終りの日の勝利者(2-2) ポール・キース・デイビス Paul Keith Davis 2013年2月1日
終りの日の勝利者(2-2)
ポール・キース・デイビス Paul Keith Davis
それでは1967年より前に同じことがいつ起こったかと言えば、それは1948年と49年です。この1948年はイスラエルが独立国となった記念すべき重要な日です。しかしそうなると、その前に起ったのはいつかと言う当然の疑問が出ます。それは、1948年から300余年も前になり、そのもう一つ前は1493年ローマ・カトリック教派で異端者(特にユダヤ人)を裁判するInquisition と言われる宗教裁判がスペインであった年で、確かにユダヤ人にとっては大きな出来事のあった年です。しかしこのような詮索には余程注意する必要があります。さもなければ2014年とか15年に世の終わりが来るのではないかと憶測し、必要以上に騒ぎ立てる人が出て来かねないからです。
確かに2015年は預言的観点から見た教会史上では重要な変動が起きる(神の)パターンは継続していると言えます。しかし、2015年は何が起るのかは私にはよく分りません。これから来るべき世の終わりの大ハーベストが始まってもいないのですから、少なくとも世の終わりが来るには早過ぎると思います。ところで、2015年にはもう一つの天に現われる徴signがあります。それは、イスラエルにおける二つの新年を祝う祭日に日食が起こることです。神の暦による新年は過ぎ越しの祭りですが、2015年は3月20日です。又ユダヤ暦ではロッシュ・ハシャナの祭日が新年で、それは9月13日。この二つの新年の祭日に同じように日食が起こることになっています。
しかし、それよりも重要と思われることは、この2015年が「第50年目のヨベルの年」Jubileeに当たることです。50年目とは、7年X7回=49年が経った翌年の50年目の年に、自分自身を奴隷として売った負債の義務、あるいは自分の土地に対する負債が無効となり「開放」される年です。2015年がそのヨベルの年となる計算の根拠は、1967年エルサレムを奪還した6月7日から数えて49年、すなわち49年X1年360日=17,640日経った日がちょうど2015年9月23日になり、この日がたまたまその年の「贖罪の日」Day of Atonement・ヨム・キプールと呼ばれる重要なユダヤの祭日の一つなのです。従って2015年9月23日の贖罪の日に何かが起こる可能性が充分あると考えられる訳です。
私にはこの日が何を意味し何が起るのかは分りません。しかし、昨夜のメッセージでカマル兄弟は、2013年から始まる3年間の後には教会は存在しないと言われたのです。
それに関して私は、今の時代に残されているレムナントの一団に対する聖書の言葉をみたいと思います。それはハガイ書で「主はユダの総督ゼルバベルの心と、大祭司ヨシュアの心と、民のすべての残りの者の心とを奮い立たせた・・・」(1:14)とあります。私は今、主が私たち残りの者を奮い立たせようとしているシーズンにいると信じます。私たちがこれからどこに向かっているのかはわかりませんが、奮い立たせている時は進む時であり、同じところに留まる時でないことは確かです。
私は2013年とはまさしくモーセのように雲の柱に導かれて、これからの時代における「獅子の口をふさぎ、火の勢いを消す」信仰の勇士たちであるひとかたまりのレムナントremnant companyが移動して前進する年であると信じます。このレムナントについて一つ言えることは、彼等は決して「生まれ付き出来上がっていて、苦労しないで来た」人たちではなく、むしろ地獄のような(信仰の)試練の中を通って来た人たちであることです。
