私が見た終わりの日のヴィジョン ポール・キース・デイビス(2018年2月24日)
私が見た終わりの日のヴィジョン
ポール・キース・デイビス(2018年2月24日)
2008年7月31日に私がカナダのアルバータにあるレッド・ディアでカンファレンスの講師として滞在していた時、主は非常に意味のある啓示的な経験を与えてくださいました。それは私が夜の集会の準備のために長時間を過ごした後のことで、午後3時ごろでした。
その時用意していたメッセージは、私が数ヶ月にわたって熱心に調べていた箇所からで、マタイ24:37−39にある主の警告に関するものでした。
「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべて物をさらってしまうまで、彼らはわからないのです。人の子が来るのも、そのとおりです。」
午後3時ごろ、主がはっきりと私に語られました。「ノアの日に関して極力理解を深めることがあなたに与えられた任務です。ノアの日を滅ぼしてしまったものを、あなたの世代は征服しそれに打ち勝たねばなりません。」
この時の主の言葉によって、それ以来私は、創世記6章を完全に理解し、これからの時代との関係を知るために情熱を燃やし続けて来ました。
私はレッド・ディアのホテルの部屋のソファに座り、創世記6章が今の時代に何を語ってるいるのかと思いをめぐらしていたのですが、その時突然、啓示的霊的経験をしたのです。
私は一瞬にして霊でフットボール競技場で行われている大伝道集会の中に立っていたのです。競技場に置かれた説教壇から語られるメッセージに人々が熱心に耳を傾けて釘付けになっていることに、私はまず気づきました。次にこれが誰の声かわかりました。それは偉大なビリー・グラハム師が、イエス・キリストの十字架の御業を彼独特の素晴らしい言葉で語っている声でした。
人々の服装が1960年代のもののようだとわかりました。グラハム師が4つの法則を用いて油注がれたメッセージを語り、静まりかえった会場に、彼の声だけが響いていました。すると「いさおなき我を Just As I Am」が歌われ、何百人もの人々が彼の招きに応答して、静かに秩序正しく前に出て行来ました。
その時、幻の中の”声”が、「これから来るものはこのようなものではない!」と言いました。その言葉によって、これから来るリバイバルは、グラハム師が語ったように確固たる福音的油注ぎを持つことは変わらないけれど、それに加えて敬虔なる驚異や罪の自覚を促す聖霊の大きな力を現す違う集会になることを私は知りました。それは第一テサロニケ1:5にあるとおりです。
「なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。また、私たちがあなたがたのところで、あなたがたのために、どのようにふるまったかは、あなたがたが知っています。」
その声を聞いた時、私は次に自分が大きな会場の広い祭壇の前に立っているのに気がつきました。そこは簡易ベッドや担架や車椅子に乗った病人で溢れていました。昔のリバイバルの写真でしか見たことがないような重度の病人ばかりなので、私は驚きました。
私の右にいる簡易ベッドに寝た男性の身体はプリッツェル(お菓子)のように曲がりねじれていました。その先にはもう一人の男性が車椅子に座っていましたが、彼の両足は骨の病気でひどく曲がっていました。
彼の横には、男性が担架に横たわっていて、その腹部からは大きな腫瘍が露出していました。私はこの光景を見て、実際のところ、勇気づけられました。それはそこにある空気が信仰の霊で満ちていたからです。これらの人々は神の臨在の中で自分が癒され救われると期待し信じるゆえに集まって来ていたからです。
そのことを私が悟ったその時、後の両開きのドアが突然大きく開き、10人くらいの家族が入って来ました。彼らは悪霊に憑かれていることが誰にでもわかるような10代の少女を一緒に連れて来ました。少女は叫び、罵り、大の男たちをまるで布製の人形のように投げ飛ばしていました。
家族の中の男性が、「この状態をどうにかできる人間が、ここには一人くらいいるだろうね!」と要求するように高飛車に言いました。その言葉で、この家族が神の助けを絶望的に求めていることを私は感じ取りました。彼らはすべて出来る事は試してみたのです。この家族を助けることができるのは、キリストの権威と力だけでした。
家族が通路を歩いて来た時、私は彼らに近づきましたが、大勢のとりなし手を集めたり、祈りと断食をする暇はないことがはっきりわかりました。それはカルメル山で光と闇が戦ったときのようであり、神の恵みと明らかな神の臨在が私たちのうちになければ、この壮烈な事態に対処することはできなかったのです。私はすぐに主がガダラの地で悪霊と対決したときのことを思い出しました。
また私は、単なる霊的賜物(それは素晴らしいものであるにしても)では、このようなレベルの闇に打ち勝つには十分ではないことを直観的にはっきり悟りました。それには「私の中におられるキリスト、栄光の望み Christ in me, the hope of glory」が不可欠です。
家族に近づいて行った時、私の霊の目が開かれ、この少女に取り憑いている悪霊が見えました。それは3メートル半ほどの高さがありました。
私は創世記6章から学んだことや、主が来られるのは丁度ノアの日のようであると主が警告されたことを思い出しました。自分が今創世記6章に書かれている霊的領域の生き物を相手にしていることがわかりました。肉においてノアの日を滅ぼしたものに対し、私たちは霊において打ち勝たねばならないのです!
