいハワイでは、自分の家の一室を他人に貸すのはそれ程まれではありません。しかし、赤の他人が家の中をうろうろすると考えただけでも、正直な話、あまりよい気持ちがしないのは私だけでしょうか。
そこでふと気が付いたのですが、そんな私にも「同居人」がいるという事実です。その人は赤の他人では全くないのですが、一日のうち多くの時間を、私はその人をまるで赤の他人のように無視して、あたかもその人が同居していないかのようにふるまっているという事実です。
クリスチャンになる最大の特権は、神が私たちの中に来て住んでくださることであると思います。しかし現実には、クリスチャン生活を送っていて、神が私たちんのうちに住んでくださっていると言う実感と喜びを持って毎日を過ごしている方はあまり多くないように思えます。
クリスチャンは神の臨在のすばらしさを経験すればするほど神の臨在を求めます。そして多くの場合、それは外からくるように思え、自分のうちから来るという気がしないのではないかと思うのです。
数日前にある方に勧めたい本としてブラザー・ローレンスの小冊子「the practice of the presence OF GOD:神の臨在を訓練する」を久しぶりに本棚から取り出してぱらぱらと見ているうちに、彼が次のように言っているのに出くわしました。
「神の臨在に常に気が付いている(意識している)ことは大変重要なことであって、そのためには毎日、一日中神と会話をしている必要がるあるのです。」
と彼は言います。私はこれがクリスチャンのうちに住まわれる神の臨在を指して言っていると思うのですが、これこそ神の臨在を求める人には必須欠くべからざる秘訣であり、私たちクリスチャンはそれを自らを訓練すべきであると、この兄弟は真剣に主張しています。
続いて彼は、「この世のことをしているときは神と話はできない、と考えるのは間違っています。この世のことに忙しく対処しているときでも、心から愛しあがめる心で「神を見上げている」ことはできるし、それが私たちの魂を霊的に潤い培ってくれている」と言うのです。つまり、何をしていても常に「やさしい主とか父」を心に浮かべ、何事においても親しい神と「一緒にしている」という意識を持っていることが重要であるということです。そうするといつも主と共にいるという喜びに満たされて過ごせるとブラザー・ローレンスは言います。
救われて2-3年しか経ってないある姉妹が、最近、未信者のご主人と二人でホノルルの中心地にあるお店を出されました。この商売は二人とも初めての経験で、何から何まで分からないことだらけの毎日を長時間働きながら過ごす中で、その姉妹は「すべて主に聞いて、主と会話しながらやっています。」と明るい声で気付かう私たちに答え、その顔は輝いていました。
私はクリスチャン生活とはこのように生きることなのだと言うことに、今更のように納得が行き励まされました。難しい神学を学ぶことが大切ではないとは云いませんが、それよりも、イエスキリストが実践して見せてくれたこと[子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。」(ヨハネ5:19)と云われたことをそのまま真似て、私たちも普段の生活の中で実行することが「クリスチャニテイー」なのであって、なるほど「キリスト者」とはよく言ったものであると思った次第です。
最近私たちは日本へのミニストリー旅行から帰って来たばかりですが、色々な教会を訪ねる中で、主の臨在がある教会とあまりない教会とが、今はっきりして来ているように感じられました。主と本当に親密な関係を持つか持たないか、その差がこれから大きくあらわれるように思えてなりません。(終わり)
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