WWGM

Walk With God Ministries

11 7月

ション・ボルツ師の預言について ーー  パンデミックがなぜ終わらないのか       WWGM 坂 達也   2020年7月11日


ション・ボルツ師の預言について ーー

      パンデミックがなぜ終わらないのか 

 

                WWGM  坂 達也

 

 

 私は、3月3日のWWGMメッセージでボルツ師の預言をご紹介しました。その中心テーマは、折からの新型コロナウイルスのパンデミックが間もなく終焉するという神からのことばをボルツ師が聞いたという良い知らせでした。ところがそれ以来、既に三ヶ月以上経つのに、実際には「終焉に向かうどころか益々世界中に広がっているではないか」という疑問を持たれた方が多いと思います。その結果として、彼が「偽預言者」であるという声も聞かれます。

 そこで私は、ボルツ師自身が四月以降に何と言っているかを知りたいと思い、彼のミニストリーのユーチューブ画像を一、二見てみました。私は彼の書いた本も持っていますし、彼のミニストリーから送られて来る毎週のレポートをこの一年以上見て来ました。

  そこで、彼の録画を見て気がついたことは、ボルツ師自身が、神が彼に言われた預言が未だに実現していないことに正直に驚いていることです。そして彼が最近聞いた「主よりの言葉」を次のように説明しています。

 「私たちが神に向かって叫ぶなら、神は状況を好転させ、この問題の流れを変えて下さる。現在私たちは、ロックダウンと解放のさまざまな段階にあります。多くのクリスチャンが祈るために集まり、大規模な祈りの努力をして来ました。私は好転がもっと早く起こると思っていました。しかし、現在の状況は神のご計画ではなく、神は依然として私たちのために流れを変えるおつもりであり、それは人々の考えていることとはまったく異なるものとなるであろうと、主が再び言われるのを聞きました。」

 ボルツ師は続けて「このような悲劇の最中においても、素晴らしいことが起こっています。クリスチャンとしての私たちには、次のような約束があるからです。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる・・・」 (ローマ8:28)

つまり、神はいつも悲劇を勝利に変え、悪でさえも私たちのために用いられるお方であるということです。今神は、私たちクリスチャンが、私も含めて、この際自らを「リセット、再定義、再調整」する絶好の機会として、私たちに与えて下さっているというのです。私たち一人一人が、主より預言的な言葉を受け取るとき、私たちは自分ができることを地球上で行う任務があるのです。あなたが召されていることのために、私たち預言的指導者は、そのための空間と境界線を守る必要があります。この時期、神があなたに語りかけることに耳を傾けてください。神はご自分の性質から寛大にあなたに与えたいと願っておられます。」と付け加えています。

 

新約の教会に必要な「預言的ミニストリー」

 

 イエス・キリストが現れた新約の教会では、旧約の時代と違って「預言的ミニストリー」がオプションとしてではなく「絶対に必要」であるのです。

 その良い例が、イエスご自身が一人の女性に井戸端で語ったことが町中に広がりました。

 ですから使徒パウロは1コリント14:1で「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」と言い、また、ガラテヤ書5:6で「・・・愛によって働く信仰だけが大事なのです。」と言っています。ここで気が付かねばならないことは、どちらも愛が強調されていることです。

 

 

終末の時代には預言が増え、同時に、敵による偽預言者も増す

 

 使徒2:17−18には「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」 それはよくご存知の通り「あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。・・・すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。・・・」

 

 この聖句は、終末になると、ドラマチックな程、預言、夢、幻が増えることを示しています。なぜなら、私たちがクリスチャンになるときに聖霊が宿り、その聖霊を通して主イエスが毎日私たち個人に語られるようになるからです。そのことはマタイ4:4で「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」と書かれている通りです。

 しかし一方で、それに対抗する、敵からの偽預言と偽預言者が増えるのです。これは、モーセとファラオの魔術師が競ったように、初めからの神のご計画であり、このことは麦と毒麦の例え(マタイ13:24−42)によって一層よく理解できます。

