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Walk With God Ministries

23 7月

神の御声を聞く道 アダム・ウイッテンバーグ 2018年7月23日


神の御声を聞く道

 

アダム・ウイッテンバーグIHOPカンサス)

 

あなたは神の御声を聞きたいですか?あなたの人生に対する神の御心を悟り、もっと確実に御心の真ん中を歩みたいですか?

打ち破りを切に求めていますか?そのための簡単な(しかし、同時に非常に難しい)第一歩がこれです:主に降伏して明け渡すことです!

 

降伏する力

 

私たちが神の御声を聞いて御心に従うのを阻むのは、多くの場合、自分自身の思いや意志です。実のところ私たちは、心の奥底に物事に関する自分自身のプランを 持っているのです。

例えば、どんな職業につくか、誰と交際するか、誰と結婚するか、自分のミニストリーはどれほど進展するべきか、等です。そして自分の考えを本当にはあきらめたくないのです。神は私たちに話すことができないのではありません。実際のところ神は度々語られます。しかし私たちはそれが自分の期待したものと違うので聞き逃してしまうのです。「私のこのプランがなりますように。」という思いにしがみついているからです。

 

イエスは完璧な模範

 

私たちが神に降伏し明け渡すための力を必要とするのはそのためです。「信仰の創始者であり、完成者である」イエスは、私たちのためにゲッセマネの園で模範を示してくださいました。(ヘブル12:2)

裏切りや責め苦、そして十字架上での酷い死を目前にして、主は御父に苦悩の叫びをあげられました。

 

マタイ26:39「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。」

イエスは自分が願うことに関して正直でした。自分の感情や願いを隠しませんでした。しかし次に主は驚くべきことを言われたのです。「しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。

 

私たちは皆この言葉から学ぶことができます。時として自分の願いが神の御こころと一致することがあり、その場合は自分の願いがかなえられますが、いつもそうではありません。しかしまた、私たちが自分で何かを願う時、それは絶対神からの思いではないと考えるのも間違いです。なぜならば私たちの抱く願いの多くは、もともと神が私たちに与えたものだからです。しかしそのような場合にも、その願いと自分自身をまず神に明け渡さねばなりません。

 

自己を否定することは解放

 

マタイ10:39「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」

イエスは、「自分のいのちを得ようとする者は神と福音のためにそれを失わねばならない」と言われました。私たちも自分に死ぬことによって(即ち自己中心な願望を捨てることによって) 神がキリストをよみがえらせたように、私たちもよみがえらせていただくのです。霊的によみがえり変革されるならば、私たちは主が導かれるならどこにでも主と共に行くことができる心の解放を得るのです。

 

それは、私たちの霊が神の言葉に素直に従えるようになるので、神は私たちを楽々と導くことができます。私たちが神に服従すればするほど、神は私たちにもっと簡単に話せるようになります。聖書には馬や驢馬のようであってはならないと言っています。

詩編32:8「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。あなたがたは、悟りのない馬や驢馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。」

 

あなたの選択

 

どのくらい神を信頼するかは、私たち各自に任されています。私たちが主に信頼すればするほど、たとえ厳しい状況の中でも主に拠り頼むことができるようになっていきます。

これは終末の時代において特に重要なことです。神の指令の中には、私たちには奇異に思えることもあるでしょうし、この世が進む方向に逆行することもあるでしょう。しかしもし昔の歌にあるように「より頼みて従うならば」、私たちは星のように輝くのです。(ダニエル12:3)しかしもし自分のアイデアや知恵に固執するならば、災難や試煉、そして時には死にさえ直面するかもしれません。

箴言14:12「人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。」

 

実践する

 

ではどうすれば明け渡して降伏できるのでしょうか?ただ実行するのです!それはまずあなたの決意から始まります。私たちはイエスがゲッセマネでされたように祈ることができます。「父よ、できますならば、どうか(ーあなたの願いをここに入れるー)、しかし私の願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と。

 

私たちが天の父を心から信頼し始めるならば、服従の思いが自然に流れ出します。御父はすべてを知っておられ、愛そのものであられ、常に私たちに最高のものを与えたいと思っておられるのです。私たちは自分の恐れ、肉の思い、利己的願望を捨て、自分に対する神の完全な御こころを喜んで受け取ることができるようになるのです。

箴言3:5−6「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」

 このようにするならば、私たちはもっと主と同じように考え、主が感じることを感じ、主が知っておられることをもっと知り、主がされることをするようになるでしょう。それは、ローマ8:6に「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」とあるように、私たちは死に至る肉の思いではなく、いのちと平安をもたらす霊的思いを持つ者となるからです。

 

私たちは「父よ、私の思いではなく、あなたの御国がきますように。御こころが天でなるように地でもなりますように。」と明け渡し降伏して祈ろうではありませんか。

主はあなたに何を明け渡すように言われていますか?(終り)


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