マンハッタンを祈って歩く 坂 達 也 2013年8月4日
マンハッタンを祈って歩く
坂 達 也
皆さん、世界で最初にPrayer walkをした人は誰であると思いますか。
はっきりした形でそれをしたのは、アブラハムであると思います。創世記 13: 14-17で神はアブラムに次ぎのように仰せられました。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。・・立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
神は、地球上で唯一の神の王国となるイスラエルのために「約束の地」を定め、その中心に位置するべテルの辺りの小高い丘の上にアブラハムを立たせました。そして「見渡せる全部の土地を永久にあなたとあなたの子孫(私たちクリスチャンも含んでいます)に与える」と宣言されました。そしてアブラハムに最初に命令したことが「その地を縦と横に歩き回りなさい。」であったのです。これは「約束の地」を神の御国にするための聖書にある最初の歩行であったと思います。
神はアブラハムをイスラエルの父祖として選ばれ、彼は信仰の父と言われました。神はそのアブラハムに地を歩かせて、アダム以来人間の犯した罪で汚れ呪われている土地を聖め、神の御国として悪魔から取り返す redeeming the land をさせたのでした。これで「祈りの歩行」が神の王国を打ち立てるために必要欠くべからざる最も重要な仕事の一つであることが明らかです。
どのように縦と横に歩いたのか、聖書に詳しいことは書いてありませんが、これこそ、まさに私たちのしている縦と横の通りを歩く「祈りの歩行」の元祖であることは確かなようです。
私は、今年に入ってから私たちの住むニューヨーク市のマンハッタン島を祈って歩いております。この地を歩くことが私に課された重要な主からの任務 assignmentの一つであると認識しておりますが、一日1時間半から2時間(それにそこまでに行く往復のバスと電車の時間を入れると3時間から4時間になります。)の歩行が非常に楽しく、身体が疲れるどころか、かえって主から力をいただいております。
今年の正月過ぎに島の南端にあるファイナンシャル地区から始めて、現在はセントラルパークの真ん中より少し上の辺りに達し、ほぼ60%程の道のりを終えたところです。今は少し足を痛めてこの一ヶ月ほど休んでおりますが、今年中には全島を歩き終える予定です。
私たちは息子夫婦が行っているRiverという名の教会に今属しております。この教会はウォール街に近く、例の2001年に旅客機が衝突した事件で爆破されたワールド・トレード・センターの跡地に新しいツイン・タワーがの建設中ですが、その直ぐ隣に建てられているオフィスビルの40階を日曜日だけリースをして礼拝を行なっています。
このビルの40階から展望する景色は実にすばらしく、そこからマンハッタンがほぼ全景見渡すことが出来ます。
私はその教会の場所から、アブラハムのように、マンハッタンを北と南、東と西のほとんどを見渡した後に、自分がアブラハムの子孫の一人として、この地マンハッタンを私たちの王国に取り返すはっきりとした意図を宣言して歩き始めました。
御存知の方も多いと思いますが、マンハッタンはかなり整然とした碁盤の目のように縦横の道路がはっきりしており比較的歩き易い街です。
しかし、ここで再び創世記を見てみたいと思います。と言うのは、アブラハムより先に最初に「神と歩いた人」は、アダムを除けばエノクであることが書かれてるからです。創世記5:24によれば、エノクは三百年神と共に歩きました。勿論この「歩く」という行為は霊的な意味として解釈されていますが、彼は神と名実(肉と霊)共に地の上を「歩いた」最初の人であると言えるかもしれません。そうであれば、それがどこであるかははっきりしていませんが、エノクが歩いたところはアダムの罪によって汚された地ののろいが聖められていたことになります。
重要なことは、三百年神と共に歩いた後にエノクは「神が取られたので」いなくなったと書かれていることです。この「取られた」あるいは「移された」と言う原語は、70人訳聖書Septuagintによれば英語のtranslate 或いは transformと言う意味のギリシャ語が使われています。
このことに就いては、6月に御紹介した「信仰について」(1-2)でリック・ジョイナー師が触れています。「信仰が私たちを変えますtransform。エノクの信仰が彼を天に移したのですtranslate。終末の時代に生きる私たちは今、信仰の成熟によって、エノクのように天の領域にtranslateされる時代に入ったのです」と師は言います。師は(1)の終りで「それは私たち(の霊的成熟)が天の領域と同じレベルにまで追いつくと言うことです。私たちは常に主と共に歩き、主と共に生きているはずです。」と書いています。
