31 12月
2016年を振り返って 坂 達 也 2016年12月31日
2016年を振り返って
坂 達 也
間もなく2017年を迎えようとしております。就きましては、先ず2016年がどのような年であったかを私なりに振り返ってみ たいと思います。
第一に、2016年はアメリカの大統領選挙が行われ、それによってアメリカの政治と経済、 それに一般のモラルの現状がどれ程凋落しているかがあばき出され たことが挙げられます。 結果としてはトランプ氏が次期大統領になることが決まり、それが決まると同時にトランプ次期大統領はすかさず彼の政府関係 の人事(未だかってない程の実力者をそろえる)に着手し、 それと平行して政策面でも彼の所信がどんどんと発表されました。 それで分かってきたのは、 トランプ次期大統領とオバマ現大統領の考え方と政策がどれほど違 うかという事です。 最も顕著な違いは、両者のイスラエルに対する考え方であり、ここに至ってオバマ氏が親アラブであることが明白になり、 一週間前の国連安保理事会でのイスラエル非難決議をアメリカが今 迄の前例を破って「拒否権」を行使せず「棄権」したことです。 それはトランプ氏のイスラエルを擁護する立場と完全に対立するも ので、彼が大統領就任後は、 場合によってはアメリカの国連分担金(最多) の支払いを拒否するとか、 ひいてはそれが国連からの脱退に発展する可能性があることです。 これはトランプ氏がクリスチャンとしてイスラエルを全面的に擁護する考え方から出ています。 現オバマ政府の要職にはアラブ容認を主張するアラブ系の人たちが 思いのほか多くいて、それによって、アメリカでは今、 クリスチャンとしての伝統的活動と行為がなし崩しに統制禁止され つつあり、 アメリカの歴史上クリスチャンと教会が最も肩身の狭い思いに追い やられています。 「これがかってのクリスチャン国か?」と疑わざる得ない現状にあることを新大統領がどのように是正して 行くか、 新政権の行く手には多難が待ち受けていることは容易に察知できま す。2017年はユダヤ暦で5777年、7は剣(神のことば) を意味し、特に闇の世界・ 悪霊との戦いが未だかってない程激しさを増すことでしょう。 アメリカが変われば世界が変わります。私たちクリスチャンはいよいよ「御国」 という考え方をする時が来ました。 全世界のクリスチャンは真にイエス・ キリストを個人的な救い主としてだけでなく「御国の王」 として信じ、名実共に「光なる」 王と一致して行動する時が近づいています。 それはイスラエルとの同盟関係に入ることをも含むと考えられます 。又、地境を堅く守り、国民が一致して戦う時でもありましょう。 そのためには王なる主の御ことばを聞き、 それに従うことが今程大切なシーズンはありません。 私は2016年に WWGM で私自身が取り上げて書いたことの6割以上がアメリカの現状と大統領選挙に関してであることを知って、少々驚いていますが、 それだけアメリカの動きが日本(のクリスチャン) にも影響すると信じます。 私の「創造者の神」の本についてこの新しい年を迎えるに当り、先ず私自身の長年の念願である「創造者の神による創造」(仮題) の本の出版を2016年度で行うというのが今年年頭の計画でした が、残念ながら今年も実現しませんでした。 しかし、それには確固たる理由がありました。主が今迄私が書く予定がなかった「新しいこと」 示して下さったからです。それは「創造者の神」 を確実に裏付ける重要な内容のものでした。それは、詩編139: 16−19に書かれていること―― すなわち神はすべての人間の一生の「すべての日々に何をするか」 を書いた本を天の書庫に貯蔵してあるという事実です。 私はこれを実際に天で見て来た三人の証人の証しを知っています。 このことは私がハーザー誌の9− 12月号に書いて載せていますので、 あるいはそれを読まれた方がおられると思います。 小説家が小説を書くのに、始めだけ書き、後は「主人公が自分の好き勝手に生きなさい」というような「進化論的」 な無責任な本は一つもないのと同じで、 神なる小説家は毎日克明に創造者としての脚本・ シナリオを原作として書いてあるというのです。 但し人間は罪人で自由意志が与えられていますから、 かなり自分で勝手に生きるので、 神のオリジナルの創造の脚本とは違うように生きます。( 神はその違った生き方の全貌も始めから知っていて、 それも本になっており、それが最後の「さばき」 の際に天にある二冊の本として開かれ、 それによってさばかれるというものです。しかし、 その人間がキリストを知り、彼に従って生きる決心をして、 キリストとともに歩む人生をはじめると、 段々に元の脚本に近く生きるようになるというのです。 しかも神の原本の通りに生き通した人が一人だけいます。 それはイエス・キリストで、彼はそれゆえに「信仰の創始者であり 、完成者である」 といわれるのにふさわしい人であると思います。(ヘブル12:2) 皆さん、これは英語でいうところの、それぞれの人の「デスティニー」ですが、そのための道であり方法が、常に「 WALK WITH GOD 」であり、私はこれをモットー、目標として生きています。 それで私たちのミニストリーに同じ名前を付けた次第です。「 キリストの中にあなたが住み、あなたの中にキリストが住む」 関係に入るのはそのためです。
