裁かれている花嫁 キム・ブラック(Kim Black Ministries) 2019年8月26日
裁かれている花嫁
キム・ブラック(Kim Black Ministries)
花嫁のヴィジョン
ある時礼拝中に、主の御霊が私をヴィジョンの中に連れていきました。それは、姦淫の場で捕えられた女が公衆の面前で辱めをうけているところでした。(ヨハネ8:3−11)批判者、告発者、誹謗者、宗教家、懐疑論者などが彼女を囲んでいました。
宗教家達が女を裁くために彼女を真ん中に立たせました。そしてイエスに「あなたの下す判決は何か?」と問いつめました。心の中で彼らは「この女はモーセの律法に従って石打ちの刑に処せられるべきだ。」と思っていました。
当時のパリサイ人や律法学者と同じように、今の社会は「キリストの花嫁」に対して裁きを下しています。人々は「もう、教会など必要ではない。」と言うのです。教会は多くの罪を犯しています。即ち、言うべきときに沈黙していること、自己満足、無気力、物欲、偽善等ですが、その他、列挙すればきりがありません。
「神の花嫁」は裁判所の真ん中に立たされて、過去の様々な過ちの故に、その存在価値があるかどうかの評決を待っています。しかし、当時のパリサイ人が「キリストがもたらした新しい日とその恵み」を理解できなかったのと同じように、現代の批評家たちもそれを理解していないのです。
イエスはご自分の花嫁を今もなお愛しておられるのです。事実イエスはあなたを今もなお愛しておられます!主はご自分の教会を助けることを恥とはしておられません。あなたは確かに有罪かもしれませんが、主は今もなおあなたを求めておられます!今は新たなる恵みと救いの日であり、キリストはあなたの罪を全部消し去り、あなたを御そばへ招いてくださいっています。
イエスはあなたを告発する者を黙らせた!
イエスは地面に何を書いておられたのかと、 人々はいろいろと考えてきました。多分、主は周りの人々が犯した罪のリストを書いていたのだろうと思います。
人々はイエスの書かれた文字の中に自分の不誠実を見たのです。キリストが文字を書いたのは、人々の心という地面でした。彼らの心は罪の意識で満たされ、最早この女を非難して立っていることができなくなりました。
今、非難が「キリストの花嫁」に対して浴びせられています。教会に対する訴訟が集まってきています。教会は、社会や伝統的な宗教批評家、評論家たちの面前で裁きを受けています。
残念なことに、確かに教会は「花婿イエス」に対して数多くの不誠実な罪を犯してしまっています。あなたの愛情が他の愛人に向いてしまったことがありますか?金銭、名誉、成功、家、車、キャリア、ファッション、娯楽という愛人達に。
しかし、それらの罪にもかかわらず、「愛」が告発者たちの真ん中に立ち、
デスティニーという地面に文字を書くために身を低くされたのです。キリストが書かれている間、「兄弟の告発者」は非難や糾弾を投げつけます。でも安心してください。もうじき主は書き終わりますから。
「あなたの告発者たちはどこにいますか?」
年長者からはじめて人々は皆広場から立ち去り、イエスと共に残ったのは女一人となりました。すべての非難、告発は静まりました。「婦人よ。あなたを罪に定める者はどこですか?」と主は訊かれました。主の臨在の中では、非難や告発は声を失うのです。
主の臨在の中で私たちは自由に願い、自由に御父から受け取ることができるのです。大祭司なるイエスは、ご自分の花嫁に対してなされたすべての告発を取り消すことができます。イエスはご自分の血潮によってあなたのために弁護してくださるのです。イエスの血潮は花嫁の義を証言するのです。
コロサイ2:14「いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。」
あなたは律法の要求事項から完全に自由にされたのです!
無罪で再出発することができるのです。今あなたは白紙の状態で新しい日を始めたのです。キリスト・イエスにある新しい始まりがあなたを待っています!
姦淫の場で捕えられた女のように、私たちも主と二人きりになり、「あなたは自由だ」という主の御声を聞かねばなりません。私たちの新たな日は主の臨在の中、主との親しさの中に始まります。キリストの花嫁の裁きが完全に終止符を打つためには、彼女は主に近づかねばならないのです。主との親密さが彼女を完全に無罪放免にするのです。
姦淫の女は、今や群衆や愛人たちに価値をおくのではなく、キリストに価値をおく者と変られてその場を去りました。彼女は素晴らしい高価な真珠を見つけたのです。
これからも私たちを非難し攻撃する武器は作られるでしょう。しかし私たちが受け継ぐものはキリストの義です。主こそが真の宝です。主の御声と主の血潮が告発者を黙らせ、私たちに敵対する武器を取り上げ、無力にするのです。
教会に対する裁きの声が上がっています。しかし私たちの遺産であり尊い宝は、花婿なるキリスト・イエスなのです。
イザヤ54:17「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。—主の御告げ。—」
鳩の目をください
今は私たちを最初に愛してくださったお方のもとに帰るときです。どうか鳩の目の油注ぎを主に願ってください。
雅歌5:12「その目は、乳で洗われ、池のほとりで休み、水の流れのほとりにいる鳩のようです。
鳩は一生同じ相手とつがいます。
二羽の間には大きな愛と献身があります。夫婦の鳩の目は他のものを見ることなく互いを見つめ合います。今日、もしあなたが他のものを見て気が散っているならば、花婿なる主に戻ってください。主はあなたを招いておられます!主をじっと見つめ、心を主に定めてください。
花嫁の焦点が花婿にもどるとき、花嫁は花婿の奥の間に引き寄せられ、そこで清められ、罪と恥から放免されます。そしてそこで花嫁は「神の御国が来ます!」と布告宣言する力が与えられるのです!
(終り)