死に至るまでも(その一) ダニエル・コレンダ (Christ for all Nations) 2019年1月14日
死に至るまでも(その一)
ダニエル・コレンダ (Christ for all Nations)
黙示録12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」
ご存知のように私は伝道者ですので、あまり外交的で耳に心地よい話ができません。牧師の役目は悩んでいる人を安らかに心地よくすることですが、伝道者の役目は安らかにしている人のこころを揺さぶり悩ますことです。ですから今から話すことはある人々にとっては嫌な話かもしれません。しかし、私は神が私たちを揺さぶって目を覚まさせてくださることを願っています。
それは「心地よいキリスト教」から「本物のキリスト教」へと移行させてくださることを願っています。すなわち「新年はあなたにとってすばらしい年となります」というメッセージではなく、「自分の十字架を背負って歩きなさい。」というメッセージをします。
ジョン・アレン・チャウの殉教
皆さんはジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)という若者をご存知でしょうか。この世のほとんどのメディアが、彼の身に起こったことを大きく報道したのは驚くべきことでした。しかしその多くは間違った報道であり、多くの混乱がありました。2018年11月17日に26歳のジョンは福音のために命を落としました。彼はインド洋のノース・センチネネル島に福音を伝えに行き、原住民に弓矢で殺されました。島の住民はすべての文明から自分たちを隔離し、外からの侵入に対して非常に攻撃的でした。2006年には、漂流して島に近づいた舟に乗っていた二人の漁師が彼らに殺されました。2004年にその地域に起こった津波の被害を調査をしていたインドのヘリコプターに向かって彼らは弓を射ました。ヘリコプターが何であるのかを知らなかったのでしょう。彼らが外部との接触を極端に嫌っていたのは明らで、インド政府は島と周りの海域を立ち入り禁止区域と定め、住人と接触することを違法としました。
ジョン・アレン・チャウは、18歳のときからこの島に行ってイエスの愛を伝える準備をしてきました。18歳の時彼は心にその召しをはっきり受けたのです。それからの10年間、彼がしたことはすべてその目的のための備えでした。オクラホマ州タルサや南アフリカで貧しいユースのためのボランティア活動をしました。イラク北部でシリアからのクルド人の難民の子どものための宣教師となりました。オーラル・ローバート大学でヘルス・サイエンスの学位を取得しました。医学、言語学、民族学を学び、宣教師訓練学校では僻地で生き延びる訓練も受けました。健康を保つための栄養学を学び肉体を鍛えました。一年に100冊以上の本を読み、精神的にも島での生活に備えました。そして実際に島に出かける前には13の予防接種をし、更に自らをしばらく隔離して何の病気も持ち込まないようにしました。彼は自分で知るかぎりのことをして、島の人々に福音を伝える準備をしたのです。彼は原住民と知り合い、友情を培い、必要ならば彼らの中に何年も住んで彼らの原語を学び、聖書を翻訳したいと考えていました。すべて彼らをイエスのもとに導くためでした。
多くのメディアが伝えたのとは反対に、ジョンは一人で行こうとはしていませんでした。メディアは、「ジョンは自分がメサイヤであるかのように一人で行ってヒーローになりたかったのだ」と報道しました。私たちはジョンと長年親しかった女性の友人に連絡をしました。彼女によれば、ジョンの死が報道されてから何日間も、多くのジョンの友人たちが深く嘆き悲しんで彼女に連絡してきて、彼らがジョンに一緒に島に行ってほしいと頼まれたことを告げたそうです。彼らは恐れて誰も行かなかったのです。
ジョンの決意は驚くべきものでした。多くの障碍がありました。島に近づくのが違法であること、又、たとえそれが合法であったとしても島にたどり着くのは非常に困難であり危険であること、一人きりであったこと等々、すべてのことを彼は乗り越えたのです。彼はインドに行き、そこの漁師に頼んで木製のモーターボートで、夜の闇にまぎれて島から800メートルほどのところまで行ってもらいました。漁師はそれ以上は行きたくないというので、彼はカヌーに乗り換えて、島に着きました。
ジョンの母親は彼の日記をワシントン・ポスト紙に渡しました。インターネットで誰でも見ることが出来ますが、ロビンソン・クルーソーのような冒険記です。ワシントン・ポストの記事から少し引用してみます。
