WWGM

Walk With God Ministries

28 8月

天国の恵み     キャット・カー             2017年8月29日


天国の恵み
キャット・カー

天の父への唯一の道はイエスです。イエス・キリストの贖いの血潮を受けることが天国に行く唯一の道です。これこそ私たちが天国に関して知るべき最も重要な情報です。次に、救われたあなたはキリストのように生きねばなりません。あなたがイエスの贖いを受けいれ、自分をクリスチャンと呼ぶのならば、キリストのように行動せねばなりません。自分のためではなく、神のため、人びとのために生きるのです。

私はすでに自分を神に捧げています。神に「どうかあなたの御こころのままに私を自由にお用いください」と申し上げたのです。そして聖い人生を送ることを選びとりました。それは私たちが自分の意志で選びとることなのです。あなたはこの世のものを欲しますか?
それとも神のものを欲しますか?私は何よりも神のものが欲しいと願いました。

ですから聖い人生を追い求めました。それは私が一つも間違いを犯さなかったということではありません。いつも申し上げていることですが、私は間違いをしてきました。誰でも時として罪を犯してしまうものです。しかしポイントは、罪をそのままにしておかないことです。すぐに悔い改めるのです。遅れてはなりません。あなたは罪をそのままに放置して、その結果すばらしい天国の経験を失いたくはないでしょう。ヘブル12:1に「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」とある通りです。私たちはこの世で偉大な競走をしているのです。そしてゴールインしたいのです。

そのゴールとは天国です。そして天国は今私たちを見守っているのです。私は人を裁かず、愛をもって語り、いのちの川を口から流れ出すという訓練を主から受けました。そして1996年から主は私を霊で天国を眺める旅に連れていってくださるようになりました。神の御霊はいつでも好まれるときに、私の霊を天国のいろいろな場所に連れて行ってくださるようになりました。あなたは神の臨在の中に生き、御座の部屋にいつでも入っていくことができます。御座の部屋の階段に立って御父の栄光を仰ぎ見るとき、そこから流れてくる愛の波に圧倒されるのです。

もしもあなたの愛する人が亡くなって天国に行ったならば、彼らは決してまた地上に戻りたいとは思っていません。彼らは自分が元々ここから地上に行ったのだと分かるからです。そこが彼らのいるべき場所であることが分かるからです。この事実は愛する人を天に送った人への慰めでもあり、また天国をゴールにしている人への希望となります。

今は私たちが神の臨在と力と愛を地上で顕していくべき時であるので、神は今までよりさらにご自分を啓示してくださっています。神は本当にリアルなお方です。天国は実際にある場所です。それは霊的な世界であり、私たちは霊のからだで生きるのです。

あなたが死ぬと、あなたは自分の肉体から抜け出ます。その時のあなたは壁を通ってふわふわと漂うようなものになるのではありません。神はそのような存在に素晴らしい住まいを与える方ではありません。あなたが普通に生きるように住まいを与えてくださるのです。あなたの肉体から抜け出すものは、完全な形をした霊の身体であり、天国に行くとあなたは地上と同じように(もっと素晴らしく)霊の身体で生きるのです。天国の人びとは本当に麗しく立派なのでいつも驚かされます。天国には老人はいません。今すでに歳を取っている人にとってはうれしいことですね。皆は天国に帰って王や王妃のような服装をしています。天国で彼らは王の息子、娘だからです。

天国には食べ物もあり、それは光で出来ています。神が「光よ。あれ。」と言われて光を最初に造られたのには大きな理由があるのです。地上のほとんどのものの中には光が含まれています。科学者たちもそのことを知り始めています。食べ物は光で出来ていますが、ステーキや、ピザ、バーベキューチキンとか、何でもあなたが食べたいものの味と香りがします。それは食べるとあなたの中に完全に吸収されていきます。ですから天国にトイレはありません。体重が増えることもないし、食物のアレルギーもありません。


「天国に食べ物などない」と思う人は「小羊の婚宴」のことを思い出してください。天国では食べ物は生きるために食べるのではなく、食べることを楽しむために食べるのです。キリストは栄光のからだになった時にも食事をされました。

