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Walk With God Ministries

10 3月

主は言われる「間違った祈りを止めなさい。」 ジョン・バートン            2019年3月10日


主は言われる「間違った祈りを止めなさい。」

 

ジョン・バートン(John Burton Ministries)

 

 

私はミニストリー始めてからずっと「ジョンさん、どうしたら神の奇蹟や不思議な業を経験できるのですか?」と数えきれないほど人々から訊ねられました。人々は神との出会いを切望し必死なのです!この世の誘惑の罠を逃れて神の栄光の中に飛び込みたいという激しい情熱を持っているのですが、多くの者はそのようなライフスタイルを手に入れることができないでいます。彼らは天を見上げて、「神よ、あなたは一体どこにおられるのですか?」と嘆き叫ぶのです。このように情熱的な方たちに対する私の答えは難しいものではありません。実際のところ、これ以上シンプルなものはないと言ってもいいでしょう。それは即ち、聖い生活を送り、聖霊によって祈る(非常に沢山)ことです。

 

目標は神を聞くこと

 

ローマ10:17「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについての(キリストの)みことばによるのです。So faith

comes from hearing, and hearing through the Word of Christ.」

 

今日の最大の悲劇の一つは、人々は神の深みと神が働かれる超自然の領域へと招かれているにもかかわらず、それを自ら拒否し断っていることです。多くの者は「目に見える領域での神の顕れ」を叫び求めていますが、神は「超自然的な領域での神の顕れ」へと私たちを招いておられるのです!

聖別された人生を送り、昼夜熱く祈る者に見える御わざがたくさん起こっているのです!よく聞いてください。 雛を孵す雌鳥のように聖霊が覆っている領域へと、今あなたは歩き始めることができるのです!

聖霊との歩みを妨げるすべてのものを生活から取り去り、熱く、激しく、そして又心楽しいとりなしのライフスタイルを送り始めるならば、自分一人で祈る時や

兄弟姉妹と祈る時、天が私たちの人生の上に大きく開かれるでしょう。その時私たちは神を聞くことが出来るようになるのです。

 

常に神の声を聞くための唯一の道は、私たちが聖い人生を送り、聖霊によって歩み、聖霊によって祈ることであると私は確信しています。神を聞くことはそれほど価値があるのです。神が語り始められると、私たちの人生のすべてが劇的にシフトします!

預言的力が内から輝き溢れでます。常に夢やヴィジョンを与えられます。神の栄光の新しい啓示によって芯まで衝撃を受け揺り動かされるので、私たちは呆然とするでしょう!

そうです、神を聞くようになるとすべてが変リます。私が超自然的な祈りの毎日を送り始めたとき神から受け取った重要な真理をお話します。

 

「止めなさい!祈りが間違っている!」

 

「止めなさい! 祈りが間違っている!」これはある日

深い祈りをしているとき神が言われたことです。私は当時、コールセンタ−でパートタイムの仕事をしていました。コロラドのマニトウ・スプリングという街で教会を始めていたので、そのためにフルタイムでミニストリーをしたいと思っていました。ですからパートの仕事を早く止めたいと思っていましたが、経済的な理由で止めることができず、かなりいらつきを覚えていました。

 

その日、私はいらつきながら祈っていました。「神よ、ああ神よ、どうか教会を成長させてください!どうか収入を増やしてください!

どうか神様!」と祈りました。その時、ベルが鳴るようにはっきりと神が言われるのを聞いたのです。「止めなさい!あなたの祈りは間違っている!」

えっ! どうしてですか!私は一生懸命祈っていたのです。リボリューション・チャーチをスタートしたばかりのとき、私はその狭い会堂の中を歩き回りながら、「自分は熱心に良い祈りをしている」と心から信じていたのです。神は教会が大きくなるのを望んでおられないのですか?

そして次に神は、私が決して忘れられない言葉を言われました。「あなたは、まるでわたしがあなたを拒み抵抗しているかのように祈っています。あなたの心にそのような願いを入れたのはわたしであることが分からないのですか?わたしが起こした願いをなぜわたしに懇願するのですか?

そもそもわたしがその願いをあなたに与えたのですよ!」

これは「祈りとは何であるか」という私の考えを全く打ち砕く言葉でした! 私は考え方を変える必要がありました。

次に神が言われました。「しかし、あなたに抵抗しているものが確かに一人います。敵は、わたしがあなたの心に与えたこれらの願いを実現させたくないのです。あなたが戦うべきなのは敵なのです。」

そこで、私は信仰に満ちた激しい祈りの新しい 領域に踏み込んだのです!