 このたとえ話の中で、神は毒麦を抜くのを辞めさせました。その意味は、神は真の預言的訓練のために敢えて本物と偽物どちらをも、終末の時代に完熟するまで混成させておく。その目的は、本物と偽物を識別する訓練をさせるためであったのです。どちらも成熟した時、片方は麦の中身である実が成熟して重くなり、穂である頭が下がりますが、偽の毒麦の方は実がないので上を向いてふんぞり返っているところから明らかな識別ができます。

 つまり良い麦とはクリスチャンの私たちです。その私たちが、熱心に求めることによって、色々な形での夢、幻、啓示による「啓示の預言」が頻繁に起こるようになるのですが、重要なことは、霊的訓練の成熟によってのみ、私たちは毎日聞く主の「御声」に従って実際に生きるようになることです。これが終わりの時に良い麦の成熟した姿です。

 

 加えて重要な事は、私たちは神の真の心の内を知るように訓練されているのですから、それは「心の目で見る」霊的訓練であって「肉の目で見る」のとは全く違うことです。

 私たちクリスチャンが「心の目で見る」時に、真っ先に言える事は「神はあくまで愛と永遠の命で生きる方」ですから、そこに見えるものは、全面を覆う「愛」が滲み出ていることと同時に、その人は「永遠の命」から見た見方・ビジョンで生きていなければならないことです。そうであれば、霊的に熟した人間が「最終的に到達するところは、その人が神によって初めから与えられている destiny ともいうべき、最終的にその人がなる、到達すべき「神に似た性質と姿」になっていなければなりません。

 その例はアブラハムにあります。彼は遠い将来に目を向けそこに「神が建てている都市」を見て、そのビジョンこそが、あたかも現実であるかのように信じてその信仰で生きたのです。そのことをイエスご自身が次のように証しています。「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て喜んだのです。」(ヨハネ8:56)

 そのようなアブラハムであったからこそ、メシヤのタイプであると言われる我が子イサクを生贄として差し出せと命令されても驚かず、ヘブル書11:19にあるように「神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。」これが成熟した人間が最終的に到達する姿・ビジョンであるのです。アブラハムは一時的な現世に生きるのではなく、永遠の時を踏まえて生きたのです。

 この信仰に立つ生き方が、成熟した「預言的な人たち」の基本的な生き方であり、従ってそのような人は、その時々だけではなく、高次元の「最終的に神から召された時」を現実として住む人でなければなりません。

 

 最後の時代の「教会」は、「彼が信じた神は死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方で、望み得ないときに望みを抱いて信じました。それは「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。・・・神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。」(ロマ書4:17ー21)

 つまり、預言とは、神の将来の計画と目的を現実としてとらえる人たちであることがこれで分かります。

 

 

預言者には自分の預言の間違いが許されないのか

 

 イエス・キリストはマタイ24章で、終末の時代に起こる多くの事を預言していますが、その中で11節において「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」と言っています。その偽預言者は教会の外の人も多くいますが、クリスチャンの教会の中にもいます。

 そこで、私がご紹介したショーン・ボルツ師のコロナ・ウイルスに対する預言は、彼が言うように間も無く終焉するどころか、益々ひどくなっているとしてその預言は間違っていると言われれば、私はそれを否定しません。そうであれば、彼は偽預言者なのでしょうか。

 リック・ジョイナー師は、旧約聖書で有名な預言者サムエルですら、容貌や背丈を見て判断した見間違いを主が諫めた事実(1サムエル記16章)を指摘し、今は未だ終末の完熟の実りの時に入っていないので、多くの著名な預言をする人たちでも、自分も含めて、このような間違いをしない預言者は一人もいないと言いきっています。

 

 さて、私はショーン・ボルツ師の書いた本「Translating GOD」(2015年発行)を読んでわかったことは、彼が私の尊敬するボブ・ジョーンズ師とか、ビル・ジョンソン師夫妻、ピーター・ワグナー師、ランデイー・クラーク師、ジェームス・ゴール師、ボビー・コナー師、ランス・ウオルナー師、ジェッフ・ジェンセン師、ステイシー・キャンボル師、等々と言う預言のミニストリーのそうそうたる人たちの信任を得ている、将来有望な若手の、但し、未だ完熟途上の「預言的ミニストリーの指導者一人」であることです。

