天国を地にシッド•ロスのIt’s Supernaturalからゲスト:ビル•ジョンソン
天国を地にもたらす
シッド•ロスのIt’s Supernaturalから抜粋
ゲスト:ビル•ジョンソン
シッド:今日の番組のゲストであるビル•ジョンソン師は、数多くの奇跡を行っておられます。ある日彼は「御国が来ます様に、御心が天で行われる様に地でも行われますように」という聖書箇所を読んでいました。そして「天には病気はない、恐れもない、貧困もない」と考えました。そしてこれこそが、私たちが天にいるように地上で歩むことができる鍵であると彼は思ったのです。これは非常に深くて素晴らしい真理ですね。皆さん、今日彼の話を聞くだけではなく、天が地に侵入してくるのを見る準備をしてください。ビルさん、「心の一新 renewing your mind」ということが一つの鍵だということですが、それはどういうことでしょうか?
ビル:一新された心とは、キリストの心のことです。実際に神の視点で物事を見ることです。主は物事を私たちとは違うように捉えます。少しのパンと魚だけで大勢の人を養う必要が生じたときも、どうしようかとドキドキはされませんでした。主は別の視点を持たれ、この奇跡を見ることによって弟子達もご自分と同じ視点をもつことを願われたのです。主は「見えないのですか? わからないのですか?」と問われました。主が食べ物を何倍にもした直後に、パンを持ってこなかったことを心配している弟子達に向かって主はそう訊かれたのです。弟子達はまだ「地上から天を見上げる」という視点に留まっていました。ほとんどのクリスチャンは、地から天を見上げて、神が自分の問題に介入してくださるのを望み嘆願しています。一新された心は、天から地にむかって生きるのです。
シッド:もし今教えていること、あなたがクリスチャンになったばかりのときに理解していたならば、あなたのミニストリーは違っていたでしょうか?
ビル:まったく違うものになったと思います。まず第一に、神は慈しみ深い方であり、本当に善き父であられるということが神学の基礎になります。神はみなしごの地球のために御子を送ってくださった愛情深い父です。神が親切で愛がある完全な父であることをあなたが理解する時、突然すべてのことが変わるのです。あなたが神をどう見るか、自分をどう見るか、あなたの過去をどう見るか、あなたの可能性をどう見るか、ということがすべて変わるのです。全き愛を持つ完全な父がいることがわかるとき、すべての事がシフトし変わります。それは「自分がしたいようにしてもいいんだ」ということではなく、神を一番喜ばせることをしたいという情熱を持つことです。その情熱は神がどのような方であるかを理解するところから生じるものです。一新された心の第一の変化は、神をどのように見るかが変わることです。
シッド:一つの例で説明してください。ある人があなたの所に来て、「腰が痛いのです。」と言ったとします。その時、あなたの心の中ではどのようなプロセスがあるのですか? 何をするのですか?
ビル:イエスは彼のところに来た人たちをすべて癒されましたし、御父が示された人はすべて癒されました。イエス•キリストが完全な神学であると私は信じますので、あたかもイエスが私の立場におられるかのようにその人に仕えるというのが常に私のアプローチです。イエスだったら起こったに違いにない癒しが時には起こらない事もありますが、私は自分の経験のレベルでもって期待の基準を下げたり、聖書の基準を下げたりはしません。
シッド:では、もし腰の悪い人が10人続けてあなたの所に来て、10人とも癒されなかったとしたら、あなたはどう感じますか? あなたの心の中で何が起こるでしょうか?
ビル:もし同じ問題を持つ人が10人来て、一つも癒しが起こらなかったならば、それは私にとっては、神の御前で一人になり、ブレークスルーを叫び求めなさいという招きです。それは私が神を説得するということではありません。それは私が神と出会うプロセスであり、それによって私は変えられ、多くの場合は私に力を与え、私を備え、神が私の前におかれる問題に対処できるように私を調えてくれるものです。
シッド:わかりました。あなたはイエスが言われた「御国が来ますように、御心が天で行われるように地でも行われますように」という御ことばをよく話されますね。これは非常に重大なステートメントですが、あなたはそのように生きておられるのですか?
ビル:はい、そうです。私はいつもそのように努めています。私の人生はただそれだけであり、それが駄目なら次はこれ、というようなプランBはありません。イエスはご自身がどのように生きられたかという明確な見本を示してくださいましたし、私たちが何をするべきかというはっきりした任務も与えてくださいました。それは即ち、地上のすべての状況の中で、主が統治しておられることを事実として現すことです。それが、私が情熱をもってしていることです。
シッド:あなたの学校では、学生たちは3回失敗するように義務づけられているそうですね。3回成功するのではなく失敗ですね。どうしてですか?