さて、もう一つ主からつい最近示されたことがあります。それは神が人間を造られたのは、園においてであり、 その園の中央には二本の木が植わっています。 一本はご存知の通り「いのちの実がなる木」もう一本は「 善悪の知識の木」です。これは聖書の創世記の1− 3章に書かれています。 私は昔、救われて間もない頃リック・ジョイナー師の「園に植えられた二本の木」 という本があるのを知ってそれを購入しむさぼるように読みました 。小さな本です。私はこの本はクリスチャンとしての「 必読書の一つ」であると信じますが、 残念ながら日本語訳は出ていないと思います。 そこでこの本の内容をご紹介したいと思います。それは私たちが2013年の2、3月頃の WWGMに 四回に渡って紹介した「宗教の霊に打ち勝つ」という同じリック・ ジョイナー師の本から引用抜粋した文章に、この「二本の木」 のことが出て来るからです。以下をご高覧ください。 「パウロはコリントのクリスチャンに「宗教の霊で働く者たちを警戒せよ」と言いましたが、 それは始ったばかりの教会に律法主義というくびきを負わせようと する者たちに対する警告でした。彼は次にように説明しています。 「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、 (キリストの使徒に変装しているのです。しかし、 驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。 ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、 格別なことはありません。 彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。」 第二コリント11:13−15) サタンは聖書を引用し知恵を用いることに長けていますが、その知恵は知識の木の知恵であり、人を殺すものです。 彼は人の欠点や落ち度を的確に指摘することが出来ますが、 それはその人に解放といのちを与えるのではなく、 その人をズタズタにしてしまうようなやり方でするのです。 宗教の霊から力を得た「光の御使い」は、まず最初に人の正しいところではなく間違っているところを探そう とします。 アダムとイブが善悪の知識によって生きることを選びとったとき、彼らは宗教の霊を受けたのです。その最初のあらわれは「 自分中心」でした。即ち彼らは自分自身を見始めたのです。 彼らがこの実を食べたあとカインが生まれましたが、カインは聖書 の中で宗教の霊によって支配された者の最初のモデルです。 カインは「地を耕すもの(創世記4:2)」でした。彼の思いは「地」にあったのです。宗教の霊は、私たちを天の領域ではなく地の 領域に焦点をおくように常に企むのです。「カインの子孫」 は目に見えるものによって物事を判断し、「 目に見えない方を見るようにして忍び通す者(ヘブル11:27) 」を理解することができません。 カインは又、自分の労働の実を主に捧げようとしました。主はその生け贄を拒絶し、 アベルの血の生け贄は受け取られました。私たちの労働の実は、 決して主への捧げものとして受け入れられることはできません。 神が小羊の血だけを生け贄として受け入れられることは始めからの 神の御こころでした。 カインは訓戒を受け入れて悔い改めることをせず、 アベルを嫉妬し殺害しました。 自分の働きによって生きようと試みる者は、往々にして、 小羊の義により頼む者に対して激しい怒りを抱くものです。 パリサイ人の中のパリサイ人であったタルソのサウロが、クリスチャンに対して怒り狂ったのはこの理由によります。 パリサイ人が人生をかけて築き上げてきたものを最大限に脅かす者 、それがクリスチャンだったのです。 それ故にパリサイ人たちはクリスチャンの存在に耐えることができ なかったのです。自分の業を土台にしている宗教は、 いとも簡単に暴力化します。キリスト教と称するセクトで、 キリストの十字架の業を自分の業に置き換えてしまった教義をもつ ものも、これと同じです。 使徒と預言者は、「建て上げ、また崩す権威」を与えられています。しかし、 まず建て上げることをしないならば、崩す権利はないのです。 霊的に人々を養い、建て上げてきた人以外には、 私たちに責任のある人たちを正す権威を与えてはなりません。