2014年はローラーコースターのような年 リック・ジョイナー 2014年1月8日
2014年 明けましておめでとうございます
いつも御愛読いただいている皆様へ、先ずは遅ればせながら、私たちWalk With God Ministries 一同より、謹んで新年の御挨拶を申し上げます。
私たちは今年と来年の二年間を教会が霊的に成熟・完成する途上で、未だかって無かったほど重要な年になると言う認識を持っております。その二年間の年頭に当たって、今まで以上に私たちのインターネット・ミニストリーをより充実した内容にするべく努力させていただくつもりでおりますので、どうぞよろしく御指導・御支援賜りますようお願い致します。
さて、昨年秋からこの年始にかけて、アメリカにおいては、例年に比べてより多くの霊的指導者が続々と新しい年に対する預言と抱負を語っておられるように見受けますが、本年度最初の預言としてモーニングスター・ミニストリー主幹であるリック・ジョイナー師のメッセージを下記のようにお伝え致します。どうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。
坂 達 也・柚実子
2014年はローラーコースターのような年
リック・ジョイナー
今年はどんな年になるかを祈り求めた時に示されたのはローラーコースター(ジェット・コースター)のビジョンでした。その意味は、今年は上昇する時と下降する時があると言うことです。それなら預言者でなくても誰にでも予想のつくことであることは明らかです。しかし、励まされたことは、そのローラーコースターに乗った私たちが年の終りに最も高い地点に到達して終わったことでした。すなわち、今年は高い地点に上げられる年であると言うことです。ですから急降下の時が何回か来ても、決してそれに失望しないで下さい。たとえ急速な下降線をたどる時でも、しっかりとつかまっていて下さい。必ず上昇しますから。
数ヶ月前にボブ・ジョーンズ師が、この冬は非常に厳しいハードな冬になるだろうと言っていましたが、現に今そうなっています。この文章を書いている私の住む南カロライナ州の自宅の屋外の気温が今摂氏零下13度です。未だかってこんなに寒くなった時は私の記憶にはありません。しかし、すばらしいことはどんなに厳寒な冬であっても必ず春が来ることです。
私が見たローラーコースターは、次の山と谷を越えるのはとても無理だと思われるほど激しく脱線寸前のような揺れ方で激動していました。しかし、乗客を乗せた乗り物はばらばらに分解することなく終着駅に無事到着しました。私はローラーコースターに乗るのは好きですが、こんな激しく揺れるコースターには乗りたいとは思いませんでした。
しかし乗っている私たちには乗らないで済むと言う選択の余地はないのです。この世で今最も強固なシステムを持っていると誇る組織でも、後一日持ち堪えられるかどうかが分からないほど揺れ動いている状態です。それが持ち堪えているのは、ひとえに、神が今の世界を私たちのために支えていて下さっているからです。その意味で本当に私たちは今祈りを止める訳にはいかない状態にあるのです。
私の見たビジョンでは、ローラーコースターの終点に一つのプラットホームがありました。それは一見揺れ動くコースターと変わりないほど不安定に思えましたが、私たちがコースターからそのプラットホームに降りて歩いて行けば行くほど強く安定したものになって行きました。ホームの反対側には一連の美しく輝いた列車が停まっていて、私たちはそれに乗り込みました。それは私が今まで見た中で最も美しく、又最もよく整備された列車でした。
しかしながら、私たちを乗せて動き出したその列車がプラットホームを離れると間も無く、長くて暗いトンネルに入りました。そのトンネルは長くて出口が見えませんでしたが、登り坂になっており、この列車は非常に力のある山岳を登る列車であることが分かりました。私たちは暗いトンネルをどんどん登っており、最初しばらく慣れるまでは少しびくびくするような気持ちでした。これが私が見たビジョンの終りでした。
夢とかビジョンでは、列車(トレーン)はしばしばトレーニング(訓練)を意味します。私たちは、今は未だ古くて激しく揺れるローラーコースターに乗っている状態であるかもしれませんが、私たちを乗せて走っている乗り物は、私たちが到達すべきところに連れて行くためのトレーニングをする列車であるのです。それはエペソ4章-「聖徒たちを整えて奉仕のための働きをさせる」(4:12)と言うみ言葉を物語っています。私たちが長くて暗いトンネルを通って行く間どこに連れて行かれているのか見えませんが、とにかく登っているのです。この列車が私たちが到達しなければならないところに運んで行ってくれるのです。
それは、あなたはどこをどう歩くかは分からなくても、あなたの求めているものは知っていると言う「信仰の歩み」に似ています。それは、信仰の歩みを歩き始めたアブラハムと同じです。彼はどこに行くのかは分からなくても、人間ではなく「神が建設している都市」を目指していました。
人間が建たてた都市でも感銘させるようなよい印象を与えるものもあるかもしれません。しかし、一度神が建てている都市のすばらしさを見たなら、人間が建てている都市は全く比較にもならないのです。神が建てているものを見るには神の啓示、黙示が必要です。ヨハネは高い山の頂に連れて行かれるまではバビロンを見ていました。しかし山の頂で新しいエルサレムNew Jerusalemを見たのです。それはアブラハムが見た都市でした。その都市は未だに建設中です。その建設途上にあるものに属することが私たちにとって最も高い召し(calling)なのです。 あなたはそれが見えているでしょうか。
聖書の黙示録で分かるように。新しいエルサレム New Jerusalem とはキリストの花嫁です。ダン・ポッター師が最近話していましたが、婚礼の式が始まる数分前までは、キリストの花嫁ともあろう人たちが信じられないほど取り乱していることがあり得るのです。しかし、その最後の数分の間に、花嫁としてのすべてが整い、瞬く間に全く美しくて完全な姿に変えられる、それはまるで大変な奇跡を見ることであるかもしれないのです。私たちは今は最後の最後まで、無様な姿でしかないかもしれませんが、最後の瞬間には奇跡的に「しみもしわもない」姿に整うように神がして下さるかもしれないのです。ですから決して諦めないで下さい。(終り)