十字架の向こう側 ボブ・ジョーンズ 2019年7月1日
十字架の向こう側
ボブ・ジョーンズ(Bob and Bonnie Ministry )
(これは1995年のボブ・ジョーンズのスピーチです。彼は2016年に天に召されました)
最後のバッター「恵み」
10年前(1985年)の5月21日、それは、ペンテコステの日でしたが、主が野球の試合のヴィジョンを与えてくださいました。
試合は、悪魔のチームと神のチームとの対戦でした。9回の裏で両チームともそれまで得点がなく、神のチームが9回の裏の攻撃を始める時でした。主が最初のバッターを送られました。その名は「愛」でした。サタンが投球し、「愛」がバットを振りました。愛は常に神を喜ばせ、決して失敗しないのです。(Love never
fails)それはヒットとなり、愛は一塁に走って行きました。主は次のバッターを送られました。それは愛と共に働く「信仰」でした。サタンが投球し信仰がバットを振り、ヒットとなりました。信仰は神を喜ばせ、愛と共に働くのです。信仰も決してしくじることはありません。主は次のバッターを送られました。それは「知恵」という名でした。サタンが投球しましたが、知恵はバットを振りませんでした。サタンは次つぎに球を投げましたが、知恵はよく球を見たのでフォアボールとなりました。神の知恵はサタンが投げる悪球に引っかからないのです。
神は今、このように愛、信仰、知恵を私たちの人生に働かせ、私たちを成長させようとしておられるのです。3塁に愛、2塁に信仰、1塁に知恵と、満塁になったとき、主は次のバッターを送られました。「わたしはいま最強のものを送る」と主は言われました。それは今まで見たことのないピンチヒッターで、その名は「恵みGrace」でした。サタンが投球し、恵みがバットを振りました。バットが折れるようなものすごいヒットとなりました。しかし「嘘つき」が外野にいてそれを阻止しようとしました。嘘つきのハエは空中にいるのです。教会の中でサタンは悪いうわさやゴシップをはびこらせ、神の栄光を隠していました。「嘘つき」は「まかしておけ!絶対取るぞ!」と叫びましたが、球は彼のグローブを通り抜け、ホームランになりました。4人の走者は全部ホームインして神のチームの勝利となりました。「4」は聖霊のナンバーです。聖霊の働きがこれから強くなるのです。
ゼカリヤ4:7「大いなる山よ。おまえは何者だ。ゼルバベルの前で平地となれ。彼は、『恵みあれ。これに恵みあれ。』と叫びながら、かしら石を運びだそう。」
「愛」「信仰」「知恵」は人間の働きです。それは私たちをあるところまでは導いてくれますが、ホームインさせるのは 神の「恵み」なのです。
ダビデの油そそぎ
詩編89:20「わたしは、わたしのしもべダビデを見いだし、わたしの聖なる油を彼にそそいだ。」
今主は、多くのダビデのような者を見いだして油を注ぎ、恵みを解き放ってくださいます。先ずすべての土台である「愛」が心から主を求める者たちに与えられていると信じます。そして「信仰」が強くされ、サタンに惑わされることのない「知恵」が与えられてきました。
教会は今まで「神と一緒に(with God)」ではなく「神のために(for
God)」一生懸命働いてきました。今こそ私たちが「神と一緒に」働く時です。「神が共に行かないならば私はどこにも行かない、何もしない」と決意する時です。今まで私たちは「神の手」を求めて「下さい、下さい、下さい!」と言ってきました。でも神は「そうではなくて、わたしの心を求めなさい」と言われるのです。ダビデは神の心を持っていましたね。「わたしの心を捜し求めなさい。わたしの心の内を捜し求めなさい。」と主は言われます。
神の心に何があるかご存知でしょうか?
それは人々の魂です。神は人々の魂を求めておられるのです。イエスは私たちに救いを与えるためにこの世に来てくださいました。そして私たちの長兄として進んで十字架にかかってくださったのです。イエスのいけにえの代価で私たちは贖われたのです。
御父は今もこの世を愛するゆえに、今度は「あなた」をこの世に与えようとしておられます。私たちは皆、十字架の向こう側に行かねばならないのです。十字架のこちら側にいた時、あなたは手をのばして「主よ、下さい、下さい!
欲しいです!」と言いました。でも十字架のむこう側に行ったならば、聖なる御霊が復活の力をもってあなたの内に働き始めます。そしてあなたはキリストの性質を持つ、キリストに似た者となっていくのです。その時、十字架のもとに来る人たちに必要なものをあなたが与えることが出来るのです。その時、あなたは「受ける者」から「与える者」にかわることが出来るのです。
主はみなさんに「成長しなさい!大人になりなさい!」と言っておられます。私たちが愛、信仰、知恵を身につけるならば、神は恵みを注いでくださるのです。その時に決して試合に負けることはありません!
