聖霊のレーダー フランシス・フランジペイン 2016年2月15日
聖霊のレーダー
フランシス・フランジペイン
ルカ8:17「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません。」
私たちの内なるキリストの平安は、単に神が与えてくださる(私たちが持つべき)特質というだけではなく、私たちが神の言語でコミュニケートするための器官でもありのです。というのは、聖霊は私たちと通信するために平安を用いられるからです。もし周りの状況が私たちに警報を発する必要があるような時、主は、私たちの内なる平安を取られ乱されます。しかしその状況に対して私たちが正しい対処をすれば、それが正しい判断と選択であったことを私たちの内に平安をもたらすことによって確証されます。このように、「キリストの平和(peace of Christ)が、あなたがたの心を支配する (rule) ようにしなさい。」(コロサイ3:15)という御ことばの意味は、主が、私たちに警告したり、私たちの判断が正しかったかどうかを知らせてくれることによって、主が私たちの心迄支配して下さるという意味です。すなわち、私たちが心の中でどう行動すればよいかを思いめぐらす時に、キリストの平安が霊的レーダーとして働き、私たちの判断力をより効果的にしてくれるのです。
私たちがボーンアゲインした時、私たちは一つの宗教に心を捧げたのではなく、聖霊を通してキリストご自身に心を捧げたのです。神の御霊が実際に私たちのいのちの中に入り、その時、聖霊と共に神の内なる平安も入ってきたのです。これは決して小さなことではありません。なぜならば福音は「平和の福音(Gospel of Peace エペソ6:15)」と呼ばれているからです。
勿論、私たちの霊のガイドシステムを正確に導く回線は、私たちの「神の御ことばの知識」です。ですから、私たちはしっかりと神の御ことばに基礎を置かねばなりません。ここで私たちは心霊能力のことを話しているのではなく、私たちとキリストとの交わりの一部分をなす霊的機能のことを話しているのです。
聖書に、イエスは人々の思いや動機を「ご自分の霊で見抜いた。」(マルコ2:8)」と書かれています。ですから、私たちが発達させたい機能は霊的なことであり、魂の部分ではありません。それは勿論オカルトから借りて来たようなものでは絶対にありません。神の御ことばと共に働いて、あなたの霊的レーダーは隠れた問題や危険を察知するある種の探知機となるのです。このように、自分の霊を悩ましているのが何であるかを認識するための助けとなる聖霊の導きを、あなたは信頼することができます。
一つの例をお話しします。私がある大学で聖書研究を導いていたとき、一人の若者が入って来て座り、その研究会に参加しました。彼は外見はきちんとしていましたが、私の内なるレーダーが注意信号を出しているのを私は感じました。私は聖書研究を中断して、彼に魔術やオカルトをしていないかと皆の前で訊きました。彼はしていないと言いました。確かに彼の外見は何もあやしくなかったのですが、私の霊のうちの警報は止みませんでした。私はもう一度彼に同じ質問をしました。彼は魔術には何も関与していないと再び否定しました。私は聖霊が彼のコートのポケットに焦点を当てているのを感じたので、彼にコートのポケットには何が入っているのかを訊ねました。今度は彼は正直に答えて、鶏の足を二つポケットから出しました。彼はオカルトの儀式をしてきたところだったのです。彼は謙虚な態度になり、私たちは彼の救いのために共に祈ることができたのです。
ある人たちは「神が自分に語られることはない」と言いますが、それは真実ではありません。彼らは御霊の言語をまだ学んでいないだけなのです。聖霊が来られるときは、天からのコミュミケーションを携えてこられます。夢やヴィジョン、預言はすべて神との交わりのしるしです。ですから、あなたは神があなたとコミュニケートできることを信じなければなりません。あなたに必要なのは、神があなたの霊に与える印象、影響を解釈する能力です。神の御霊があなたに言われていることを感じ取ることが、つまるところ、あなたが真の霊的見分けをするための源、よりどころなのです。この点において、ヨハネの次の言葉を思い出してください。
「私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、—その教えは真理であって偽りではありません。—また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」第一ヨハネ2:26、27
ここで少し全体を通して考えてみましょう。私たちは「内なる証人」を持ち、その証人が、私たちが決断、判断するのを助けるために平安を与えてくださっています。しかしながら、この「平安による結合」を私たちが持つからと云って、私たちのリーダーや他の人々が、神に用いられて、私たちに与えてくれる助言を無視してよいと言うことではありません。私たちは自分の意志に対する主権は保たねばなりませんが、私たちを訓練し整えるために、神はいろいろなミニストリーを(教会に)与えてくださっているのです。(エペソ4:11−12)
とは云っても、最終的に神の真理に対して「アーメンその通りです」というのは聖霊の油注ぎです。
私たちの目標は、「内なる証人」を発達させることです。なぜならばそれが神の御ことばの知識と一つとなる時、私たちは信仰の戦いのための兵器庫にパワフルな資源を持つことになるからです。御霊と御ことばは常に一致することを忘れないでください。ですからあなたが神の御ことばを学び、記憶し御霊に歩むならば、あなたはどんどんと見分けの力を増して行くことができます。(終り)