「 預言者」と言われている人であっても、 人々を建て上げる心を持たないならば、 その人はミニストリーから取り除かれるべきだと私は思います。」 以上ですが、「善悪の知識の木」の実を食べたアダムとイブは罪を犯しました。 この木の実を食べるようにそそのかしたのはサタンです。 サタンは、人をそそのかすために、 すべての創造が行われる前に神によって造られた「被造物」です。 サタンが先ず神に背いて罪を犯しました。 それは神の最初からの御計画でした。又、 アダムとイブが罪を犯すのも最初からの御計画でした。 そうしてかなり後になって、多くの人が罪を犯すのが目に余る程になってからはじめて、 神はイエス・キリストを「人間」として生まれさせ、 彼が信仰の何たるかを見せた後に、 人間たちが罪の全くない彼を十字架に着けました。 そして彼が私たち罪人の罪を背負って死ぬことによって、 もしその事実を信じる者は、 その人間が犯すすべての罪が赦されるという高尚な「人間救出」 の手段を神は設けてくださったのです。 私たちクリスチャンはすべてこのキリストによる「救いの御業」 を理解し、私たちは単に信じるだけでなく、「イエスと共に死に、 イエスと共によみがえる」 プロセスを経ることが必要であることを本当に理解しなければなり ません。 何故、創造者の神はこのようなプロセスを踏むようにされたのでしょうか 。それはすべて自分の可愛い子どもを「神に似せて造り直し」 自分の子ども育て上げるためです。すなわち、神は人間に地上で「 弟子訓練」をしてキリストに似た者にしたいからです。 以上の説明ではご理解いただけないと思いますが、私の目標はこのプロセスがすべて物理学者の発見、 あるいは想像した「理論」 で説明できることを最終目標としています。この辺りは、 やはりハーザー誌をお借りして2016年の1、2、4月号に「 見えるマクロの世界と見えないミクロの世界の探求」 という題で書かせていただきましたのでご興味のある方はお読み下 さい。尚、 この3ヶ月の原稿で全部を説明できた訳ではありません、 ほんの一端です。しかし、物理学の進歩発展は、「霊の世界」 にやっと探求のメスを入れ始めておりますので、 ぜひ私がこの本を完成することをお祈りいただきたいのです。 従って、本年度中に完成させることができるかどうかは、ひとえに主のご計画と聖霊の助けがなければ全く不可能であると考 えておりますので、確約はできませんが、最近、 その実現が近いことを主によって導かれております。 どうぞお祈りいただけますよう節にお願い申し上げます。 ニューヨーク移住のご報告さて次に、これは突然にこの1−2ヶ月の間に起こったことなのですが、 私たちの息子の新しい仕事が急に決まり、 家族で又ニューヨークに引っ越すことになりました。 息子はこの数ヶ月前に今迄の会社がそっくり別の州に移転したため 職を失っておりました。 彼らはできればこのサンフランシスコ近辺に住むことを希望してい ましたので、失職後地元の色々な会社と仕事をしながら、 よい勤め先を探して来ましたが、 急に一月程前にニューヨークの会社から誘いがあり、 しかも本人にはできるだけ早く出社するように乞われた結果、 急遽この会社に就職することを決意し、 息子本人はこの12月初旬から単身赴任をしております。 今は家を売る準備をしながら、できれば1月末までに息子家族が移転し、 とりあえずニューヨークにアパートを借りて、 そこを仮住まいとしながら、適当な家を探して購入する計画です。 私たちも、何の迷いもなく、 息子家族と同じ町のできるだけ近い場所に移り住むことが未だ小さ な二人の孫をかかえる家族全員の希望であり、 それが主の御心であることをはっきりと示されましたので、 移転の決意をしました。但し、 私たち夫婦の移住は息子家族の家が決まってから探し始めますので 、多分早くて4月、遅ければ夏頃になるかもしれません。 私たちは現在、ここのベンジャミン・ロビンソン牧師の教会(リビング・ホープC.C.) の長老としてミニストリーに関わっておりますが、 この教会のビジョンの一環として、 将来ニューヨークに枝教会を設立する計画があり、もし御心なら、 それに私たちが関わる可能性も充分あります。 尚、ニュ―ヨークに移住しても日本向けのミニストリーには支障はありません し、 そこで私の本を書き上げることが主の御計画であることを望んでお ります。しかしながら、ニューヨークは住む家の購入、 あるいはアパート住まいにしても家賃が高いこと、 それに生活費も高くなると思われますので、 私たちの買える値段でよい家が見つかり、 私たちが生活できますようにお祈りいただければ幸いです。 それでは以上をご報告申し上げ、追ってニューヨーク行きと、私たちのミニストリーの新年度計画をお知らせ申し上げます。 それではどうぞ皆様、よいお年をお迎え下さい。(終り)