私たちの「祈りの歩行」の主目的は、私たちの住む地域を肉の形で歩くことによって御国に変え、御国の領域を広げることにありますが、理想的な形としては、歩行者が神との関係においてエノクの域に達することではないでしょうか。毎日を霊的に主と共に歩み、主と共に生きながら、御国を取り戻す歩行をするのが最も望ましいと思います。
しかし、やはり究極の「祈りの歩行」をした人と言えばイエスご自身であると思います。イエスは「すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を述べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。」とマタイ9:35に書かれています。これこそ御国に於ける最高の祈りの歩行であると言えないでしょうか。
イエスは又、12人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊どもを制する権威を授けた後に、彼らを遣わし「行って、『天の御国が近づいた。』と述べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊をおいだしなさい。」(マタイ10:1、7-8)と命じていますから、この「宣教歩行」こそが、これからの時代の究極の歩行であると信じます。これに関してですが、ある時私が歩いていますと、この宣教の御業をする「祈りの歩行」が「・・・天の御国は激しく攻められています。激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12) に通じることが示されました。私たちは12弟子と同じように、これから主より権威と力をいただいて、本格的な激しい「宣教歩行」を実践する時が近づいて来ていると感じております。
マンハッタンの歩行で示され、学びつつあること
私は今マンハッタンを歩きながら、主から「祈りの歩行」の重要性を再認識させていただいています。
中でも特に最近示されたことの一つは、肉の歩行をしながら、それが「主を見つめて待つ」祈りを実行するよい機会であることです。
事の起りは、最近忙しくて早朝「主を見つめて待つ」祈りをする時間が少なくなって来ていることに私が危機感を持っていることを御存知の主が、ある時、路上で私に「2時間の歩行をする間中、わたしを見上げて祈りながら歩きなさい」と言われたのです。それ以降、本当に歩きながらでも、主が色々と語って下さるようになり歩行が一段と楽しくなりました。そこで歩いている最中に語られたことを、忘れる前にすかさず持ち歩いている携帯電話にメモとして吹き込んでおくことを始めました。
土地ののろいを断ち切る
御存知のように、私たちが行なう「祈りの歩行」の主要点は、イエスの流された血潮をその土地に実際に充当することを宣言して歩くことです。それによってその地が癒され、きよめられ、それをサタンの手から取り上げることが出来ます。(その地が正式に王国に返還されたことを天の法廷で承認されます。)
私の最近のやり方は、交差点の街角に立ち止まり、私の立っている地と周りの建物に向かってイエスの血潮を降り注ぐことを宣言します。
それは、イエスの血潮によって、この地で今までに犯されて来た過去の一切の罪の呪いを断ち切り、そこに生活する人々を今までサタンの闇の世界に縛って来た枷 yokeから開放します。それと共に、イエスが地上にお帰りになるまでに犯される将来のすべての罪とその呪いも、今ここに置くイエスの血潮によって赦されるように血潮が街を覆うことを宣言します。これによって街が御国に変えられます。
その後で、私はイエスが十字架上で叫ばれたことば「父よ。彼ら(ここに住み生活する人たち)をお赦しください。彼等は何をしているのか自分でわからないのです。」をイエスを代表する者の一人として心の中で叫びます。
又、私はその通りと、その周りの土地と建物、樹木等一切のものに「イエスの福音Good Newsを住民と歩いて通る人たちの心に語り伝えなさい。」と命令します。するとある時、「同時にそのGood Newsを聞いてそれに応えない人は、それ程遠くない将来にそのめぐみが閉ざされることも警告しなさい。」と言う御声が聞こえました。
先日ダッチ・シーツ師が「これからはすべての力が強くなる時、メガ・パワーの時代」とチャック・ピアス師の集会で語っているのを聞きました。「そうだ、イエスの血潮の力、その叫びの力も物凄く強くなる時だ」と私はメッセージを聞きながら思いました。
私たちは今激しく攻める者として町々を巡り歩き、イエスの血潮の力によって福音 Good Newsを伝え、あらゆる癒しを行ない御国を奪い取り返す時が来たと信じます。皆さんもそれぞれが与えられている地域を、癒しの御業をしながら主と共に歩かれることを大いに期待しております。(終り)