 

 彼自身が著書の中で「ゴールである啓示の目的は非常に単純です。神が見るものを見、神が聞くものを聞き、神がおっしゃていることを語り、神が愛するように人を愛することです。啓示が与えられるのは、永遠の世界にある神の心をこの世に表すためなのです。」と書いていることに私は注目しました。従って私は、彼の求めるものは先ず「愛」そのものであること、そして「父なる神、キリスト、聖霊」を心から愛し、恐れ(畏敬)てはいても、この世のものを恐れない「全き愛は恐れを締め出す」(1ヨハネ4:18)信仰に立つ預言的ミニストリーの指導者の一人であると信じますから、私は今回彼の預言が必ずしも「当たっていない」としても、決して「偽預言者」ではないと確信をもって申し上げられます。

 

 

民数記21:9との比較

 

 そこで私は、聖書に書かれている厳密にはパンデミックとは言えないにしても毒蛇(悪魔)が荒野でイスラエルの民を襲い、その毒で多くの人を死なせた恐るべきパンデミックに匹敵する災害を起こさせた(神が許された)お話しである民数記21:6ー9と現在世界を蔓延しているコロナウイルス被害を比較してみたいと思います。

 21:6−9にこう書かれています。「神が民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人が死んだ。民はモーセのところに来て、私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか・・・主に祈って下さいと、申し出たのでモーセは祈った。すると主は「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。それを仰ぎ見れば、生きる。」と告げ、その通りになったお話しが、十字架に付けられたイエス・キリストを見上げることに通じ(以上の話がヨハネ3:14に書かれています)そして3:16で「神は、実に、そのひとり子をお与えになった程に、世を愛された。それは御子を信じるものが、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」という代表的な救いの信仰に結びつけられるとすれば、今回のコロナウイルスのパンデミックも同じ目的を持っていると考えられないでしょうか。

 そうであるなら、今のパンデミックが世界中を蔓延していることは、神のご意志であり、折から最後の大リバイバルが始まろうとしていることを後押ししていると考えてよいと私は信じます。

 

 すなわち、私はこのように見るのです。終末の時代に入った今は、良いことにおいては、最後の大収穫である、大リバイバルが起こされる時、それと並行して霊的な覚醒、御国の弟子訓練においても大きな成果を見る時であると同時に、悪魔の業においても、その悪の成熟が頂点に達する時であり、御国の戦士であるクリスチャンが最終的な悪と対決する時である。それが、最終的に神が裁決する「悪魔に対する終末の裁きの時」に移行する時であることです。

 従ってこの伝染病のパンデミックが終焉するどころか、これが更に世界的な数々の大災害ー例えば今日本から中国に発展している記録的豪雨による大被害、それに世界各地で連鎖して起こるとされる前代未聞の大地震、天体異変、そして世界的な飢饉、また、人間同士、国同士の世界的大戦争に発展する要素と気配が既に濃厚であることです。

 

 と言う事は預言的に言えば、ボルツ師が見せられた時点は、コロナが発祥したばかりの中国の武漢での伝染現象に限っての預言であり、しかもそれは、その武漢での状況が、一時的に収まったかに見えた時点でした。このコロナウイルスは、中国政府が意図的に武漢にある研究室で作らせ、それが計画的にか、あるいはたまたまアクシデントとして外部に漏れて広がったにしても、このウイルスを世界に流布させるのは当初から中国の意図であったと、アメリカの内密情報で大統領府と軍部は確証を得ており、当時リック・ジョイナー師もしきりにそのことを言っていました。アメリカでは、中国が何としても世界制覇を目指し、着々とその軍備計画を進めて来ていて、いずれアメリカに挑戦する計画であることは目に見えていると言われて来ました。

 その後、各地、各大陸に物凄いスピードで急速に伝染が進んでおります。このパンデミックが、今では世界的経済破壊に繋がる深刻な事態に発展していて、それが特にアメリカでは政治的、ポリテイカルに扱われていることに大きな問題があることが明らかです。(続く)


Post a Comment