WWGM

Walk With God Ministries

16 5月

意図 Intention を持って選択する グラハム・クック         2012年5月17日


意図 Intention を持って選択する

 

グラハム・クック

 

キリストの内なるいのちのすべては、意図・目的intentionで満ちています。神の目的は、多くの成熟した息子、娘たちを栄光へと導くことです。私たちは主に似る者となるように造られています。そしてすべてにおいて征服者という以上の圧倒的勝利者となることを学んでいます。私たちは地上に住む天国の市民です。キリストの花嫁であり、イエスの兄弟であり、又神の子、主のしもべ、主のよき兵士、主と共にある神の相続人です。御国のすべてのものは、(創造者の神の)目的と意図というアイデンティティーに連なっているのです。

 

人生に於けるあらゆる状況において、 その時々の私たちに対する神のご計画intention(御心)を私たちが選んで実行することを私たちは今学んでいます。神と私たちの関係は、決して一次元的なものではありません。神が 私たちに対して偉大な御計画と期待を持っておられるがゆえに、それは複数次元のリアリティーであるべきなのです。私たちを主に似る者とするために、主は今、この世という次元に生きる私たちを、御霊にあって既に永遠に生きているという天の次元で生きるリアリティーに引き上げねばならないのです。この世の人生において私たちは、すべての主権や権力を遥かに越えた天の所(御座)に(既に)キリストと共に座っているというデスティニーを持っているのです。

 

勿論、私たちは天で生きるより低いレベルで生きる人生を選ぶこともできます。すなわち、この世を卓越して生きる替わりに、世的に生きることを選ぶこともできます。戦士ではなく敗者になることを選ぶこともできます。相続人ではなく雇い人の方がいいと思うかもしれません。(ルカ15:19)自分の夢をやりやすい程度に小さくすることもできます。けれども神にはそのようなお考えは全くないのです。神は忠実で力強いお方であり、私たちに対して意図と目的をもっておられ、私たちがその神の意図と目的に従って生きるとしか見ておられないのです。

神にしか創ることのできない私たちの人生を生きるためには、当然ながら、まず 私たちへの主のヴィジョンを私たちは受諾せねばなりません。主が良いと思われるアイデンティティーに私たちが同意する時、私たちは神の意図と目的の場に踏み込まねばなりません。その道を選ぶならば、私たちは御父と同じ意図で歩んでいかねばなりません。そうであるならば、すべての状況は主の内にとどまることAbidingに連なっています。

 

そして主と同意し一致することによって、主にとどまり、安息し、大きくなることを学ぶのです。あなたが今それによって生きている人生の選択は、あなたの運命を世的に了解して(甘んじて)されたものですか、 それとも御国におけるあなたの場所(地位)から出た選択ですか?

すべての出来事は私たちにとって有益です。(なぜなら)すべての状況が私たちに、私たちのアイデンティティーを思い起こさせ(挑発し)神が私たちに対していかに親切であるかの意図を更にはっきりさせてくれるからです。 主がご自身の性質のある一つを特別にあなたに表されるときに、それがあなたのためにであることが疑いなく信じられるようになります。即ち、主はあなたが置かれたいかなる状況に於いても常にあなたに親切な味方であることを宣言しておられるのです。主が親切さを私に表されるとき、私の思いと心はそれに打たれて圧倒されます。そして主は、私が主の親切を受ける経験をするだけではなく、私自身が親切そのものになることを願っておられることが分かり始めました。

どんな状況においても(私がいつも)「親切であること」が私に対する主の心からの思いであることが分かるようになりました。それは私の証しとなりました。そして私のアイデンティティーは更に一段と向上しました。私のまわりの状況の中で明らかに表される神のご性質が、そのまま私の人々に対する行動に於いて明らかに表現されねばならないものとなりました。私たちは意図をもって選択するのです。 あなたに対して主がどのようなご性質を表して下さっているかをよく注意して見て下さい。

 

主は今あなたのためにどのようなことを示しておられるでしょうか?主は常にご自分の意図を明らかにされます。主は絶えずあなたのための主が用意されている結末を見ておられるのです。主はあなたが主のようになることを選びとって おられます。ですから、主の知恵により、主の力によって容易く避けられることも(時に)私たちに上に起こるのを許されます。主は 私たちが力を得て私たちの内や私たちを通してアイデンティティーへむかって前進向上できるような状況を私たちのために選ばれるのです。主の意図を私たちは選択するのです。主の意図は私たちのアイデンティティーとなります。ですから私たちがする選択は 想像以上にずっとパワフルです。私たちは 状況を自分で選択するのではありません。(神の選択したものを選択するのです)

私たちは神の意図を選び取るのです。私たちは、神の意思(御心)が私たちの心をアイデンティティーの場所にまで高めてくれるのを待ち許すのです。意図は、疑いや恐れ、不安に勝利します。アイデンティティーは その時の状況に正しく対応できるレベルへと私たちを高めます。御霊にあるいのちが内なる御臨在から外部の状況へと流れ出るのです。

 

御国は いつも私たちが信じるもののために経験を与えてくれます。主にとどまることによって私たちは主の意図の中にとどまることを選びとっています。それによって私たちは信じ続け、そしてついに経験を受け取るのです。カナンに巨人がいると聞いたとき、イスラエルはエジプトに戻ることを選択したかったのです。

神の意図は私たちに立ち向かう敵によって私たちがより鋭くなることです。ですから巨人は私たちをより大きく、より勇敢に、よりすぐれた者にするために(私たちの前に現れるように)デザインされたものです。(従って)巨人は、私たちが神の意図の中で次にどのような者になるかを教えてくれます。あなたの未来には少なくとも一人の巨人がいるはずです。私たちの上に普通に起こる問題というものは、私たちが一つのレベルから次のレベルに上がる階段をつくるものです。すべての問題は私たちがレベルアップするための高さとなるのです。それは上にあげてくれるもの;すなわちステップ(アップ)のバネ、すべてをレベルアップするための学習です。


巨人は私たちを一気に数段高いレベルへと 連れて行ってくれるエレベーターです。羊飼いの少年から王の宮殿へ、石投げをする少年から王になるという具合にです。私たちは自分のことを過小評価しているので、このように高められる用意がほとんどの場合出来ていません。私たちが自分に対する神の意図を信じるならば、その時私たちの選択によって、それにふさわしい著しく高いレベルへと私たちを押し上げてくれるのです。(終り)


Post a Comment