ビル:喩えでお話しましょう。以前私はスチールヘッドという魚(マスの種類)がとれる場所に住んでいましたが、ある日釣りの達人が釣りに連れていってくれました。そして「釣り針とか錘が川底に時々引っかかって取られてしまうほど深いところ迄下ろさないと魚は釣れないよ。」と教えてくれました。私のミニストリーに対するアプローチは、時として失敗するくらいのリスクを伴う生き方をするということです。もし安全なことばかりしていたら、周りの人たちは私を賢いというかもしれませんが、私は決して山を動かすことはないでしょう。
ですから、学生に居心地のよいところに留まるのではなく、思い切って(失敗するかもしれないという)リスクを侵しなさい、新しい領域に踏み出しなさい、という課題を出すのです。失敗といってもそれは勿論、道徳的に間違いを犯すということではありません。ミニストリーをするときに、神がその時に何を言っておられるかを感じ取って、知識の言葉や励ましの言葉を失敗を恐れずに勇気を出して言ってみるということです。学生たちが主に用いられるように成長し、リスクを取ることを学んでほしいのです。それで失敗することを必須にしているのです。
シッド:食道癌だった女性の方に起こったことを話してください。
ビル:ある女の方は食道癌だったのですが、礼拝中に両手をあげてワーシップをしていた時に、両手がとても熱くなるのを感じました。彼女は夫に「癒されたと思う」と告げました。手が熱くなったことと癌が癒されたのを彼女がどうして関連づけたのかは、私にはわかりません。でも彼女はそう感じたのです。彼女は主の臨在を感じ、癒されたと思いました。
医者のところに行って彼女は「癒されたと信じます。」と告げると、医者は「この癌は無くなることはありません。」と言いました。しかし検査の結果、医者は「癌が無くなったばかりか、あなたの食道は全く新しくなっています。」と彼女に告げました。主を崇め敬い、主の善きこと、主の慈しみを賛美し祝っていた霊的雰囲気の中に顕われた主の臨在によって癒しが起こったのです。誰かが信仰の祈りを彼女のためにしたのではありません。臨在の中で起こったのです。
シッド:それが御国では普通に起こることなのですか? 今テレビを見ている主婦でも、高校生でも、幼稚園児でも、誰でもそのように出来るとあなたは言われるのですか?
ビル:ええ勿論、全くその通りです。もし誰かが私に祈ってくださいと言って、私が祈ってもブレークスルーが起こらなかったならば、私はその人に「祈りの出来る5歳の子供のところに行ってみてください。神の御こころは何かなどと、思案しない純真な子供の所に行ってみてください。」と告げます。これは誰にも出来ること、誰でもが参加できることなのです。
シッド:私たちは考え方、物の見方を変えねばならないと言う事でしょうか。説明してください。
ビル:確かに私たちは変わる必要がありますが、それは訓練によってではありません。神との出会いによって起こるのです。神と出会う時に、私のまわりの世の中を見る、私の見方そのものが変えられる機会が与えられます。もし私の見方が変えられなければ、いつまでも同じで、神に「解決してください」と懇願するだけになってしまいます。しかし私の見方が変えられた時には、私が問題を解決するために遣わされた神の代理人として、その権威によって問題を解決することができるのです。
シッド:精神科医はよく否定的に生きる人のことを話ますが、ビルさんは否定的に生きることを勧めておられます。それはどういうことでしょうか?
ビル:それは言葉の遊びと言うべきですが、悪魔が私に何かを要求してくるとき、私は「その要求は拒否する」と言う意味です。それが私の言うところの否定的に生きるということです。私は悪魔が物事を見る視点とその影響の何もかもすべてを否定します。悪魔が存在することは否定しませんが、彼が影響を与えることを否定するのです。
シッド:わかりました。それでは、あなたが用いる宣言の例を挙げてください。
ビル:神の御国では何事も宣言・宣告なくしては何も起こらないと私たちは信じています。ですから私たちは神の御心 the heart of the mind of God そのものを神からの「法令布告」decree(あるいは「判決」)として宣告するのです。時にはそのように宣告しただけで物事が変わっていきます。例えば「これは私の人生に対する神の目的や計画ではない。私は拒絶する。退きなさい。」という宣告です。そのようなシンプルな宣告・宣言で解決することもあります。もっととりなしの祈りが必要なときもあります。又、ワーシップに導かれる時もあります。時には、問題の大きさにとらわれないで、自分の焦点をシフトさせればいいだけの時もあります。
シッド:問題の大きさにとらわれないとすれば、あなたは何に心を集中させるのですか?
