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12 9月

ボブ・ジョーンズ師が生前、マイク・ビクル師に語った 「シャロンのバラ」の預言 の意味 坂 達也 2020年9月12日  也


ボブ・ジョーンズ師が生前、マイク・ビクル師に語った

「シャロンのバラ」の預言 の意味  

 

                  坂  達 也

 

 以下の文章は2014年4月11日にWWGMに載せたものです。マイクビクル師はこのように語り始めました。(以降はビクル師の話)

 

 私がボブ・ジョーンズ師とはじめて会ったのは1983年で、今から30年前のことですが、私がカンサス市でまだ若い牧師だった時でした。その時ボブが私にした預言や話してくれたことは、当時の私にとってあまりに突拍子もないようなことで、全く理解ができませんでした。ボブ師は自分の死を見、自分の墓石を実際に死ぬ30年も前に見たのです。(ジョーンズ師は2014年2月14日に亡くなりました。)

 皆さん、自分の墓石を見るとは、どんな人なのでしょうね。彼は続けて言います。「墓石には『ボブ・ジョーンズ』と書いてありました。すると墓の中から美しい花が一つ咲き出てきました。非常に香りのよい美しい 花でした。そして主が『あなたの人生から美しいシャロンのバラが咲く』と言われたのです。」

 これは1983年にボブが話してくれたことですが、私はどう考えればよいのか全くわかりませんでした。彼は 「私は自分の死を見ました。」と言いました。後になって彼の語ったことはすべて正確であり真理であったことがわかりました。

 

  皆さんは雅歌2:1にある「私はシャロンのバラ I am a rose of Sharon」という言葉をご存知だと思います。30年前私は雅歌についてあまり知識がありませんでしたが、そのことは知っていました。そこで私は「ボブ、シャロンのバラというのはイエスのことですよね。」と聞くと、彼は「違う。あなたは間違っている。有名な歌の中に『イエスはシャロンのバラ』という歌詞があるのは私も知っています。しかし、それは間違いです。シャロンのバラと言うのは,キリストのからだの中で、 神の麗しさの香りが「第一の戒め」を通して溢れている姿なのです。と答えました。

私は「本当に? 確かですか?」と半信半疑で聞くと、彼は「そうですよ。私はイエスご自身から直接聞いたんですから。」と答えました。私は「そうですか、私はあまり雅歌を知らないんですよ。そうなんですか。まあ、そういうことにしておきましょう。」という感じで会話を終らせました。

 

「主が再び来られるときの世代は、第一の戒めを回復させ、世界中のキリストのからだの中でそれは第一のこととなる。主は第一の戒めを第一のものとして確立される。」ということを、主はボブを通してはっきりと語られたのです。しかし、私は自分が死ぬ前に自分の墓石を見たり、シャロンのバラがそこから咲いたりという話はあまりピンと来なかったので、そのことはあまりその後考えないままでおりました。

 

 それから5年後の1988年のある朝、私は教会のオフィスにおりました。そしてある方の結婚式のカードを読んでいたのですが、そこには雅歌8:6「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強く、ねたみはよみのように激しいからです。その炎は、火の炎、すさまじい炎です。」が書かれていました。

 その時、非常に尋常でないことが起りました。雅歌は当時そんなになじみがなかったのですが、何故か私はその時、その言葉を心の中で霊に動かされて祈ったのです。雅歌は愛の歌で、結婚の麗しさを歌っていますが、ご存知のように、それと同時に霊的な歌で、花婿なるイエスと花嫁なるキリストのからだとの愛の関係を歌っています私が6節のことばを祈ったとき、神の御霊が非常に特別な形で私のうえに下り、私は泣き始めました。そんなことは私にはあまり起こらないことでした。 私は「イエス様、私の心の上の火の封印となってください。あなたを愛します.....」と言いながら泣いていました。2.3分経ちましたが、聖霊はまだ特別な形で私の上に下っていました。

 そこで私は内線電話で教会の受付に「非常に変ったことが私に起こったので、誰からの電話でもつながないで欲しい。邪魔が入らないようにお願いします。」と頼みました。そんな願いをしたのは今までの40年間でその時だけです。

  私は「イエス様、私の心をあなたの愛で封印してください...」と祈っていました。主への私の愛は、主から私へのギフトなのです。私たちが主を慕い求める願いは、主が私たちの心に入れくださったものなのです。すると電話が鳴ったのです! 「どんなことがあっても電話はつながないようにと言っておいたのに..」と思って、私の心は一瞬にして霊的な高みから肉的な思いになってしまいました。「信じられない! なんていうことだ!」という感じでした。霊と肉の間を 私たちは何と超スピードで移動することでしょう。私は電話を取って努めて優しく「なんですか?」というと、受付の人は「ボブ・ジョーンズ師からお電話なんですが・・・彼はあなたへの神からのことばを耳ではっきり聞いたと言っておられます。ですから、あなたは多分お聞きになりたいと思ったのです。」と言いました。私は「勿論、勿論。ボブが神のことばを聞いたという電話ならいつでもつないでください。」と答えました。

 

