生きた細胞からなる教会(2) ラリー・クライダー(DOVE Christian Fellowship International)
生きた細胞からなる教会(2)
ラリー・クライダー(DOVE Christian Fellowship International)
12.霊的父親、母親が育つ場
第一コリント4:15−17「たといあなたがたに、キリストにある養育係が一万人あろうとも、父は多くあるはずがありません。この私が福音によって、キリスト・イエスにあって、あなたがたを生んだのです。
ですから、私はあなたがたに勧めます。どうか、私にならう者となってください。そのために、私はあなたのところへテモテを送りました。テモテは主にあって私の愛する、忠実な子です。彼は、私が至る所のすべての教会で教えているとおりに、キリスト・イエスにある私の生き方を、あなたがたに思い起こさせてくれるでしょう。」
この箇所で用いられている言葉「父、愛する忠実な子」は家族関係の言葉です。現在の教会は父や母ではなく、CEO(最高経営責任者)で運営されています。CEOは勿論ある所では必要とされますが、神の子を養うのはCEOではなく父や母です。確かに家族関係はややこしくなることがあります。しかしそれが本当に生きるということです。よく見てみると聖書全体に霊的な家族を表す言葉がちりばめられています。小グループで私たちは霊的父や母になり子を育てることができます。
第一ヨハネ2:12−14「子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです。父たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。」
この箇所によると、クリスチャンには3つのレベルがあることがわかります。これは年齢とは全く関係がなく、霊的な成熟度を言っていて、即ち、子ども、若者、父(母)です。
子どもとは「罪が赦されたことを知り、御父を知っている者」ですから、救われたクリスチャンです。彼らは無邪気でかわいいですが、いつまでもそのままでいるならば問題です。子どもは自己中心で「これは好き、あれは嫌い」と言い、「この教会は自分を食べさせてくれない」と言うのです。
若者とは「悪い者に打ち勝ち、神のみことばがうちに留まっている者」です。若者は自分で御ことばを食べて勝利することができる者であり、もはや子どもではありませんが、まだ父や母ではありません。
ではどうすれば父や母になれるのでしょうか。それは子どもを持つことによってなのです。あなたが誰かを導くようになることによってです。それは神が非常に喜ばれることであり、決して難しいことではありません。霊の子ども(1人でも2、3人でも)と毎週、或いは2週間か月に1度会って、彼らが神にあって成長するように助けるだけです。
質問に答え、励ますのです。
「私には出来ない。」という人が多いのですが、そんなことはありません。私が23歳のときに最初の子どもが生まれ父親となりましたが、赤ちゃんをどう扱えばよいのか全くわかりませんでした。でもやればやれたのです。霊的父や母も同じです。やればやれるのです。
パウロはテモテを霊の養子とし、「私の愛する忠実な子」と呼びました。又ピレモン11節でオネシモのことを「獄中で生んだわが子オネシモ」と言っています。エリシャはエリヤに父親になってくれるように頼みました。
そのような関係を結ぶように依頼するのは、子の側からでも親の側からでもよく、又、一年とかの期限を限ってもかまいません。
神はすべてのクリスチャンが霊的親になることを望んでおられます。それはあなたの年齢に関係ありません。人は誰かが成長するのを助けるときに、自分も一番成長するからです。考えたこともないような質問をされ、それについて調べるとき、あなたも成長するでしょう。「弟子を育てる」のと「霊的父親、母親」になるのとは基本的に同じです。聖書は両方の言葉を使っています。
私は現在23カ国にある700の教会を導く使徒のリーダーとして働いていますが、その一番土台になっているのは、「神の恵みと恩寵は霊の父親、母親の上にある」という真理です。この私たちのグループは組織ではなく家族です。そしてすべての人を神の召しへと解き放っています。教会が分かれるとき、それは分裂ではなく、教会が増えることなのです。教会の中の誰かが新しい教会を作りたいというならば、あなたは「素晴らしい、教会に子どもが出来た、教会が増える!」と喜ぶのです。その人を縛り付けるのではなく、解放して祝福するのです。
「私はあなたと生涯一緒に働きます。」などという契約をたててはいけません。私たちが一生持つべき契約の第一はイエスとの契約、次にキリストのからだとの契約、そして妻や夫との契約です。もしあなたが誰かを自分に縛り付けようとするならば、神ご自身がその人をあなたから引き離すでしょう。ですからあなたは自分とは別の働きを始めたい人がいるならば、その人を応援し、祝福し、神から大いに用いられるのを親として喜ぶのです。
アブラハムの祝福を見てみましょう。
創世記15:5、6「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」
アブラハムは人間的には信じ難いことを信じ、義と認められました! そして息子を与えられました!
神はあなたにも子どもを与えたいのです。
あなたは牧師ではないかもしれません。しかしあなたは小グループのリーダーとして父親、母親になることができるのです!あなたもアブラハムのように神を信じてください。子どもは2人でも3人でもいいのです。
ガラテヤ3:19でパウロは「私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています。」と言っています。あなたの育てた子がまた次に子を生み育てていき、あなたの霊的子孫は増え広がっていきます。これは本当に素晴らしく、また神にとって重要なことであり、永遠の価値を持つ働きです。このために神からの恵み、油注ぎが注がれるように祈りましょう。
第一テサロ二ケ2:7&11&19、20「それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。...また、ご承知のとおり、私たちは父がその子どもに対してするように、あなたがたひとりひとりに、ご自身の御国と栄光とに召してくださる神にふさわしく歩むように勧めをし、慰めを与え、おごそかに命じました。...私たちの主イエスが再び来られるとき、御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのはだれでしょう。あなたがたではありませんか。あなたがたこそが私たちの誉れであり、また喜びなのです。」(終り)