神の御顔を拝する フランシス・フランジペイン 2016年12月18日
神の御顔を拝する
フランシス・フランジペイン
あなたは「神を見、神を本当に深く親密に知りたい」と、切に願ったことはありますか?愛する皆さん、イエスを見ることは、即ち神を見ることです。私たちは本当に神を見ることができるのです!ですからそれを異端だと考えないでください。しかしまず第一に、キリストを知ることによってのみ全能の神を真に認識できるという確信に至らねばなりません。
ですから、イエス・キリストの生涯と、又その教えと行ないをしっかり学んでください。そうすれば神の本質を覆っている神秘のベールをあなたは取り除くことができるでしょう。
イエスは「わたしを見たものは、父を見たのです。(ヨハネ14:9)」と言われました。これ以上に深い真理があるでしょうか?
イエスがされたことを読む度に、私たちは実際に神の本質を見ているのであり、イエスの教えを聞く度に、私たちは生ける神の声を聞いているのです。
イエスは見えない神の完全な現れです。(ヘブル1:2−3)また「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロサイ2:9)」イエスは神の形です。イエスはご自分の父が天でしておられることを見て、それを地でそのまま実行されたのです。イエスは御父が永遠の昔からささやかれた言葉をそのまま語られたのです。
あなたは本当に神を見たいと願いますか? キリストの言葉は、心の清い者が全能の神を仰ぎ見る窓です。
勿論、私たちの魂は他の人々からも養われます。しかしいかなる預言者、使徒、教師も、キリストによる神の啓示以上のものを与えることはできません。キリストを(深く)思い巡らしてください。それは即ち神の本質を思い巡らすことです。イエスの言葉を食べてください。それは全能の神の実体をあなたの霊のうちに宿すことです。
ヘブル1:1−2「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終りの時には、御子によって、私たちに語られました。」
神は預言者たちに「多くの部分に分け、いろいろな方法で」語られたのです。実際、預言者たちの言葉はすべて私たちの魂を鼓舞し、矯正し、導きます。すべては有益であり、私たちを正しく導くものです。しかし「この終りの時には、(神は)御子によって語られました。」とあります。
預言者たちは「道」を指し示します。キリストがその「道」です。教師たちは「真理」を解き明かします。イエスがその「真理」です。使徒たちは「命」を宣言します。イエスがその「命」です。そうです、すべての者が「言葉」を語りますが、神の御子こそが「言葉 the Word」です。
イエス・キリストの教えがあたかも神に用いられた他の重要な人々の教えと同等であるかのように聖書の中で混同されてはなりません。イエスは真に神ご自身の生ける現れであり、神の見えざる栄光の唯一の現れです。イエスが語られる時、私たちは神ご自身が語られるのを直に、そのものずばり、何のベールもかぶされずに、聞いているのです。
ですから、もう一度お聞きしますが、あなたは神を見たいですか? 神の栄光を見たいですか?そうであるならば、イエスを学んでください。イエスの言葉と行ないを深く思い巡らしてください。じっとイエスを見つめることは、「キリストの御顔にある神の栄光(第二コリント4:6)」を仰ぎ見ることだからです。
祈り「父よ、私はあなたの栄光を見、あなたの臨在の中に住まいたいです。あなたの御子イエスがヨハネ17:24で祈られた祈りに、私を通してお答えください。そして私がキリストのおられる所に一緒におり、あなたの栄光を見ることができますように。あなたの御ことばを私にとって生きたものとし、私の魂を変革してください。私の思いを新たにし、永遠に変らずあなたと共に住む事ができますように。」(終り)