時とシーズン (その1) ボビー・コナー & ポール•キース•デイビス 2014年8月24日
時とシーズン (その1)
ボビー・コナー & ポール•キース•デイビス 対談
P.K.デイビス:ボビーさんと私は最初に会った1991年から今までの23年間、ボブ・ジョーンズ師と共に数えきれない集会などで一緒に働いてきました。まず、あなたの最初の記憶について話してください。
ボビー・コナー:これは誇張ではなく本当の話です。1943年に私の父は性病にかかり精神病院で亡くなりました。母は私を妊っていましたが、医者が胎児も父親と同じ病気にかかっている可能性が高いと言いました。母にはすでに子供が二人いましたが、上の男の子は生まれつき身体が不自由でした。母は絶望的な気持になり、コートハンガーを延ばして自分の身体の中に入れて、胎児であった私を堕胎しようとしたのです。その時イエスの御手が胎の中にのべられて、私を片方に引寄せられたので、母のハンガーは私に触ることができませんでした。胎児の私はそのことを記憶しているのです。母がそのことを話してくれたのはずっと後のことでしたが、私はその前から知っていたのです。私の妻は「胎児であったときのことを憶えている人なんか絶対いないわよ。」と言います。でもエレミヤ1:4に「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」とありますね。これが私の最初の記憶です。
そして、私が5歳のときのことですが、神が「家の裏に行きなさい。」と言われました。兄と姉は学校に行っていなかったので、一人でいた時でした。そこにはこんもりとした木々がありました。私は一人ぼっちで面白くなかったので、木の下に肘をついて寝そべり「あーあ、やっぱり僕は一人なんだ。」と声に出して言った瞬間、風が起こり木の梢をそよがせました。そして、そこから声がして「あなたが一人ぼっちということは絶対にないのですよ。見てごらんなさい。」と言うのです。見ていると天が開けて、たてがみとしっぽが燃えている数頭の馬が行ったり来たり走っているのが見えました。それは天使だったのだと思いますが、5歳の男の子には燃えている馬のように見えたのです。
P.K.:その後もいろんなものが見えたのですね?
ボビー:私には天が開いていろんなものが見えました。又もうじき電話が鳴るとか、もうじき誰かが車で家に来るとかが全部わかりました。事が起る前にわかったのです。見た事のあるビデオ通りに物事が起るという感じでした。でも私は誰でもそんな風にわかるのだろうと思っていました。ある時、友達に天が開けて見えたことを話すと、随分嘲笑されバカにされました。それで私は天が見えることをそれ以来誰にも言わないと心に誓いました。
8歳のときアルコールを飲み始めました。アルコールが含まれているものならばなんでも飲んだのです。酔っぱらった状態で、人に「私は天が見えるよ。」と言ったのです。おかしいと思われる方がいるかもしれませんが、私は ボーンアゲインする前に賜物を頂いてしまったのです。救われたのは1968年でしたが、賜物は生まれてからずっとあったのです。
P.K.:「ポニーに乗ってはいけません。」と主が言われた話をしてください。
ボビー:私の家族はテキサス州に住んでいましたが、1943年に父親が死んで貧乏のどん底にいました。私がある日裏庭で一人で遊んでいると、声がして「ポニーに乗ってはいけません。」と言うのです。びっくりしてじっとしていると、また同じ声がして「ポニーに乗ってはいけません。」と言うのです。私は家の中に飛び込んでベッドに潜りこみました。兄が私の様子を見て「どうしたんだ?」と聞くので、私は「ポニーに乗っちゃ駄目!」と叫びました。兄が「どのポニー?」と聞くので「知らないけど、ポニーに乗っちゃ駄目だよ!」と私は叫んだのです。その後も静かにしているとその声が何度も聞こえました。
