神との関係をレベルアップする(その1) グラハム・クック 2019年10月8日
神との関係をレベルアップする(その1)
グラハム・クック
今日は、私たちが主との関係をもっと深めることが主の御計画だということをお話したいと思います。それは私たちが今混迷の時代に生きているからです。世界で今混乱していない国は一つもありません。この無秩序な混乱に対して私たちは、イエスとの関係をもっと深めて立ち向うことが不可欠です。まず、今はエレミヤ31:3の時であると思います。
エレミヤ31:3「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。(I have loved you with an
everlasting love.)それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。(I have drawn you with
unfailing kindness. わたしは絶えることのない優しさであなたを引き寄せてきた。)』」
この聖句をよく読んで、次のように自分に問うことが大切だと思います。即ち、「私は本当に主に引き寄せられた所にいるだろうか?
引き寄せられることを自分に許しているだろうか? 私の人生に、又私の状況の中に永遠の神の愛を期待し待ち望んでいるだろうか?」と問うのです。
あなたの周りに問題はなくなりませんね。それは様々に形をかえてやってくるのです。状況や問題がやさしくなることはありませんから、私たちが成長し変ってゆかねばなりません。そうなるためには、自分の内におられるキリストがどのような方であり、神が私たちのためにどのような方になってくださるのかを、まず自分の人生の土台に据えねばなりません。
どのような事態、問題の中でも、私が神に好んでする質問は「この問題の中で、あなたは私のためにどのような方になってくださるのですか?」というものです。私たち一人ひとりに対する神の第一の目標は、私たちが神を大好きになることだからです。あなたの人生の状況や問題を用いて、私たちがどうしたら神のようになれるかを、神は教えようとしておられます。それが「御国における関係の学び Relational Learning in the Kingdom」と呼ばれるものです。
神は私たちを救助するためではなく、私たちを元気づけ、回復させ、私たちが問題の下敷きになって押しつぶされるのではなく、その上で生きるようにしてくださるために神はいてくださるのです。
イザヤ63:7にはこう書かれています。
「私は、主の恵みと、主のくすしいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」
私たちはこの場所から生きるのです。即ち、完全に期待し、信じて待ち望む場所です。私たちに対する神の御思いが、そのまま私たちの思いになるのです。神があなたをどれほど愛しておられるかを知るとき、あなたはどれほど信じ期待してよいかを知るのです。
もしあなたに娘がいるならば、そのことが理解できると思います。私の娘はそばに来て、「あのね、お父さんは私をすごく愛しているよね。」と言います。私は「まあね。」と答えます。娘は「私をすごく愛しているのはお父さんの様子をみればわかるわ。」と言うので、私はまた、「まあね。」と言います。私は娘が何をねだるのかを待っています。娘は父親にねだることができることを知っているのです。でもそれがあまり高価なものである時は、買ってやることができない時もあります。娘が肉の父親である私にねだることができるように、天の父にもねだることができる事を、私は娘に教えました。そして天の父のほうが勿論、私よりもっとよくしてくださるのです。だから娘は私に期待するように、天の父に期待していいのです。
今娘は私が持っている会社の一つを経営していますが、私にお金をねだったように、御父を信じて期待しています。それは素晴らしいことだと私は思うのです。自分がどれほど相手に愛されているかを知るとき、その人との
関係が築けるのだと思います。自分はその人からどれほど厚意を得ているかを知るならば、その厚意を用いることができます。
神は私たちに願ってほしくないものもあります。神がすでに与えておられるものを私たちが更に願うことを、神はしてほしくないのです。考えてみてください。あなたが神に願ったのに、何も起こらなかったことが何度ありましたか?