 私は床にひざまずいて雅歌8:6を見ながら泣いていたので、うまく声が出なかったのですが、「ハロー」と低い声で言いました。ボブは「たった今、神の声を耳ではっきり聞いた。主は雅歌8章6節を語ってくださった。」と言うのです! 私は本当に驚きました! ボブは続けて「今私は1分しか時間がないのだが、主が今すぐあなたに電話をして伝えるようにと言われました。主は神の恵みを解き放ち、主が再び来られる日まで、雅歌8:6の油注ぎを世界中に与えます。キリストのからだ全体が 『Yes!』というほどの世界的な油注ぎ、恵みです。」と言うのです。

 その時は本当に60秒の会話でした。私は電話を切ってからも泣き続け、「主よ、どうか私にもそのようにしてください。」と祈りました。

 それから2週間ほど経ってから、ボブと詳しく話すことができました。

彼は「この雅歌8:6こそが第一の戒めです。第一の戒めとは実際に毎日生きるための油注ぎです。聖霊は第一の戒めを第一に回復させ確立する油注ぎを、世界中のキリストのからだに与えるのです。地球上の何百万人の人たち、人間的には弱く傷ついた人たちがこの油注ぎを求めるならば、主はそれを与えると言われているのです。」と説明してくれました。

 私はこの真理を知って大変興奮しました。皆さんもそうだと思いますが、私も神を愛したいと願います。しかし、神を愛するには神の力が必要なのです。それは私にもあなたにも出来ないことであり、神を愛そうと決心することは必要ではありますが、いくら決心したからといって出来ることではないのです。

ボブはこう言いました。「雅歌8:6の愛の炎、即ち第一の戒めのための油注ぎこそが、私が5年前の1983年にあなたに話した『シャロンのバラ』なのです。私の人生はその花が咲くようにキリストのからだを成長させることですが、花が咲くのは私が死んでからだということを私は知っています。しかし、私のミニストリーはそれを助けることであることを知っています。」

 

 第一の戒めは、申命記6章にあるようにモーセが神から受けたもので「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」です。そしてマタイ22章でイエスは、神がモーセに言われたことを引用してそれに説明をつけ加えています。即ち「これがたいせつな第一の戒めです。This is the first and great commandment.です。主は「first 」と「great」という形容詞を付け加えられたのです。それが意味するところは、この戒めが神にとって一番のプライオリティーであるということです。

 

 人は私によく「神は今何をしておられ、何を言っておられますか?」と聞いてきます。それに対して私は「神はいろんなことをされていますが、主が一番に、また、最もしていることを私は知っています。神は人々が第一の戒めを第一とするように働いておられるのです。」と答えるのです。

 また、主はこの戒めは偉大であると言われました。私のところに若い人たちが来て、「私の召しを神様から受けたい!」というのです。私は「あなたの偉大な召しを知っていますよ。」というと、彼らは期待しながら「何ですか?」と聞きます。 「それは第一の戒めを守ることであり、それを生きるための油注ぎを受けることです。」と私は答えるのです。

  ですから、私は神の恵みによりこの油注ぎが必ずくることを知っています。しかし今、ボブ・ジョーンズ師の死によって示されることがあるのです。彼はシャロンのバラが彼の死のあとに咲くのを見たのです。彼は、自分が40年間預言のミニストリーを通してしてきたことは、キリストのからだが神のこの召しに正しく応答するように私たちを強め養い育てることであったことを理解していました。

  この油注ぎこそ、私が一番求めるものです。そして聖霊も人々にそのように召しておられると思います。もう一度言いますが、神を愛するためには 神の力が必要なのです。神からの力が私たちのうちで働くときに、私たちは神を愛することができるのです。

 今60秒間、心を主に開いてみましょう。これは一回すれば主から油を注がれるというものではなく、少しずつ養っていくものであるのです。

                    (以上でビクル師の話終わり)

 

 

 さて最後に私(坂)は、皆さまに申し上げ、強調させていただきたいことがあります。それは今、世界は、未だかって無かった程のパンデミックで混迷の最中にありますが、私はそれをもたらせた「コロナ・ウイルス19」とは王冠がついていることに注目します。すなわち、王である主が悪魔にそうさせることを敢えて許されたのです。その目的は、クリスチャンの「教会」がいよいよ「霊的な目を覚ます」ための目覚まし時計という警鐘が高らかに鳴り響いたのです。そして19が20を迎えました。

 「2020は、主が再び来られる直前の世代(終末の時代)にいよいよ突入したことを意味します。その目的は、主がいよいよ「第一の戒めを第一のものとして確立される。」という大命令であることです。しかもそれは警鐘だけで終わらない。20年は教会が「これから主が来られるまで「その神を真のアガペの愛で愛する」ための聖霊の「油注ぎ」を毎日受けて、その油注ぎの中で過ごす」ことにあります。これこそが最も重要であるばかりでなく、これこそが「弟子訓練」であり、これこそが、すなわち大宣教命令」であることを認識しなければならないのです。ハレルヤ!

祈り

 聖霊よ、来てください。あなたは私たちの心を火で封印してくださると言われました。御父よ、お願いいたします。人々のいのちの中にどんどんと燃える火をください。今、火で心に触れてください。夢や幻、御ことばの啓示で、第一の戒めを人々の心の中に強めてください。ミュージシャン、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、すべての人がこの第一の戒めを守る油注ぎを毎日受けることができますように。(終り)


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