ある日、母が小さな箱の中に私と兄の洋服を入れました。おじさんが車で来たので、母と私たち兄弟は乗り込み、とても長い間ドライブしました。車の中はなぜか重苦しい空気が漂っていました。途中で公園に止まったりしましたが、何故か母は悲しそうな顔をしていました。やっと目的地に着き、おじさんがエンジンを止めたとき、一人の婦人がポニーを連れてやってきたのです。そして「坊やたち、ポニーにお乗りなさい!」と誘ってくれました。兄と私は後ずさりして、「僕たちはポニーには絶対乗らないよ!」と叫びました。そこは孤児院で、子供たちを騙して親から引き離すためにポニーを使ったのです。私たちは「ポニーには乗らない!」と叫び続けました。母は泣き始め「ああ駄目だわ、私にはとてもできない、、家に帰りましょう。」と言ったので、おじさんは私たちを連れてそのまま引き返したのでした。もし私が「声」を聞いていなかったならば、家族はバラバラになってどうなっていたかわかりません。
ヨハネ10:3でイエスは「わたしの羊はわたしの声を知っている」と言われました。私たちは主の声を聞き分ける能力を今高める必要があります。聖霊に導かれなければ生きていけない時代がくるのです。私たちのように小さくて貧しい家族をも神は心にかけてくださり「ポニーに乗ってはいけません。」と声をかけてくださったことを、私は心から感謝しています。
以前は、もし神が本当に私に言いたいことがあったら、私を両手で掴んで大声で「ボビー!」と言うと思っていました。でもまったく反対でした。「もしわたしが叫ばなければならないとしたら、それはあなたが未熟だからです。」と主は言われました。「あなたがわたしのすぐそばに居るならば、わたしはただまなざしだけであなたを導くことができるのです。」と言われました。又、「わたしはわたしの真理は叫びますが、わたしの秘密は小声でささやくのです。」とも言われました。真理は聖書の中に書かれていますから誰でも知ることが出来ますが、神の秘密を知る者は少ないのです。神の秘密を知る方法を知っていますか? それは私たちの耳を神の口元に持っていくことです。ヨハネ15:15にあるように私たちは神の友にならねばなりません。
PK:あなたが救われた時のことを話してください。
ボビー:私は預言の賜物を胎の中から受けていましたが、サタンはそのような神からの召しを知ることができ、それを阻止することに全力を注ぐのです。8歳のときにアルコールを飲み始めたと言いましたが、とにかく何でも試してみました。サタンは私の頭をおかしくしようとしていたのです。やがて麻薬の売買など、本当にひどい生活をしていました。家族は「ボビーは21歳になるまでには死んでいるか気違い病院に入っているだろう。」と言っていました。やがて私は結婚して子供も出来ました。でも私の生活はメチャクチャのままでした。私は自分にこう言ったのです。「もし人生がこんなものならば、もう生きていても仕方がない。もう止めよう。」と。私は妻と小さな息子をバプテスト教会まで車で送って行きました。もうその二人には会うことはないと決めていました。それから私は車で森の奥深くに入り、座席の下から拳銃を取り出し、銃口を口に入れました。車の中は悪霊ども(demons)で満ちていました。彼らは「やれ!やれ!今だ!」と叫びました。その時突然、私はぶるぶると赤子のように震え出したのです。私は拳銃を後ろの座席に放り出して、教会に戻って行きました。夜の10半ごろになっていました。教会の駐車場に車を停めてじっとしていました。私はもうどうしていいかわかりませんでした。私は「イエス様、もしあなたが私の人生を変えることが出来るならば、どうか変えてください。」と言いました。その途端、主が来て下さったのです! 本当にすばらしいことでした。私の心は喜びで満たされ夢見心地でした。車から降りたときは、私はもうまったく別人になっていました。
教会の中に入ると、ほとんどの人はもう帰ってしまっていましたが、教壇の前に数人が祈っているのが見えました。ポールというドイツ人がその教会の牧師でしたが、私は彼をずっと憎んでいました。マーケットなどで会うと私は汚い言葉で彼を罵りました。でもポールはいつもきれいな青い目で私を見て、「ボビーさん、愛しています。」と言うのでした。ボール牧師と私の妻と息子、そして二組の夫婦が私のために神に嘆願していたのです。「神よ、なんとかしてボビーを救ってください!」お分かりでしょうか?私が銃口を口に当てたとき、彼らが祈っていたのです。
私は赤子のように牧師にすがりついて泣きました。妻を心から愛する気持で一杯になり彼女を抱きしめました。その夜神が語られ、私に「全世界に行って福音を伝える」という召しを与えてくださいました。私は「そんなこと絶対に起りっこありませんよ。」と申し上げたのですが、神は本気でした。
