私たちの霊的履歴 坂 柚実子 2017年10月16日
私たちの霊的履歴
坂 柚実子
8月末から9月にかけての今回の私たち夫婦の3週間の日本伝道旅行中、WWGMを読んでいて下さる方々と会う機会を沢山頂きました。長年の友人知人はもとより、初めてお会いした方々もありました。ある昼食会には数人の初対面の方が集まってくださいましたので、まずお互いを知るために、各々が「霊的履歴」を話すということになりました。お一人おひとりが神の導きにより今の場所にいるということであり、現在は喜びのある信仰生活をしておられることを感じました。
又、ある会ではカトリックの方々とお会いし、カトリックとプロテスタントの違いなどを話しあうことができました。カトリックの方からはカトリックが持つ問題点を、またプロテスタントの私たちからはプロテスタントが持つ問題点を分ちあいました。その中で一人の方が「両方から『いいとこ取リ』はできないのでしょうか?」と言われ、私は、それこそ神が望まれていおられることではないかと思いました。
神は歴史を通して、そのときどきに必要な聖書の真理にスポットライトを当て、それを新しい啓示として与えてくださいます。新しい啓示から新しい教派が生まれたならば、生まれた教派はそれ以前の教派がすでに持っている啓示、真理、知恵をおろそかにせず、そこから学ぶべきことは全部学ばねば損であると思います。またそれ以前の教派は、神が他の人やグループに与えられた新しい啓示にも心を開いてこそ、神の与えようとしておられるすべての真理を受け取ることができるのだと思います。それが「宗教の霊」に打ち勝ち、生ける神との関係を保つ道ではないでしょうか。
宗教改革
先日CGNジャパンのインターネット放送で、9月に開催された宗教改革500周年集会における新宿シャローム教会の牧師稲福エルマ先生のお話を聞くことができました。非常に感銘を受けましたので、ここでご紹介させて頂きます。師はカトリック教会が持っていた問題や間違いの故に宗教改革が必要であったことを説明された後、次にように述べられました。
「カトリックであろうと、正教会であろうと、またプロテスタントであろうと、同じような失敗を繰り返す危険があるのです。神様の臨在を失い、御ことばから離れ、だんだん形式的なキリスト教という宗教になってしまう危険性です。ですから改革、トランスフォーメイションは、今なお私たちの中に継続して起こって行かねばならないことをおぼえていきたいと思います。
中世はカトリック教会が支配しておりましたが、500年前にそれが大きく変革されました。ルターが立ち上がり、信仰によって人は救われることを説いたのです。しかしその変革はそれで終ったのではありませんでした。1600年代にも沢山の神の御わざが起りました。その一つはバプテスト運動であり、洗礼の真の意味が再び回復されました。1700年代に起こった御わざの一つはホーリネス・リバイバルであり、クリスチャンは聖さを求めるべきであることを唱えました。1800年代には福音派運動が盛んになり、すばらしい世界宣教へのヴィジョンが与えられるようになりました。1900年代にはペンテコステ運動として、それまで失われていた聖霊の力を受ける聖霊のバプテスマの真理が教会に回復されるようになり、これによって教会が更に大きく変革されました。もっと自由な教会、もっと生きた信仰、燃えるような礼拝を捧げる教会が世界に誕生するようになりました。1960年代にはカリスマ運動を通して、キリストのからだの一致という真理が語られました。その後も、癒しのリバイバル、讃美のリバイバル、『信仰の言葉』のリバイバル、祈りの家のリバイバル等々、神様は今もなお継続して、教会を回復しておられることを感謝いたします。
私たちは本当に変えられて、変えられて、トランスフォームするのです。その目的は何でしょうか。それはキリスト・イエスの栄光を顕す教会に私たちはなりたいと願います!
ハガイ2章9節に『この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。』とあるように、神様は世の終りの教会をますます栄光に満ちた教会にしてくださる、それは初代教会よりも更にまさるすばらしい教会になることを神様は願っておられることを信じます。
エペソ5章27節には『(イエス)ご自身で、しみやしわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。』と書かれています!アーメン!
