砂漠で花を咲かせる キャシー・ウオルターズ 2019年7月8日
砂漠で花を咲かせる
キャシー・ウオルターズ (Kathy Walters Ministry)
あなたは砂漠に行ったことがありますか?私は以前、エジプトの砂漠にバスに乗って行ったことがありますが、午後1時半頃、バスが故障してしまいました。そこはとても暑くてカラカラに乾いていて、何も生えていませんでした。見渡す限り砂、砂、砂、他には何もありませんでした。有り難いことに、しばらくすると他のバスが助けに来てくれ他ので助かりました。その経験を忘れることができません。
神は私を殺そうとしているのか
ある時、一人の方が私に預言して言いました。「神は砂漠であなたに語られます。」それを聞いたとき、私はエジプトで経験した砂漠を思い出し「神は私を殺すのだ」と思いました。神は私を砂漠のような荒野に置き去りにして、何ヶ月も何年もさまよわせるのでしょうか。
その預言を受けたとき、私は神のためのミニストリーで忙しくしていましたし、神は確かにそれを豊かに用いてくださり、人々は神にふれられ、私のミニストリーは非常に巧く行っていたのです。ですから神が「砂漠に行きなさい。」と言われた理由は私には全くわかりませんでしたし、少々迷惑でした。神は私のミニストリーの邪魔をしたいのでしょうか?
どうして主は砂漠に導かれるのか
どうして神は時として私たちを砂漠のような荒野に導かれるのでしょうか? 何かの罰でしょうか? 子供を部屋の隅に立たせるようなことでしょうか?私たちが砂漠で生き残れるかどうか試すためでしょうか? それではまず、砂漠であたりをよく眺めてみることにしましょう。
そうです、何もありません。全くもう、どうしたらいいのでしょう? ちょっと待ってください、あなたの方に歩いて来る人がいませんか?
その人は何故かあなたの心を惹き付けるのです。あなたはその人に注目し釘づけになります。他のものはもう何も目に入りません。
ホセア2:14「それゆえ、見よ。わたしは彼女をいざなって、荒野に導いて行き、ねんごろに彼女に語ろう。」
そうです、砂漠にいるこの人はあなたの注意を引きました。そしてあなたは少し忘れかけていたような事を思い出したのです。勿論本当に忘れてしまっていたのではないのですが、あなたの人生の奥の方に押しやられていたのです。
このひとは誰
荒野にいるこの人は、非常に麗しく、特にその目は澄んで美しく燃える火のようで、あなたを貫くように見つめました。そして何という愛でしょうか!彼は非常に優しく、恵み深いのです。思い出しましたね!彼は主イエスです! あなたの心は溶かされて崇拝の霊に満たされて、感謝と大いなる喜びが涌き上がります。
「今までどこに行っていたのですか?」と主があなたに訊かれます。
「えーっと、私はあなたの御国であなたのために忙しく働いていました、、、」
そう言った途端、「それはどうでもいいことなのだ」とあなたは気がつきます。主は「あなた」を知りたいのであって、あなたがしていたことには興味がないのです。主はあなたにだけ焦点を当てています。主は「あなた」を愛しておられるのです。
ホセア2:16で主は「その日、あなたはわたしを『私の夫(ISHI)』と呼ぶ。」と言われます。「ISHI」は預言的に「親しい関係」を意味しています。
私の夫(ISHI)
主はあなたに思い起こさせたいのです。主はあなたとの親密な関係を望んでおられることを。そしてあなたはただ単に「主に仕える者」ではなく、「主に愛されている者」であることを。又次の事も主はずっとあなたに伝えようとしておられました。即ち、新しい方向性、今までその時間はないと思っていた人との関係を再び結ぶ事、今までとは異なる領域のミニストリーの可能性等々。
あなたは今砂漠にいるかもしれません。しかしだからと言って自分の中が砂漠である必要はないのです。イエスは「あなたの内に泉が湧き出て永遠のいのちへの水が湧き出る(ヨハネ4:14参照)」と言われました。あなたの内から泉が湧き主への讃美と愛慕が流れ出すのです。そして知らない間にその流れはあなたの周りのものをもすべて潤すのです。あなたは全てのものを違う目で見るようになり、今まで気にも留めなかった人々に愛しさの感情を持つのです。
花を咲かせる
砂漠にイエスが来られると、砂漠は消えてなくなります。砂漠に花が咲き始めるからです。砂漠に咲く花のことを聞いたことがありますか?
イザヤ35:1、2「荒野と砂漠は楽しみ、荒地は喜び、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。」
イザヤ35:6、7「そのとき、足なえは鹿のようにとびはね、おしの舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒地に川が流れるからだ。焼けた地は沢となり
潤いのない地は水のわく所となり、、、」
これはあなたが主に応答し、あなたの中からいのちの水が流れ出るときに起こります。ISHI—親密な関係です。愛する方はここにおられ、あなたの中のいのちの泉にふれておられます。
雅歌2:16「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの。」
砂漠に麗しいリンゴのような甘い香りが漂ってきました。讃美の花、感謝の花が咲き匂っています。そこは素晴らしい場所になりました。
雅歌8:5「自分の愛する者に寄りかかって、荒野から上って来るひとはだれでしょう。」
誰かが愛する者に寄りかかって荒野から上ってきました。誰でしょう!それはとても美しい人です、、それは「あなた」です!(終り)