何故神は、今回のコロナウイルスが世界を蔓延することを許されたのか(2) 坂 達也 2020年4月7日
何故神は、今回のコロナウイルスが
世界を蔓延することを許されたのか(2)
坂 達 也
今週は先週に引き続きパンデミックを起こすことを許す神の目的を聖書から学んでみたいと思います。
恐れは人間を神に向けさせ、しがみつかせる
「恐れ」は人間を神に向けさせ、しがみつかせることを私たちは知っています。その良い例がアブラハムの孫に当たるヤコブです。
彼は双子で先に生まれた兄のエサウを騙して長子の権利を奪いました。又、父のイサクをも騙まして、親からの祝福を独り占めしました。それに気が付いたエサウが400人の部下を連れて、ずる賢い弟のヤコブに仕返しに来ると聞いて、ヤコブは非常に恐れたのです。そこでヤコブは神に祈り泣きつきました。(創世記32:7ー11)
そこで一人になったヤコブに神が送った御使いが現れ、二人は腕ずくで闘い始めました。明け方近くまで闘った御使いが、勝てないと見ると、ヤコブのももつがいを打ちました。こうして自分の力は使えなくなったヤコブはそれでも諦めず、必死に御使いにしがみついて離しませんでした。
神はヤコブを試したのです。ヤコブという名前の意味は supplanter 「騙してでも奪い取る」と言う意味です。すなわち、ヤコブは神の祝福を受けるまではどんなことでもする」男でした。(これについては創世記27:35、37をご参照下さい。)神はヤコブの意図が本物であることを見てとって、ヤコブに新しい名「イスラエル」という名前を与え、最後に祝福しました。イスラエルとはイエス・キリストの名前の一つです。(ホセア11:1、マタイ2:15、イザヤ49:3)これに関しては私の拙書「キリストの弟子」をご覧ください。
私は今回のパンデミックで神は「人々に恐れを持たせ」それによって人々が神であるイエス・キリストに必死にしがみつかせる意図を持っていることに気が付きました。
もう一つの例もあります。それは民数記21:4、5ですが、これこそパンデミックの元祖で最たるものの一つです。
「民は神とモーセに逆らって言った。『なぜあなたがたは私たちをエジプトから連れ上って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物(マナを指す。)に飽き飽きした。』そこで主は民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだ。民はモーセのところに来て言った。『私たちは主とあなたを非難して罪を犯しました。どうか、蛇を私たちから取り去ってくださるよう、主に祈って下さい。』モーセは民のために祈った。すると、主はモーセに仰せられた。『あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。』モーセは一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけた。もし蛇が人をかんでも、その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」
これは明らかに神が蛇(サタン)に疫病を起こさせ、人々がそれに感染することを許された。しかし、その救助策として、モーセに「青銅の蛇」を作り、それを旗竿の上高くに上げ(これは十字架上のイエス・キリストを指す)それを仰ぎ見上げる者は癒されるようにされたのです。ハレルヤ!
このことは新約聖書のヨハネ3:14−15で次のように引用されています。
「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠の命を持つためです。」
そして更に、1コリント10:11で「これらのことが彼らに起こったのは、戒めのためであり、それが書かれたのは、世の終わりに臨んでいる私たちへの教訓とするためです。」と書かれていますから、まさに今それが起こっているとしても不思議ではありません。
又、上記に続いて13節で「・・・あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(終わり)