死んだ瞬間、人に何がおこるか

死の瞬間に起こることを知るのは、死への恐れを取り去ることができるのでとても大切です。神は幾人かの人が死ぬ瞬間を私に見せてくれました。愛する人を失って地上に残された人たちは、その悲しみを長く引きずることがあります。愛する人の死は長い病床生活の末か、事故や何かの悲劇であったかもしれません。しかし、もし彼らがあなたに話すことができたならば、「私はそんなことはもう少しも考えていませんよ。もう全く気にしないでください。今私は主と共に楽しく暮らしているのですから。」と言う事でしょう。肉体の身体を離れた瞬間から、彼らはもう何の苦痛も恐れも心配もなく、神の栄光に包まれて完全な自由、完全な愛を感じるのです。それは彼らを守る御使いたちが迎えにきていて、素晴らしい乗り物で天国まで連れていってくれるからです。彼らは後ろを振り向いて家族に手をふって「さようなら」と言うのです。
天国まで銀河や星雲を通って行きます。

天国に近づくと、天使たちが列を作って迎えてくれます。彼らは神の子が一人帰ってきたので、神を賛美しています。乗り物から降りる場所に、あなたの家族が待っていてくれます。
そこから天国の門に行くと、そこにもあなたを待っていた人がいます。もしあなたが流産などで子を失ったならば、その子がそこで待っています。あなたの飼っていたペットも待っています。あなたが愛していたからです。門のところで出迎えてくれるのはペテロではなくアブラハムです。彼はあなたをしっかり抱いて「お帰りなさい。」と言います。

いのちの川が黄金の道に流れていて、人びとが川に飛び来んで、あなたに水をかけます。その水は神から流れているので、あなたは神のいのちで満たされます。次にあなたは御座の部屋に連れて行かれます。御座は部屋の奥ではなく、部屋の中央に高く上げられているので、直ぐに見つけることができます。四つの生き物は翼に目が沢山あり、非常に大きくて、神の栄光を称えています。御父からは虹が出ています。


イエスが御座から階段を降りて来て、あなたを連れて登り、御父のところに連れていってくれます。イエスの顔は非常に美しく輝き、あなたは圧倒されます。あなたはイエスに愛を告げます。イエスは180センチくらいで筋肉たくましく、黒っぽい巻き毛が肩までかかっています。目は愛のプールのようです。あなたはイエスへの愛でいっぱいになり、ただ主を誉め称えます。主は「わたしはあなたを父のところに連れていかねばなりません。わたしは父への愛の故に死にました。十字架のわたしの報償は、救われた者を一人ひとり皆父のもとに連れもどすことです。」と言われます。

そしてあなたは父の御座に近づきます。御座の部屋に流れる音楽は本当にすばらしいものです。それは天使の歌声が幾重にも重なっているように聞こえました。沢山の人がいました。子どもたちは御座のまわりで賛美し、踊り、お祝いをしていました。御父からは青い稲妻が出ていて、それはものすごいいのちのパワーがあり、人びとがそれに触れると御父からの愛の波を受けるのでした。それはまるで御父の臨在の中に吸い込まれていくような感じでした。あなたはどんどんと御父に近づき、栄光の輝きの中に白く輝く髪をした父の顔が見えるようになります。父は手を伸ばしてあなたを抱きしめて、「わたしの息子(娘)が帰ってきた」と言われるのです。
パウロがピリピ1:23で「私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。」と言っている意味が、その時わかるのです。ですからクリスチャンにとって死を恐れる必要は一つもありません。

地獄について
地獄は恐ろしいところであり、そこに行きたいと思う人は誰もいませんし、行く必要もないのです。それが福音です。神はあなたが地獄に行かなくてもよいように道を備えてくださいました。地獄はリアルなところであり、サタンも悪霊もリアルです。サタンや悪霊は、地上で人びとを陥れる任務を与えられています。あなたを罪に陥れて、神の声や、自分の良心の声を聞くことができなくします。ですから、もし罪を犯すならば、よくよく考えてからにしてください。あなたは自分の意志で罪を犯し、暗やみの王国へと入っていくのです。自ら敵の陣地に入り、敵にあなたの人生を支配させるのです。
「まあ、少しくらい罪を犯しても、神の恵みが覆ってくれるからいいわ。」というようなものではありません。恵みはあなたに罪を犯す権利を与えるのではありません。恵みはあなたが罪を犯さない力を与えてくれるのです。