自分のことを例に挙げるのは気が進みませんが、私にとって今年は困難な年でした。海外に多く出かけ、一年間に186,000マイルも飛行機に乗りました。その結果、言ってみれば私の車輪の一つが外れてしまいました。私はそれまで健康には全く問題なかったのですが、昨年9月の初めに突然気分が悪くなり、呼吸困難に陥って、通常の運動も出来なくなりました。医師に診て貰うと、彼は誤診をして肺炎だと言い、抗生物質をたくさん呑まされた結果、病状はさらに悪化しました。一ヵ月後の再検査で分ったことは、私の病気はサーカドーシスと言う肺と心臓に関する疾患でした。それまでの2-3ヶ月の間は私の脈拍が1分間に140回と言う速いものでした。正確に言えばそれは脈拍を打つと言うより「震えている」状態であると言われたのです。そこで私は三日間入院し、心臓の震えを平常のリズムに戻すためにカーディオバートと言うショック療法を受けることになりました。それを三回やったのですが、最後が10月21日でした。それから12月26日までは私の状態はよかったのですが、12月12日に私はモーニングスターを訪ねました。そこに私の可愛い孫娘イザベラが来ていて(その孫娘の母親である私の娘がモーニングスターで働いています。)私たちに預言を書いたきれいな紙切れをくれました。それにはこう書いてありました。「おじいちゃん、おばあちゃん、神様はあなたを愛しています。このクリスマスには神様があなたと共におられます。」これは二通りに解釈出来ます。(会場笑う)そしてその後に聖書を引用して次のように書いてあったのです。「About 9th hour, Jesus cried out,saying ”My God my God, why have you forsaken me? – 三時ごろ、(9時を指す)イエスは大声で・・・・『わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。』」(会場は爆笑)それを見て妻のワンダが「あなたは病院でうなってそう言っていたではありませんか。」と言いました。
そうしているうちに12月26日が来て私の病状は急に悪くなりました。家には家族が全員集まり、私の脈は140-185を打っていました。そこで私たちは主に期待して祈ったのですが、何も起りません。その日は夜までずーっと悪く、翌朝はさらに悪化しました。そして私の医師の事務所が開く9時が来ましたので電話をしました。その結果、その翌日に病院でもう一度ショック療法をしてもらう手はずが整いました。医師との話し合いがついた後、9時半ごろでしたか、私たちは孫娘を泊まっているホテルに送って行きました。そこで孫娘が私たちのために小さな祈りをしてくれたのです。
私はその時、前夜自分がどれ程の状態であったかを思い出していました。私はトンネルの中にいて、今にも私は自分の身体を去ろうとしていたのです。それは夜中の三時ごろの最悪の時でした。すると車を降りた孫娘が「おじいちゃん、私は神様がおじいちゃんを助けて下さるようお祈りしました。」と言い、私たちは別れました。それから2ブロックも走った所で私は自分の心臓が波打っていないことに気が付いたのです。胸に手をあててみると私の心臓は全く平常に戻っていました。そこで思い出しました。9歳の孫娘が預言してくれたAbout 9th hour 9時頃、実際は9時半過ぎに私の心臓は癒されていたのです。
多くのことを省略しますが、預言的に見て、この9th hour に何かメッセージがあるように思うのです。イエスが十字架上で叫んだ時、その午後三時(9th hour)は神殿で夕方のささげものをする時間でした。その至聖所の前の幕が真っ二つに裂けました。父なる神への通路が開かれた。言い換えれば、その前に一つの命があり、この瞬間を境にして、その後に新たな別の命が存在するようになったのです。私はそれが及ぼす意味についてここでは申し上げませんが、この瞬間9th hourに人間のすべての罪をイエス・キリストが洗われたことによって人間の罪が絶滅され、以降、神の義が私たちが受ける遺産となりました。この9th hourに起こったことによって、人間の歴史に一大変革が起きたのです。
そのほかに、エリヤがカルメル山で450人のバアルの預言者たちと対決たし際に、エリヤが天に向かって祈った時が9th hourでした。神は、その祈りに応えて天から火を降らし、エリヤがささげた全焼のいけにえを焼き尽くしたのでした。(1列王記18:36)その結果、イスラエルにリバイバルが起きました。9th hourを境にチェンジ或いはシフトが起ったのです。