突然、霊的権威に対する今ある理解を超えた権威の領域が私のうちに沸き起こりました。そして私の口から「出て行け!」という言葉が大いなる力と権威を持って発せられました。
その言葉が発せられるやいなや、悪霊は少女を離れ去りました。勿論これは、主の再臨の前、終わりに日に現れる大いなる闇に備えて、私たちがそれに打ち勝つために必要な力を求め現して行く必要を教えるためのデモンストレーションでした。大いなる刈り入れをするために、キリストの花嫁はこのような領域のキリストの権威を知るようにならねばならないのです。
悪霊が少女から去ったとき、すぐに家族全員が聖霊に罪を示され自分たちの人生を主に捧げました。そのとき私はまた声を聞きました。「今までアフリカやインドに追いやられていたものがアメリカにもやって来ます。誰かが早急にわたしと一つとなり権威を持たねばなりません。」
その時私が霊で体験したことは、アフリカやインドでは当たり前に起こる霊的戦いであることを私は知っていました。しかしこれまで霊的暗黒の領域、次元からアメリカを守っていたある制御の力が今や大幅に取り去られたのです。
今までもアメリカの特別な地域や状況のなかでは起こっていましたが、これからはそれがもっと全般的に広がって行くのを私たちは目撃することになるのです。私たちは熾烈なこのチャレンジに立ち向かうための備えを今せねばなりません。このようなレベルの敵の攻撃に対してキリストの花嫁は「キリストの満ち満ちている身たけ」というレベルの成熟度に達し、死と地獄、墓に勝利した主を完全に表現するものとならねばなりません。
使徒パウロはエペソ4:11−13で次のように勧告しています。
「こうして、キリスト御自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちが皆、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」
この勧告によって私たちは過去の御霊の傾注とは違うリバイバルの霊のさらなる顕れを見るようになるでしょう。今まで私たちは、過去に顕された啓示と力のマントが、フレッシュで新しいものと一つになることを熱心に追い求めて来ました。
主はヨシュアに、「わたしは、モーセと共にいたようにあなたと共にいよう」と約束されましたが、ヨシュアの働きはモーセのものとは全く異なっていました。それと同じように、私たちは先の霊的チャンピオン達に注がれていたのと同じ啓示と力の霊を受けるかもしれませんが、働きのタイプは大いに異なるものとなるでしょう。
おもしろいことに、この霊的経験をして間も無く、私はあるカンファレンスでハイディ・ベイカー師と共にミニストリーをすることになりました。私はこの機会に私が受けた啓示を彼女に伝え、彼女がアフリカのモザンビークでミッショナリーとして経験して来た深い闇の世界との対決のいくつかを話して欲しいと頼みました。
彼女は躊躇することなく、悪霊に取り憑かれた人のことや悪霊との戦いのことをいくつか話してくれました。それは西洋のクリスチャンには想像もつかず、またそのような悪霊と対戦する備えもできていなような話でした。
しかし私たちがそのような状態であっても、主は私たちのために扉を開いて、このようなレベルの霊的権威と支配力を持つために初代の使徒たちが支払ったと同じ代価を私たちも支払う機会を与えてくださっているのです。
聖書はこれが終わりの日に起こるミニストリーの一部であることを明らかに預言しています。黙示録は、敵が大いなる怒りを持って地に投げ下ろされる時代のことを示しています。また、天で大きな声がして主の民に次の約束が与えられることも書かれています。
黙示録12:10−11
「今や、私たちの神の救いと力と国と、また、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟の告発者、日夜彼らを私たちの神の御前で訴えている者が投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に到るまでもいのちを惜しまなかった。」
対決の時が迫っています。私がこのメッセージを語り始めてから、すでに数えきれないほど想像を絶する暗黒と霊的横暴さがニュースで報じられています。一人の預言者がはっきり次にように私たちに訓戒を与えています。
イザヤ60:1−3
「起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。国々はあなたの光のうちに歩み、王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」(終り)