日本の教会はそのような教会になっているでしょうか?まだではないでしょうか。ですから私たちは更に500年前に始まったトランスフォーメーションの御わざを祈り求め、完成されるように信じて祈っていきたいと思います!」
以上が稲福師の力強いメッセージです。教会がトランスフォームされ続ける必要性を説かれました。私はアメリカからの宣教師であられる師の、日本の教会に対する深い愛と情熱を感じました。
私たちの霊的履歴
さて、今日は私たちの「霊的履歴」をお話ししたいと思います。
私は日本では、日本キリスト教団の教会に小さい時から結婚するまで通っていました。特に中学から大学までは南部長老派(日本キリスト教団に合流した教派の一つです)の宣教師によって設立されたミッション・スクールに通いました。そこで信仰深い先生方の導きで高校2年のときに信仰を持ちました。毎朝の朝礼で讃美歌を歌い、意味が本当には分からないままではありましたが、沢山の歌詞を心に蓄えることができました。今も思いがけない時に口から出てくるのは讃美歌です。
所属していた教会はアメリカからの宣教師によって開拓された小さな教会でした。彼が「土台」を「どどい」と言い、「大間違い」を「おまちがい」と言っていたのが今も耳に残っているのですが、日本語で毎週説教されるのは、ものすごい努力だったと思います。宣教師家族の犠牲的献身によって私は養われたのでした。
アメリカのオレゴン州で事業をしていた主人と1969年に結婚し、近所にあった北部バプテスト教会に繋がり、そこで主人も5年後に救われました。
私はそこで「cover to cover(聖書の表表紙から裏表紙まで全部そのまま信じる)」という概念や「妻は夫に従う」という聖書の教えを初めてちゃんと教えられた気がします。確かに妻が夫に従っている素敵な夫婦が沢山いました。
そしてやがてその教会のなかに日本語部を作りました。オレゴンには幾つかの教派の神学校があります。最初は、そこに日本から学びに来ている牧師や神学生たちにお願いして礼拝を続けましたが、最終的には主人が按手を受けて牧師となりました。これを通して他の教派の信仰にも触れることとなり、聖霊のバプテスマもこの期間に受けました。
1995年夏にヘンリー・グルーバー師夫妻と出会い、不思議な神のご計画により、その秋から日本にお連れすることとなりました。それから10年間、年に二回一ヶ月ほど、案内兼通訳として夫婦で日本に同行いたしましたが、それを通してグルーバー師から「祈りの歩行」の実践や様々な霊的教えを受けることができました。師は聖書をそのまま生きているような方であり、私たち夫婦の信仰に大きな影響を与えてくださいました。
2004年にハワイに移ったのを機に、バプテスト以外の教会を経験することができました。まず、フォースクエア派の教会に一年ほどおりましたが、そこは個人的な神との時間、デボーションを強調している教会で、すばらしいことにほとんどのメンバーがそれを実践していました。次に単立の聖霊派の教会に2年ほどおりましたが、そこはエド・シルボソ師の指導のもと、社会のトランスフォーメーションを目指している画期的な教会でした。次にイスラエルに重荷を持つハワイ人によるメシアニックの集会に参加し、安息日やユダヤ教の慣習、祭りを経験し、イスラエル•ダンスを楽しみました。そこで学んだことは聖書の理解を更に深めてくれたと思います。また、それを通じてイエスを信じないユダヤ人と知り合う機会もあり、彼らがクリスチャンや十字架に対して否定的な思いを強く抱いている理由を知ることができたのは、貴重な経験でした。
2012年にニューヨークの息子夫婦に子どもが生まれ、その手伝いに出かけました。私たちが住んだコンドミニアムはもともとユダヤ人が建てたところで、現在も住民の半数はユダヤ人という場所でした。一つのビルに2つエレベーターがあるのですが、金曜日の日暮れからの安息日になると、片方のエレベーターは「各階止まり」に設定されます。ユダヤ人にとって自分の階のボタンを押す事は、安息日に禁じられている「仕事」になってしまうからです。私たちはハワイでユダヤ人のことを学んでいましたので、そのような一見愚かに見える「宗教的慣習」も、ある種の尊敬の念をもって受け取ることができたのは幸いでした。
教会は息子たちと一緒にブルー・オーシャンというグループに属す教会に通いました。これは「青い海原」にいる多くのノンクリスチャンにも福音を届けるという意味で、「Fully Jesus-Centered. Fully Inclusive.」という考えでした。「イエスを中心とし、イエスを求めて来る人ならば誰も拒まない。」ということだと思います。韓国人牧師による英語の礼拝でしたが、牧師夫人が担当し力を注いでいる教会学校は、子どもの時からキチンと自分の頭で考えさせるという方針を打ち出していました。
息子の転職に伴い、2014年にサンフランシスコの近くに移りました。そこで黒人と韓国人の夫婦が牧会する現在の教会に導かれました。ここはまさに人種の坩堝で、多分15カ国以上からの人びとが集っているのではないかと思います。韓国人、黒人、白人、メキシコ人、中国人、その他私たち日本人等です。黒人も「アフリカン・アメリカン(アメリカの黒人)」だけではなく、ナイジェリアやケニヤからの「アフリカン・アフリカン(アフリカ生まれのアフリカ人)」もいて、その違いも見ることができます。
私たちは長年アメリカで暮らしてきたにもかかわらず、黒人の方と親しく交わる機会が今までなかったのですが、この教会を通して、アメリカの黒人が持つ深い傷を少し理解できるようになったのは幸いでした。多くの違う文化を持つ者が一つの教会を形成していくのは、確かにチャレンジも多く、御霊の働きがなければ不可能なことですが、牧師夫妻の霊的指導によりこのような教会形成が進んでいることはすばらしいと思います。
以上私たちが経験してきた教会ですが、それぞれの教会での牧師や信徒との交わりによって教えられ、養われ、助けられてきました。又、教会の構成や運営の仕方も多様であり、それに関しても学ぶことができました。カトリックの教会の経験はないのですが、主人は長年、16世紀のカトリックの霊的な人々から、書籍を通じて多くを学んできました。
そして私たちは、アメリカの霊的指導者の本やビデオ、インターネットを通して今も多くを学んでおります。現在WWGMで皆様にお伝えしているのは、そのような人びとの預言や預言的教えであり、それらが少しでも皆様の信仰生活への励まし、助けになることを願っております。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。(終り