魚釣りに行く時ですよ! キャシー・ウオルターズ 2016年1月26日
魚釣りに行く時ですよ!
キャシー・ウオルターズ
神は漁師を召しておられる!
最近私は、神から受けた最初の召しについてもう一度考えるようにという強い御ことばを何度か聞きました。あなたが最初に召されていると強く感じたことは何でしか?その時のあなたの心の思いはどのようでしたでしょうか?
それをせすに置き去りして来た召しも多いのではないかと私は思います。といって、それは何か間違ったことに走ったからではなく、私たちが最初の召しとして受けていた以外の「良いこと」をしーしかもそれでよい実さえ結んでいたーそのような結果、神からの最初の召しの幾つかをしないで終わっていたということはありませんか。
時には、私たちは前に進むために後ろを振り返る必要があります。私たちに与えられた召しに関して私はこのことだけは知っています。それは、私たちが漁に出なければいけないことです。イエスは「あなたがたを人間をとる漁師にしてあげよう。」と言われました。漁師になるためにあなたは5役者の一つである「伝道者」である必要はありません。ただ主を喜び油注ぎの中に留まり、あなたの周りには「魚」が沢山いることに心を開いていればよいのです。霊のアンテナを張れば、神が定められたあなたが会うべき人がわかるのです。それは会う人すべてに話かけるというのではないと思います。御霊によって導かれるのです。
私は毎週のように飛行機に乗りますので、隣に座る人と出会います。彼らの生活について話したり、時には奇蹟の話をしたり、イエスの話ができる場合もあります。しかし無理に福音を語ることはしません。全然話さないこともあります。私は席をアップグレイドされてビジネルクラスに座ることが多いのですが、飛行中は誰とも話したくない人も大勢いますから無理には話かけません。主ご自身が人を引寄せてくれます。主が何かその人に言う言葉を与えてくれるときは、それを話しますが、それに「食いついて」こないときは、私はそこでやめておとなしく映画を見ます。それでも私は、飛行機やホテルや様々な場所で、スーパーナチュラルなこととか冒険を沢山経験しています。
私は伝道に向いていないと思うとしたら?
私たちは、伝道は「伝道者」が都市を巡回して集会を開き、そこに私たちが未信者を無理にでも連れていって、年に一度の伝道集会で彼らが救われるのを期待するものだと考え勝ちです。でも「伝道者」も他のミニストリーと同じく「聖徒たちを整えるために立てられた」と書かれている通り、すべての伝道をあなたに代わってする人ではないのです。
神は「使徒、預言者、牧師、伝道者、教師」を「聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるために」召されたのです。(エペソ4:11、12)5役者は私たちのためにすべての仕事をするのではなく、キリストのからだにどのようにその働きをするかを教える者であるのです。預言者は人々にどのように預言をするかを教えます。教師は油注ぎの下で教えますが、しかし又、人々にどのように教えればよいのかを教えます。
牧師は人々を牧しますが、それと共に人々にどうすれば自分のようにできるかを教えます。牧師は牧師の召しがある者たちを認識し、自分の翼の下で訓練し教えます。伝道者はキリストのからだに魂を勝ち取るように励まし教えます。彼は大伝道集会やクルセードをするかもしれませんが、それと共に聖徒を整え、失われた魂を勝ち取る方法を教えるのです。
つまりこういうことです。今は教会が外に出て行って魚のいる川が沢山あることに気がつくべき時です。そして各々が違う川に行く道を与えられているのです。皆さん、もし御霊に導かれ、宗教的な考えから抜け出すならば、それはとても愉快でわくわくすることであり、神がその中におられるのです。
イエスは偉大な漁師でしたね。主は魚のいるところを知っておられました。ですからあなたにも魚のいる場所を教えてくださいます。