神が私のような者を用いてくださるのなら、誰でも用いられることができるのです。私が育つとき、家はひどく貧しく、母は小麦粉を入れる袋を農家からもらって、それで私たちのズボンやシャツを作りました。教会に行くときは、道路にみんなで並んでヒッチハイクをしました。 小学一年の時、私が「主、我を愛すJesus Loves Me This I Know」を歌うと、ある男の子が「ボビー、神様はお前のことなんか愛してないよ。もし愛していたらもっといい洋服や靴をくれるはずじゃないか。」と言ってあざ笑ったのです。私はその子の言葉を聞いて受け取ってしまい、その時、私の心の中に神に対する憎しみが入ってしまったのです。その憎しみは1968年の秋に救われるまで消えなかったのです。でも私は死から命へと一瞬にして移され、新しく造り変えられたのです。私が何かをしたのではありません。私は追い込まれてどうすることもできない状態でした。神の救いの御手が届かないほどの深みに落ちることなど、あなたは絶対にないのです。
P.K.:本当にすばらしい神の恵みですね。それからあなたはテキサス州ブラードのバプテスト教会の牧師になったのですね。
私は1991年の11月に、主に示されてベニー・ヒン師主催のイスラエル旅行に参加しました。主がイスラエルで私に語ると言われたからです。その旅行でボビーさんはヒン師の助手を努めていました。私とボビーさんを引き合わせるのが神のご計画だったのです。
イスラエル旅行を通してボビーさんが神から深い油注ぎを受けていることを見て、私はすぐ次の日曜日に、8時間ドライブをしてテキサス州の彼の教会を訪ねました。礼拝の後でボビーは私を壇上に呼んだのですが、彼の回り1メートルの範囲は本当に肌で感じるアノインティングがあったのを忘れることができません。彼は私に預言を始めました。彼が知るはずもない私の子供時代のことなどを彼は話したのです。私は当時ビジネスマンで、ミニストリーをすることなど全く頭に浮かんだこともなかったのですが、彼は私が預言的ミニストリーをするようになると言いました。そして彼は「誰かこの人から預言を受けたい人はいますか?」と会衆に聞き、一人の老女が手をあげるのを見て、私に「彼女に預言をしてください。」と言うのです。「冗談ですよね!?」という感じでした。でもとにかく預言をさせてもらったのですが、その時から私たちはとても親しくなり、一緒にミニストリーの旅をするようになりました。
1994年5月にボビーさんがボブ・ジョーンズ師を紹介してくれました。それから私たちは数えきれないほどの集会を、ボビー、ボブ、私の三人でするようになったのです。三人が椅子に座っていろいろと話すという形式で、預言的、啓示的なことを多く話しました。
ジョーンズ師は今年2月に主のもとに行きましたが、私は先週本当にリアルな彼の夢を見ました。彼は地上にいた時と同じようにゴールデンブロンズの美しい肌をしていました。夢かトランスか幻か、わからないのですが、私は彼に近づいて「ボブさん、お会いできて本当にうれしいです。ここは一体どこですか?」と言いました。天国なのか、地上なのか、私にはよくわからなかったからです。彼は私の前に彼のてのひらを広げて突き出しました。私は自分の手の指をそれにぴったりと合わせました。ボブさんは以前から、親指は使徒、人差し指は預言者、中指は伝道者、薬指は牧師、小指は教師としていました。彼は私に「どの指が感じますか?」と聞くので、私は「親指と人差し指と小指です。」と言いました。彼は「今は人差指と小指だけれど、親指がもうじきです。」と言いました。その意味は、「今は預言的ミニストリーと教師のミニストリーのシーズンだが、使徒的ミニストリーが間もなく起る」ということだと思います。ボビーさん、あなたも最近ボブ師の経験をしましたね。
