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04 10月

信仰者の砦―それは へりくだり   フランシス・フランジペイン   2016年10月4日


信仰者の砦―それは へりくだり

 

フランシス・フランジペイン

 

 

サタンは徳を恐れています。サタンはへりくだりに震え、憎みます。サタンが謙虚な人を見るとき、ぞっとします。クリスチャンがひざまずくとき、サタンはおののきます。それはへりくだりは神への魂の降伏だからです。

 

あなたが戦っている本当の相手

エデンの園で人が罪に堕ちたとき、サタンに対する神の裁きはちりを食べることでした。(創世記3:14)又、神は人に対して19節で「あなたはちりである。」と言われました。私たちの中の肉的なものの本質はちりです。私たちはここでの関連性を見なければなりません。サタンは私たちの「ちり」という世俗的肉的性質を食物にしているのです。すなわち、サタンはあなたが神に明け渡さないものを食べるのです。

 

ですから、私たちの持つ問題や苦悩の多くの直接の原因は、サタンからではなく、私たちの肉的なものからくることを認識せねばなりません。私たちは、私たちの人生の一面である肉的性質が常にサタンの標的であるという事実と戦う必要があります。この肉的領域が、私たちの祈りを弱め神との歩みを骨抜きにする道を易々とサタンに提供しているのです。

 

私たちが自分自身を正直に見つめることを妨げているのは、私たちの肥大した「自らを正しいとする独善 self-righteousness 」の感覚です。クリスチャンとして私たちは、聖霊が私たちの内に住んでおられるのを知っています。しかし私たちがサタンとの戦いに勝つためには、自分の内で罪を許容してしまっている部分に気がつかねばならないのです。ですから、神に降伏するときは明確に「何を明け渡すのか」を言ってください。自分の罪や失敗に対してもっともらしい理屈で弁解しないことです。

 

キリストの贖い sacrifice は、すべての人が自分の必要や欠けたところを正直に見つめることのできる完全な恵みの避難所です。ですから神に正直であってください。神はあなたの罪を見てショックを受けたりぞっとしたりはしません。あなたの内に罪がはびこっていたとき神はあなたを限りなく愛されました。ですから今あなたが罪からの解放のために主の恵みを求めるときに、主はどれほど更にあなたを愛し続けてくださることでしょうか。

 

敵を果敢に攻撃し始める前に、私たちの戦いの多くが単に自分自身の(肉の)行ないの結果であることを知らねばなりません。効果的な戦いをするためには、何が肉からのものか、何がサタンからのものかを見極めて区別せねばなりません。

 

一つ例話をさせてください。私たち夫婦はあるとき美しい紅冠鳥 red cardinal が巣を作る地域に住んでいました。紅冠鳥は自分の縄張りを持っていて、他の紅冠鳥が侵入すると激しく攻撃して 追い出します。私たちの車は大きなサイドミラーとクロ―ムのバンパーのついたバンでした。時々、紅冠鳥がそこに映る自分の姿を他の鳥だと思いミラーとバンパーを攻撃しました。ある日、紅冠鳥がミラーを猛攻撃しているのを見ていた私は、「何て馬鹿なんだろう。自分自身が映っているだけなのに。」と思いました。するとすぐに主が私の心に語られました。「それと同じように、あなたが敵としている多くのものは、あなた自身が映っているのですよ。」と。

 

サタンを攻撃する作戦を練る前に、本当の敵は自分自身の肉的な性質でないことを確かめねばなりません。「今日私を苦しめているものは、私が昨日植えたものを刈り取っている(に過ぎない)のではないだろうか?」と。

 

敵と和解する

次のイエスの教えを憶えておられるでしょうか。マタイ5:25、26

「あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。そうでないと、告訴する者はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡して、あなたはついに牢に入れられることになります。まことにあなたに告げます。あなたは最後の一コドラントを支払うまでは、そこから出ては来られません。」

 

イエスはここで、単に裁判を避ける以上のことを言っておられます。実際イエスは、告訴する者やこの裁判官に対して、私たちは必ず負け、牢に入れられることを暗示されているように思います。

 

