祈りの言葉を発達させる ジャレッド・ラスキー 2017年5月22日
祈りの言葉を発達させる
ジャレッド・ラスキー(デスティニー・オープン・チャーチ)
異言で祈ることは、すばらしく尊い賜物ですが、多くの教会はそれについてあまり触れず、ただ執り成しの祈り会やカンセリングの時にだけ用いているようです。異言は今日にいたるまで聖書的な真理であり、最初ペンテコステの日に(使徒行伝2章)公に表されたにもかかわらず、教会のリーダーの中にはそれを隠して言わない人たちもいます。
第一コリント13章は「愛の章」として有名であり、結婚式で最もよく読まれます。それは確かに麗しい箇所ですが、その内容は結婚ではなくて聖霊の賜物に関することです。13章は12章と14章の間に挟まれていますが、その2つの章は神のすばらしい賜物の正しい用い方について書かれています。
そして13章は、御霊の賜物を用いるときの私たちの態度と動機について書かれています。
8−10節「愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならすたれます。異言ならやみます。知識ならばすたれます。というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。」
この箇所から御霊の賜物は一世紀だけのものであり、「今はすたれた」という人達がいます。しかし御霊の賜物は「完全なものが現れる時にすたれる」と書かれているのです。
「完全なもの」とは聖書が完全になった時のことだと議論する人もいるでしょう。しかし、「完全なもの」とはキリストご自身を指すと考える方が自然でしょう。なぜならば12節に「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。」とありますから、御霊の賜物はイエスの再臨の時に初めてすたれるのです。
この解釈には無理があるという人たちもいるかもしれませんが、もし第一コリント全体の内容を見るならば、それは1章7−8節のパウロの言葉にも表されています。
「その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。」
「主イエス・キリストの日」とは、主が教会にかえって来られる時のことをさしています。
異言は他の賜物と同じようにすばらしい霊的賜物であり、イエスからそれを受けた後、それを訓練し発達させていくのです。(マタイ3:11,ルカ3:16,使徒行伝1:8)使徒パウロは私たちが見習うべき偉大なお手本です。彼は異言は、一度だけとか、時々話すとかではなくライフスタイルであると言っています。第一コリント14:18で彼は「私は、あなたがたのだれよりも多く異言を話すことを神に感謝していますが、」と言っています。これは私たちの生活や教会においても同じであるべきです。ただ夏のキャンプの経験や、年に一度の教会の特別礼拝だけではなく、私たちの毎日の生活の中に適応されるべきものです。
聖霊のバプテスマを受けてから数週間後に私のところに相談に来る人が時々います。彼らは聖霊に初めて満たされ異言を受けたけれど、ほんの数言を繰り返すだけなのでがっかりしているのです。私は彼らが正しい道を歩んでいるのであり、続けて異言で話し続けるならば、数行が多くのことばに発達して増えていくと話してあげます。
私たちは子どもの時、新しい言葉を何度も繰り返すことによって憶え発達させ、単語や表現の数を増やしていきます。そのように私たちが祈るときに聖霊が与えてくださる異言の言葉や表現を繰り返すときに、私たちの異言は成長し発達していくのです。車を運転している時も、道を歩いている時も、部屋で祈っている時も、私たちは異言で祈ることができるすべての機会を用いて、このすばらしい賜物を用いて神を礼拝するべきなのです。
人や御使いの異言で祈ることは時間をかけて発達させていくものです。またパウロは異言での祈りは自分の徳を高めると言っています。(第一コリント14:4)私たちは異言によって祈り、主を礼拝し、自分を建て上げることを大いに喜ぶべきです。それは神と超自然的な方法で個人的に繋がることなのです。
私たちはまた、一人で神と交わるときに異言で歌うと良いのです。第一コリント14:15に「私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。」とあります。異言で祈り賛美することは霊の言葉を発達させ、異言を解き明かすことを学ぶための鍵です。私たちは家で一人で神と過ごすときに、異言で祈ったり賛美することができます。
そして神に自分が異言で祈ったり歌ったりしたことの解き明かしをくださいと願うことができます。神のすばらしい御霊が私たちに解き明かしをくださる時、それを書き留めて、主と自分との間の特別な賛美として用いることができます。
あなたの霊の言葉が神の御霊において新しい高みにまで上り、あなたが神への愛において成長し発達し続けますようにお祈りいたします。(終り)
Jared Laskey ( firebornministries.org.)