それは神が「あなたが願っていることは、キリストにあってあなたはすでに持っています。 すでに与えているものを『下さい』と頼んではいけません。
あなたが持っているわたしとの関係を調べてみてください。その関係がどう改善されるべきかを知り、その関係に入ってください。」と言われるのです。
私たちは今日、そのような神との関係に入りたいと思います。私たちには果たすべき任務や召しがあり、それを果たすためには、
神との関係を今よりも深め強めなければなりません。これは皆さんを批判しているのではなく、神との関係はどんどんと深く強いものになる可能性があるということです。私たちは更に深いレベルでイエスからすべてを受け取ることができるのです。
神は私たちを情熱的に愛しておられ、それが私たちの内にも熱心さを生み出します。神が私に関わってくださる方法が私は大好きです。私はそれを探検するのが好きなのです。イエスは大きな国ですからね。私たちは彼がどのような方なのか、「キリストの内にある」とはどういうことなのか、「キリストを内に持つ」とはどういうことなのかを探求せねばなりません。
そのような領域をあなたは掴み取らねばなりません。あなたは その領域、
約束の地を今すでに受けているのです。約束の地とは、即ち、「あなたの内にキリストがおられ、キリストの内にあなたがいる」ことです。そして私たちはその領域を探求せねばなりません。ただ個人や家族としてだけではなく、地域社会としても探求するのです。私たちは今までとは違うレベルで祈り始め、必要からではなく、必ず答えられると予期して祈り始めねばなりません。
もしあなたが預言の言葉を受けているならば、それを祈りの中に組み込むことが必要です。もし神からの約束を頂いているのなら(約束は天国の通貨です)、その約束をあなたの思考や物の見方、言葉、祈り、讃美の中に組み込むことによって、あなたがそれに取り囲まれるようになることを神は望んでおられます。
あなたは約束を掴み、用いて、その上に立つのです。約束はその許可証です。聖書の言葉も許可証です。預言も許可証です。それは神が「そうだ!」と言っておられることなのです。
神が何年も前にすでにくださっている物を願うことを止めてください。ずっと以前に預言の言葉を受けているならば、その言葉を奥の方から一番前に出してください。
ずっと以前にその預言を受けた時、それはあなたにとっては耳慣れない言葉であり理解が出来なかったのですが、今のあなたにとっては、まさにそれは「今この時のための言葉」かもしれません。今はその預言が解き放たれる時です。神が必ずよくしてくださると期待し予期することによって、今は問題だとしか思えないことを、可能性として捉えることができるようになります。
もしあなたに問題があるならば、それと共に神は必ずそれを解決する可能性も用意されるのです。あなたがキリストにあり、キリストがあなたにあるならば、すべてのことは可能なのです。即ちすべての問題は可能性に変えられ、あなたは期待と確信をもって神に近づくことができるのです。
私は「Brilliant Perspectives」「Brilliant TV」「Brilliant Book
House」という3つの会社を経営していますが、スタッフには「私は、あなたたちを『問題』を取り扱うためにではなく、『可能性』について話し合うために雇ったんですよ。問題を可能性に変えるために皆さんに給料を払います。私のところには、問題についてではなく可能性について話すために来てください。神は可能性の神であり、私たちは御国の住人であり、御国では違う法則が適応されるのです。この世では艱難がありますが、御国では別のものを与えられるのです。
ですから、あなたはどの立ち位置から生きるのか、どなたの内に生きるのか、そして人生の土台は何かを決めねばなりません。個人的に、また家族、教会のキリストにある霊の土台がもっと強められる必要があります。
それによって私たちはただ期待するだけではなく、必ず良いことが起こると予期する生き方をすることができるのです。
今の混沌とした世界で、私たちは混沌の中の問題を見るのではなく、天にある可能性を見るのです。
私たちは今「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ3:2)」という時に生きていて、そのレベルまで上る必要があるのです。そしてそうさせてくれるのが、期待、約束、預言、御言葉なのであり、クリスチャンに与えられた特権以下ではなく、それより上のレベルへ私たちを上げてくれるのです。
自分が神に愛されていると知り、神のあなたへの情熱は愛に根ざしていると知ることは不可欠です。神はあなたに情熱的であり、それは神があなたの中にいるキリストに情熱的であるからなのです。神はあなたの中にキリストを与えて、神がイエスを愛するのと同じようにあなたを愛することができるようにされたのです。
ヨハネ17:23−26でイエスは「わたしたち(御父とイエス)が一つであるように、彼らも一つであるように。あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛するように。」と言われました。これこそがあなたがキリストのうちにある意味であり、これによりあなたがどれほど愛されているかを知ることができるのです。
あなたの人生の中でその愛を強めるために、神がどれほどつくしてくださったか、そしてあなたはその神の愛を知る故に、神にねだってもいいのです。
娘は私に愛されていることを知っていたので、それをいい事にしてつけこんだのです。それは娘への愛の故に私が許したからです。
そして神は私より何百万倍も大きい方であることを娘に知って欲しかったのです。それは娘の霊的学びのために本当に大切な事でした。娘は今そのような生き方を実践しています。
私たちは、イエスの慈しみと厚意をもっと高いレベルで
知ることがとても大切です。私たちは、神がどれほど自分を愛し助けくださる方であるかに感動することなしに、山を動かすことはできません。預言や約束を成就させるために神のパートナーとなりたいならば、イエスとの関係を今の生ぬるいままにしていてはいけないのです。
集会に来たら自分がレベルアップされると考えるのを止めねばなりません。レベルアップはあなたと神との関係によってなされるのです。怠惰であってはなりません。
私も怠惰なときがありました。自分は霊的に怠惰で、誰かのミニストリーに助けてもらっていました。でもイエスとの関係を深めることは、自分でしか出来ません。みんなそれは分かっていますね。何もしないで関係を深めることはできません。イエスが私たちと一生懸命に関係を持とうとしておられるのに、どうして私たちは努力をしないのでしょうか。神はそのような私たちが変るように助けたいと思っています。(続く)