神の計画表 チャック・ピアス 2012年6月16日
神の計画表
チャック・ピアス
レビ記23章で、神は神の民にカレンダーを与えています。この聖書的なカレンダーは私たちが日頃使っているものとは異なっています。聖書のカレンダーは太陰暦(lunar calendar)であり、月 を基準にしています。月が満ちたり欠けたりすることで聖書的な一ヶ月は決まります。線のように細い新月の時は常に月の最初の日であり、満月はその月の真ん中になります。月がなくなったときはその月の終りの日です。
神はある日々を「モアディム」、即ち「定められた時 appointed times」と宣言されました。主は「あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭(定められた時 appointed times)、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。」(レビ記23:2)と言われています。
これにはどういう意味があるのでしょうか? レビ記23章は神の(日毎の)計画表のようなものです。主が主の民と会われる日、アポイントメントを定めておられるのです。それは即ち、毎週の安息日、過ぎ越しの祭り、種なしパンの祭り、初穂の祭り、ペンテコステ、ラッパの祭り、贖罪の日、そして仮庵の祭りです。
使徒パウロはこれらの例祭は本体であるメシアの影のようなものであると教えています。(コロサイ2:16−17)つまり、神によって定められた例祭の一つ一つは、メシアに関する何かを教えるものであるということです。
例祭のほとんどすべては、過去に起こった偉大な贖いの御業を記念するものです。例えば、種なしパンの祭りはエジプトからの脱出を記念しています。
しかし聖書の例祭は、終末に起ることのブループリントとしても捉えることができます。ある意味で、例祭は贖いのパターンを示しています。なぜならばすべての例祭は、 神が人と真に交わるために定められた時であるからです。例祭のために定められた時は、それぞれ神の贖いの計画の定められた時を予表しているのです。その意味で例祭はメシアのために予め定められた時です。「父がご自分の権威をもってお定めになっている時」(使徒1:7)です。「その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」(マタイ24:36)というその定められた時を、例祭は表しているのです。例祭を学ぶことは未来を学ぶことです。例祭を学ぶことはメシアを学ぶことです。
神が定められた例祭を実際に祝う人たちにとっては、それは深い霊的な学びを得させるものです。一つ一つの例祭は私たちを生ける神と聖なる御子へ更に親しく近づかせます。ユダヤのお祭りに注目し、それをよく理解し、祝うことの重要さがここにあります。(終り)