古いリバイバルの井戸を掘る ダッチ・シーツ 2015年9月21日
古いリバイバルの井戸を掘る
ダッチ・シーツ
地上における主の目的を達成するために主は、ある一人の人とか一つのムーブメントではなく、多くの世代の遺産と働きを用いられることは聖書に明らかです。(ヘブル11:39—12:2)
幾世代にもまたがる御計画をもって働かれる主は、私たちが先人の築いた土台を尊び、その土台の上に建て上げることを望んでおられます。創世記26章には、イサクが井戸を掘るときは、初めは新しい井戸を掘らなかったと書かれています。イサクは父アブラハムが掘った古い井戸を再興する相続権と責任が自分にあることを認識していました。その井戸はペリシテ人によってアブラハムの死後ふさがれていました。
主が現れてアブラハムへの祝福と同じ祝福をイサクにも語られたのは、彼が父の井戸を再び掘った後のことでした。それからほどなくして、主はイサクのしもべたちが新しいイサクの井戸を掘るのを許されました。
私は10年以上、幾世代にもまたがる共同作業について教えて来ました。私たちの世代に神がもっておられる目的を成し遂げるためには、先の幾つもの世代を通して神がされたことを忘れずに尊び、それを土台にして進むことが大切なことを、人々に教え励まして来ました。そして最近の幾つかの出来事を通して主は、今の世代に新しい主の栄光の流れを解き放つために、歴史上のリバイバルの井戸の水をもう一度汲むようにと私を再び招いてくださいました。
数ヶ月前、私はケンタッキー州の小さな丸太小屋スタイルの教会に招かれたのですが、そこは1800年代末期に起ったケイン・リッジ・リバイバルの場所だったのです。当時聖霊のパワフルな動きがあり、何万という人が御ことばを聞いて神の栄光を経験したいという飢え渇きを持ってワゴンに乗り何日間も掛かってケンタッキーの丘まで来たのです。
そのキャンプ・ミーティングでは、何十人という説教者が広い丘全面で同時に語り、非常に重い神の臨在に圧倒された人が大勢草の上に倒れるという風景がしばしば起りました。このリバイバルは幾つかの南の州やそれを越えた場所にも拡大して行き、アメリカに二回目の大霊的覚醒を生み出して行く助けとなったのです!
ケイン・リッジの次に主は私をウエ—ルズに送られたのですが、それは非常に興味があることでした。というのはウエ—ルズは歴史上非常に重要なリバイバルが起ったところだからです。
一つの井戸から次の井戸へ
ウェールズ地方はリバイバリストのエヴァン・ロバーツが神の火のバプテスマを受け、1900年代初頭に起ったウェールズ・リバイバルのリーダーとして主から任命された場所です。その霊的傾注で非常に多くの人が革新的に救われ、ウェールズは社会的変革を経験しました。犯罪がなくなったので、裁判官や警官は何も仕事がなくなり、彼らは福音伝道のコーラスグループを結成して、色々な場所に行ったのです!
町の中でも神の臨在は非常に強く、酒場は閉鎖され、スポーツ大会は中止され、何千人という酒飲みの炭坑夫たちはイエスを信じ、その中の何百人もがすべてを捨てて外国のミッション伝道のために命を捧げました。1900年代以後起った世界中のリバイバルはすべて、このウェールズ・リバイバルをその源としていたと言われています。
ウェールズは又、リバイバルの歴史に大きく貢献したリース・ハウエルズの出身地でもあります。彼の自伝「Rees Howells Intercessor」に書かれているように、とりなし手として彼の人生は、私を含め多くの人や祈りのムーブメントに大きな影響を与えてきました。炭坑夫だった彼はウェールズ・リバイバルによってパワフルに変革され、宣教師になり、その後の人生を彼の世代に与えられた神の目的のために捧げました。それはとりなしの祈りによってでした。
1924年にハウエルズはウェールズ聖書大学を創立し、彼が主から学んだことを人々に教えました。その場所はやがて万国祈りの家となり、ハウエルズと共に学生と職員が祈りによって世界の戦いに参加したのでした。この小さな大学内から発信されたものは、間違いなく世界史の流れに影響を与えました。そこに残された祈りの遺産を私たちが今日しっかりと掴むようにと主は招いておられるのです。
御国のための戦い
第二次世界大戦中に祈ったハウェルズのとりなし手たちは、ヒットラーやスターリン、ムッソリーニといった専制君主に率いられた政府を覆う悪魔の力を打ち破るために必要な霊的戦いを戦いました。彼らはまた1948年にイスラエルが国家となるかどうかを決める国連の採決のためにも熱心に祈りました。ハウェルズの死後も、彼の息子サムエルがリーダーとなって、熱心なとりなしが続けられました。キューバのミサイルの危機やアメリカとソ連の冷戦状態の間も彼らは祈りました。そして1940年代、50年代、60年代のしるしと奇蹟のムーブメントを祈りによって招き入れたのです。