「彼は10月16日にアドマント(インドの漁村)に着いた。11月14日の夜、漁師に金を払い彼らの船でパトロール船のサーチライトを避けながら島に向かった。翌朝日が上ったとき、彼は一人カヌーで島に上がると、女性たちは何か話していたが、弓矢をもった男たちがやってきた。『私はジョンといいます。あなたがたを愛しています。イエスもあなたがたを愛しています。』と叫んで、またカヌーで漁船までもどった。二日目に彼は 魚、はさみ、安全ピン、というようなギフトを差し出した。花の冠のようなものを被った男性が彼に叫んだので、彼はワーシップソングや讃美歌を歌うと、彼らは黙った。若者が彼に矢を放ち、それは彼の聖書に当たった。彼はマングローブの林の中を逃げ、また漁船までもどった。『主よ、この島の住民はあなたのことを聞いたり読んだりする機会がないままなのです。』と彼は日記に書いた。三日目には彼は自分が殺さることを覚悟した。美しい夕日を見ながら、彼は『私が夕日を見るのはこれが最後だろうか。』と泣きながら書いた。次の日、彼はまた漁師に海岸まで連れていってもらった。その後漁師たちは島の男たちがジョンの死体を引きずり埋めるのを目撃した。」=引用終り=
私たちはジョンと非常に親しかった友人に聞いたのですが、ジョンにとってイエス・キリストが全てであり、彼はすべてを主に捧げきっていたのでした。彼と親しかった人達は彼を「無私で愛情深く勇気がある者」と表現しています。「様々な困難な状況の中でも、彼は常に人の話に耳を傾け、ゴシップなどしたことがなく、彼が怒ったのを見たことはなかった」と人々は言います。
私は100億のジョン・チャウがいたらいいのにと願います。犠牲と殉教の霊を持つ世代が福音を全世界に宣べ伝えることを願います。行きやすいところにはすでに福音が届いています。ですからこれからはジョン・チャウの大胆さと勇気を持つ軍隊が必要なのです。ただ人々をわくわくさせ心地よくさせるためではなく、命をも惜しまない犠牲と殉教の御霊が注がれることを望みます。
彼に対する社会の反応
このすばらしい若者の死に対するメディアの批判を見て、私は深く悲しみました。彼らは一面しか伝えておらず、非常に不公平な報道でした。彼らはジョンを「クレイジーでおろかで甘い考えを持った若者」と表現しました。批判はキリスト教界の中でも同じでした。あるユース・パスターは「ジョンは危険な幾つかのイデオロギー(観念)に憑かれ、非常に愚かな行動へ走った。」と言いました。「危険な幾つかのイデオロギー」とは、例えばイエスの「大宣教命令」のことでしょうか?
有名な聖書学校の学部長をしている人は、「ジョン・チャウのしたことは、ミッション活動の中でも極端にうぶで愚直な甘い考えの行動であった。」と言いました。彼は象牙の塔で安楽椅子に座り、誰かが血を流し死んで行くのを遠くから眺め、「神学的に考察」しているだけなのです。しかし、もっと悪いのはSNSの中で言われたことです。「彼は全く愚かである」「他の文化を尊重しなかった」「民族の伝統的価値を尊重しなかった」「植民地にしようとした」等々、キリストの命令を実行した一人のクリスチャンに対して、多くのクリスチャンが投げかける言葉を読んで、私は心から驚嘆し嘆きました。
私たちは道を見失ったのでしょうか。一体なにが起こっているのでしょうか。犠牲と血を求める福音を私たちは忘れたのでしょうか。イエスに従い世界に影響を与えるためには代価を払わねばならないことを忘れたのでしょうか。「すべては自分が幸せになるため」という福音に染まってしまったのでしょうか。「私が心地よく、楽しく生活できて、今最高の人生を送るための福音」に堕落してしまったのでしょうか。キリスト教は人々の救いのためにご自分のすべての血潮を注ぎだした方の上に立っていることを忘れたのでしょうか。主は血潮の染まった十字架で最もむごい最後を遂げられたのです。彼こそ最も過激に生きた人だったのです。彼こそがキリスト教の創設者なのです。
私たちの信仰は、むごい殉教の死を遂げた使徒たちによって伝達されたことを忘れたのでしょうか。
初代教会以来200年間、教会の父祖たちは信仰のために火あぶりにされ、のこぎりで引かれ、十字架にかけられ、拷問にあったのです。ネロの庭園で彼らがたいまつとして焼かれたのを私たちは忘れてしまったのでしょうか。競技場でライオンのえさにされたのを忘れたのでしょうか。異教の地に福音を携えて入った人たちが弓矢で殺されたのを忘れたのでしょうか。キリスト教は常にリスクをともなう危険な行動によって広まっていったのです。皆さんが今クリスチャンンとして教会で座っているのは、何百万人というジョン・チャウが、あなたの国に行ってあなたの先祖、親族に命をかけて福音を伝えたからなのです。