又、捕囚のイスラエルの民が大きな不信の罪を犯しているのを聞いて、エズラがその民の罪に対し涙を流して悔い改めととりなしの祈りを神にささげたのも9th hourでした。その結果リバイバルが起きました。(エズラ記9:5)又、ダニエル書9:21-27に書かれていますが、ダニエルが民の犯した罪を告白しとりなしている時、御使いガブリエルが現われ、ダニエル七十週として知られている重要な知恵(預言)をダニエルに授けたのも9th hourです。これらを見て分ることは、9th hourに神は、非常に意味深い、物事とか時代における「シフト」あるいは「トランジッション」(移り変わり)を起こされているのです。
このパターンが正しければ、今私たちはこれから起ころうとする9th hourのイベントの直前に立っております。その意味は、仮庵の祭りに関連して預言的に暗示されているイベントがこれから現実に起ろうとしていると言うことです。仮庵の祭りは復原restorationの祭りと言われ、神殿が復原された時、仮庵の祭りを祝い始めるようになりました。ソロモンは仮庵の祭りの最中に神殿を完成して主にささげました。その時主の栄光が宮に満ちて祭司たちは立っておられなくなりました。皆さんもそのような経験をしてみたいと思いませんか。私はそれが実現する時に今向かいつつあると信じます。
新約の時代では、ペテロとヨハネが9th hourに宮に入って最初の使徒的癒しを行ないました。(使徒行伝3:1)又、最初の異邦人コルネリオが御使いに出会って救いに導かれたのも9th hourでした。(使徒10:30)そうであれば、私たちも「9th hourの遭遇」を祈ることが出来るはずです。私はたった今分ったのですが、このモーニングスターの人たちの中で、私と同じように26日に3人の人が同じような心臓関係の疾患で倒れたと言うことを聞きました。それも何かの意味があるのではないでしょうか。
最後にチャンピオンの心臓についてお話をして終わりたいと思います。2002年に私は Book of Destiny と言う本を書きましたが、その本の最後に競馬馬として有名なセクテリアットの物語を紹介しました。皆さんの中でこの馬の映画を見ていない人がおられますか?(ほとんどいない)その馬の心臓については? セクテリアットは競馬史上最大のレースを走った馬です。それはベルモント・ステーキにおけるレースで、1マイル半のレースを2分24秒で走ったのでした。この馬はアメリカの三大競馬であるケンタッキー・ダービーとプリークネス・ステーキ、それにベルモントの三つをいずれも記録的なスピードで優勝しました。(その記録は未だ破られていません。)
このセクテリアットはベルモントのレースで勝つことはあり得ないと言われていました。なぜなら、身体が大き過ぎてこれだけの長距離レースを早いスピードで走り切ることは不可能と言われていました。下馬評では、このレースの勝ち馬は間違いなくSham と言う馬であると言われていたのです。このシャムと言う名の意味は贋物とか模造品と言う意味ですから、まるで作り話のようですが本当の話です。
レースが始まるとこの二頭の馬は始めから飛び出し、第一コーターの時間は今まで二頭の馬が競走して走ったどの記録よりも速いものでした。しかも第二コーターでは、どちらも第一コーターを上回る記録的猛スピードで通過しました。セクテリアットの騎手は、この馬は自分のペースで自分自身の時間で走る馬であると言いましたが、その日の朝起きると、今日こそは自分の日が来たことを自分で決めたかのように、朝から激しくいななき、直ぐにでもレースに出られる勢いであったそうです。それはあたかも、自分はこの時のために、今日のレースを走るために生まれて来たことを知っているかのようでした。これは何とすばらいいチャンピオンの姿imageではありませんか。どうして分ったのでしょうか。創造者がそのように決めておられたとしか言いようがありません。
第三コーターにかかるとセクテリアットは益々ペースを速め、他の馬を20馬身も引き離しました。実況解説者たちはこぞってスピードを落とせ、こんなスピードで走って倒れなかった馬は今まで一度もないと叫びました。
しかしこれは本当にあったストーリーですが、このレースでの真のヒーローは、エディーと言うこの馬の世話人(馬に親しくささやく人whispererとも言う職業)でした。彼は前の晩から泊り込み、この馬の傍らで寝ていたのですが、彼の書いた本によると、彼は明け方に夢を見たそうです。その夢で、25馬身ほど離して独走しているセクテリアットが、第四コーターを回った後に突然倒れました。彼はそこで冷や汗をびっしょりかいて目が覚めたそうです。彼は咄嗟に何とかしなければならないと思い、必死で祈り始めたました。これこそ絵に描いたような今日のとりなり手の姿です。