彼らのとりなしは、モーセが丘の頂でヨシュアの戦いを勝利に導いたとりなしに喩えることができるでしょう。聖書にはモーセが神の杖を手にもって掲げている間はヨシュアの率いるイスラエルが優勢でしたが、モーセがその手を下ろすと敵が優勢になりました。この杖(神の権威と力の象徴)を掲げるというモーセの預言的とりなしに主は忠実に応答してくださり、戦場での勝利は解き放たれたのです。(出エジプト17:8−16)それと同じように、ハウェルズのとりなし手たちは天における霊的権威を休むことなく掲げ続け、それによって戦場の兵士たちは奇蹟的な打ち破りを経験し、勝利をおさめることができたのです。
特に第二次世界大戦において、神はハウエルズに次に何が起るかを教え、又、とりなしの祈りを何処に戦略的にフォーカスすればよいかという預言的洞察を与えられました。毎日授業が終ると熱心なとりなし手たちは、何時間もとりなしの産みの苦しみで戦い、時には夜を徹して祈りました。彼らは前線で戦っている兵士や国々のリーダーたちが経験している厳しさや自己犠牲のレベルと同じほどに、自分たちも霊的な領域で戦うことを決意していたのです。
ハウェルズはとりなしへの神の召しを達成することを、熱意をもってこう語っています。「もし私が兵士として戦わない時、他の方法で兵士たちを助けることが出来る道を知っていながらそれをしないならば、私が彼らの代わりに死ぬべきです。彼らはあなたや私のために死に直面しています。もし彼らが、私たちが彼らのために苦しむ以上に苦しむとすれば、それは私たちにとって一生の恥となるでしょう。」
ハウェルズと学生たちは霊的戦いを戦うために彼らの命を捧げました。それはあたかも実際に戦いの前線に召されたかのようでした。そして次々と与えられる祈りの課題毎に、これら隠れたとりなし手たちは祈り続けて勝利し、その結果戦場では多くの劇的な逆転が起り、世界は目を見張って驚き、安堵のため息をついたのです。
リバイバルの歴史の研究者、とりなしの教師、この国を神の目的へと祈りを通して覚醒させる任務に召されている者として私は、ウェ—ルズ地方を訪ねてその霊的井戸から水を飲むことを長い間強く願って来ました。今回ケイン・リッジでの働きの後、ウェールズ聖書大学を訪れることが出来たばかりか、歴史的リバイバルの井戸を再び神に捧げる式典に招かれたのは私にとって大きな喜びでした。
世界中から集まったリーダーを代表して私はハウェルズのエベン・エゼルの記念の石(1サムエル7:12)を再び神に献げる栄誉を受けました。イスラエルの勝利を記念して預言者サムエルがしたように、ハウェルズは神の摂理と憐れみを常に忘れないように大きな石を設置したのです。
大理石の片側には「信仰は実体である Faith is Substance (ヘブル11:1)」、もう片側には「ジェホバ・ジャイラ Jehovah Jireh」と彫られていました。式典の中でこの石が校内の中心に移され油注がれた時、私たちは主の栄光を感じることができました。
その聖なる瞬間に、私はパワフルに神に出会いました。私たち多くの者を世界中からこの地に呼び集め、この歴史的井戸から飲ませてくださる主の慈しみに私は圧倒されました。私はハウェルズの祈りの遺産を守り続けることを誓い、地上の悪の巨人らを排除する祈りのムーブメントを建て上げ、第三の霊的大覚醒の波を起こすために私の命を捧げることを、もう一度神に誓ったのです。
ウェールズ聖書大学内で祈りの歩行をした時、エバン・ロバーツが神と出会った教会堂で私は主と交わりました。その時、聖霊が「今の世代の中で誰が代価を払うのだろう?」と問うているのが聞こえました。今も聞こえます。当時世界を征服しようとしていた悪魔的力、主権と戦って勝利するために、神はハウェルズやとりなし手たちを用いられました。今日、イスラム、共産主義、人身売買、堕胎、性的倒錯というゴリアテが私たちの戸口に立っています。これほどの重大な危機は今までありませんでした。私たちの内にハウェルズの時代と同じ勇士の霊が立ち上がらねばなりません。祈りの戦いをすると共に、預言的な声を発する勇士の霊です。神がご計画を持っておられることは確かです。神は不可能な事態の中で常に偉大な事をされるのです。 神がウェールズの霊的井戸を回復させたのは、地上の国々に再び祈りの勇士とリバイバルの霊を解き放っておられるからだと私は信じます。まもなくとりなしの新しい活発な動きが始まり、ひざまずいて天に訴え、御国の戦いをし、今まで見た事もない最大の霊的覚醒がついには起ることを私は信じます。
皆さんもその一員です! あなたは霊的遺産を受けることができます。若い方々、今は特にあなたが立ち上がる時です!主は現代のゴリアテを倒し世界の国々の未来を勝ち取るための油をあなたに注いでおられます。「私は代価を払います!」という者たちを主は探しておられます。とりなしという大きな代価を払う戦いのために人生を投資する者のために、主は御力をあらわしてくださるからです!(第二歴代誌16:9)(終り)