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30 5月

(続)クリスチャンよ、アメリカを取り返せ    坂  達 也     2016年5月30日


(続)クリスチャンよ、アメリカを取り返せ

 

                 坂  達 也

 

 先回の私のメッセージは、現実の世界で「神の御国のクリスチャンがどのように政治に参与すべか」という事に関わった問題を提起していますので、今回はその点を少し掘り下げてみたいと思います。尚、未だ先回のメッセージをお読みいただいていない方はぜひそれから先にお読みいただくことをお薦めします。

 

先ず言えることは、フランクリン・グラハム師もリック・ジョイナー師どちらも今はクリスチャンが積極的に国の政治に参加すべきであることを提唱していることです。しかし現実にグラハム師は保守派クリスチャン寄りの共和党を昨年脱党して政党には無所属であり、一方ジョイナー師は共和党に残って彼なりの政治活動を続けているという違いがあります。

クリスチャンが積極的に政治に参加する際の最大の問題は、この世の政治の世界とは、人間同士が犯す罪・過失の泥沼の中で「真実」と「うそ」をあばき合い、反対党とか違った意見を持つ人を公然と批判することが避けられない、いやむしろ、泥にまみれて「論争することが政治である」とさえ言えます。とすれば「さばいてはいけない」という聖書の教えだけを大前提としたいクリスチャンには全く不向きであるといえるかも知れません。

 

 そのよい例として、私は昨日の朝ジョイナー師のフェイスブックで見たことをお分かちします。それは常々民主党のクリントン候補を厳しく批判する判事ジェニン Judge Jeanine Pirro の名で知られるフォックス・ニュースの解説者のライブビデオを師が一昨夜紹介したのです。このビデオはクリントン氏が過去どれほど嘘をついて来たかをあばいたもので、それを紹介したジョイナー師もその意見に(それが真実であることを)同意するからこそ紹介して載せたものであると当然受け取られます。その結果、このビデオに対して読者からあっという間に三百人以上の読者から反響があり、中にはこのビデオを紹介したジョイナー師自身のスタンスを「人をさばくもの」であるという理由で批判・誹謗する投書が載っていました。もっともその後に別な人がその誹謗した投書者に対して「そういうあなたもジョイナー師さばいているのではないか」という投書も載っておりました。

選挙というものは、立候補者のやって来たことと、言っていることが「嘘か真実か」を問うこと、それを判断材料として「人を選ぶ」のですから、ある意味では「人をさばく」ために行われると言えます。従ってその材料を正しく識別・判断してアドバイスすることは絶対に必要です。そして多くの場合、人を批判する意見を言わざるを得ないことはやむを得ません。特にジョイナー師の場合は、牧師として選挙毎に「誰に投票すべきか」の意見を直接の教会員だけでなく全米のクリスチャンから問われ、又「神の声が聞ける」預言者としての意見を聞いて来る人が世界中におりますので、師はフェイスブックを通じてそれに対応し始めたようです。

 しかし、そんなフェイスブックなどクリスチャンは見るべきでない、あるいは答えるべきではないと多くの人は思うでしょう。しかし本当にそれが正しいのでしょうか。クリスチャンが政治に参加すべきであるなら、人々を正しい判断に導くように適切で正しい「善悪の判断」「神の知恵」と「霊的識別」を示して、むしろ積極的に国民を指導することが、御国の政治に参加することではないでしょうか。そういうことはしない、避ける、クリスチャンは聖書研究だけしていればよいと言うことになれば、主が厳しく批判したパリサイ人ー外側だけ聖い、頭だけの観念的クリスチャンになりかねないと私は思います。世捨て人になってはいけないのです。

 そこで私は一つジョイナー師を弁護したいと思います。それは彼はどんなに候補者を批判しても、必ずその人のために祈らねばならないことを強調します。特に過去7年間のオバマ大統領の言動には非常に厳しいですし、同じようにクリントン候補にもそうです。しかし、それだけに「クリスチャンはこの二人のために祈らねばならない」ということを忘れずに言って来た方です。私はその点ジョイナー師はポジテイブな「批判者」であると信じます。

グラハム師は、トランプ氏に批判的でテッド・クルーズ氏を推しました。ジョイナー師はトランプ氏、クルーズ氏両方を推し、やがてトランプ氏が両党から非難と攻撃の的になると、トランプ氏のよさを挙げて彼をサポートし、彼だけが最終候補者として残る事態となったとき、クルーズ氏が副大統領になることを歓迎すると言いました。

 

 そこで最後に申し上げます。私がアメリカに移住して以来、最も感激することの一つは、アメリカの大統領の就任式を見る時です。それは特に就任の宣誓で、片手をバイブルを手に置き、もう片方の手を挙げて宣誓する大統領が、天に誓う姿を見て感動しました。この習慣は今でも続いており、オバマ大統領でもそうしましたし、オバマ氏が選挙前に聖書を小脇に持って夫婦でクリスチャン教会に行く姿をメデヤに写真を撮らせたのも憶えております。しかしそのアメリカが今や、学校とか軍人がバイブルスタデイーをしたり、主の祈りを祈ることすら禁じられる国に成り下がったのです。国と国民のモラルが今や完全に荒廃していることに心から悲しみを憶えます。ついては、いつか日本にも立派なクリスチャンの首相が選出されることを心からお祈り致します。(終り)


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