次のシーズンに入る時 ダッチ・シーツ 2019年9月3日
次のシーズンに入る時
ダッチ・シーツ(Dutch Sheets Ministry)
20年ほど前に私はある宣言をしました。その時私は主に向かって
「主よ、私は今まだ起こらない事を宣言していることを知っています。でも油注ぎが私の上に注がれると、『これが起こる!起こっている!御国が来るように!御こころがなるように!』と私は宣言せずにはおられないのです。
霊のうちに20年はまだ起こらないことを感じているのですが、しかし、今それを宣言せねばならないことがわかるのです。 」と申し上げました。
ある時私は、イザヤ46:10を思い巡らしていたのですが、そこには「わたしは、終わりの事を初めから告げ、まだなされていない事を昔から告げる」とありました。すると主が私に語ってくださいました。
「わたしは『初め』から始めるのではありません。『終り』から始めるのです。わたしがすべてのことをすでにわかっているのは、そのためです。わたしには『やっとこれをすることができた。』とか『やっと決めることができた。』ということは決してないのです。
わたしは終りのことを初めから宣言し、わたしがすでに見て宣言したことを保証するのです。わたしから油注ぎを受けるとき、あなたはわたしと同じ霊的領域に入るのです。ですから、あなたが見るものを宣言し、わたしが語っていることを宣言し続けなさい。いつか遂には『その時』がわたしの宣言に追いつくのです。」
そして主は「何年も前の預言、約束、宣言、祈りが今という時と交わり出会っている。」と言われました。これはパワフルな言葉です!
神はアブラハムとサラに「あなたがたは、わたしの約束を信じ、また信じるために24年間努力し、もがいてきました。でも今、『時』がきました。今が『その時』です。」と言われました。
主は遂にアブラハムのところに来て 「来年の今ごろ、イサクが生まれます。」と告げられたのです。
それと同じように、「その時」というシーズンに今私たちは入っていこうとしているのです!
「あなたが20年前に宣言したとき、それが20年先まで起こらないことをあなたは知りませんでしたね。」と主が言われました。そして神は今アメリカに言っておられます。「あなたの祈りは聞かれています。あなたはわたしと一致しています。あなたが祈り、宣言し、語り、わたしと共に労苦したので、今わたしはあなたを通して働くことができます。今大いなる魂の収穫のブレークスルーのシーズンへと入っています。答えを見るシーズンに入っているのです。」
パウロの時
昨夜私はパウロのことを考えていました。使徒行伝13:2で聖霊が「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい。」と言われました。パウロはダマスコに向かっているときに神との劇的な出会いを経験しました。彼は殺人犯でした。クリスチャンの殺害を指揮していたのです。彼らを家から引きずり出し牢獄につなぎました。悪人だったのです。しかし彼は「自分は神に仕えている。」と信じてそうしたのです。神はパウロを捉え、彼の間違いを示しました。主はご自身を現し、パウロを変革させました。そして「パウロ、あなたはわたしのためにこのような働きをする。」と言われました。その後パウロは12、3年間の準備期間に入ったのです。
彼の準備の中には、ただ何かを与えられ学ぶだけではなく、彼がそれまで持っていた宗教的システム、宗教的思考態度、今までの学習の中の間違いを取り去るという作業もありました。そして遂に
「パウロとバルナバをわたしのために聖別せよ。」と神が言わる「その時」が来たのです。言葉を代えれば、「約束」と「その時」が交わり出会ったのです。
ORIZO 天命
昨晩主が思い出させてくださった言葉があります。オリゾ(ORIZO)というギリシャ語で、英語のHORIZON(水平線)の語源であり、天命とか目的という意味をもちます。水平線は境界線とか領域を示し到達すべき地点をあらわすので、自分の人生の天命とか使命、召し、目的を意味するようになったのです。即ち、神があなたのために目印をつけた地点であり、それがあなたの目指すべき目的であり、天命なのです。「これがあなたの人生でわたしがすることです。」とか「これが今のシーズンにわたしがすることです。」と神が言われる地点なのです。
Orozoの前にproをつけると、神が予め定められた目的、天命という意味になります。予め定められた(predestined)、とは、前もって決められているという意味です。即ち、神があなたの天命、デスティニーを用意して持っておられるということす。神はあなたの人生で何をしてもらいたいかを一生懸命頭をひねって今考え出そうとしているのではないのです。あなたが最初の息をする前から、神は天にある本にあなたの名前とあなたのための計画をすでに書かれているのです。
そしてすべてのシーズンに、神はシーズンの境界を設けられ、私たちはシーズンからシーズンへ、栄光から栄光へと進んでいくのです。神が予めあなたのためにシーズン毎の「ゴール、目的」を定めておられるのです。一つのシーズンの境界線に辿りつき、それを越えるならば、あなたは次のシーズンに入り、次の境界線、即ちあなたのために主が約束され、用意された目的、召しのゴールにむかって進み始めるのです。使徒行伝13章でパウロとバルナバに起きたことは、彼らが一つの境界線を越えた時のことでした。彼らは次のシーズンに入り、次の境界線を目指して歩き始めたのです。今まで目指してきた境界線を後にして進み始めたのです。
神はあなたをも次のシーズン 、次の目的へと押し出しておられます。ここまであなたを導いてくださった神が、つぎの地点へとあなたを送り出されるのです。神は「パウロ、わたしは15年前に預言し宣言しましたが、今、その『宣言』とその『時』とが交わり出会ったのです。あなたはただ忠実にわたしに従ってきただけだと思うでしょうが、わたしはそれ以上のことをしてきたのです。あなたはここまで進んできたのです。さあ、ここを越えていきなさい。」と神は言われたのです。そして使徒行伝13章で歴史が変わりました。神が15年前に語られたパウロの伝道が始まったからです。それまでのシーズンはパウロにとって準備期間でしたが、これからのシーズンで彼は最初の宣教師となり、福音は西に広まっていき、彼の死後もそれは続き、やがては全世界が福音で変革されていったのです。
このシーズンで起こること
神が今私たちに告げている新しいシーズンへ越えていくとき、それはただ単に神が素敵なことをしてくださる次のハッピーな時に入っていくのではないことを、神はあなたに知ってほしいのです。そうではなく、あなたは個人としても、教会としても、又都市、州、国、世界としても、神からの定められた天命を成し遂げるために入っていくのです!(続く)