この喩え話は、「人間の義」に対する神の見解を説明しています。喩の中の告訴する者とはサタンであり、裁判官は神です。サタンは告訴する者であり、すべてのものの裁判官であられる神の御前で兄弟たちを訴えています。イエスが私たちに知ってほしい真理は、「私たちが自分の義を土台として神に近づくならば、敵は必ず私たちを牢に入れる法的根拠を持っている、なぜならば私たちの義とは不潔な着物(イザヤ64:6)のようだからである」ということです。

 

イエスが「あなたを告訴する者とは早く仲直りしなさい。」と言われるのは、サタンに従えという意味ではありません。主は、「サタンが何か罪や欠点の故にあなたを訴えるとき、もしサタンがわずかでも正しいならば、あなたの不義に関してサタンと同意した方があなたのためである」と言われているのです。サタンがあなたは不純であるとか、愛が足りない、祈りが足りないと責めるならば、サタンは正しいのです。鍵は自分の義に関してサタンと言い争わないことです。なぜならば神の御前では、あなたの義は受け入れられないからです。どれだけ自分は正しいと言って弁護しても、あなたは内心サタンの告発の中には少しは真理があることがわかっているからです。

 

私たちの救いは自分のわざではなく、「イエスが私たちのために何になってくださったか」によります。キリストご自身が私たちの義なのです。私たちは信仰によって義とされました。神との和解は主イエス・キリストを通してくるのです。(ロ―マ5:1)サタンがあなたを責めるとき、サタンはあなたが自分の義に焦点を置くように騙そうとします。イエスだけが私たちの義であることを私たちが認識すればするほど、敵は私たちの失敗を攻撃することが出来なくなります。

 

 

ですから、敵が「あなたは愛が足らない」と言って罪定めしようとやって来たときには、あなたは「それは本当です。私には愛が足りません。しかし神の御子が私のすべての罪のために死んで下さいました。愛が不十分であるという罪のためにも。」と応答するのです。サタンの攻撃の影から抜け出して御父の愛の輝きの中に入ってください。神に服従して、あなたの弱く不完全な愛の代わりにキリストの愛と赦しを願ってください。

 

サタンが「あなたは忍耐が無い」と罪定めしようとするならば、あなたは同じように「そうです、私は肉において非常に忍耐することができません。でも私はボーンアゲインしましたから、イエスが私の義であり、イエスの血潮を通して私は赦され清められました。」と応答するのです。もう一度神に向いてください。敵の告発を受けたときは、あなたは怒る神ではなく恵みの御座の前に立っているのであり、あなたは大胆に神に近づき助けを求めることができることを再び思い起こす機会としてください。(ヘブル4:16)

 

ですから、サタンに打勝つための重要な鍵はへりくだりです。へりくだるとは、自分のイメージを守ろうとする思いを拒否することです。あなたはあなたの昔の性質においては堕落しており罪で満ちているのです。しかしあなたには新しい性質があり、それはキリストの似姿に造られているのですから(エペソ4:24)私たちの肉の状態に関しては私たちを訴える敵と同意していいのです。

 

この「へりくだる」という基本を、霊的戦いをしているときだけ適応することのないようにしてください。この教えは他の状況の中でも同じように適応できるのです。へりくだりはあなたの魂の周りに霊的な砦を築き、争いや競争、その他多くの人生上のいらだちがあなたの平安を奪うのを防いでくれます。

これを実践し訓練するよい場所は家族関係です。あなたが夫であるならば、妻から無神経だと批判されるかもしれません。そのとき肉で応答してしまうならば、すぐに夫婦喧嘩に発展してしまうでしょう。あなたはその代わりにただへりくだって「あなたの言う通りだ。」と答えることもできるのです。あなたは多分無神経だったのです。そして「もっとやさしい愛」をくださいと二人で祈るのです。

 

あなたが妻であれば、夫から「僕が会社でどれだけ大変か、あなたは理解していない。」と責められるかもしれません。多分あなたは夫がどのような事に直面せねばならないのかを知らないでしょうから、彼の告発は多分正しいでしょう。それに対してやり返すのではなく、へりくだって彼と同意してください。二人で祈り、もっと理解する心をくださいと神に願ってください。私たちがへりくだりの心を常に持っていれば、神からゆたかな恵みを受けます。そしてサタンが攻撃する多くの前線から武器を取り去ることができるのです。

 

サタンは徳を恐れていることを忘れないでください。サタンはへりくだりに震え嫌います。へりくだりはあなたの魂を主に降伏させることであり、サタンはイエス・キリストに怯えるからです。(終り)


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