聖霊を招き入れる
聖霊はずっと教会の扉を叩いておられます。人々は「聖霊よ、あなたを尊ぶと言っているグループの中で、あなたが本当に働かれるのを見たならば、私たちの教会にあなたをお迎えしてもいいかもしれませんね。でもまずその人たちが変えられるのを見たいのですよ。」と言います。
私はそれが起ころうとしていると信じます。聖霊に満たされた人々の中で主にある真の愛の交わりが具現化されていくのです。そのようにペンテコステが又現われるとき、それを見た人々は聖霊に心を開くようになります。
聖霊があなたに語るのを聞いてください。そうすれば私たちが語るときに、神の言葉を語るようになるのです。
私たちの口から出る言葉も神の言葉と同じように、創造の力を持つようになります。詩編115:16には「天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」と書かれています。そして今主は私たちが地を主にお返しするのを待っておられます。「わたしが再び地で働く許可を人々が与えるのをわたしは待っている」と主は言われます。(サタンは私たちの許可を必要としません。彼はどこにでも勝手に無断で入っていく盗人です。)すべてのとりなしの祈り、回心の祈りは、神の介入を許可し招き入れるものです。
聖霊は教会の扉を叩いて「入れてください。もし入れてくれれば、わたしはあなたの教会の主となります。そして一人の方、即ちイエス・キリストを顕します。」と言っておられるのです。イエスが教会に来られると、一人の方、即ち御父を顕されます。御父は70年前、非常に嘆かれました。それは進化論が人々に受け入れられ、「人類の父は猿だ」と人々が信じ始めた時でした。進化論が「あなたの父は猿だ」と言ったので多くのクリスチャンも混乱しました。御父はバビロン捕囚のときにされたように70年を区切られました。バビロンは「混乱」という意味ですね。御父は70年間、姿を現されませんでした。今、70年が経ち、御父は再び来てくださいます。私のお父さんは猿ではなく、全能なる神です!私は自分が誰かを知っていますし、御父が誰であるかも知っています。家族なのです。
ずっと前に私は神の御心の真ん中は家族であることを発見しました。御父は家族を大切にする方です。御父が来られるとき家族を大切にされます。ご自分の子供たちがお互いの悪口を言ったり、ゴシップをするのを非常に嫌われます。
火のバプテスマ
御父は新しい土台を造られます。聖なる霊は愛です。あなたが愛に成長するならば、あなたは聖さにも成長するのです。ローマ1:4に「聖い霊(spirit of holiness)」とあります。私はどうすれば聖い霊が得られるかを主に訊ねましたが、それは聖霊のバプテスマを受けるのと同じでした。即ち、信仰によって受けるのであり、そしてそれは愛が私のうちで働くときに成長するのです。主は愛という土台を築かれておられ、それは決して壊されることはありません。
選ばれる者となる
イザヤ48:10に「見よ。わたしはあなたを練ったが、銀の場合とは違う。わたしは悩みの炉であなたを試みた。」とあるように、主はこの10年間、私たちを試煉という熱い炉で練られました。
マタイ22:14に「招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。For many are called, but few are chosen. 」 とあるように、すべてのクリスチャンは招待されて、熱い炉に入れられるのです。ある者たちは3週間で、「もう十分だ、ここから出よう。これは思っていたより熱いぞ。私の大事なもの、まだ手放したくないものがどんどん燃えてしまう!」と言って途中で炉から出てしまうのです。人は自分が捧げた分に応じて受けます。ダビデは10年間苦難の炉に中に入っていました。あなたが炉に留まり続けるときあなたは「選ばれる」のです。
今御父は、苦難の炉の中から多くの白い石を取り出しておられるのを私は見ます。主はこれらの白い石で土台を築かれます。それは祭司の土台であり、純粋な神の言葉、義と愛で築かれる土台です。
火のパプテスマとは聖さの霊であると主が言われました。聖さの霊があなたの生活の中で働き始めると、神の火があなたを燃やし尽くし始めます。私が罪を犯したとき、私は御父から逃げませんでした。かえって私は御父にむかって走っていったのです。そして主が言われることはすべて従いました。もしあなたの足が汚れたならば、天のお父さんのところに走って行き、主の足を掴んでください。神の火があなたの罪をも焼き尽くしてくれるでしょう。(終り)