25馬身離したセクテリアットは、スピードを落す替わりにもっとペースを速めたのです。騎手が後でインタービューされた時、聞き手が、どうして25馬身も引き離して、勝利は間違いないのにあそこでスピードを落さなかったのかと聞くと、騎手は「私は全く関係なかったのです。(私がどう指示しようと)この馬は全く自分自身のペースで走り続け、私は落馬しないのが精一杯でした」(笑い)と答えました。セクテリアットはその通りに第四コーナーを回ってゴールに向かって走り続けました。ゴールに達した瞬間も、彼はスピードを上げ続けていたのです。
セクテリアットは19歳で死にました。死後の解剖で分ったのですが、死んだ時この馬の心臓は全くの健康な心臓でしたが、そのサイズが大きくなっていて、重さ22ポンド、通常の平均より2.5倍大きかったそうです。通常心臓が肥大することは健康とは言えません。しかしこの馬の肥大した心臓はパーフェクトに健康な状態であったのです。‘
2002年に書いた本book of Destinyで私は、勝利者の一団a body of overcomers-神のチャンピオンたち-について書いたのですが、その人たちの心臓(英語でハート、そのハートの日本語は心)は他の人たちとは(大きさが)違うことを述べました。私はよく分りませんが、神は今私たちのハート(心)の問題を取り扱おうとしておられるのかもしれません。私は2002年に上記のハート(心)、特にセクテリアットの大きくされた心臓のことを書いた後に導かれた聖書の御言葉が、「わたしの心に適った者」と神が言われたダビデの次の言葉です。「あなたがわたしの心を広くされる(大きくされる)とき、わたしはあなたの戒めの道を走ります。」(詩篇 119:32、口語訳)ここで「心を広くされる」とは心を大きくするenlarge my heartと言う意味です。この御言葉に導かれた時に私はショックを感じました。
(ここで祈りに入る。)主よ今朝、どうぞここに集まっている私たちの心を大きくして下さい。そして心のキャパシティーを増して下さいますように。皆さん手を胸(心臓)の上に置いて下さい。主よあなたが今朝私たちの心の大きさについて語っておられます。主よ、今私たちの心のすべてをお受け取り下さい。私たちの心はあなたのものです。私たち自身も私たちのものではありません。あなたが払われた代価で買われています。私たちは私たちの肉の心臓と霊の心をあなたに差し出します。そしてどうぞ今ここにおられる方、又テレビ中継を見ておられる方々の心(心臓)のキャパシティーを大きくして下さい。そして私たちの心を挑発して奮い立たせて下さい。主よ、私たちの心は燃えたではありませんか。イエス・キリストの啓示が今の時にあらわれます。主よ、あなたは神の御前に立っている御使いをこの地上に送ると言われました。どうぞその御使いが私たちの心に燃えている炎をもっと煽って下さいますように。あなたの信仰のメッセンジャーが地上のメッセンジャーを生み出し、あなたの御言葉がその唇に与えられ、あなたのパワーフルなメッセージを声を出して伝えさせ、悪しきものの根を抜き、取り壊し、破壊してしまうと同時に、(信仰を)生まれさせ、建て上げる御言葉も語らせて下さい。エゼキエル36章にあるように、主よ私たちの心にきよい水を振り掛けて下さい。
主は1ヶ月前に、2013年に2012年の荷物を持ち込まないことを、人々に伝えるようにとおっしゃいました。わたしはあなたがたにめぐみの力を与えるので、あなたの過去のすべての汚れたものをきよめて白紙の状態で新しい年を迎えなさいと言われました。今私たちはそれぞれ主にお願いして、汚いもの、よくない決定、よくない行動、よくない態度を取ったことに対してすべてのことをイエス・キリストの血潮できよめられるよう今朝お願いして下さい。そのために主は年の始めに当たってめぐみの断食の時を与えて下さっております。主は、「あなたがたはすべての汚れからきよめられる、すべての偶像のけがれからあなたがたをきよめる、そして、あなたがたに新しい心を与え、新しい霊を授ける」と言われます。どうぞ今、私たちに新しい心を下さいますようにイエス・キリストの御名でお祈りします。(終り)