問題はサタンではなくあなたです ペリー・ストーン 2017年9月4日
問題はサタンではなくあなたです
ペリー・ストーン
マタイ16:21−23
その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえなければならないことを弟子たちに示し始められた。するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
新約聖書の中には、サタンから直接の影響を受けた人のことが3回出てきます。イスカリオテのユダ、シモン・ペテロ、アナニヤとサッピラです。聖書にはサタンがユダの心に入り、彼はキリストを銀30枚で売ったとあります。シモン・ペテロの場合は彼の心にきた「思い」が、イエスがなすべき事を止めようとしました。アナニヤとサッピラの場合はサタンに心を奪われ、地所を売ったお金を全部捧げると言って、実はその一部を自分たちのために残しておきました。ですからこの3つは、はっきりとサタンが彼らの考えや決断に関与していたのです。サタンが彼らの心、感情に働きかけ、何らかの反応、行動を起こさせていることがわかります。
そして「霊の戦い」と聞くと私たちは、それはただ悪霊やサタンと戦うことだと考え勝ちです。確かに、エペソ6:12には「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と書かれています。
しかし、聖書を詳しく調べてみると、クリスチャンの戦いのほとんどは、悪霊やサタンに対するものではなく、内なる自分との戦いであることがわかります。あなたの敵は自分なのです。聖書の中にある3つの戦いの例をあげたいと思います。
1.2コリント10:5「私たちは、さまざまな思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ...」
これは私たちの考えや高ぶりとの戦いです。
2.1コリント9:27「私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。」
これは肉体の訓練という戦いです。
3.2コリント7:1「...いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖さを全うしようではありませんか。」
これは霊の汚れを清める戦いです。
この3つは、自分の思いの訓練、肉体の訓練、霊の訓練という戦いについて語っています。
皆さんに次の質問をしたいと思います。
「なぜ、多くのクリスチャンが汚れた習慣と戦っても勝利することができていないのでしょうか? なぜ悪い習慣を止めることができないのでしょうか?
なぜ、いつも敗北を喫して、勝利を味わうことができず、落ち込んでいるのでしょうか? どうして喜びがないのでしょうか?」
それは私たちがどのようなクリスチャンであるかに関係しています。
クリスチャンには3つのグループがあります。
1.ヨハネ8:36のグループ「ですから、もし子(イエス)があなたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」
このグループの人は贖われて、イエスによって本当に自由にされ、完全に解放されたのです。
ロバートさんは30年前は麻薬売買をしていて本人も中毒でした。しかし、神が彼を解放したとき、彼は100%イエスによって自由にされました。
2.ヘブル12:1のグループ「...私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐を持って走り続けようではありませんか。」
このグループの人は贖われましたが、完全には自由になっていません。主を愛してはいますが、まだ何かと戦っているのです。それは誰かを赦さない苦々しさかもしれません。ですから、すごく大きな事ではなく、完全に縛られているというものでもないかもしれませんが、まだ戦いがあるのです。
3.ガラテヤ5:1のグループ「...ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。」
このグループの人は贖われてイエスを愛しているけれども、奴隷のくびきをまだ負っている人たちです。アルコール中毒者が救われたけれど、まだアルコールとの戦いが続いている状態です。ポルノ中毒から救われたけれど、いまだに誘惑に完全に打ちかつことができていない人です。
私たちが勝利の人生を歩むためには、第一のグループ、即ち、完全に自由にされた霊的なクリスチャンにならねばなりません。
誘惑に負けず自分をコントロールし訓練するのは簡単だと言う人は、痩せるためのダイエットを幾つも変える人のことを考えてみてください。それは決して簡単なことではありません。
聖書では私たちは御霊によって歩まねばならないと言っています。その意味は、あなたの思いを常に御ことばと御霊とに一致させて生活するということです。肉の欲望を満たすのではなく、内なる自分を訓練して御ことばと御霊に従う道を選びとるのです。
ある時、一人の青年がやってきて、「情欲をもって女性を見る」という誘惑について相談しました。私は彼がそのような思いから解放されるように祈りました。一週間後に彼は又やってきて「すばらしいです。私はもはやそのような感情に惑わされることがなくなりました。」と言いました。ところがまた一週間後にやってきて、「職場にミニスカートの女性がいて、どうしても情欲の目で見てしまいます。」というので、また解放の祈りをしようとすると、神が私に言われました。「彼に必要なのは悪霊を追い出すことではなく、彼が自分を訓練することです。He
does not need deliverance . He needs discipline
.」ミニスカートの女性を見たら、何回もその人を見るのではなく、すぐに目を逸らして再び見ないように、内なる自分をしつけなさい、と神は言われたのです。
悪魔は今でも私たちの心に働きかけますが、私たちは神と御ことばと聖霊により頼むことによって、いつも自分を訓練し、悪魔の罠からのがれる力を受けることができるのです。ですから問題は悪魔ではなく、あなたなのです。私は怒りっぽい性格ですが、深呼吸をして「今怒りの言葉を発することは止めよう」と自分をしつけるのです。何度も失敗をしてきましたが、だんだんに訓練しています。(終り)