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06 6月

預言的な夢の役割       ジェイムス・ゴル             2017年6月6日


預言的な夢の役割

 

ジェイムス・ゴル(エンカウンターズ・ネットワーク)

 

 キリスト教の伝統の中で、夢は当初から大切な役割を果たしてきました。夢の解き明かしはユダヤの歴史の中に深く根ざしています。夢が語ることや啓示の豊かな遺産が、長い歴史を通して継承されてきたことを今日はお話ししたいと思います。

まず、神が昔からずっとされて来て、現在でも何ら変わってはいないことを見てみたいと思います。それは夢という言語です。ーこの言語によって何かが語られるーそれは神が私たちの人生に介入されるための、古からある神秘的な方法の一つです。私たちが安心している領域に神は夢を通して侵入してこられます。神は夜の間に私たちを訪れて話しかけられるのです。

夢やヴィジョン、そしてそれらの解釈は、世界のほとんどすべての文化や宗教に含まれる要素であり、それは人類の長い歴史を通して行われてきました。そして他のどの宗教よりも、ユダヤ教とキリスト教においてそれは最も顕著であったのです。その理由は、ユダヤ人やクリスチャンが啓示の創始者である一人のまことの神を礼拝するからです。

夢を霊的啓示や神からのコミュニケーションの正当な媒体として受け入れるためには、教会史を含めて世界の歴史の流れを調べる必要があります。夢の解釈にはどのような歴史があるのでしょうか?

 

初期教会の夢の遺産

 

旧約時代のユダヤ人にとって神からの夢は重要な役割を果たしていましたが、それは新約時代においても同じでした。例えばマタイは、イエスの誕生から幼少時代にかけてヨセフが4つの夢を見たことを記録しています。又、博士たちがヘロデのところに戻ることを禁じた夢のことも記録しています。

 

また使徒行伝でルカは、サウロ(パウロ)がダマスコ途上でイエスのヴィジョンを見たことや、サウロの視力を回復させるために遣わされたアナニアの夢について記しています。ルカはまた、アナニアの来訪を予めサウロに告げた夢のことにも言及しています。それから数年後にパウロに与えられた夢は、彼がヨーロッパ大陸に福音を持ち運ぶ切っ掛けとなりました。シモン・ペテロとローマの百人隊長であったコルネリオは共にヴィジョンを受け、その結果ペテロがコルネリオの家を訪れることになりました。そこでペテロはコルネリオや彼の家族、友人に福音を語りました。

 

使徒たちが死に、新約聖書の時代が過ぎた後、始めの数世紀の教会のリーダーたちは、夢やヴィジョンが人間と交信するために神が用いられる正当な手段であることを信じていました。彼らの多くは夢やヴィジョンに対する肯定的な意見を著しており、中には自分の個人的な夢の経験を記録している人たちもいます。

スミルナの司祭であったポリカープは、使徒と同時代に生きた人であり、使徒から按手を受けましたが、信仰のためにA.D.155年に殉教しました。その少し前、彼は祈りの中で、自分の頭の下の枕が燃え始めるヴィジョンを見て、それは自分に迫っている死を神が予告してくださったのだと悟りました。

 

教会史上の例

 

最初のクリスチャン哲学者であったジャスティン・マーターは、夢は様々な霊から来ると信じていました。彼は「人間の魂は肉体の死後も生き続ける」という自分の信念を論証するためにそれを用いました。そして夢は「目に見えないリアリティーとの直接的な霊的交信」を私たちに与えると言っています。

2世紀後半、フランスのリオンの祭司であったイレナウスは、ジャスティン・マーターと同じく、夢は霊的な世界を啓示するものだと信じていました。「Against

Heresies」は現存している彼の主な著書ですが、その中でイレナウスは、新約聖書のヨセフ、ペテロ、パウロの夢を厳しく詮索した結果として肯定的解釈を与えています。

アレキサンドリアのクレメンテは、初期教会で最も優秀な頭脳を持った者の一人でしたが、彼は、真の夢は「魂の奥深いところ」から立ち上るものであり、「霊的リアリティーをあらわすもの、神との魂の交わり」であると信じていました。クレメンテは「眠り」は人が神からの啓示に特別に心を開く時と考えました。夢は神から受けたデスティニーへの洞察を人に与えることができるのです。

 

タータリアンは3世紀の力ある著者であり信仰の擁護者でしたが、彼は夢は神からの霊的賜物の一つであると考えました。彼はまた、初代教会の人たちと同じように彼の世代の人々にとっても夢は重要で意味のあるものだと信じました。そして夢は次の4つのどれかから来ると考えました。即ち、悪霊、神、人の魂、そして「夢見心地になったときの特殊な状態」です。

 

教会史上最も偉大な神学者の一人であるアウグスチヌスは、霊的な夢の正当性と価値を堅く信じていました。彼は、人は外と内で受け取る実際的なリアリティーに加えて「自律性霊的リアリティー(例えば天使や悪霊を霊的目で見ること)」を受け取ることができると信じていました。彼の著作には彼自身や他の多く人々の夢やそれについての議論が数多載せられています。彼が神から離れていた時、母親であるモニカは彼がキリストのもとに来る日が必ずあるという保証と慰めの夢を主から受けました。それは非常に興味深い夢の話の一つです。

 

トーマス・アクイナス(アキナス)は、アウグスチヌスと対抗した中世の神学者ですが、彼は人の知識の唯一の源は、感覚、経験、理性的な考えであるというアリストテレスの考えに同意していました。彼の神学に対するアプローチはキリスト教思想とアリストテレス学派の考えを合わせたものだったので、それはキリスト教を完全に近代化したのです。

ところが、アキナスが「神学大全」という大作を書いていたとき、彼自身が夢と啓示的ヴィジョンを体験したのです。その夢の中でペテロとパウロが、アキナスが非常に扱い方に非常に苦労していたある神学問題に関して回答を与えてくれたのです。又、彼の人生の終り近く、この大作の完成間近に彼はあるヴィジョンを受けました。それは彼の理性的な考えからは決して生まれるはずのない神からの直接的な体験でした。

その結果、彼は「神学大全」を書くのをストップしました。彼は「私はもう続けることができません。このようにいろいろな事が神から啓示されたので、今まで私が書いたことが藁くずのように思えます。今はただ死を待つだけです。」と言ったのです。これが何世紀もの間、教会に神学に対して全く理性的なアプローチをさせ、夢に対する敏感さを教会から遠ざけてしまった人の言った言葉なのです!