ボビー:夢でしたけれど、とてもリアルなものでした。私は机に座って仕事をしていたのですが、聖霊が「訪問客が来ました。」というので、私は立ってドアの方に歩きかけました。すると聖霊は「いいえ、窓からやってきます。」というのです。窓を見ると、天から真珠色に光るエスカレーターのようなものが下りて来て、ボブさんがそれに乗っているのです。彼はとても顔色がよく溌剌としていました。私が心の中で「ボブさんはどうやって入ってくるのだろう。窓を開けたほうがいいだろうか。」と思った途端、彼はすっと部屋の中に入ってきました。そして最初に言ったことは「You are doing fine. あなたはちゃんとやっているよ。」という言葉でした。そして「I am doing wonderful. 私はすばらしくやっている。」と言いました。私たちは会話をしたのですが、口に出す必要はありませんでした。彼は「最近、あなたは自分の髪の毛に気がついていますか?」というので、私が髪を撫でると、手の中に鉛筆ほどの太さのまっすぐな棒のようなものが並んでいました。彼は「もう一度やってごらん。」というので、私はまた自分の髪を撫でました。それを何回もすると私の手の中には大きな麦の束が出来ていました。彼は「これはハーベストのことですよ。今は預言的ミニストリーが大きく用いられる時です。預言により収穫をするべき畑に働き人を送ることができるので、まだ実っていない畑に行く無駄が防げるのです。
P.K.:レムナントの一人になるにはどうすればよいか、又将来に関してあなたが示されていることを話してください。
ボビー:エレミヤ31:17に「あなたの将来には望みがある。」とあります。現在から将来の間は、歴史の中でもっとも困難な激動の時となるでしょう。しかし、暗やみが深くなる時、神の栄光は最も輝くのです。世界は激動の時を迎え、想像以上に軍事的行動が起ります。今私たちが「キリスト教」と呼んでいるものは役に立たなくなります。今主は勇士を召しておられます。戦うことが出来る者たちです。ユダの手紙を読んでください。私たちは今その時代に生きているのです。ある人たちは「私たちはもう救われているから、どのように生きてもいい。」と言っていますが、それは間違いです。私たちがどのように生きるかは大変重要なのです。今は戦って勝ち取る(contend)時です。その意味は、あなたの血の最後の一滴まで戦うということです。イエスは「わたしが戻ってくるときに信仰を見つけることができるであろうか。」と言われましたね。私たちは信仰を守るために戦わねばなりません。今アメリカではキリスト教とイスラム教を一つにするというムーブメントがあります。これは本当にとんでもない馬鹿げたことです。使徒行伝4:12に「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」とあるではないですか。
昨夜の集会中に 天使たちが香炉を会衆の上に振っているのが見えました。 それは、とりなしの祈りの油注ぎを人々に与えていたのです。すばらしいですね。私たちは天の助けが必要です。ヘブル1:14に「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」とあります。ですから天使にどんどん助けてもらってください。
ある時私が天を見ると、天使たちが退屈そうにしていました。私は「主よ、彼らを働かせてください。」と言うと、主は「天使に仕事を与えるのはわたしのすることではありません。」と言われました。あなたがレストランに行くとウエイターがいますが、彼は客のあなたに向かって指図はしませんね。客であるあなたが彼に何をしてほしいかを指図するのです。天使は私たちを助けるために仕える霊なのです。モレビアンフォールに行って天使と会ったとき、彼らは「ここに来るのにどうしてこんなに時間がかかったのですか!」と私を責めました。彼らは長い間仕事がなくて退屈していたのです。
レムナントはどのような人かという御質問でしたが、それはイエスのような人です。第二コリント7:1に「愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖さを全うしようではありませんか。」とありますが、これがレムナントのマークです。私は「神よ、このようなレベルの聖さを人々が求めのは、どのような約束が用意されているからなのでしょうか?」とお聞きしました。主は「成熟した神の息子、娘となる約束です。」と言われました。神がご自分の仕事を安心して任すことができるほどに私たちが成熟するのです。第二コリント6:18に「わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」とあります。私はそのようになりたいと思います。あなたもそうではありませんか。(続く)