毎日受けとることが出来る恵み

ある時、神はある一つのことを教えるために私を天に連れていかれました。それは「豊かな人生のための恵み」のことでした。永遠のいのちのために恵みがあり、それは十字架からもたらされます。しかしイエスご自身も恵みを受けておられたことが聖書に書かれています。
ルカ2:40「幼子は成長し、強くなり、知恵に満ちて行った。神の恵みがその上にあった。」
神はイエスを恵みで満たされ、地上でのイエスの人生が豊かなものとなり、敵の攻撃に打勝つ力を与えられたのです。

この天からの恵みという燃料は、御父が御子をこの世に遣わされたときに与えられたものですが、私たちもそれと同じ恵みを受けることができると神は言われました。聖書には私たちは恵みの御座に近づくことができると書かれています。もしあなたがクリスチャンならば、永遠のいのちの恵みは救われた時にすでに受けています。

しかし、この恵みは豊かないのち、豊かな人生のための恵みです。キリストがこの世に来てくださり、私たちは豊かないのちを持つことができるようになりました。私たちは毎朝起きたときに、天を仰いで「お父様、今日のための恵みを頂きたいと願います。そしてそれを受け取ります。天から恵みという燃料を私は引き出します。」と祈るのです。御父はイエスに与えたのと同じ天からの燃料を私たちの中に注いでくださり、私たちは毎日の生活の中でその素晴らしい燃料を燃やしていくことができるのです。

天からの燃料をあなたが持つならば、敵はあなたに手を出すことが難しくなります。どのような問題が起ころうとも、あなたは豊かな人生を送るようになります。神は私に言われました。「あなたの人生は変わります。毎日喜びで満たされるようになります。祈りの部屋から出るときに、あなたはその日をむかえる準備が整っています。」私は天でいろいろなことを経験しましたが、この恵みの受け取り方を教えてもらったことが一番すばらしいことでした。


あなたの家族がまずあなたの変化に気づくでしょう。今までのように小さなことで文句を言うことがなくなります。人のゴシップをしたり裁いたりしなくなるのに気がつくでしょう。あなたが「天国」で満たされているからです。この恵みは荒野のマナと同じように、ただで自由に受けることができるのです。マナも各自が毎日集めに行かねばなりませんでした。天の恵みもあなたが求め受け取らねばなりません。神は誰でも「天国で満たされる」ことができることを知ってほしいのです。人が「一体あなたに何が起こったのですか?」と尋ねるほどあなたは変えられます。その時あなたはこの簡単な祈りをその人に教えてあげることができます。
パウロが「肉体のとげを取り去ってください」と祈ったとき、イエスは「わたしの恵みは、あなたに十分である」と答えられました。イエスはパウロにこの恵みを与えられたのです。

私たちが祈る時、何が起こるか

祈り、特に義人の熱心な祈りには大きな力があります。私たちが聖書のことばや神に与えられたことばを宣言して祈ることは大きな力があるのです。あなたが祈るとき、霊の世界ではあなたの口に剣が現れ、祈りの中でそれがどんどんと形造られていきました。
ダニエル10:12には、主の御使いは「ダニエルのことばを聞いて」来たことが書かれています。御使いは私たちのことばが武器になるのを待っているのです。
御使いはあなたの口から剣を取り、あなたの祈りに関して 敵と戦い始めます。あなたの祈りのことばは霊の世界で用いられる武器であり、とても重要です。

あなたがワーシップをするとき、あなたは霊の世界の中に何かを解き放っています。すべてのワーシップは御座におられる神のこころへと入っていきます。地上で私たちがワーシップをすると、それは敵がいる第二の天に上っていきます。敵は私たちのワーシップを止めることができず、ワーシップは敵を攻撃します。私たちのワーシップは武器になるのです。詩編149には「聖徒らの口にある神への称賛は、鉄のかせで敵を縛る」と書かれています。ですからあなたの祈り、ワーシップは神のために戦う武器となります。神はそれをとても喜ばれます。それは御座の部屋のかぐわしい香りです。私たちは御座のまわりのワーシップと声を合わせて神を賛美し続けるのです。(終り)


Post a Comment