プレイズとワーシップの違い スコット•フィリップス 2019年12月3日
プレイズとワーシップの違い
スコット•フィリップス
プレイズ(賛美)とワーシップ(礼拝)には大きな違いがあることを理解することは大変重要です。まずプレイズについて次の3つの事を理解することが大切です。
プレイズは自然なもの
聖書が多くの箇所で明確に語っていることですが、自然界のものはすべて、唯一まことの神を生き生きと賛美しています。
詩篇96:11−12「天は喜び、地は、こおどりし、海とそれに満ちているものは、鳴りとどろけ。野とその中にあるものはみな、喜び勇め。そのとき、森の木々もみな、主の御前で、喜び歌おう。」
すべての被造物は、創造主への絶え間ない賛美に参加しています。バラの花、草の上の露、或はふくろうの鳴き声や牛のモーという声など、すべての自然界は創造主を賛美していると言ってもよいでしょう。朝小鳥がさえずる声や夕方のコロロギの鳴き声の中にはメロディーもあります。これらはすべて神によって創造されたものたちの賛美の合唱の中で歌っているのです。
プレイズはすべての者がすること
エルサレムに入城されるイエスを群衆は喜んでむかえ賛美しました。主は、彼らをしずめるようにと言われた時、「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」と言われました。これは賛美が止む事はないことを語っています。天の軍勢も自然界もすべてが賛美しているのです。
聖書は「すべてのものはひざをかがめ、すべての口が『イエスは主である』と告白する!」(ピリピ2:10−11)と言っています。今主を賛美するか、それとも後になってから賛美するかのどちらかですが、いずれにせよ、あなたは必ずイエスを賛美するのです。
プレイズするのに才能は不要
賛美は自然で誰もがするべきものですから、賛美をするためには何の才能も徳も必要ではないことがわかります。賛美をする理由は数えきれないほどあります。健康や富や知恵を与えられていることで私たちは神を賛美します。又、家族や家や必要な物を与えられていること、或は癒し、いつも守られていることに関して神を賛美します。これらは主がしてくださったことを感謝する賛美です。
ワーシップとは何か
それでは次にワーシップについて考えてみましょう。誰でもすべての人は、意識的に、或は無意識に神をワーシップしています。しかし実のところワーシップは、気弱な人のものではありません。それはプレイズとは全く異なるものです。聖書で最初にこの言葉が用いられたのは次の箇所ですが、「言葉はそれが聖書の中で最初に用いられたときの状況がその意味を最もよく表しているという法則(the Law of First Reference)」によるならば、私たちはここからワーシップの意味を深く知ることができると思います。
創世記22:1−5
これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出掛けて行った。三日目にアブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたはろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝(worship)をして、あなたがたのところに戻ってくる。」と言った。
ワーシップは決して一面的なことではなく、多くの要素を持ち、多くの事柄を網羅していることを理解することが大切です。
真のワーシップの3つの面
1.真のワーシップは「降服 Surrender」する行為
アブラハムは、自分の希望、信仰、夢をすべて神の御こころと御手に委ね、降服することを決意して旅に出ました。
2.真のワーシップは「服従 Obedience」の行為
アブラハムは神から命令を受けたとき、何一つ疑いや不平なしに、それを果たすための作業に取り掛かりました。これは私たちには簡単なことではないかもしれません。多分ぶつぶつと不平を言うかもしれません。しかし、私たちが絶対的な服従という境地に到達するならば、その時こそ私たちは「ワーシップの領域」へと入っていけるのです。
3.真のワーシップは「いけにえ Sacrifice」の行為
いけにえはワーシップを完全なものにするための鍵となる要素です。いけにえのないワーシップはワーシップではありません。
ワーシップに必要なもの
アブラハムは旅に出るとき、3つのものを持っていきました。真のワーシップをなすためには、私たちは正しい材料を用意し携えて行かねばなりません。
1.薪
すでに死んでいるもの、火がつきやすいもの、燃えてしまうもの。即ち、いろいろな問題や疑いなどであり、すでに死んでいるもののことです。誰でもそのような薪をもっています。もしあなたが神のために生きているならば、火を燃やすに充分なたきぎを集めることができるはずです。
2.火
熱いもの、光があるもの、すでに死んだものと死ぬべきなのにまだ生きているものを焼き尽くすもの。火はそれに触れるのものすべての分子構造を変えます。あなたが薪に火を近づけると、死んだものを燃やすと共にその中でまだ生きているものを取扱い燃え尽くす環境を作りだすことができます。
3.刀
ワーシップが本当に始るのはここからです。誰でも火はおこせますが、いけにえのないワーシップはただの野外料理です。私たちがすべてのものを捧げて祭壇に置くならば、その時、神が私たちの人生にもっと豊かにかかわってくださるのです。
「すでに死んだもの」を整え並べたならば、あなたは火を燃やし始めることができます。そしてそれは同時に神が捧げることを要求された「まだ生きているもの」の上に刀を振り上げる時なのです。あなたが賛美を超えて神の臨在の中に喜んで入りワーシップするとき、神はあなたに約束だけではなく確約をくださるのです。あなたが賛美の歌を歌うだけではなく、もっと奥深く神の臨在へと入って行く事を心から願うとき、あなたは想像をこえた神の祝福を受け取るのです。
ワーシップは人類に与えられた究極の光栄な特権です。御父が求められるのはまことのワーシップであり、そこは天使さえも入りたいと願う領域なのです。しかしそこはあなただけが占めることができる領域です。あなたには他の誰にも歌えない歌があるのです。あなたには他の誰にもない捧げものがあるのです。あなたは他の誰にも輝かすことのできない光を持っているのです。
肉のヴェールを超えるとき、聖霊の富と栄光があなたを待っています。(終り)