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27 10月

奇跡を起こす心構え    ビル•ジョンソン               2014年10月27日


奇跡を起こす心構え

ビル•ジョンソン

 

聖霊があなたに必要なものを授け備える理由は、あなたが「不可能」なことをすることが出来るようになるためです。聖書の中で主は何度もご自分のしもべ達に、「わたしはあなたと共にいる」と言われました。時には「主の御霊が彼らの上に下った」という表現もされています。私は聖書の中にある主が人々を訪れた時の箇所を、全部書き出してリストにしてみたことがありました。そしてそこから興味ある真理を見い出したのです。それは、主が「わたしはあなたと共にいる」と言われたときは、例外なく、その人が自分の力で達成することが不可能な任務を主から与えられた直後である、ということです。

 

神はそのような約束をモーセに与えました。それはエジプトでパロの過酷な支配下にあったイスラエルを、約束の地へと導くという彼の任務と関係していました。同じような言葉がヨシュアにも与えられました。彼は約束の地に入ることを許されなかったモーセの任務を引き継いだのですが、巨人や多くの恐ろしい強敵がいる約束の地へとイスラエルを導き入れる任務が与えられたからです。

同じ約束がギデオンにも与えられました。当時、脆弱で嘲笑されていたイスラエルを、ミデヤン人の強い抑圧から解放する任務が彼に与えられたのです。また、マタイ28章にある大宣教命令の中で、11人の弟子達に同じ約束が与えられました。それは彼らが世界の国々の人たちを弟子にするという任務が与えられたことと関係していました。

神の臨在が約束されているということは、私たちが主から大変重要な任務を受けることを意味しています。即ちそれは、私たちが通常では不可能なことを可能にすることを主が要求される時です。神の臨在という助けが与えられ、それによって私たちが不可能の領域に侵略して不可能を可能に変えることを神が期待しておられるのです。

 

神が私たちと共に臨在されていることがはっきりと示されるときは、常に、私たちが何かの任務を果たすことを期待されています。「聖霊はただ慰め励ますためにだけ私たちと共におられる」と考えるのは大きな誤りです。聖霊が私たちを慰め励ますーそれは確かにそうです。しかしそれだけに留まらず、聖霊は私たちの前にある不可能な任務を可能にするためにいてくださるのです! エペソ1:18−19でパウロが「主の召しによって与えられる望みがどのように偉大な力あるものであるかを私たちがはっきり見えるように」と神に祈っているのは、この事を指しているのではないでしょうか。

 

「神がともにおられたので」

神の永遠の御子であられるイエスに関する聖書箇所で、私が一番愛し、又私にもっとも影響を与えたものは次の使徒行伝10:38です。

「それはナザレのイエスのことです。神はこの方に聖霊と力を注がれました。このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者をいやされました。」

この節は福音書全体を通して表されていることを総括しています。即ち、イエスは御自分のもとに来たすべての人を癒し解放しました。病はサタンからきていることも明らかにしています。しかし聖霊がここで一番私たちに理解して欲しかったのは、癒しや解放をイエスがするのを何が可能にしたか、という事でした。それは即ち、「神がともにおられた」からです。イエスは永遠に神であられ、神でなくなることは決してありませんが、聖霊は「神がともにおられた  God was with Him」という言葉を書く様にとルカに霊感を与えたのです。

この記述は、イエスが旧約時代のヒーローたちと同じであったことを私たちに教えています。神がともにおられる時、その人は不可能な領域を侵略するように期待され、又、可能にされているということです。これは、不可能を可能にする神の臨在が私たちの上にあることを見いだしはっきりと認識することによって、神から与えられている任務を私たちが遂行出来るようにしてくれます。

 

時計が10時38分を示しているのを見るとき、私は使徒行伝10:38を思い起こし、その時していることをやめて、心を神に向け、イエスの生涯の中に見られる神の性質と約束の啓示に対して神に感謝を捧げます。面白いことに、この文章を書いている今、携帯で時刻を見ると丁度10時38分でした。主の御名により、主の栄光のために、不可能な領域へ踏み込んで行こうとする多くの人の心の火を燃え立たせるこの聖句を、私は心から感謝します。神は真に私たちと共におられるのですから、それは可能なのです!

 

イエスはご自分のミニストリーを大胆な告知で始められました。「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、…わたしに油を注がれたのだから。」(ルカ4:18)これはイエスのミニストリーの開始を告げる言葉であると共に、主のミニストリーの本質を表しています。それは人々に解放をもたらすものであり、主の上に神の御霊があった故に可能だったのです。

 

祈り

不可能な領域に踏み込んで行くという私の召しがどれほど栄光に富んだ希望であることかを認識し、そのために主の臨在が私とともにあることをもっと意識して主であるあなたに常に心を向けるように助けてください。また、その任務が、私の力では不可能であることをはっきりわかるようにしてくださり、私が自分の力に決して自信を持つことがないように助けてください。今日私が聖霊の宮とされている不思議と素晴らしにはっきりと気が付き、それによって今日という日が大いなる「打ち破り」の日となりますように。

 

宣言

主の御霊は、イエスの上に臨まれたのと同じ理由と目的をもって、私の上におられます。私は不可能への召しを心にしっかりと受け取ります。それは地上ですべての栄光が神に帰せられるためです。(終わり)


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