デイビッド・ウイルカソーン師 ー 1986年の預言 坂 達 也 2020年4月23日
デイビッド・ウイルカソーン師 ー 1986年の預言
「私は、世界に一大伝染病が蔓延し、バー、教会、政府事務所が軒並み閉じるのが
見える。その疫病は、未だかってなかった程にニューヨークの街中を震わせ、それ
まで祈らなかった信者を激しい祈り手に変え、聖書を熱心に読む者にし、神の人た
ちは激しい悔い改めを教壇から泣き叫ぶ。そして第三の霊的アウエークニングがそ
こから起こり、それがアメリカと世界を一掃する。
坂 達 也
ウイルカソーン師が始めたブロードウエイにあるタイムズ・スクウェア教会はニューヨークでも私たちが好きな教会の一つで、妻の柚実子が昇天する直前に二人で訪ねましたが、いつもの様に超満員でした。
師は、正に今ニューヨークで起こっていることを、幻で見たのです。また彼だけではありません。リック・ジョイナー師を含む多くの預言者が二〇二〇年からアメリカだけでなく世界的に第三のアウエークニングが起こり、リバイバルが始まると言っていますから、興奮せざるにはおられません。遂にその時がやって来ました!!
上記でウイルカソーン師は「ニューヨークの街中を震わせ、それまで祈らなかった信者を激しい祈り手に変え、聖書を熱心に読む者にし、神の人たちは激しい悔い改めを教壇から泣き叫ぶ。」と預言しました。私はこれが今回のパンデミックを神が起こし、世界を震わせている最大の理由であると確信します。何故なら、それ無くして第三の霊的アウエークニングは起きないからです。
このウイルス・パンデミックへの解決策は、世界中で目下暗中模索の状態ですが、最近アメリカで分かって来たことは、検査を受けない人が、自分も知らないうちにウイルス菌が身体に入り、知らないうちに癒されている人が非常に多いということです。
実は私は、昔から鼻水が出る程度の症状の軽い風邪はしょっ中引いていますので、最近も軽い風邪は毎週と言ってよいぐらい引いています。ところが昨日は、同じ風邪引き症状でも身体が何時もよりだるいので、「もしかして」「遂にやられたか・・・」と思ったのです。しかしよく考えてみると、特に高熱ではないし、咳き込むこともそれ程ない、また他にどこも異常はないので、私は知らない内にウイルスに罹り、知らない内に癒されていて、今回のウイルスへの抗体が既にできている、あるいは軽い風邪引き症状が作り出したのかもしれません。(というのは、私はワクチンを打ってもらわないのに流感に罹ったことがないのです。)
一つだけ確かなことは、この病気が、私を含めて全ての人間にとって絶対に避けられない「肉体の死」という可能性を今リアルに見せているという事実です。
それで思い出すのは詩篇91:6、7に「・・・また暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。千人が、あなたの傍に、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには近づかない。・・」と書かれていることです。
死を恐れない、あるいは、不安を感じない人間は通常いません。とすれば「創造者の神」がいるのかいないのかー「人間はどこから来て、どこへ行くのか」というような「人間存在の根本問題」を、この際好むと好まざるにかかわらず、すべての人間に神が考える機会を与えておられるのではないでしょうか。
人間の身体は絶妙にうまくできている
普通に健康な人間であれば、人間の身体には「抗体という免疫力」が備わっていて、多くの場合、細菌と呼ばれる外敵に打ち勝つことができるように造られています。この事実は高校の授業で習います。ところが人間は感情の動物ですから、強い外敵に対しては「恐れと心配」を持ちます。その恐れとか心配が異常に強い場合は、その免疫力を弱めることも知っています。そこで私は昨日、何が私たちの持つ免疫力を弱めるかを考えてみました。
怒る、怖い、腹を立てる、いらいらする、憎む、うらむ、悪いことをして後ろめたい気持ちになるーーこのような「良心の呵責」というネガテイブな気持ちを持てば、それが微妙にマイナスに影響しないでしょうか?
一方、人を愛する、喜ぶ、嬉しい、人に良いことをして上げた、感謝したり感謝される、平安で安心、何の憂いもない状態の時は免疫力がグッと上がりますね。それはまさに、1テサロニケ16−18に書かれている「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。・・」です。
この状態で毎日を過ごし、神を賛美礼拝していれば、最高の免疫力・抗体ができた状態で生きている事にならないでしょうか。
加えてクリスチャンであれば、イエス・キリストを救い主として信じる信仰を持ちますから、全能の神の力を信頼し、全て神が解決してくれるという信仰と共に「永遠のいのち」が与えられるという、100%免疫力以上のポジテイブな力となります。
そして私は、以上のことが1ヨハネ4:18「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。・・・恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」ことと大いに関係ある事に気が付きました。
すなわち、私たちが「恐れ」を持つ時には抗体不足で病気になりますが、恐れが全くない時は、恐れとその恐れの原因の全てを閉め出すと、この上記の御言葉を解釈します。何故なら「私たちが持つ愛が全きものとなる時=恐れが全くない時」とは、私たちが「愛の神」の持つ力をそのまま発揮できるからです。
神は愛する人間を自分の子供として、どんなことからも永遠に必ず守ってくださる方であるからです。
そして、その夜私は、主の御前で一時間ほど激しく祈りました。それは私を脅す私たちの敵である「悪魔」に対して、十字架上で私たちのために既に勝利を得て下さったイエスの血潮の力を叫び、勝利を宣告するという闘いでした。
このパンデミックの時こそ、恐れを持つ未信者を信仰に導く絶好のチャンスではないでしょうか。リバイバルの時です!(終わり)