ビル:それは神に、です。神の約束に、神の御ことばに、神の私に対する思いに、私と共にある神の臨在に、です。私はそのような思いにだけ心を馳せ、その決意・確信から力を得て、どのようなチャレンジに対しても、自分が主と共に働く同労者であり、主が共にいてくださるという臨在を意識して向かっていきます。私はどのような状況に対しても、聖霊が、とどまる鳩のように私の内に臨在してくださっている確信をいだいてアプローチします。
シッド:交通事故に遭った女の人のことを話してください。片腕が使えなくなった方のことです。
ビル:彼女は同じ町の別の素晴らしい教会に属する人でしたが、その方のお嬢さんがたまたまその日に、教会に行きたいと言ったのですが、その日その教会では集会がなかったので、私たちの教会に来たのでした。私は彼女を知りませんでしたから、あとで聞いた話ですが、彼女は片方の腕を数回手術していました。それでその腕は数インチ短くなり、使えない状態でした。感覚もなく、肘から下は動かすことができず、物を掴むことも持ち上げることもできませんでした。彼女には2歳半の女の子がいましたが、その子を抱き上げることもできませんでした。
礼拝の時、病気の人にために祈る時間を持ちました。彼女の上のお嬢さんが「お母さん、前に行ったら。」と勧めました。彼女は行きたくなかったのですが、とうとうお嬢さんの勧めに応じて、前に出ました。一人の祈り手の婦人が彼女のために祈りました。するとすぐに腕が伸びて元通りになり、その腕が普通に使えるようになりました。私は呼ばれてそこに駆け寄りました。私はその報告を聞いて大喜びで興奮しました。
私がそこにいる時に、小さな女の子が彼女のそばに来ました。彼女が両腕を女の子の方に伸ばすと、その子は「駄目よ、ママ。腕が、腕が。」と言いました。女の子は生まれてから2年半の間ずっと、お母さんは腕の怪我で彼女を抱き上げることはできないのだ、と聞かされて来たのです。その時お母さんは「大丈夫よ、ハニー」と言って彼女を抱き上げました。その時の女の子の笑顔を私は一生忘れないでしょう。お母さんに抱かれるのがその子の心からの願いだったのです。本当に感動的でした。そのような経験をすると、他のいろいろな問題を見る見方が変えられます。
シッド:「神の家」ということをあなたは重要視していますが、どうしてでしょうか?
ビル:私たちは神の家です。私たちは全能の神の住まいです。私たちがその意識をなくし、神の御霊が私たちの上に又、内に、住まわれていることを忘れると、全く違った生き方になります。すべてが変わってしまいます。私たちが、神と共に生活しているという認識をもって毎日を過ごすとき、(それは神学としての知識ではなく、実際に共にいる方、力を与えてくださる方、私たちの方向を示して下さる方、共に働いてくださる方として現実に認識することですが)すべてが変えられていくのです。私が考え、期待するすべてのことが、私の祈り方も含めてすべてが変わります。それは神に「どうか介入して助けてください」と懇願する祈りではないからです。私は既に神と共にいるのですから、その時その時私のまわりに起こる状況に対する神の心と思いを私が察知し、その私を神が用いて、その状況に必要な変化をもたらすこと、すなわち、変えることがすべてです。
シッド:一つ聖句が浮かびました。「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。ローマ14:17」この聖句をどう思いますか?
ビル:いくつかの理由で私はこの聖句がとても好きです。その一つは、神の御国は聖霊のうちにあることを教えてくれるからです。すなわち、御国の領域、神が支配する領域とは聖霊の領域の中にあるということです。ですから、実際に御国の実現が、聖霊の臨在の顕われを見出すときに起こるのです。両者が私のために非常にうまく働く理由は、私が神を見出せば見出すほど、神の御こころがわかり、鳩のように私の上に留まり続ける聖霊をもっと意識できるようになるからです。私の人生や集会でそのようなことが起これば起こるほど、その集会での神の目的がはっきり見えるようになります。御国は聖霊の領域にあるからです。
シッド:あなたが「一新された心」をもって祈るとき、どんなことが起こるのですか?
ビル:奇跡がおこります。数週間前に起こった事で、私はこの日曜日に報告を受けたばかりですが、その女性の息子に牛乳とグルテンのアレルギーがあったある母親のことです。その息子は自閉症でもあったのですが、みんなが祈ったのはアレルギーのためでした。彼女は息子のアレルギーが癒されたことを信じて礼拝のあとでピザを食べに行ったのですが、そこで分かったことは息子はアレルギーだけではなく自閉症も癒されていました。
シッド:あなたの友人がモザンビークで経験した奇跡のことを話してください。彼女の前を走っていたバスが事故で横転して死傷者が出たのですね。
ビル:そうです。彼女は医師でしたので、人々をチェックしてまわりました。すると一人の女性が首を折って死んでいました。頭の向きが大きくねじれて異常でした。彼女はそこで、まわりに立っていた怪我をしていない人々を集めて、その死人に向かって「生きよ」と告げなさいと教えました。
シッド:彼らはクリスチャンだったのですか?
ビル:いいえ、そうではありません。しかし医師の彼女は集めた人々に「ずっと命を受けるように言い続けなさいよ。」と言って、自分は怪我人の手当をしていました。すると何か音がするので、見ると、首が折れて死んでいた女性の首がひとりでに回って正しい位置になりました。多くの人が命を語るという霊的環境の中で死んでいた彼女は生き返ったのです。
シッド:神の御国が地上に来たのですね。ビルさん、すべての人のために御国が地上にくるようにどうかお祈りくださいませんか?
ビル:勿論です。主はライフスタイルに変革をもたらすべく色々な人に主との出会いを与えてくださると信じます。そのことを祈りたいと思います。父なる神よ、どうか大いなる聖霊の力を顕わしてください。それによって人々があなたの心の奥底を知り、あなたの臨在を見分け、あなたが持っている人々への情熱を知り、それによって物事の見方、考え方が変わりますように。それによって人々が内側から変革されますように。(終わり)