 

この新しい啓示で示されたことを練習するようにと神が望んでおられると、私は感じました。神は「もっと祈る時間を増やし、この街のリバイバルを起こすように」と言われました。又、コールセンタ−の仕事を止めるように言われました。

私は神の御こころがわかったので、コールセンタ−の仕事を止めることにしました。神の御心を知り、私がそれを実行に移す時だと分かったからです。敵は退かねばなりません!

 

私は次の宣言をしました。

「イエス・キリストの力ある御名により、サタンよ、手を離すように命令する! 私のスケジュールから去れ!

神の御こころは、私が仕事を止め、フルタイムでマニトウ・スプリングに御国を前進させることであると宣言する!神の計画に手を出すな!」

 

 

第一ヨハネ5:14−15「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」

私は神の御こころにそって祈りました。神は私がフルタイムでミニストリーをすることを願われたのです。一週間後、35名の教会の日曜の献金で5万ドル(500万円)の小切手が与えられ、次の日曜には2万5千ドル(250万円)が与えられました。2週間後に私はフルタイムでミニストリーをすることができたのです。

経済は「必要を越えて」与えられました。お金は更に広い会堂に移るためにも用いられました。神は私たちにそうなることをずっと望んでおられたのです。でも敵は違いました。私は間違った祈りをしていました。まるで「それをどうにかして神からもぎり取らねば」というような祈りをしていたのです。実際は、神はすでにそれを解き放っておられ、私は、途中敵の抵抗を打ち破りながら、それを受け取りにいけばよいだけだったのです。

 

あなたの祈りはあなたを阻んでいるか?

 

もう一つの話も同じように私の人生に大きな影響を与えました。私は又もや「いらいらして祈る」状態になっていました。必要が満たされるようにと叫び求めていました。私は経済や他の必要のために情熱的に天の扉を打ち叩いていました。すると再び、私は神の声を霊の深みで聞きました。「あなたの祈りが妨げになっています。」えっ、何ですって? 私の聞き間違い? 神はその時の私の祈りは善ではなくかえって害になっていると言われたのです。もしそうならば、祈りを止めるべきです。

神は次に「信仰がなくてはわたしを喜ばせることはできません。」と言われ、「祈りの中に疑いが入るならば、その祈りは絶対に答えられません。」とつけ加えられました。神よ、分かりました。私は深く思い巡らし、自分に与えられたこの課題に取り組みました。

私は神を疑いたくはありませんでしたし、何よりも信仰の人になりたいと思っていました。ですから、私はどうにかして神の言われる意味を見出して結論を出したいと思いました。神は私に祈りをするなと言われたのです! しかし、まだ

奇蹟を必要とする解決すべきいろいろな問題があったのです。私は非常に孤独を感じました!

すると答えが来ました。神は、「わたしのことばの中ですでに約束されていることをどうして祈るのか?」と訊かれたのです。神はキリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたの必要をすべて満たしてくださるのです。(ピリピ4:19)「必要が満たされるように神に願う」という行為そのものが、「それはすでに答えられている」と信頼する信仰に欠けていることを表していたのです!

神がすでに解決してくださっていることを、「してください!」と神を説得しようとしていたのです!私の祈りは私が疑いを持っていたことの証明であり、それが祈りが聞かれない結果を生んでいたのです。

 

箴言23:7に 心で考えることこそが、その人である。As a man thinks in his heart, so ishe.」とあります。私の心には疑いがありました。また、マタイ12:34には「心に満ちていることを口が話すのです。」とあります。私は不信仰を口に出していました。そして箴言18:21には「死と生は舌に支配される。」とあります。私の心の中の不信仰が、私の経済に死の宣言をするものとして現われていたのです!それならば全然祈らないほうが良かったのです。

マルコ11:24「だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」

祈りの中では、神への懇願、強要、説得、疑いはあってはならないのです!

ヤコブ1:5−8「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。そういうのは、二心のある人で、その歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」

 

私たちは神を聞き、そして今の状況が神の御心にどのように一致すれば良いかを宣言するのです。それは私たちを敗北的、消極的な姿勢から、勝利と霊的猛烈さとパワフルな信仰の姿勢へと変えていきます!

(終り)


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