初代教会では多くの者が殉教の死を遂げました。教父の一人であるターチュリアンは「殉教者の血は教会を生む種である。」と言いました。ヘブル11:35~38節を見てみましょう。「またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖でつながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、—この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。—荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。」
これこそが私たちが受け継ぐべき遺産です。私たちの信仰のために、多くの者が血の代価を払ったのです。メディアはジョン・チャウをクレージーと呼ぶかもしれません。クリスチャンは「彼の考えは甘かった、愚かだった」と言うかもしれません。しかし聖書は「この世は彼らにふさわしい所ではなかった、彼らに住んでもらう価値がなかった」と言うのです。
新しい世界宣教の波
私は今までに無かったような大きな世界宣教の新しい波が起ころうとしているのを感じています。しかし、それが起こるためには、今まで以上の犠牲を払わねばならないのです。17世紀のジョン・エリオットのように、ジョン・チャウがその模範、原型となるでしょう。世界にはキリスト教の教会が一つもない地域があるのです。キリスト教が違法であり、キリストを伝えるためにはすべてを捨てなければならない地域があるのです。
35節に「釈放されることを願わないで」とあります。彼らは釈放されるよりは死を選んだのです。「私のために命を与えてくださった方のために、私も命を捧げたい。」と彼らは言ったのです。これは現代のアメリカ人の耳には「極端で過激」に聞こえます。でもこれが聖書に書かれているキリスト教です。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」と主は言われました。十字架とは拷問と死です。キリストのために命までも捨てる、という精神はどこに行ってしまったのでしょう。
「そのような事は遠い昔に遠い場所で起こったことだ」と思われる人がいるかもしれません。しかしこの10年に一億人のクリスチャンが殉教しているのです。今も毎月数百人のクリスチャンが殺され、200人が誘拐され性的暴行を受けています。毎週66の教会が襲撃され、160人のクリスチャンが裁判なしに拘束されています。歴史を通してキリストのために死んだ77億のうち、半数がこの100年で死んでいるのです。
これは私にとっても身近なことです。アフリカでの私たちの伝道集会でイエスを信じた人が、その会場を出るまでに殺されたこともあります。救われて家に帰ったときボーイフレンドに殺された女性もいます。彼らにとってクリスチャンになるのは、ただ「週に一度教会に行く」とか、「たまに祈る」とかではなく、すべてのものを捨てることなのです。又、半月前、私たちのミッションチームはナイジェリアからコンゴまで8週間車を運転して行きましたが、内戦が起こっている地域を銃弾を避けながら越えていき、夜は車の上で寝て、食べるものは死んだ動物でした。そしてまた8週間かけて戻ってくるのです。帰りに銃弾を3発受けた者がありましたが、奇蹟的に助かりました。このような事が毎日福音のために起こっているのです。
人々はそれはあまりにも極端で過激なことだ、何でそこまでしなくてはならないのか、と言います。しかし福音を聞いて救われた人の喜びの笑顔のために、私たちは命をかけるのです。皆さんはあまりにも極端すぎると言われるかもしれませんが、私はそれをキリスト教と呼びます。私はそれが普通のこと、ノーマルなキリスト教だと思います。(続く)
訳者注:ダニエル・コレンダ師は、クライス・フォー・オール・ネイションのプレシデントCEO として現在世界中で活躍しておられますが、皆様よくご存知の世界的に有名なエヴァンジェリストであるレインハード・ボンケ師の後継者として、世界で最も危険な僻地を中心に、野外集会によって既に2100万人の人々を救いに導いておられます。今回のメッセージは昨年末のモーニングスターミニストリーでの集会で語られたものです。