受けた預言を産み出す パトリシア・キング 2016年11月21日
受けた預言を産み出す
パトリシア・キング
皆さんのクリスチャンとしての人生において、個人的な預言とか、あるいは神からの約束が与えられている方は多いと思います。皆さんはそれに対してどう対応して来られたでしょうか。
その預言とが約束の中にまだ成就していないものがあるならば、私たちがそれを真剣に祈って来なかったから 実現していない可能性も十分あると思います。
私たちは受け取った預言を誕生させるためには、祈らねばなりません。預言的な言葉を受けたからといって、それが自動的に成就するということではありません。
一つの例は1列王記18:41節の記事です。エリヤは預言的に大雨の音を聞きました。空には一片の雲もなく何年も雨が降っていなかったのに大雨の音を聞いたのですから、これは預言的に聞いた音でした。その預言を受けたとき、エリヤは何をしたでしょうか。
彼は地にひざまずいて自分の顔を膝にうずめました。これは預言者が祈るときの姿勢であり、預言されたものを産み出すための姿勢です。彼は頭を両膝の中にうめて神を求め、御ことばが成就するようにうめいて産みの苦しみをしたのです。彼は若いしもべに雲があるかどうかを見るように指図します。雨が降るときにはまず雲が必ず出るからです。若者の答えは「何もありません。」でした。エリヤは続けて同じ姿勢でうめき続けました。そして若者に七たび繰り返して空を見るようにと告げます。
七度目に若者は「人の手のひらほどの小さな雲が海から上ってきます。」と報告します。エリヤは歓喜しました。ブレークスルーが起こったからです。私たちもブレークスルーが起こるまで祈り通さねばならないのです。
昔リバイバルが起こったときのオルターコールは、誰かに祈ってもらうために出て来なさいという招きではなく、「一人ひとりが神の御前に出て祈り通しなさい」という招きでした。「神があなたを祝福されます。前に出て来てそれを受けるために祈り通しなさい。」という意味だったのです。今はあまりそういうことをしませんね。
もう一人祈り通した人がいます。それはルカ2章に出てくる女預言者のアンナです。彼女は預言者だったので、昔の預言を学んでいました。それと共にイエスがメシアとしてこの世にこられることも知っていましたので、やもめになってから何十年ものあいだ、この預言の成就のために祈ったのです。昼も夜も宮を離れずに断食と祈りをもって、預言のことばが成就するために産みの苦しみをしていたのです。メシアが来るという約束は人間に何百年も与えられていたものですが、アンナはその成就が近いことを預言的に知り、それを産み出すために人生を捧げたのです。
また、使徒行伝一章で、イエスは弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と言われました。 この「待ちなさい wait 、tarry」という言葉の意味は、「祈りながら待つ」という事を弟子たちは知っていました。彼らはイエスと生活を共にしていたので、「待つ」とは「祈りながら待つ」ことだと把握していたのです。そこで彼らはエルサレムに集り、祈りに専念し、「父からの約束」を産み出すまで祈り続けたのです。
ですから、もしあなたの人生に神からの預言と約束が与えられていて、それがまだ表れていないとすれば、今こそそれを再び真剣に祈り始めて、それを産み出してください。今こそその時、実現のシーズンである可能性が充分あるかもしれないのです。(終り)