このことを理解して頂くために、私が実際に経験したことを証ししたいと思います。しかし忘れないで下さい。あなたはある時には種を蒔き、又ある時には刈り取りますーそれは聖霊に導かれるままに、常にアンテナを張っていることです。
のたうちまわる魚
私の「のたうちまわる魚」の話をしたいと思います。2年ほど前、私はカンファレンスのためにハンターバレーに滞在していた時のことですが、友人たちが休みの時間に昼食と買い物に町に連れていってくれました。小さな町にいく途中の車の中で私は幻をみました。それは大きな力のある魚の幻でした。魚は釣り針に掛かっていたのですが、自分の胴体を激しく振り動かしていました。その時主が「わたしはあなたにそのように『のたうちまわる魚』をあげます。」と言われました。
私たちは昼食を食べてから少し買い物をしたのですが、その後に宝石屋に入っていきました。というのは私はアンティークの宝石が大好きだからです。そして、この店の主人が私の「のたうち回る魚」でした。彼は私たちに応対してくれましたが、私がイエスの名を口に出した途端に、くねくねと向こうに行ってしまいました。そしてまた、近寄ってくるのですが、イエスの話になるとまた向こうに行ってしまうのでした。 私たちはそれ以上何も押しつけませんでしたが、それから2年間、私がハンターバリーに行く度にその宝石店に行って「のたうち回る魚」をチェックしました。彼がどうしてそうのたうち回るかというと、それは彼がそこにあるフリーメイソンのリーダーだったからでした。でも私とそこの住人である友人に対しては、彼はいつも愛想良く対応してくれました。最後にそこに行ったときに、私のCeltic Flamesという本を彼に進呈しました。
今回その宝石店に行くとき、私は又幻を見ました。大きな魚が主の釣り針にかかっていて、死んではいませんでしたが静かにしていました。彼は用意が出来ていたことが私にはわかりました。それで私たちは買い物をしてから宝石店に向かいました。そこで少し買い物をして話を始めました。彼が言うには、このところあまり客が来なかったけれど、私たちが店に入るといろんな客がやってくる、というのです。彼は私にお金を払うから店の中に座っていてくれと言いました。やがて客がいなくなったとき、彼は私のCeltic Flamesを読んでいたと言いました。彼はソフトになっていました。私は彼に「あなたは神の釣り針にもうかかっているから、イエスを受け入れる時ですよ」と話しました。そして彼のために祈ってもいいですか、と訊ねると、彼は手を伸ばして私が祈っている間、その手を私の手に合わせていました。私はこれは交換だと説明しました。もし彼がイエスに彼のいのちを明け渡したら、イエスはご自分のいのちを与えてくださるのです。彼にイエスを受け入れる祈りをしたいかと訊ねると、彼は少ししりごみをしました。そこで私は「イエスを受け入れる祈りはあなた一人でも出来ますよ」と告げて、店を出ました。帰りの車の中で、大きな魚がイエスの腕の中にいる幻を見ましたので、彼はもう大丈夫だとわかりました。
以前、私がイエスの釣り針に掛かった大きな魚を見た時、その川の下には大きな魚が一杯いるのが見えました。そして私の「のたうち回る魚」はその川から来たのです。沢山の魚がその川にいました。その川は何処にあると思いますか?
それはフリーメイソンの中です。私はそれを考えつきもしませんでした。というのはフリーメイソンの霊から解放される人々をすでに沢山見て来たからです。
しかしこれからフリーメイソンの中に聖霊の動きが始まる時が来ます。死の霊は退かねばなりません。神が入って来られるからです。 油そそぎが人々をあなたに引寄せます。そして彼らはあなたと話したいと思うのです。あなたが出会う人がすべて「今とれる」魚ではありません。でももう少し川を下ったところで可能性がある魚であるかもしれないのです。
立ち止まって聖霊に魚の居場所を教えてくださいとお願いすることを忘れないでください。以前私は魚釣りをするには何かやり方があると思っていました。でもその考え方はやめました。あなたはただイエスを愛して、主を楽しみ喜ぶならば、油注ぎがやって来ます。あなたはそれに応答すれはよいのです。(終り)