 

近代の教会における夢の取り扱い

 

「近代」とは宗教改革後の時代です。4世紀から千年以上もの間ずっと、「夢という交信手段」に教会は公式に背を向け、神学や教義に対して「更に理性的な」アプローチを選びとってきました。

しかしながら、その期間にも多くの信者が個人的に神からの夢やヴィジョンを経験し続けて、これらの邂逅の多くのものが現在まで記録され保存されています。言葉を代えれば、教会の「公の」夢に反対する立場にもかかわらず、神はご自分の民に古い時代と全く同じように語り続けられたのです。ここで一人のクリスチャンの生涯を少し詳しくお話しさせてください。

 

「アメイジング・グレイス (驚くばかりの)」の歌に関する啓示

 

ジョン・ニュートンは18世紀にイギリスで最も尊敬され愛された牧師の一人でした。しかし彼の人生はそのように出発したのではありませんでした。彼は船乗りとなり、やがて奴隷商人となりました。ずっと後になってミニスリーに入る際、彼は奴隷売買を始めたころに見た夢について記しました。その夢は彼が進もうとしている人生の道の危険性を知らせたもので、彼に神の摂理について教えるものでした。夢の中で、ニュートンはヴェニスの港で船に乗り、夜の見張りをしていました。一人の人が近づいてきて、彼に指輪を渡し、注意深くそれを護るように告げ、それを持っているならば彼は幸せで安全であると言いました。

彼が思いを巡らしていると、2人目の人が近づいてきて、指輪などに身の安全を拠り頼むことの愚かさを彼に納得させました。そこでニュートンは指輪を水中に落とすと、すぐにヴェニスの背後の山脈から火が吹き出すのが見えました。二人目の人が「試みる者」であったことを彼が悟るのが遅すぎたのです。「自分の人生の神の憐れみを投げ捨てよ」との誘惑の罠にかかったのです。もはや彼を待つのは燃える山々の地獄のような炎でした。彼は次にように書いています。

「私は自分を呪い、希望もなく立っていると、突然3人目の人、というか最初に指輪を持ってきた人が来ました。そしてどうして私が嘆いているのかと訊ねました。私は事情を説明し、「自分は勝手なことをした、もう助けてもらうことはできない」と言いました。彼は私の早急さを咎めましたが、「もう一度指輪をもらったならば、今度は知恵深く行動するか」と訊きました。

 

私は返答に困りました。というのはもう取り返しがつかないと思っていたからです。実際のところ私が答える間はなかったのです。というのはアッという間にこの人は指輪を投げた場所に飛び込んで、すぐに指輪を拾ってきてくれたのです。

彼が船の上に上ってきた瞬間、山の火は消え、私を惑わす者もいなくなりました。そして「力ある神の御手から奪われえじきとなった者が救われ、

囚人が解放された」のでした。私の恐れは消えて、喜びと感謝をもって私は指輪を受け取るために彼に近づきました。しかし、彼は指輪を私に渡すことを拒否して次のように言ったのです。 「もしあなたに指輪を託したならば、すぐにまた同じような目に遭うでしょう。あなたにこれを護る力はありません。しかし、私があなたのためにこれを保ち守ります。そして必要な時にはいつでも、あなたのために指輪を出してあげます。」

その後間もなくニュートンはこの夢を忘れてしまいました。しかし数年経った時、夢の中で自分が置かれた状況、助けも希望もない状態で恐ろしい永遠の崖っぶちに立たされている状況に驚くほど酷似している状況の中に自分がいたのです。

その時ジョン•ニュートンは主の憐れみを見出しました。そして指輪をとりもどしてくださったお方がそれを護っていてくださったことを発見しました。この経験は彼をして「ああ、何というなぐさめであろうか、私を護るのは自分ではないことは!」と叫ばせたのです。福音を語る者として、彼は多くの賛美歌を作りました。その中で最も有名で多く歌われるのが「アメイジング・グレイス 驚くばかりの恵みなりき」です。この「恵み」は彼自身が体験したものでした。

 

遺産を受け取ろう!

 

夢は力のあるものです。それは私たちに近づき、触れ、他のどのような交信では不可能な方法で私たちの人生を変えてくれます。夢を見下げてはいけません。何世紀もの間、教会のあまりにも多くの人たちがしたように、夢に背をむけないでください。ユダヤ人の伝統に習って夢の交信の世界に心を開いて、神が夢を通してあなたに語ることを期待してください。神が夢の中で言われることを憶えていて、神が言われることにあなたが応答する時に、あなたの人生が変ることを期待してください。

ユダヤ人の先駆者たちや初代教会の父祖たちのように、啓示の霊が存在するばかりか繁栄するような文化を創ろうではありませんか。神の子どもとしての私たちの霊的権利を取り戻し、夢の創始者であるお方によって照らし出される道を歩く息子、娘となろうではありませんか。あなたの夢が実現しますように!(終り)


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